1 フレッド・リーヴ


「いえ、ですから、パーツの調達の問題なんですよ」
 俺は通信モニター越しに無理難題を押しつけて来る取引先のオヤジを相手に、なるべく声を荒らげないよう気を付けながら返した。
「モビル・スーツのパーツはおいそれと手に入らないですから」
 しかし、モニターの向こうでは額に汗を浮かべた中年太りのオヤジが営業スマイルを崩さずに俺に頭を下げた。
「君ならば期日中に用意してくれると信じているからこそ回しているんだ。よろしく頼むよ」
 懇願する哀れな姿。哀愁を誘う甘えた声。
 俺は軍を辞めてジャンク屋を引き継いで、初めてそれが民間企業の会社員が行う、いわゆる“戦術”であることを思い知った。無理なものは無理とはっきりと言っておかなければ、利益どころかこちらの持ち出しが大きくなってしまう。
 だが大きな取り引き相手であることも確かだ。後々のことを考えれば少々の便宜を図りたい気もある。
「何も新品に交換してくれと言っているわけではないんだ。何とか当初の予定通り、頼むよ、フレッド君」
 俺はしばらく考え込んだ後、判りました、と答えた。相手は満面の笑みとなって、何度も頭を下げた後、通信は途絶えた。
 溜め息をひとつ吐き出し、椅子の背もたれに体を預ける。
 結局、俺は相手の戦術に譲歩してしまったわけだ。ああも哀れっぽい姿を見せられるとどうしてもハイと言ってしまう。困ったもんだ。
 小柄な人影が待ってましたとばかりに俺の前までパタパタと走り寄って来た。俺の作業机の側に置いてあったパイプ椅子に腰を下ろす。
 妹のルーシーだ。
「いいの? お兄ちゃん。でも、モビル・スーツのパーツなんてもう予備は無いよ?」
 判ってる、と俺は言った。
「何とかするさ。ああも頼まれちゃな。いざとなればデブリ帯でも回って」
 ぶー、とルーシーは頬を膨らませた。まだ十三歳になったばかりのルーシーは、俺をよく慕ってくれている。だから危険なことを極力させたくないのだ。しかし、我がリーヴ・ガレッジはまだ順調には程遠い。叔父から受け継いだジャンク屋だが、妹と二人で生きていくだけの収入を維持するのは、時には危険を伴う仕事もしなければならない。
 ルーシーはポニーテールを解いて肩まで伸びた黒髪を整えた。くりくりとした大きな目が俺を不安げに見つめている。普段はほっそりとした頬も、今は俺に何か言いたそうに膨らんでいた。
「大丈夫だって。足りないのは作業用モビル・スーツの“プラス・エンコーダ”の腕だけなんだから。古いタイプのモビル・スーツだから何処かのコロニーの開発現場に行けば使えなくなった奴が破棄されてるはずだ。それが回収出来れば後は何とかなるよ」
 だといいけど、とルーシーはまだ不満げに言った。
 俺は油と金属粉に塗れて黒ずんだ、元は白だった繋ぎのジッパーを下ろして胸元を晒した。中に着ている黒いTシャツは少し湿気を帯びている。通話が思ったより長引いて汗をかいたからだ。
 元々世界政府軍でMS乗りだった俺は、こういう営業をするのはかなり苦手だった。軍を辞めた理由も余り他人と上手く付き合えなかったのが原因なのだから、これは俺の性分なのかもしれない。もっとも軍に関しては俺だけの問題ではないんだが。
 今日の仕事らしい仕事はこれで終わっていた。もう直ぐ窓から夕刻の侘しいオレンジ色の光が差し込んで来るはずだ。
 宇宙での人類の生活の場であるスペース・コロニーは人工的に自然環境が生み出されている。人間の生理、肉体、精神、そういうものを安定させる為に、全ての技術力、叡智が結集され、地球とほぼ同じ環境が形作られているのである。
 最も、もう百何十年も前に行われた移住計画によって地球には世界政府のお偉いさんか科学者くらいしか残っておらず、自然というやつ地球で体感出来る機会がほとんどないのは何処か皮肉なことである。
 スペース・コロニーは直径六キロ、全長が三十キロもある円筒型の島三号型と呼ばれるもので一基につき約五百万人の人間が生活し、それが集まってスフィアを構成している。そのスフィアは地球と月の重力の均衡点、ラグランジュ・ポイントにあって、宇宙時代の中で人類が生きていく為の橋頭堡となっているわけだ。
 もちろん、月にも人類の生活の場はあるし、特に最近は火星の開発が目覚ましい。
 俺がいるのはスフィアU、スペース・コロニーは何処も同じようなものだ。重力を遠心力で起こし、太陽光を“川”と呼ばれている、五十センチ四方の特殊なガラスがはめられた枠が連なってコロニーを縦に走っている巨大な窓から、集光ミラーによって取り込んでいる。この人工の大地はもう人類の母なる大地となって久しい。
 工場の中には静かな時間が流れていた。暇なリーブ・ガレッジの何時ものひと時であった。
 俺は自分の椅子の上で居眠りをし、ルーシーはその脇で本を読んだり、友達と小鳥が囀るような通話をしてみたり、編み物をしたりする。
 ここはプレハブで出来た簡素な工場の二階、半分が事務所で半分が俺達が住む住居になっている。事務所の中は狭く、机は俺が座っているのを含めて全部で五つしかない。俺の机には工場を管理する為のコンピュータが設置されている。
 他の机の上には書類の山。それも表面に薄く埃をかぶり、何年も動かされた形跡すらない。俺がこの工場を貰った時からそうだった。ルーシーは俺に掃除をしようとやたらと急かしたが、億劫だったので片付けなんて全然していない。そういうルーシーも絶望的な様相を呈する机の上の有り様に負けてしまったのか、もう手を付けようとは言わなくなった。
 一階部分は吹き抜けの整備工場で、ここは主に作業用MS関係の整備をする為の施設が用意されている。
 これが俺の工場の全てだ。
 工場の周囲には回収されてきたデブリが山と積まれていて、遠くからでは俺の工場はそれに埋もれて見えない。
 リーブ・ガレッジの主な仕事は回収されてきたデブリを買い取り、或いは俺自身で回収し、その中から必要なものを再生、不要なものは資源として業者に渡す、そんな感じだった。もちろん一階の整備工場を使ってMSの整備もするが、決してそれがメインではない。
 時として新しいMSの購入が困難な中小企業から、ジャンク・パーツが豊富にあることを見越して修理や改修を頼まれたりもする。
 今回の依頼もその類のものだった。ただ期日がかなり厳しく、最初から無理だということを前提に引き受けたのである。しかし、結局のところは見ての通りだ。ルーシーにはああ言ったものの、幾らデブリ帯でもMSのパーツがゴロゴロしているなんてことはない。それに宇宙のゴミ溜めの中に入るのは危険だし、広大な空間からそれを探すのは大変だ。
 ルーシーは何時ものように持っていたジュニアハイスクール指定の黒の鞄からファッション雑誌を取り出して読み始めた。
 何時も学校の帰りに寄るので、着ているものは白いブラウスに紺と赤のチェックのミニスカート、そして細い脚は黒のタイツに包まれている。
 学校の制服だ。制服を設けない学校が一般的だが、ガールスカウトを元とするルーシーの学校ではこうして制服が指定されている。
 何時もはそれに白いパーカーを羽織っているが、今は椅子の横に立て掛けた鞄の上に綺麗に畳まれて置かれていた。
 俺が椅子に持たれてウトウトし始めた頃、突然チャイムが鳴った。開けきらない眼を事務所の入り口に向ける。曇りガラスの向こうに人影が見えた。
「はーい」
 ルーシーが俺の前を横切って、そこに向かう。俺は来客はルーシーに任せて再び目を閉じた。
「お兄ちゃん、お客さんよ」
 俺は掌を振って、任せる、という合図を送った。ルーシーはこと客の扱いに関しては俺よりも遥かに上手い。ルーシーがいたからこそ纏まった商談も多くあるのだ。だから任せられるものは任せていたし、ルーシー自身、自分が役立っていることを喜んでいた。この工場は言わば俺とルーシーの二人で営んでいるのであった。
 それでもルーシーはもう一度、俺を呼んだ。こういう時はルーシーの手に負えない場合であるが、そんな時は少ない。余程大きな取り引き相手か、それとも相手が無理な注文を押しつけて来る時だけだ。
 俺は立ち上がってそこに顔を向け、そして一瞬、体が硬直した。
「あなたが、フレッド・リーブさん?」
 入り口に逆光で立っている女が言った。全身が真っ黒のスーツ姿で襟元から覗く白いシャツが対照的だ。見事な金髪を後ろで束ねている。黒いサングラスが如何にもいかつい感じだった。手には黒革のスーツケースを持いる。
 ぴしっと緊張感を漲らせて立っている様子を見て、俺は直ぐにピンときた。この女、何処かの世界政府機関の者だ。まず間違いないだろう。
 ルーシーはその横に立っていたが、俺がそちらに近寄るのと同時に俺に走り寄ってきた。そして後ろに隠れるようにして一緒に歩く。
 俺達は入り口の側で女と向かい合った。
「そうですが、どのようなご要件で?」
 女がサングラスを外す。切れ長の青い瞳が鋭く光っている。身長は俺と同じくらい。威圧感も充分だ。小柄なルーシーが引いてしまうのも無理はない。凄い美人だが、近寄ったらすっぱり斬られそうなビーム・サーベルのような女だった。
「内々でお願いしたいことがあります。よろしいですか?」
 声は氷のようだった。俺の鼓膜を通った時、俺はぞくぞくと寒けを覚えた。
「え、ええ、いいですよ」
 俺は彼女を入り口の側にある接客用のソファに招いた。そして小さな机を挟んで向かい合って座る。
 ルーシーは直ぐに走っていってコーヒーを入れてくると、それを三つ、机の上に並べた。そして俺の横に座る。
 女に睨まれて、ルーシーは震え上がった。
「妹はこの工場のスタッフの一人です。総務を全部任せてあるので一緒にお願いします」
 俺は言った。ルーシーも頭を下げる。
 女は判りました、と一言だけ言って、スーツケースをテーブルの上に置いた。コーヒーには一度も口をつけない。
「わたくしはこういう者です」
 懐から取り出した名刺を貰って、俺はそこに示されている名前を眺めた。
「ジェノバ・ラウトゥーン、さん?」
 しかし、横にある肩書のほうが重要だった。
 “世界政府軍MS開発局”。俺は今まで以上にヤバいものを感じ取った。
「世界政府軍の方が何故、民間のいちジャンク屋に過ぎないこのリーヴ・ガレッジへ?」
 ジェノバが俺を見据える。美人に見つめられるのは悪くないが、今の俺は逆に嫌悪感さえ感じていた。
「これを見てください」
 ジェノバはスーツケースを開けると、そこから書類を何枚か取り出した。こういうものに紙を使うのは今時珍しい。まあ内々ということだから、データの盗用を避ける意味があるのだろう。こんな辺鄙なところまで足を伸ばすのはそれなりの訳ありだ。女一人ということはないだろうが、それだけでこのジェノバ・ラウトゥーンという女が切れ者だというのが判る。
「これ、モビル・スーツの設計図?」
 横から覗き込んでいたルーシーが言った。それは確かに設計図だった。だが、もちろん只のMS乗りに過ぎなかった俺は、幾らジャンク屋でそれなりに知識があると言っても、軍用MSのことなど、どれほども理解出来なかった。判るのは使われている幾つかのパーツぐらいだ。
「随分と高性能な機器が使われていますね」
「ええ、世界政府軍の新鋭機です。現在、試験運用をする為の機体が開発中です。それと同時にモビル・スーツの開発、運用を行う為の包括的な計画も立案、進行中です。これは極秘中の極秘なので他言は無用に願います。あなたにお願いしたいのは、これの実験用模擬機体を使って、搭載する戦術戦闘サポートA.I.に戦闘経験を積ませてやって欲しいということです」
 何? と俺はジェノバを見た。女の表情は変わらない。
 サポートA.I.はMSの頭脳である。高性能機の様々なサポートを行い、パイロットの負担を軽減する。普及はまだまだ先の話だが、これがMSに本格的に搭載されるようになれば、MSの稼働率は大幅に上昇し、最大ポテンシャルの底上げになるのではないかと期待されている。
「ここはジャンク屋ですよ? そういう依頼は場違いじゃないですか?」
「あなたは元モビル・スーツ乗り、それも当時の精鋭部隊の一つ、ルシフェル・ガイスト隊の所属。それだけでもお任せ出来る理由になります」
 俺はその名前を出されて少々困惑した。どちらかと言えば忘れてしまいたい記憶だからだ。
「でも、何故、俺なんですか? 他に適任者は幾らでもいるだろうに。だいたい俺はもう何年も軍のモビル・スーツなんて」
「イグドラシルが選出しました。そう言えば納得していただけるかしら?」
 イグドラシル。その名前を聞いて、俺の心臓は跳ね上がった。
 世界を統合するニューラル・タイプのコンピュータ。ニューロとDNAの各特性を複合させた超バイオ・コンピュータだ。膨大なデータを蓄積し、それを自在に操ることが出来る、世界の中心的存在。今やそのネットワークの網はあらゆるところにまで入り込んでいる。俺の工場で使っているコンピュータも、果てはルーシーが持っている廉価版のハンド・コンピュータのような端末までもその恩恵に与っている。
 もっともそれが今、地球の世界政府と火星連合との間で紛争の火種となっているのも事実だ。世界政府が無理矢理火星をイグドラシルの管理下に治めようと法的な整備を進め、それに火星連合が反発したからだ。当初は小さかった火種も、今では戦争となる日も近いと囁かれ始めている。
 だが、解せない。何故、俺なんかを名指しするんだ?
 俺は黙り込んだ。ジェノバが付け加える。
「我々は最終判断をイグドラシルに委ねました。ですから決定には従います。後はあなたの決断次第、よろしいかしら? ミスター・リーヴ。もちろん内容は極秘ですが、仕事はちゃんとした民間企業への委託として処理されます。満足して頂ける額の報酬も用意しましたわ」
 俺は吹っ掛けてやるつもりで額を考えたが、ジェノバがそれよりも早く小切手を差し出した。そこに書き込まれている金額を見て愕然とする。それは俺がようやくこれなら相手も引くだろうとはじき出した金額より一桁ゼロが多かったからだ。もちろん頭の数字も俺が考えていたよりも大きい。
「他にも、予定している宙域にはデブリがかなりあります。既に回収したものもあれば、大きなものは標的や障害物にする為に残しているものもあります。最終的には全て回収しますが、それらをあなたの工場に払い下げる念書もお持ちしましたわ。どう? これなら如何?」
 実際にその念書を見せられ、俺の心は動いた。金もそうだがデブリにはもっと興味がある。先程の仕事のこともあるし、それでなくてもデブリ回収は同じ業者内で取り合いになることがあるからだ。
 俺は腕組みして唸った。ちらりとルーシーを見る。俺の視線に気付いたルーシーは、不安げな顔で小さく首を振った。
 しかし、俺は言った。
「判りました。引き受けます」
 お兄ちゃん! と、ルーシーが声を上げる。俺はルーシーの頭を撫でて、大丈夫だ、と言い聞かせた。
 それでは、とジェノバは立ち上がった。
「書類は置いて行きます。目を通しておいてください。必要なことは全て纏めてあります。実施は二日後。他言は無用です。それから実施日にはそこの総務担当のお嬢様にもおいでいただくよう」
 何? と俺は思ったが、敢えて何も言わなかった。ここで始めて自分が迂闊だった事に気がついたからだ。
「判りました。では二日後に」
 なるべく平静を装って俺は立ち上がり、ジェノバと握手を交わした。その手は細かったがやはりぞくりとするような冷たさだった。
 ジェノバが立ち去った後、ルーシーは俺に思いっきり不満をぶちまけた。
「何で引き受けちゃったの? お金? デブリ? 全く、ちょっと美人だからって軽く受けちゃってさ。あんな胡散臭い女の何処がいいんだか」
 明らかにズレていくルーシーの怒りは無視して、俺はひょっとするととんでもない事を引き受けてしまったんじゃないかと後悔していた。
 恐らく断ることは出来なかったろう。もし断っていたら。
 守秘義務という奴で俺達の口は塞がれていたかも知れない。それがどういう意味かは深く考えなくても判る。だいたい、ルーシーにも来いというのだ。胡散臭いだけじゃない。あの女は危険だ。何時もの調子でルーシーを同席させたことが悔やまれる。これでルーシーも巻き込まれてしまったわけだ。
 俺が無視しても尚、一人でぶちぶちと文句を言い続けているルーシーに一瞥して、俺は溜め息をついた。
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