第四章 「処刑」 五人は後ろでに手錠で繋がれて、空中母艦の一室へと連れて行かれた。ブリーフィング・ルームだろうか、八十平方メートル程の部屋にパイプ椅子が折り畳まれて幾つも立てかけられている。正面の壁には巨大なスクリーン・パネルがあったが、今は何も映されておらず、ミリス達の姿を反射している。 ミリス達は並んで立たされた。メスリーを中心に向こうにクリエ、エディ。こちら側はアリアとミリス。その周囲ではラスティアースの兵士が七人ほどいて、彼女達を取り囲んでいた。お揃いのジャケットに帽子はそのままで、それぞれマシンガンを構えている。 ミリスにとって、ゲリラ活動をしているような連中は、寄せ集めの荒くれ達といったイメージがあっただけに、妙に組織だった彼らに驚きを隠せなかった。 程なく、一人の女性が入ってきた。三十代半ばだろうか。ブルネットの髪がまっすぐに肩まで伸びていた。シャープな顔立ちの三分の一を短めのグラデーション・カットの前髪が隠していた。切れ上がった瞳は、きつそうな印象を与える。ラスティアースの軍服にタイトスカートといった服装で、そこから覗く手首や膝下は顔と同じように白く細い。赤いマニキュアが、一際目立ち、妖艶さを感じさせた。同じ軍人のメスリーとは対照的だ。 「お前達のことは聞いている。私は、イレーネ・ネリス。この空中母艦ゲフィオンの指揮者だ」 低い声だった。腹の底まで響くようによく通った。 「ラスティアースの偉いさんかい?」 クリエが言った。小馬鹿にしたような言い方だ。ふん、と鼻息も聞こえた。 「そのうちの一人だ」 兵士の一人がパイプ椅子を用意する。ネリスはそれに腰を下ろし、足を組むと腕組みをしてミリス達を睨んだ。 「お前達は自分のしていることを理解しているのか?」 メスリーは食ってかかった。 「我々の任務は秩序を乱す者達を掃討することだ! お前達テロリストをな!」 ふっと笑ってメスリーを見る。そのネリスの顔は勝ち誇っているように見えた。 「秩序を乱しているとすれば、それはお前達だ。大きな戦いが迫っている最中、勝手に暴れ回っているのだからな。お前達の任務はジェニューイン追撃だ。大人しくそれだけやっていればいいものを」 「何故、我々の任務を知っている? 大きな戦いとは何だ。コロニー軍とか?」 「直接聞けばよかろう」 ネリスは顎で指し示した。ドアが開いて、軍服の男が入ってきた。 「ブレナン大佐」 メスリーは驚いた。ミリスには、それが連邦軍の偉い人間らしいことは判った。 「何故、このようなところにいるのです、大佐」 ブレナンは恰幅のいい体をまっすぐに伸ばしていた。両手は後ろに回している。浅黒い顔は皺を寄せ、外観は四十から五十といったところだろうか。メスリーの顔を見て、太い眉をぴくつかせた。 「全く、役に立たん連中だ。カーゾンの足止めも出来んとはな。おまけに連絡も取らず、ラスティアースと勝手に交戦するとは」 ブレナンが、歳相応の太いしゃがれた声を発した。それを聞いたメスリーの顔が蒼白になる。 「ば、馬鹿な。何をおっしゃっているのですか? 自分達は任務を果たそうと」 「貴様らの任務はあくまでもジェニューインの捕獲か破壊だ。だが、先手を打たれて全滅したのだろう? なら、なぜその時に軍と連絡を取らなかった?」 メスリーは歯噛みにした。 「通信が繋がらなかったのです。それに全滅ではありません。生き残っている限り、たった一人でも任務は遂行します」 「通信が出来なければ帰還すればよかったのだ。状況は変化してゆくのだ。君は士官として大局を見極めなければならん立場だろうが」 ブレナンはメスリーに歩み寄った。 「連邦軍はラスティアースと共闘することが決定した。現在はそのための調整中だ。貴様らはその妨害をしているだぞ」 「共闘?」 この言葉にメスリーはうろたえた。 「そんなことが、何故共闘などということが有り得るのです? それが大きな戦いに向けてということですか?」 「そうだ」 ブレナンは断言した。 「連邦軍は総力を上げて敵と戦う。そのために地球上でいがみ合っているわけにはいかん」 「コロニー軍との戦闘再開が近づいている?」 クリエが言った。ブレナンはクリエに顔を向けた。 「コロニー軍等ではない。やつらも連邦軍と同様、長年の戦争のツケで経済力が低下し、戦争どころではない。コロニー軍よりも遥か彼方から来る者達との戦争だ」 「彼方から来る者? ひょっとして宇宙人?」 エディは言ったが、ブレナンはそれには答えなかった。口元には笑みを浮かべている。 「ガンダムは四機起動していたな。民間人を乗せたのか? 訓練もなしにモビルスーツに乗れるとはたいしたものだ」 ブレナンはアリアを見ながら言った。どうやらガンダムを動かしたのはアリアだと思っているようだ。当然だ。ミリスがモビルスーツに乗るなどということは、普通考えられることではない。 ブレナンは背中を見せるとネリスに歩み寄った。そして彼女の横に立ってこちらに向き直った。 「この場にて略式の軍法会議を行なう。貴様ら五人の、だ」 ブレナンの言葉に全員が硬直した。お互い顔を見合せる。唐突な言葉に全員が困惑した。 「そんな馬鹿な! 我々にどんな罪があるんです?」 一歩、身を乗り出して、メスリーが叫んだ。笑みを浮かべたまま、ブレナンが手を挙げる。兵士の一人が敬礼しドアを開けると、部屋に三人の男が入ってきた。皆、迷彩服を着ていた。その姿をミリスは街で見かけたことがあった。連邦軍歩兵の戦闘服だ。全員の襟章が鈍く光っていた。 彼らの姿を見て、アリアは、ひっ、と声を上げた。体は震ていた。皆より一歩後ずさり、兵士達に抑えられる。アリアの顔は青ざめていた。 「どうしたの? アリア」 ミリスが小声で声をかける。メスリー達もそれに気付いて振り向いた。 だが、アリアは呼吸を乱し、凍りついた表情で男達を見ていた。それは恐怖だ、とミリスは直感した。 「士官三人の同席を得て承認とし、キニン・メスリー少尉ら五名の被告に対して判決を言い渡す」 ブレナンが宣言する。ネリスは何も言わず表情も変えず、ミリス達を眺めていた。 「キニン・メスリー、クリエ・ジュオ、エディオン・デトーの三人は命令無視、連邦軍の重要な作戦への妨害、そして殺人だ。民間人の二人も殺人、それに無断でガンダムを使用し、グラーネに乗った。軍事機密に対するスパイ行為だ。以上により、五名を極刑とする」 「なっ?」 メスリーは大きく口を開けた。何か言おうとするが言葉にならない。瞳をゆっくりと足元に下ろす。 ブレナンは合図を送るとドアのほうへと向いた。男達を先頭に歩いてゆく。 「こんな馬鹿なことがあるか!」 大声で叫んだのはクリエだった。駆け出そうとするが、間一髪、兵士達に両腕を掴まれ、身動きを止められる。エディは両膝をついてうなだれていた。 「せめて、民間人の二人は助けて下さい。ミリスはまだ子供です。アリアも、私が巻き込んだんです」 メスリーは顔を伏せたまま、懇願した。絞り出すようにようやく吐き出した言葉だった。 「これは戦争だ。戦争は子供だろうが、民間人だろうが、関係ない」 ブレナンは振り返りもせずそう言うとドアまで歩いていった。そこでいったん立ち止まり、横顔を向けた。瞳はメスリーに向かっている。 「そうそう、イルジニフ博士にも逮捕の命令が下っている。が、実行は不可能だ。よって、射殺も、ヴァルハラへの攻撃も許可された。あれの手元にはまだガンダムがあるからな。シャトルが確保出来しだい、ヴァルハラへと向かう」 そう言い残してブレナン達は部屋から出て行った。ミリスは言葉も無かった。ネリスが立ち上がり、メスリーに近寄った。 「身内は助けてくれなかったな。刑の執行は直ぐに行なわれるだろう。それまでせいぜい、世を儚んでおくことだ。お前達の輸送機は処分する。モビルスーツはあの大佐どのから接収していいと言われている。我々が使わせてもらおう。その小娘はどうした?」 ネリスの視線はアリアへと向けられていた。アリアは先程から全身を震わせていた。唇が紫色になっていた。力なくその場に座り込む。瞳から大粒の涙が溢れ、頬を伝った。 「恐怖に怯えているのか? やむを得まい。お前達は独房に監禁だ。出来るだけ、その恐怖が長く続かぬように手配しよう」 ネリスはやはり表情を変えずにそれだけ言うと、顎で兵士達に合図を送る。兵士達は一斉に敬礼した。 ミリスは、アリアの耳元で名前を呼んだ。だが、アリアは答えようとしない。何も聞こえていないようだった。これは、死刑に対する恐怖ではない? あの歩兵を見てからだ。アリアに何があったの? アリアを心配して、メスリー達が駆け寄った。特にエディは泣きそうな顔でアリアを覗き込み、何度も名前を呼んだ。 そんなミリス達を兵士が取り囲んだ。 五人は監禁されていた。コンテナの中だった。壁も床もむき出しの木の板で出来ており、窓一つ無く、天井には申し訳程度の明かりが備えつけられている。中は酷いオイルの匂いが漂っていた。 五人は皆、バラバラに座り込んでいた。両手は後ろ手に手錠に繋がれたままだ。逃げ出せる術はありそうにない。クリエは何か思いつく度にメスリーに話しかけたが、メスリーは黙ったままうつむいて首を振るだけだった。しばらくしてクリエも何も言わなくなった。エディは黙って時たまみんなの様子を見る。特にアリアのことは気になるようだった。 アリアはひとり片隅で背中をこちらにむけてしゃがみ込んでいる。太股と膝、踝の内側を床にべったりとつけて、握りしめた拳を下に着けていた。肩が震えているのがよく分かる。彼女は何も喋らなかった。 ミリスは何も言わずに壁に背をつけて坐っていた。 アリアに何度も視線を送っていたエディは、立ち上がって彼女へと近づいた。すると、こないで! と大声でアリアが言った。 その声に全員がアリアに注目した。 「どうしたんだ? さっきから変だよ」 エディが話しかける。だが、アリアは返事をしなかった。 「あの兵隊達、連邦軍なの?」 不意にアリアが聞いた。答えたのはメスリーだった。 「ブレナン大佐が呼んだ者達ね。そう、連邦軍歩兵ね。士官と言ってたけど、部隊とか知らないから詳しいことは判らないわ」 「じゃあ、やっぱりそうなのね! あなた達も仲間だったのね!」 アリアは声を荒らげた。メスリー達はお互いを見回した。 「あいつらの仲間だったのね!」 そう言うと、アリアは黙ってしまった。両拳を動かす。それを繋いだ鎖が音を立てた。肩は大きく震えていた。ミリスは、どんな言葉を掛けていいか判らなかった。 しばらくしてクリエが口を開いた。 「アリア、あんたさぁ。最近、体の調子おかしかったじゃない? 吐いたり、食事の量もムラがあってさ」 アリアの身体が一瞬強張った。クリエは続けた。 「あんた、妊娠してるんじゃない?」 みんなが、えっ、と声をあげる。 「あたしにも経験あるんだよ。堕ろしちゃったけどね」 ミリスはクリエに目をやった。かなしそうな顔で視線を下に向けている。 「あなた、結婚してたものね」 メスリーが言う。クリエは大きく頷いた。 「そう。旦那は民間人だったけど、いろいろとやりあってね。別れたあと、軍に戻る前に堕ろしたんだ」 「本当に妊娠なら、わたしも堕ろしたい」 アリアが震える声で言った。 「あたしは正直、堕ろしたこと後悔してる。あんたに男がいるような感じはしなかったけど、新しい命だ。大切にしたほうがいいよ。と言っても、あと何時間後かには処刑されちゃうんだけどね」 クリエは腕を組んで、ふん、と鼻を鳴らした。 「何とか助かる努力はする。こんなところで死ぬのは面白くないからね。隙を見て逃げ出すとかしてさ。そしたら街へ帰ってさ。何とか父親の居場所も探し出して」 「父親なんかいないわ!」 アリアが叫んだ。振り向いた頬には涙が伝っていた。 「みんなわたしが殺したんだから!」 皆、驚いてアリアの顔を見た。 クリエは言葉を失った。メスリーは黙って俯いてしまった。エディのショックは特に大きかったみたいだ。ぽかんと口をあけて、目を見開いてアリアを見つめたままだった。 「どうしたんだ? あの兵士達、あんたと何か関係があるのかい?」 アリアは黙っていたが、やがてゆっくりと話し出した。声は震えていた。 「わたしが住んでいたのは、ニューグローブという街よ。クイーンズランドの北側にある振興の街。わたしはそこで親の商売の手伝いをしながら、ボランティアで教会にいる孤児達の面倒を見てたの。あるとき、兵隊がやってきて、街の人間を集め出した。小さな街だったので、二日のうちに街にはすっかり人がいなくなったわ。兵隊が何故、街の住民を連れて行ったのかは知らない。わたしは子供達と教会の中に隠れていた。運がよかった。でも、牧師さんも連れていかれて、気がつけばもう誰も残っていなかった。わたしは頃合いを見て、食べ物を取りに街に出た。見つからないように隠れながら。でも、店にも民家にも何も残っていなかったわ。そのとき兵隊が街を破壊し始めた。銃の音がひっきりなしになっていた。爆弾の爆発する音もずっとしてた。多分モビルスーツだと思うけど、大きなものが動き回っているのも感じた。わたしは震えながら、息もせずに隠れていた。やがて音がしなくなって、わたしは急いで教会に帰ったわ。教会も壊されていた。子供達はいなかった。かわりに数人、兵士がいたの。わたしを見つけると笑い声を上げながら追いかけてきて、わたしはそいつらに捕まった」 アリアの話が止まった。長い沈黙になった。 「そいつらにレイプされたのか」 クリエの言葉に、そこにいた全員を悪寒が襲った。アリアは鼻をすすって、小さく頷いた。 ミリスはまだ未経験だったが、もちろんある程度の男女関係の知識は持っていた。 街で売春をする、さほど年の違わない少女を見た事もある。たいていの雑誌にはセックスに関する情報が載っている。 だが、聞きかじりな分、強姦というものについては想像も出来なかった。そしてアリアの体に宿った新たな生命。セックス以上にミリスにとっては縁遠いものだった。もう少し状況が違っていれば、これから育ってゆくもう一つの命に想いを馳せることが出来たかも知れない。しかし、今は全てが絶望へと加速させるアクセルのような気がした。 「うそだ! 連邦軍がそんなことをするもんか!」 エディが叫んだ。 「いや、ゲリラ狩りで街ひとつ破壊するなんてことは、いつもやってることさ」 エディはクリエを睨み付けた。クリエは頭を振った。 「街にはもう、そいつらしか残っていなかった。わたしはほとんど裸のまま、手錠をかけられて繋がれた。四日くらいそうしてたわ。何も食べなかったし、ほとんど眠らなかった。何度も殴られた。早く殺してほしいと思っていたわ。もう、わたしに抵抗する力が無いと思ったのか、兵士の一人がわたしに馬乗りになって、手錠を外したの。横に銃を置いて。そいつが自分の服を脱ごうとした瞬間、銃を取ってそいつを撃った。兵士は悲鳴を上げて倒れた。気付いてやってきた兵士達に向かって、わたしは銃を撃ったわ。最後は目をつぶって弾が切れるまでずっと引き金を引いていた。気がついたら兵士達はみんな死んでいた。それからわたしは食べ物を探し、服を着て、その辺りにあるものを全部バッグに詰め込んで街を出たの。当ては無かった。他の街にも立ち寄ったけど、お金も無かったし、長居はしなかった。あとはずっと南へ南へと向かった。周りに荒れ地しか無くなって、もうここで死のうって思った。実際、死ぬところだったわ。でも、あなた達が通りかかって」 「アリアを拾ったんだ」 メスリーが呟いた。 「あなた、初めて見たときは酷い様子だったものね。服も破れて、傷だらけで、生きる気力なんて感じられなかった。もっとも、私達も人の事は言えなかったわね。部隊はほぼ全滅、モビルスーツ以外、ろくな装備も食料も無く、どこにいるか判らない敵を探して彷徨っていたんだから」 「ここで殺されるなら、あのとき死んでいても同じだったわ」 そんな馬鹿な、とエディが大声で言った。 「僕はアリアと出会ってよかったと思ってる。仲間達が死んでしまって、もうだめだと思ってたけど、アリアがいてくれたから頑張ろうって気になったんだ。きっと助かる。死刑になんかさせないよ」 エディの言葉に、アリアは大粒の涙を流した。だが、直ぐに首を振った。 「だめよ! たとえ助かったとしても、わたしはどうすればいいの? 生んで育てる? 堕ろす? わたしのお腹の子供はレイプされた子なのよ! しかも、その親だった誰かはみんな、わたしが殺したのよ!」 エディはアリアの背中に体を密着させた。アリアの肩に顔を寄せる。手錠の鎖が音を立てて引っ張られた。 「子供のことはあとで考えよう。もし生むつもりなら、僕が面倒みる。君と子供の面倒は僕がみるよ」 ミリスは言葉なく二人を見守った。死刑を言い渡されたときとは別人みたいなエディの言葉に正直、驚いた。 まるで成すがままのアリアの口からやがて嗚咽が洩れ始めた。振り返って、エディの胸に顔を埋めた。 「君のことは僕が」 エディが言った。しばらくじっと泣いていたアリアだったが、ゆっくりと頭を持ち上げた。エディの視線はずっとアリアから離れなかった。アリアもエディの瞳をまっすぐに見据えていた。 涙の溢れる瞳は、さっきとは打って変わって優しく輝いて見えた。氷のように感じたこの場所に、何か暖かな空気の流れを感じた。 「そんなのだめよ。あなたはまだ若いし、そんなこと出来ないわ。ごめんなさい。わたしもみんなと出会って本当によかった。わたしの出来ることは雑用ばかりだったけど、それでも役に立っていると思うと嬉しかった。死にたいなんて思っていたのが恥ずかしいくらい。本当、みんなのおかげよ」 アリアはそう言って目を伏せた。エディは言った。 「きっと助かる。僕達で助けるから。だから悲しいことは言わないで」 「ごめんなさい、アリア」 メスリーがうつむいたまま言った。アリアの顔は見なかった。見る事が出来なかったのだろう。 「謝ることはないのよ、メスリーさん。わたし、本当にみんなに感謝してるんだから」 皆、しばし沈黙した。 「じゃあ」 クリエが口を開いた。 「とにかく、ここから脱出する方法を考えないとね」 クリエの言葉にみんなが頷いた。 その時、鍵を外す音が響いた。ゆっくりと扉が開かれる。錆びた蝶番のこすれる音が耳障りな音を立てた。 全員が扉のほうに目をやった。二人の兵士が立っている。兵士はマシンガンの銃口をミリス達に向けていた。 「ちっ、まずったね」 クリエが誰に言うともなく呟いた。 「いっそ、このまま」 今にも掛け出そうという構えでクリエは相手を見た。それに気付いた兵士の一人がクリエに銃を向けた。クリエの動きが止まった。 「出てこい」 兵士の命令に従い、ミリス達はぞろぞろとコンテナから出た。外はまだ暗かった。雲はあまりなく星も見える。東の空が白み始めていた。遠くの地平に近い雲が橙色に染まっていた。 ゲフィオンのシルエットが見える。ここから百メートルくらい離れている。モビルスーツの姿はない。周囲にコンテナがいくつも点在していた。大きく頭を回すと、後ろにグラーネの姿も見えた。ガンダムは中だろうか。だが、確認する間もなく、兵士が、キョロキョロするな、と怒鳴った。 「早朝、ここを立つ。貴様らは夜明けと共に処刑だ」 兵士が言った。最悪だ。ミリスは唇を噛んだ。脱出の糸口も見つからぬまま、その瞬間が近づいてきた。 更に二人の兵士がやって来た。ミリス達についてこいと合図する。両手は繋がれたままだ。 そのまま前後を兵士四人に囲まれて歩いて行く。しばらく行くと、テント用のものだろうか、鉄のパイプが数本束ねられた柱が五つ、地面から生えていた。土嚢が足元を固めている。 「わざわざ作ったのか、ごくろうなことだな」 クリエの皮肉にも兵士達は反応しなかった。 「頼む。民間人は助けてくれ。彼女達は関係ないんだ」 メスリーは兵士達に懇願したが、命令だ、と突っぱねられた。 「子供もいるんだぞ!」 そう怒鳴りつけるメスリーに、知ったことか、と冷淡に言い放つ。 イレーネ・ネリスが現れた。軍服の上に黒のコートを羽織っていた。彼女はミリス達の数歩前で立ち止まり、一人一人の顔をゆっくりと眺めた。 「言いたいことがあれば聞くわよ。でも釈放はしないわ。民間人もね」 「ブレナン大佐は?」 「帰ったわよ、部隊に」 「あんた達、本当に連邦軍と共闘するつもりか?」 クリエの問いにネリスの口元がつり上がった。 「さあね。でも今は同じ目的で動いている。ラスティアースも、連邦軍も、そしてカーゾンもね」 「何?」 メスリーとクリエが同時に言った。 「サテライト・キャノンをご存じ? 休戦前にこの近くに落ちたのを我々が発見したの。でも、それを駆動させているのは熱核エンジンで、我々には扱えない。だから連邦軍と協力しているって訳よ」 ネリスはミリスを見た。 「あなた、名前は?」 「ヤワ・ミリス」 「ヤワ? 変な名前ね」 「ミリスがファースト・ネーム」 ふうんと言って全身を舐めるように眺める。その口元に笑みが浮かんだ。 「こんなやつらと一緒にいるとは運がないわね」 ネリスは踵を返すと片手を挙げた。兵士の一人が敬礼して、指示を出す。兵士達がミリスに歩み寄った。 その時。 爆音が轟き、百メートル先に火柱が上がった。ゲフィオンのすぐ近くだ。 「何だ?」 ネリスが叫んだ。そこにいた全員が、その炎に注目する。 「襲撃だ!」 兵士の一人が言った。周囲が喧騒に包まれた。警報が鳴り始めた。 今しかない、とミリスは駆け出した。そして兵士の一人に体当たりする。よろけた兵士はマシンガンを構えようとするが、更に体当たりをしてマシンガンを蹴り飛ばす。 「小娘!」 と叫んで、ネリスが小銃をミリスに向かって構えた。 撃たれる、と覚悟を決めたが、引き金は引かれなかった。兵士も抵抗をやめた。振り返ると、倒れた兵士の上にメスリーが馬乗りになり、そいつが持っていたであろうマシンガンのグリップをクリエが後ろ手で器用に構えていた。その銃口はネリスを向いている。他の兵士達は虚を衝かれて、銃を構えることなく立ちすくんでいた。 「銃を置きな。御大将を死なせたくないだろう。こんな格好でも引き金を引くぐらいなら出来るんだよ」 もともとクリエの声は低い。今は更に凄味を効かせている。その力強さはミリス達を勇気づけた。形勢は変わりつつあると確信した。 クリエの言葉に、一瞬ためらった後、ネリスや兵士達が銃を地面に放った。エディとメスリーがそれを足で寄せる。ミリスも地面に落ちた銃を蹴って遠くにやった。 「よし、両手を頭の上に乗せてうつ伏せになれ。顔は伏せておけ」 クリエは兵士達に命令した。皆、大人しくしたがった。 それを見届けるとネリスに近付いた。ネリスが両手を挙げる。その真正面に立つ。銃口を向けたままなので、体は横向きになっていた。 「手錠の鍵だ。よこせ」 兵士の一人がベルトに下げられた鍵の束を投げた。それを拾い上げたエディは全員の手錠を外して廻った。束縛から解放されると足元の銃を拾って構える。 「グラーネまで案内しろ。急げ」 クリエが命令する。ネリスは何も言わずに歩き出した。 「貴様らは来るんじゃない」 起き上がった兵士達に向かってクリエが叫んだ。その動きが止まる。固まったままこちらを睨み付けていた。 立て続けに爆音が聞こえた。モビルスーツが向かうのが見える。遠くで閃光が閃いたが、こちらにまでまだ戦火は伸びてこない。 五分程歩いて半壊したグラーネの側に辿り着いた。 「ごくろうさん。こいつどうする?」 クリエが聞いた。メスリーは首を振った。 「放してやれ。もう用は無い」 「人質にしないの? いや、いっそのこと、ここで」 クリエは唇と尖らせたが、メスリーの真剣な顔を見て、わかった、と頷いた。 そのとき、周囲に土埃が舞った。マシンガンの乾いた銃声が連続して聞こえた。 振り返ると、数人の兵士が追ってきていた。 ネリスが走り出す。クリエとエディはその背中に銃を向けるが、向こうからの銃撃を受けて、慌てて駆け出した。 ミリス達はグラーネの中に逃げ込んだ。装甲の向こう側で銃弾が跳ねる音が続いた。 「グラーネは動くか? クリエとアリアはブリッジへ、エディはガンダムだ。ミリス?」 ミリスは大きく頷いた。 「じゃあ、ミリスと私もガンダムに乗る」 メスリーは笑みを浮かべた。そして一斉に駆け出した。 ガンダムもグラーネも修理は行なわれていない。エディのガンダムは左腕が無いままだった。 三人はガンダムへと乗り込んだ。大急ぎで起動させる。ミリスはライフルと盾を装備した。通信機のスイッチをオンにする。メスリー達の会話が聞こえてきた。 「エディ、壊れた腕のジョイントは生きているか?」 「だ、大丈夫です」 メスリーは、エディのガンダムをしゃがませると、百ミリ二連装キャノンを、かつて左腕がついていたジョイントに接続した。さらにその上から盾を取り付けた。 「これで大丈夫なはずだ」 ガンダムは腕がわりのキャノンを動かした。見かけは不格好だが、動作に問題はなさそうだった。 「隊長、前進させるだけなら大丈夫だ」 クリエから連絡が入る。 「よし、とにかく全速力で走らせろ。ガンダムは後方について、敵の足止めをする。クリエ?」 「判っている。アリアに操縦させる。五分だけちょうだい。そしたらあたしも出るわ」 了解、といってメスリーのガンダムはライフルと盾を構えた。そして合図を送って、グラーネから出る。ミリスとエディもそのあとに続いた。 グラーネは一度大きく揺れると土煙を巻き上げて浮かび上がった。そのまま前に進み始める。 ミリスは盾とライフルを構えて追撃に備えた。 遠くで何度も爆発が起こる。モビルスーツの攻撃だ。そして更に大きな爆発が巻き起こった。やられた。どちらかは判らないが、あれはモビルスーツが爆発したものだ。 「攻撃が散発的です」 エディが言った。確かに戦闘の規模は小さい。火線を見る限り、ラスティアースからの攻撃は圧倒的だ。だが。 遠くにビームの光がきらめいた。一瞬、間を置いて大きな爆発が起こる。また、モビルスーツがやられた。 ラスティアースがどれだけのモビルスーツを出しているのか判らないが、戦闘の流れは一方的に相手側にあるように感じた。 「まさか」 メスリーが呟いた。その意味はミリスにも判った。ラスティアースを攻撃しているのは、ジェニューインだ。その圧力をミリスは肌に感じた。ラスティアースの戦力では勝てない。そう確信した。 「間違いありません。干渉波がジェニューインのIフィールドを感知しました」 エディの言葉にメスリーが唸った。ビーム・ライフルを戦場へと向ける。もう距離は四キロ近く離れていた。 爆音が轟き、砂塵が宙に舞った。ゲフィオンが浮揚する。 数本のビームが、その巨体を貫いた。そこから黒煙を発しながら、ゆるゆると上昇してゆく。下ではまだモビルスーツ同士の戦闘が行なわれていた。 「仲間を、見捨てる気か?」 エディが呻くように言った。既にゲフィオンは空中高く、モビルスーツが飛び上がることが出来ない高度に達していた。 その直下の地面で爆発が二度立て続けに起きる。そして、攻撃は止まった。 「一方的にやられたか」 メスリーが言う。ゲフィオンは反転すると、煙の尾を引いて、南の空へと飛び去った。 ミリス達の背後から一機のモビルスーツが近づいて来た。クリエのガンダムだった。 「アリアに、グラーネをまっすぐ走らせるよう指示してある。損傷が激しく、速度が出ない。どうしたの?」 「い、いや。後方に警戒しつつ、離脱する」 クリエの言葉にメスリーがようやく答えた。 メスリーのジェニューインに対する執着はミリスにもよく判った。このまま戦場に取って返すのではと心配したほどだった。ジェニューインを前に逃げ出すのは、余程ためらわれるのだろう。だが、さすがにメスリーも現況を無視してまで攻撃するほど無分別では無かった。 約小一時間、四機のガンダムは走り続けた。燃料電池の残量は、既にエンプティを指していた。機体が硬直するまでにグラーネに辿り着けたのは運がよかった。 そのグラーネにしても、ミリス達が合流出来たのは、単にこれ以上動けなかったからだ。 基部の四機のホバーのうち二つは大破し、残りもこれでよく動いたと思わせるほどの傷がある。 機体はよくもこれほど、というくらい大きく波うち、穴が開き、ひしゃげていた。これを見ると、ここまで走って来たことより、これが動いたこと自体が奇蹟に見えた。 戦場からは遠く離れていた。ミノフスキー粒子も通常濃度しか検出されず、近くに敵の反応は無かった。 ミリス達はグラーネの後方にガンダムを立たせたままにして、コクピットから降りた。下ではアリアが待っていた。 「お疲れさま」 うつむいたまま、アリアは言った。その表情は無理して笑顔を作ろうとしているのが判った。メスリーは何も言わず、ただ笑顔を見せて脇を通りすぎた。その後に同じようにクリエが続いた。エディがアリアの前に立った。 アリアが顔を上げる。体が震え出した。 「大丈夫。行こう」 エディが手を差し伸べる。震えながら自分の手をおずおずと上げ、エディの手の上に乗せる。エディはそれを握りしめるとアリアを引いて歩き出した。その二人の姿を追いながら、ミリスも後に続いた。 クリエ、メスリー、エディの順番に見張りに立ち、残ったものは仮眠を取った。全員が揃ったのは夕方近くになってのことだった。 それからは、ガンダムの修理、整備に追われた。 グラーネはどう見ても応急処置では直しようが無かった。使えるハンガーは一つだけになっていた。それを順番に使った。 ガンダムの予備パーツも底をついた。どうにか四機を通常の状態に持っていく事が出来たが、使えるパーツはそれで終わりだった。 エディの機体にはレーダーと、両肩に二百四十ミリキャノン、右腕に四連装ハンド・キャノン、これは本来、両腕に着けるものだが、左腕はシールドを持たせ、質量バランスを取っている。シールドの内側には、マシンガンとその弾倉を三つ取り付けてあった。更に腰には四連ヘビーマシンガンとその弾倉が、両脚にはミサイルポッドが取り付けられた。あまり全体的にバランスの良いものでは無かったが、武器で全身を固めた姿は異様な威圧感を持っていた。 一方、クリエのダンガムは両腕、両脚、そして胸部に増加装甲を施し、背中に大型ブースターを背負わせた。腰にはそのためのプロペラントタンクが取り付けてある。シールドは小型のものにし、ビーム・ライフルの他、ビーム・バズーカも持った。これは威力に反して弾数が少なく、取り扱いが難しいと敬遠していたものだった。 メスリーとミリスのガンダムはもっと簡単だった。背中の大型ブースターとプロペラントタンク、両脚にはブースターポッドと呼ばれる機動性を上昇させる増加ユニットを取り付けてある。武器はビーム・ライフルと盾だけだ。 これで、グラーネに乗せてきた武器は使い切ることになった。他にももちろん幾つかのユニットやタンク・ベースと呼ばれる、両脚に取り付けるキャタピラ等が残ったが、換装が容易に行なえないため、グラーネの破棄が決まった時点で無用のものとなっていた。 これらのまとまりの無い装備は、すべて生き残るためのものだった。これから先に敵と遭遇した場合、各自が生き残るために必要なものを選んだのだ。 整備を終えて遅い食事を取った。それは格納庫の一画にテーブルを置き、レーションやスープを並べただけのものだった。保存されていた食料品は大半がダメになっていた。元々が現地調達を余儀なくさせるほどである。もう余分は無くなってしまった。 五人がそれぞれ席に付いて食事を始め、同時にこれからのことについて話し合った。 今、ミリス達の敵はジェニューインだけではなく、ラスティアース、そしてメスリーの属する連邦軍にも及んでいた。 「もうどこにも行けはしない」 メスリーが言った。メスリーは五人の中で一番食が進んでいなかった。二、三度口を付けただけで、両肘をついて祈るように手を合わせて、そこに額をつけてずっと考え込んでいた。 「確かにブレナン大佐はうちらの基地の司令官だけど、だからって連邦軍全体が敵になったわけじゃないだろ。ラスティアースとの共闘だなんて普通じゃ考えられない」 クリエが匂いの悪い塩漬けの肉を口に運びながら言った。匂い以上に味も酷かったが、まるで気にしていないようだった。 「でも、連邦軍には戻れない。戻りたくもない」 「そりゃ同感だね」 エディに同調したクリエだったが、エディの視線に気付いて微笑んだ。エディはずっとアリアばかり見ていた。アリアは食はそれなりに進んでいるものの、一言も発しなかった。話し合いは全て任せる、といった面持ちだった。 だが、ミリスはアリアが以前と少し変わったような印象を持った。何と言うか、出会った頃のおどおどした感じがしない。彼女にしてみれば、メスリー達は自分に酷い事をした連邦軍の一員だろうに、むしろ心を開いているようにも見えた。 そういえば、ガンダムの整備中から、エディと頻繁に話していたことを思い出した。吹っ切れた訳ではないだろうが、心の内を吐露したことで、少しの安堵感を得たのだろう。 ふと、エディの顔に視線を移したとき、エディからも以前と違う雰囲気を感じ取った。何か自信を得たような感じだった。 エディとアリアは、お互い信じ合えるものを持ったのだろう。だからエディは気の弱い発言も無くなったし、アリアが必要以上に怯えることもなくなったのだ。 「イルジニフ博士と合流するか」 メスリーに全員の視線が集まった。 「地球に残っているシャトルやHLVは少ない。ヴァルハラはしばらくは安全のはずだ」 「あそこには起動試験中のガンダムがまだ十機以上あるんだよ。ブレナン大佐がモビルスーツ欲しさにシャトル探しを急ぐかも」 そう言ったクリエに視線を向けて、メスリーは話した。 「だからこそ連絡を取って迎えに来てもらおう。ヴァルハラにはパイロットはいない。宇宙用装備にしてもらえれば、我々の手で連邦軍の攻撃は阻止出来る。連邦軍は地上のモビルスーツを宇宙に上げることも出来ないし、コロニー軍に睨みを効かす防御ラインからも、そんなに戦力は割けないはずだ」 エディが頷いた。 「そうだ。ヴァルハラは医療設備も整っているし、遠心重力ブロックは広くて住むのも快適だ。身を置くのには丁度いいかも」 「ミリスのこともある。博士はミリスをヴァルハラに連れて来いと言っていた。内容までは聞けなかったが、ミリスがどうしてガンダムを操縦できるのか、彼女は何か知っているようだった。それともうひとつ、イレーネ・ネリスが言っていたサテライト・キャノンというのが気になる」 「旧大戦の残り物なら、ヴァルハラにデータが残っているか」 クリエがフォークを置いて言う。彼女の皿や缶詰はすっかりカラになっていた。 「そういうこと。アリア、ミリス、同行してくれるわね?」 アリアは黙って頷いた。ミリスはどうしようかと迷ったが、連邦軍、ラスティアース双方に目を付けられた以上、この先無事に暮らせる保障は無くなった。それに、やはり自分のことは知りたい。 「いくわ」 ミリスの同意を得て、メスリーは立ち上がった。 「じゃあ、なんとかしてヴァルハラと連絡を取りましょう。傍受される危険はあるけど、急がなきゃ。移動よ。グラーネはここに捨てていくわ」 その言葉に全員が立ち上がった。 |
|
BACK 目次 NEXT |