第六章 決意


「どうするつもりなの?」
「どうする?」
 ミリスにはイルジニフの質問が、随分と的外れに感じた。
「どうもこうも、あの子は私が面倒みるわ」
「面倒ってねえ」
 イルジニフはいつものポーズで続けた。ミリスとイルジニフは臨時で張られた大型テントの中にいた。機体の回収やら怪我人の手当てやらで、以外と作業が大きくなってしまったのである。だが、そのために慌ただしく出発することなく、比較的落ち着いた時間を過ごしていた。ただ、連邦軍に発見されないとも限らず、状況は楽観は出来ない。
「あの子が、幾らあなたのカノン・フォルムでも、そう簡単に面倒なんて見られるわけないじゃないの」
「じゃあ、どうしろっていうの? 始末する?」
「始末って」
 イルジニフは震えた。ミリス自身も、その言葉のあまりにも暴力的、破壊的な響きに、言っておきながら嫌悪感を感じた。
「それとも檻にでも閉じ込めて研究する? あのハーベイみたいに。そんなことは出来ないでしょ! あの子は人間、私の分身、私の娘よ。じゃあ、私が面倒みるのは当然だわ」
 そうなんだけどね、といってイルジニフは頭を抱えた。子供を育てるというのは簡単なことではない。それは判っている。自分一人なら何とかやっていけた。でも、それは親が礎を造っていてくれたからだ。それと同じことを、私はあの子にしてやらなければならない。
 ミリス・カノン・フォルムは、姿形こそミリスそっくり、つまり年齢的には十三歳くらいではあったが、中身は全くの赤ん坊だった。話すことはおろか、体をうまく動かすことも出来ない。歩く事も、それ以前に立つことも出来ないのだ。意志の伝達の手段は無いに等しい。幾らミリスと感じ合えるといっても、意志の疎通と言えるほどはっきりとしたものではないのである。
 ダス・ゼルプストから出て、ミリスに抱きついたカノン・フォルムは、その手を離そうとはしなかった。イルジニフが無理矢理引き離そうとしたが、そうすると暴れ出し、大声で泣きわめいた。声は悲鳴と言ってよかった。出鱈目に声を出しているだけだった。
 体に付着していたゲル状のものは、人工子宮の中で羊水の役目を果たしていたものだった。メタ・ゼリオンから供給された栄養分の残滓がほとんどだった。
 それにまみれて体中がベタベタとなったミリスは、カノン・フォルムを連れて体を洗おうとしたが、それ以前にカノン・フォルムは立つことすら出来ず、抱き上げて引きずっていくことになった。カノン・フォルムは引きずられるに合わせて足をばたつかせるが、その行為は歩くのを邪魔こそすれ、全く役立ってはいない。
 街にもシャトルにも、体を洗えるような気の効いた施設は存在しなかった。幸い、シャトルには余分の飲料水がかなり積まれていたので、そのポリタンクを二つ使って即席のシャワーをでっち上げた。シャワーと言っても、上から湯が降ってくるようなものではなく、一段高いところに置いたポリタンクの底に取り付けたホースから水が流れ落ちるようになっているだけだ。だが、それで充分だった。
 泣きじゃくっていたカノン・フォルムを連れて行き、ようやく二人になると、今度は甘えか、戯れ合おうとするのか、しきりにミリスに抱きついてきた。それ自体は嫌では無かったが、何かをしようとする時は迷惑でもある。ミリスは、地べたに座ったまま、ミリスに絡みつくカノン・フォルムの体を洗い、そして何とか自分もすっきりする程には体を綺麗にした。いつもの三倍以上の時間が掛かった。
 今、カノン・フォルムは別の専用のテント内で眠っていた。小綺麗になってからも、カノン・フォルムはミリスにまとわりついた。いくら愛おしく感じていても、それがずっとだと、だんだん煩わしくなってくる。あまりの状態に見かねたイルジニフが、救護班の一人に精神安定剤を使わせたのである。しばらくは心配で側に付いていたミリスも、カノン・フォルムの安らかな寝息を立てる顔をゆっくりと眺めて、ようやく自分も落ち着いた。
「とにかく」
 ミリスは言い放った。
「あの子の面倒は私が見る。あの子は私の娘だもの。当然よ」
 それを言うなら、とイルジニフが口を出す。
「私にとってもあの子は娘よ。私の卵子を使ってるんですから。あなたほどあの子に感応しないけど、こう、胸の奥にさわさわと撫でるような感覚はずっとあるわ。だから」
 だが、ミリスは首を振った。
「あの子は私を慕っている。私はそれに応えてやらなければならないの」
 その言葉を聞いて、イルジニフもとうとう折れた。
「判ったわ。あの子はどうしたって誰かが面倒を見なければならないし。あなたに全部任せる。私から、他の誰にも変なことはさせないようにするわ。その代わり、あなたの責任は大変なものよ。それと」
 当然、とばかりに頷いたミリスに向かって、イルジニフは念を押した。
「いいこと? あなたはかなりあの子に大して意地になっているようだけど、あなた自身、絶対に無理はしないでね。私から見れば、あなただって子供なんだから。出来ないことは出来ないと言ってもいいのよ。誰かに言えば、何でも手を貸してくれる。それは別に恥ずかしいことじゃない」
 判っているわ、とミリスは返事をしたが、頭の中に、誰かに頼ろうなどという考えはまるで無かった。
 イルジニフはようやく椅子に座った。大きく息を吐いて話し出す。
「あの子のこと、やはり一度ちゃんと調べておいたほうがいいわね。見た目はミリスと同じようだから、多分、ダス・ゼルプストに乗り始めた頃のミリスの身体データを元に、成長をコントロールされているのだと思う。身体機能の調整はされてるように見えないから、どこまで人間と同じなのか、違うのか、調べとかないとね」
「私のクローンなんでしょ? 何が違うっていうの? 直ぐに歩いたり話したり出来るようにはならないの?」
 イルジニフは首を振った。表情は重い。
「クローンは遺伝子の複製であって、全くそっくりの人間を作り出すものじゃないのよ。いえ、例えクローン人間を造って、全く同じ環境で全く同じように育てても、成長するに従って個性を持っていく。そうね、何て言えばいいか。バタフライ効果って知ってる?」
 ミリスは首を振った。イルジニフはどう説明しようかで頭を悩ませているようだった。
「全く同じ遺伝子を持った人間が同じ環境で育ったとしても、例えば同じことを考えたとしても、その内容、感じ方、そして考えの強弱は個別に僅かでも違うはずよ。それが成長するに従って何度も起きると、違いはどんどん大きくなって、最後は全く違うとは言わないにしても、かなりの隔たりが起きる。それが各人の個性となる。個性を持てば、全く同じとは言えなくなるわ。幾らカノン・フォルムが成長すらコントロールされているとは言っても、あなたと全く同じに出来るはずがない。あのカノン・フォルムは、聞いていたものより遥かに人間に近いようだけど、実際はどうかは判らないわ」
 ミリスはもっと簡単に考えていた。あの子はガンダムの中で大きくなった。だから歩くことも立つことも出来ない。話も出来ない。でも、体は私と同じだから、教えれば歩いたり話したりするようになるのはたやすい、そう考えていたのだ。
「あの子はあなたの遺伝子をそのまま持っているし、ガンダムの中で育った以上、戦闘用のカノン・フォルムに近いはず。でも、見た目は聞いていたのとは違う。全く、何であんなものになっちゃうのよ。カーク、あなたはどうするつもりだったの? それともソフィアなの? 私への当て付けに?」
 ミリスはイルジニフの言葉の真意が判らなかった。彼女は何かもっと深い事情を知っている。しかし、それを聞いていいものかどうか判らなかった。それはきっと彼女の過去に触れることになる。だが、ミリスの心を知ってか知らずか、イルジニフは話し出した。
「ねえ、私、何歳に見える?」
 突然の質問にミリスは戸惑った。イルジニフはどう見ても二十代後半から三十代の前半、多分、三十二、三がいいところだろう。それ以上には見えないし、それ以下でもない筈だ。
「三十? ありがと。でも、残念でした。私は今年で五十一歳よ」
 えっとミリスが声を挙げた。まさか、五十代には全然見えない。これは若作りとか整形とかそんな話では無く、全く想像出来ないことだった。
「私は二十数年前、ウェルナー・カークという人の元で、一緒にダス・ゼルプストの製造に携わった」
「あなたが、ガンダムを造った?」
 イルジニフは首を振る。
「いえ、実際には一部の伝達系統のシステムを担当しただけ。連邦軍のザク・ジェニューインの正式採用を受けて、利権にあぶれた会社が各分野のエキスパートを集めて、採算度外視で究極のモビルスーツ開発プロジェクトを立ち上げた。私もそれに組み込まれたわ。各々が日頃温めていた色々な考えを持ち出して。ふふっ。あの頃は大声で怒鳴り合うことも多かったけど、一つの夢に向かって全員で邁進するのは楽しかったわ。でも、ガンダムが完成間際になって連邦軍に接収された。カノン・フォルムの実験機にするんだって言ってね。プロジェクト・リーダーだったカークは隔離され、プロジェクトも解散されてお終い。まあ、カークは情熱を持った人で、その後でダス・マンなんて造ったけどね」
 イルジニフは遠い目で語った。カークの名を口にした時のイルジニフは、単なるプロジェクト・リーダーとそれに参加する者という関係だけではないことを伺わせた。
「後に聞かされたことだけど、連邦軍内部では一人の女が別の考えを持っていた。それが地球圏望別よ。それを前提にガンダムは改装された。カークはその女に協力して、最後はあの総力戦で死んだわ。その女、ソフィーティア・クルス・アブレニカもね。私は戦禍を避けて、ショートサイクル・コールドスリープに入った。いつか彼の、カークの理想を叶える時がくるのを待って、そして二十年後、私は目覚めた。それからは前に言ったとおりよ」
 その話は覚えている。今の連邦軍と接触し、ヴァルハラへと向かったのだ。連邦軍はヴァルハラにあるガンダム・フェイクを戦力として確保出来るため、二つ返事だったのだろう。
「だから、ダス・ゼルプスト、そしてカノン・フォルムは、望別のためにコロニーを恒星間航行船として運航するための、それだけのための機能を持たされていると思っていた。でも、違ったみたい。カークは、ソフィアはどうしてカノン・フォルムを人間型にしたのか判らないわ」
 イルジニフの顔は悲しそうだった。自分だけが二十年の時を飛び過ぎてしまったことに対する悔恨だろうか。
「だから、今、望別の計画を進めているのね?」
「そう、それがあの人が願ったことだから。でも、私は望別、地球を捨てて行くことなんて、そんなに深く考えたことなかったわ。それが必要だから、そうすることが、新しい人類の歴史を造ることになるから。そんなふうに大それたことを考えていた」
 イルジニフは一息つくとミリスに質問した。
「ねえ、今、何年か判る?」
「え? えっと、二百八十二年の、前にもそんなことを聞いていたわね。それって何?」
「スペースノイドにとっては、目の前に地球があろうがなかろうが、そんなに変わらないのかも知れない。でも、地球が人の心の拠り所になっているのは間違いないわ。例え、生まれてから一度も風を感じたことや、砂浜の上で潮の満ち引きに足を取られたことが無くても、太陽の下で汗を流しながら草原を歩いたことや、深い森の中であまりの静けさに耳に痛みを感じたことが無くても。でも、それを捨てていくとなると話は全然違って来る。もう、見上げる空には地球は無い。例え今のように、連邦軍とコロニー軍がいがみ合い、互いに行き来は無くても、手を伸ばしたその先にある母の姿を失うのは人間にとっては、精神的な支えを失うことになる。相当な覚悟がいるわ。もっともそれが地球中心主義を蔓延らせ、地球を駄目にしている根源なんだと、コロニー側は主張するけどね。あなた、全てを捨てていける? 地球を、そして宇宙世紀を。全部捨てるのよ?」
 ミリスには判らなかった。もう、今まで暮らしていた家は無くなってしまった。一から生活を起こすのは大変だ。だからと言って、短絡的に、イルジニフと共に地球を捨ていってもいいのだろうか。
 ミリスは生まれてからずっと地球で暮らしてきた。それが当たり前であり、彼女の考え方も行動も全て、地球がその根本にある。地球を捨てるということは、今まで生きてきた自分の全てを捨てるのではないか?
 その時、テント内に救護班の一人の男が入ってきた。まだ若い彼は、軍隊風にイルジニフに敬礼すると、背筋を伸ばして話し出した。
「リード少尉の手術が終了しました。フォサザル少尉も検査の結果、特に異常はありません。応急手当ては済んでおります」
 男はそれだけ言うと、再び敬礼して出て行った。
「リューンとモハマドって少尉さんだったの?」
「そう呼ばせているだけよ。こんな時代じゃ軍上がりの人間も多いし、軍隊やってたほうが統率が取り易いからね。それにしてもモハマドのタフさには感服するわね。彼のヴァンガードなんて、コクピット部分は完全な大穴になってたのにね」
 ミリスがカノン・フォルムを連れて体を洗っていた時、モハマドの探索班が、破壊されたヴァンガードとその足元で横たわっている本人を見つけて収容していた。彼の話だと、通信機の動作不良で、コクピットから出て、頭部の通信アンテナを修理していた時、ちょうどコクピットを爆破されたのだという。ヴァンガードが仰向けに倒れ、それに巻き込まれないよう、足の方向に向かって飛び退いたが、全身をしたたかに打ちつけて、しばらく動けなかったということであった。
 モハマド生還の話は直ぐにミリスの耳に届いたが、さすがにミリスも驚き、そして喜んだ。これはリューンにも伝えられ、彼女も殊更、喜んだ。そのリューンは救護班の手によって緊急手術を受けるべく、直ぐに別に設置された衛生テントの中に運び込まれた。ミリスが止血と点滴を行っていたお蔭で、大事には至らなかった。その手並みを従医はしきりに誉めていたが、キットには説明書があり、その通りにしただけであって、ミリスには空々しく聞こえて、そうそうにその場から立ち去った。
 もう何時間か前のことであった。
「これで準備は整ったわね。ミリス、どうする? 本当に私達と行く? ヴァルハラも放棄したわ。シャトルは衛星軌道上で戦艦ウォー・ホースと合流する。私は比較的早くここにやってこられたもの、もうヴァルハラから出てこっちへ向かっていたからよ。だから、宇宙に昇れば、あなたをもう地球に戻すことは出来なくなるわ。でも、あなたに考えてもらう時間はないの。酷なようだけど、どうするか決めて。慎重にね」
 ミリスは迷った。このまま留まっても暮らしていけるんじゃないか。今迄と違っても。いえ、イルジニフからモビルスーツの一機でも借りられれば、前の住居を片付けてそこに住めるんじゃないか。いえ、駄目よ。カノン・フォルムはどうするの? あの子を連れていたら、このまま地球にいることは出来ない。あの子は私が面倒みるって決めたもの。でも、地球を捨てるなんて私に出来るの?
「行くにしても、留まるにしても、辛い選択になるわ。留まればあなたの生活は厳しいものになるでしょうね。行くとなったら、地球、宇宙世紀を捨てるというのは、宇宙を長い間航行するということで、つまり、物理的にも地球とは時間がズレてしまうということよ。私の意見は置いておくとして、よく考えて答えを出してね」
 答えが出るとは思えない。どちらを選んだにしても辛い先が待っている。多分、どちらを選んでも後悔することだろう。だが、カノン・フォルムのことを考えると、地球にはいられない。ならば、それが答えだと言っていい。他に答えが出ないなら、今、一番自分を突き動かしているものを中心に考えればいい。
「行きます」
 ミリスはしっかりとした口調で答えた。カノン・フォルムのことを考えると何故か勇気が湧いてきた。あの子のためなら、何でも出来る。
「判った。もう何も言わないわ。シャトルに乗って。他の全員も上げるわ。モビルスーツの収納は終わっている」
 イルジニフはテントを出て言った。ミリスもカノン・フォルムがいるテントに入った。もう収納を始めている。中のカノン・フォルムはまだ寝たままだった。ミリスは彼女の背中と膝の裏側に腕を入れて、抱き上げてみた。ミリスがいくら痩せ型だと言っても、自分とほぼ同じ体重であるはずのものを抱え上げるのは、ほとんど無理だった。
 救護班から片付けている途中の担架を一つ借りてきて、それの上に何とかカノン・フォルムを乗せた。担架は折り畳みのワゴンになっている。あとはシャトルに運び上げるだけだった。
 担架を押している間、カノン・フォルムの名前を考えていた。このまま、あの子とかこの子とか呼んでいるわけにはいかない。イルジニフにも命名する権利はあるが、やはりここは自分が名前をつけてやりたい。
 カノン・フォルムは結局、目は覚まさなかった。寝息が乱れることなく無邪気な笑みをずっと見せていた。カノン・フォルムの体には、余分があったミリスの下着を付けさせていた。後はイルジニフが持っていた白いブラウスを羽織らせているだけだった。カノン・フォルムは最初それらを脱ぎたがった。体を締めつけるものに慣れないのだろう。十三歳ともなれば、少女が女に変わっていく途中である。いくら本人が赤ん坊同然で、無邪気だとしても、外観は裸のままで居させるのには支障がある。ミリスはカノン・フォルムに服を着させておくことに苦心した。
 だが、この寝顔を見ているとそんな苦労も吹っ飛んでしまう。これが子供というものなのだろう。
 二人でシャトルの座席に向かう。カノン・フォルムを起こさないよう慎重に座らせた。カノン・フォルムがいつ目を覚ますかは判らなかった。だが、目を覚ました時には、もうそこは宇宙である。
 このまま、新天地へ二人で。ひょっとするとそれはあなたの望む事ではないかも知れないけれど、ゴメンね。これが一番いい方法だって私は信じるから。だから、私に付いてきて。
 ミリスはそっと呟いた。
 シャトルは間もなく、発進体勢になった。ミリスの周囲に人はいなかった。皆、別の場所でシートに座っている。このシャトルは人員輸送用にシートを別の場所に複数持っているのだ。おかげで回りを気にすることなく、ゆっくりと体を預けることが出来た。
 ふと、ミリスの頭の中に、昔、両親がいたころに聞いた童話が蘇ってきた。たわいない話だ。多分、元はあるのだろうが、大部分は母親の創作だと思う。白い騎士が妖精と一緒に竜と戦う話だ。騎士は妖精が発する光を身に纏い戦う。剣を無くした騎士は、竜の吐いた世界を焼き尽くす炎を素手で弾き返した。そんな話だった。詳細は忘れかけていたが、妖精の名前が頭の中に浮かんだ。
 リスフィ、確かにそういう名前だった。リスフィか。
 ミリスはカノン・フォルムの寝顔を見た。自分の口元も綻ぶのが判った。
 あなたはリスフィよ。これからそう呼ぶわ。私の娘。
 シャトルが大きく揺れた。イルジニフの声が室内に響く。
「発進するわ。各員、シートベルトを着用」
 ミリスはその通りにし、リスフィにもシートベルトを付けて、目を閉じた。これから宇宙に出る。もう二度と戻らない旅に。
 頭の中にふとヴィルヘルム・カーゾンの言葉が過った。彼の目的はともかく、結局は彼の言うとおりになった。私は宇宙に出る。この巡り合わせはどういうことなのかしら。
 シャトルは地面を垂直離陸すると、一気にブースターを全開にして飛び上がった。急激なGの流れが前方から斜め下へと傾いて行く。
 リスフィが少しうめき声を上げた。目を覚ましているわけではなかった。ミリスは彼女の手をしっかりと握った。温かく柔らかな感触を感じながら、古いものを捨てていく切なさと、新しいものに対する期待と不安を同時に持った。
 何があっても、私はこの子と、リスフィと一緒にいる。私の娘だもの、そしてそれが今の私の全てだわ。
 そして、ミリスとリスフィは宇宙へと飛翔した。
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