第一章 「敗北」


 大地は渇ききっていた。もろく崩れた土塊が、地面を舐める風に煽られて、赤茶けた煙を立てる。
 太陽の熱射は、微量の水の粒子さえも奪い、空気を揺らめかせた。
 その揺らめきの中に、自分が倒さなければならないものがある。敵だ。それは目の前に立っていた。
 踏み込み、腕を降り下ろす。拳の先から伸びる光の剣が大きくしなって尾を引いた。
 だが、光の先端は相手の身体をかすめることすらなく、空を切った。敵は上半身を僅かに後方に反らしただけだった。
 敵が拳を大きく振りかぶって突き出す。それを防ごうと左手を持ち上げるが、それよりも早く拳が自分の胸に命中した。
 大きな衝撃が走り、後ろにバランスを崩す。
 二歩、三歩と後ろに脚を出すが回復しない。転倒する、そう思った瞬間、背中の噴射装置から燃焼ガスを吐き出させる。
 体が舞い上がる土煙の中でふわりと浮いた。上体を起こして両足で地面を踏みしめるとジェットを終了させる。正面に向き直ったとき、思った以上に後ろに流されたことを知った。
 息が苦しい。肩を上下させて大きく呼吸を繰り返しても、肺に入る酸素の量は絶対的に少ない。
 酸欠? そんなことはない。胸から上にすっぽりと被さった、半径七十センチはある半球状のドーム・モニターにも、その下に並んだ六つの補助ディスプレイにも、アラートは表示されていない。パイロットの生命に関わる故障は、どんな些細なことでも示される。
 熱い。汗が額から頬を伝って首筋へと幾つもの帯をつくっている。温度設定? いや、コクピット内は最適な状態に保たれている。それはパイロットの状態を常にチェックしながら、小まめに調節されている。
 にも関わらず、止まらない汗に濡れた髪の毛が頬に張りついていた。
 両腕はアーム・ボックスと呼ばれる長方形の箱の中で、耐衝撃性のラバーを汗で濡らし、不快な音を立てていた。
 パイロット・スーツは着ていない。衣服が湿って身体にまとわりつき、動作を重くしている。
 胸から下は、アストライド・シートと呼ばれる、シート・ベースというサドルに跨がって体を前後から挟んで固定する、モビルスーツ独特の操縦席の中に収まっていた。
 モビルスーツ。それは人型の兵器の総称だ。自分は今、この十八メートルもある巨人の中にいて、それを動かしている。
 そして、自分をここまで追い込んでいるのもまた、モビルスーツだ。
 それはドーム・モニターの真正面に仁王立ちで映っている。距離は約二百五十メートル。遠近感が狂って見え、もっと近いように感じる。
 全身が深緑色の装甲に包まれている。曲面を多用した外観は、人間とはバランスが違うものの、ボディビルダーのような逞しさがあった。
 正面から見ると楕円形をした頭部の中心で、濃いマゼンタ色に光る一つ目が、こちらを睨んでいた。
「娘よ」
 野太い男の声が、コクピット内に響いた。声の主は、目の前のモビルスーツの中にいる。
「名は何と言う?」
 声が聞いた。
「ヤワ・ミリス」
 その問いに答える。
「ミリスがファースト・ネーム」
 そう名乗ったのは、これで三度目だった。一度目はキニン・メスリー、二度目はイレーネ・ネリス、そして三度目がこの男、ヴィルヘルム・カーゾンだ。そして、この男の操るモビルスーツは、ジェニューインという名で呼ばれていた。
「ならば、ミリス」
 カーゾンが話しかける。
「君が何故そのモビルスーツに乗っているのか、操縦できるのかは知らんが、君には戦う理由は無いはずだ。今すぐモビルスーツから降りて、立ち去れ」
 それが出来れば、とミリスは思う。帰ることは出来たんだ。でも、判っていたのに自分から巻き込まれてしまった。もう、自分が納得しなければ引き返せないところまで来てしまった。
「戦争は私が終わらせる。連邦政府も反連邦組織も私の手で葬り去る。そして、地球は自然へと帰るだろう。だが、君のような若い者達は死んではならん。願わくば、このまま去って、宇宙へと上がってくれ。そしてこれからの時代を造るのだ。君にはその資格がある。ガンダムを動かしているのならなおさらだ」
 この男はわたしが乗っているモビルスーツのことを知っている。全高十八メートルの巨人。白を基本に胸を紺色、腹を赤で塗装されている。そして特徴的な額の二本の角。このモビルスーツは二十年以上前の物だが、何故かミリスとは相性がいい。
「そんなこと出来るわけないじゃない」
 ミリスは言った。今の時代、宇宙に行くことなど出来はしない。大気圏を突破できる能力をもったシャトルもロケットも、地球にはほとんど残っていないのだ。
「私の元にくれば宇宙へと上げてやる。君は特に、だ。君は戦う大義名分も連邦軍に対する義理もないだろう。地球にだって愛着を持っているわけではない。そんな生き方のまま死んで行くより、宇宙に上がって多くの者達のために生きろ。変えるのは勇気がいるが、自分の世界に閉じこもっているよりは、遥かに建設的だ」
「ふざけたことを!」
 ミリスはガンダムを疾駆させた。そして、スラスターを全開にして加速する。眼前にジェニューインが迫った。
 ガンダムの右腕を伸ばす。その先にはビーム・サーベルが握られている。そこから伸びた光の刃が大きくしなっていた。それを真横に払った。
 が、腕は振り抜く途中で止められた。ジェニューインの左腕がガンダムの手首と交差している。手首の装甲がひしゃげた。
 ジェニューインは手首を掴むと急激に旋回した。体が横に引っ張られる。
 投げられる。そう思った瞬間、ふくら脛の姿勢制御バーニアを使ってガンダムを直立させると、さらに上に向かってバーニアを噴かす。
 そのまま地面に叩きつけられるように着地した。腰を落としてその衝撃を相殺する。機体が大きく沈み込んだ。
 その位置から戻る反動を利用して、そのまま左の拳を突き上げる。
 だが、ジェニューインは掴んだ右手首を離すと、その姿は突然、目の前から消えた。
「いい動きだ」
 声がした。センサーは左側を指し示している。ミリスは機体を旋回させた。ジェニューインとの距離はまた開いていた。
「今の動きは動作予約のものではないな。プログラムに頼っているだけでは出来ない細かな動作。しかし、まさかフルマニュアルでモビルスーツを動かせる者がいたとはな」
 カーゾンの言葉は聞こえてはいたが、内容は聞いていなかった。
 モニターに映るジェニューインを見据えて、どう攻撃するかを必死に考えていたのだ。速い、装甲は厚い、パワーもケタ違いだ。
 だが、有効な手段など考えつかなかった。どのみち生半可な作戦など効果があるとは思えない。
 ミリスは身構えた。こうなったら強引に突っ込んで一撃を加えてやる。
「君は危険な存在だ。フェイクとはいえ、やはりガンダム。こうも乗りこなされると私の脅威と成り得る。ここで消えてもらおう」
 ジェニューインが左腕を向けた。下膊にある二つの銃口から火花がほとばしる。
 それはガンダムとその周囲の地面に着弾し、土塊を巻き上げた。衝撃が連続して機体を軋ませる。
 まずい! ミリスはガンダムを跳躍させた。
 その瞬間、ドーム・モニターが唐突に消えた。コクピット内に赤い非常灯がともった。
 何? 慌ててガンダムを着地させる。機体の状態を示すモニターの上に、ガンダムの頭部が吹き飛ばされたことが表示されていた。
 さらに機体に衝撃が走り、ガンダムが片膝をつく。ミリスは胴体に設置されているサブカメラに切り替えた。
 ドーム・モニターのところどころが欠損して、一部分しか生きていない。だが、その中にジェニューインの姿ははっきりと映し出されていた。
 ジェニューインの右肩から巨大な砲が突き出ている。今まで背面に直立していたものだ。
 ガンダムの右腕は二の腕から下を失っていた。ミリスは何とか上体を起こそうとするが、大きく重心がずれて制御が出来ない。上体を揺らしながら何とか立ち上がる。
 二度、キャノンが轟いた。それはガンダムの左肩の付け根とみぞおちに命中する。ガンダムは後方へと撥ね飛ばされ、仰向けに倒れた。
 くっ! ミリスは全身に衝撃を受けた。痺れて力が入らなくなってゆく。
 コントローラを必死に動かすが、ガンダムは体を揺するだけで、もうミリスの操作は受け付けなかった。
 ガンダムの上に影が被さった。
 ジェニューインが真横に立っていた。見上げるその姿は異様に巨大で、威圧的だった。手にはビーム・サーベルを持っている。
 やられる! ミリスは恐怖におののいた。こんなところで、こんなかたちで、死ぬ! 震え出した指先がコントローラを小刻みに叩いて音を出した。
「残念だがこれで終わりだ。ミリス・ヤワ」
 ジェニューインは腕を振り上げた。ビーム・サーベルを逆手に掴み、その先端をガンダムのコクピットへと向ける。
 もうだめだ。ミリスの頭の中にあるのは絶望だった。あのとき帰っていれば、引き返さなければ、そんなことを一瞬考える。
 あのとき、一緒にいかなければ。
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