プロローグ 「そして、地球へ――」


 *

 煌く閃光が走るのは、周りにある漆黒が完全な『闇』だからだろうか。
 星明かりに照らされる中、巨大な円筒形が動き出すのを止められない事に、彼女が苛つきを通り越して絶望を感じたのは当たり前の事だったのかもしれない。
「待って――!」
 気密性の高い、パイロット用のノーマル・スーツ。ヘルメットのバイザー越しにそれを見る事を嫌い、彼女はそれを上げた。
 それでも、コックピット・モニタを挟んでの光景となってしまう事が悔しい。全周囲のマルチ・ディスプレイが映し出す、本物よりもより生々しい映像が、所々に現れる光線を際立たせていた。
 近くで、爆発が起きた。革命軍が密かに開発した大型恒星間航行艦が、二個繋げたコロニーの一方を開かせようとしている。そこから覗くエンジンは、無傷での戦線の離脱が可能である事を示しているのだ。
「待ってよ!」
 叫ぶと同時に彼女がやったのは、たったの一動作だった。変形――人型から、瞬時に戦闘機へと移行する。高速飛行で、一気にあのコロニーへと奇襲を掛ける。エンジン部にスマートガンを叩き込めば、それだけで航行が不可能となる筈だ。
 Zプラスが高速飛行モードへとなる、その一瞬に間に三機の僚機がやられたのが確認できた。こちらの援護に必死になってくれているのだ。彼女は内心でその事に対して酷く感謝しながら、Zプラスのスラスターを思いっきり咆哮させる。
 RB−79が、その薄い装甲にロケット弾を叩き付けられたのが見えた。その爆光が開ききる前にそこをパスし、一路恒星間航行艦「ダンディ・ライオン」へ。酷く冷たい筈の宇宙の漆黒も、この時ばかりは灼熱に感じられる。酷く焦れた気分だった。ウェイブ・ライダーへと向けられる金属粒子束を気にする事もせず、ただ巨大なコロニーを追う。その中に捕らえられた、愛しい男へとその意識を飛ばした。
「クラン――」
 ――待って!
 その言葉は出なかった。一瞬だけ感じたプレッシャーに、視線を横に移す。巨大な影は、平べったい体躯を持ったモビルアーマー。
 MA−05『ビグロ』。十四機近くが量産されたと聞いたが、まさかここで投入されるなんて!
 モビルスーツとは桁外れのジェネレーター出力を持つ、大型モビルアーマー。並走したそいつのモノアイが輝いたかと思うと、クロー・アームでウェイブ・ライダーに攻撃を仕掛けようとする。が、彼女はそれを躱した。今度はそいつは減速し、後ろに付いてくる。必殺の一撃を躱された事で、今度はメガ粒子砲でも撃ってくるつもりか?
 殆ど予想通りだった。ただ違うのは、そこにミサイルのおまけが付いてきた事だけ。
 中々、やる。だが、少しだけ詰めが甘い。真っ直ぐに突き進むビグロからの攻撃を回避し、瞬時にモビルスーツ形態へ。急な減速に、身体がシートに減り込んだ。が、そんなものは気にならない。瞬きの一瞬だけ閉じられた視界の奥に、四肢を振る敵機の姿。AMBAC中の、その3,5秒の間を、スマートガンの一撃で確実に仕留めた。太い閃光が巨大なそいつに突き刺さり、一際大きな閃光へと変える。
「やった!」
 喜びも束の間だった。コックピットに来た衝撃に、綺麗な眉根を寄せる。グレーのガンダムに激突したのはリック・ディアスのクレイ・バズーカか。
(時間がないのに……!)
 歯痒い気分だった。姿勢を制御させながらも、ガンダリウムの装甲が無事である事を確認。味方の援護で相手の動きが止まったのを見、機体を反転させた。
「待ってて、クラン――」
 もう一度、変形の動作をした時だ。
 ビグロの残骸の、その向こう側に巨大な閃光が出没した。ダンディ・ライオンのエンジンに火が入ったのだ。大昔に、プロキシマ・ケンタウリ星系へと人類を連れてきた宇宙船が、今度は地球を焦がれて人々を連れて行く。何と言う皮肉か。恒星間航行へと移ったそれは、一瞬の内に遥か彼方へと飛び去っていく。
「待って!」
 彼女は叫んだ。動き始める瞬間に、ZプラスC1のビーム・スマートガンを構える。エンジンを狙っての射撃。引かれた光線はしかし、そこに傷一つ負わせる事なく宇宙の静けさの中に消え去る。
「待ってよぉ……」
 一瞬にして豆粒みたいな大きさになってしまったそれを見て、彼女は呻いた。それしか出来ないと分かったからこそ、彼女の絶望は深い。
「ねぇ、クラン。待ってくれても良いじゃない。私達、まだ何も約束してないよ?」
 そこまで呟いて、ふと自分の声が掠れているのに気が付いた。凡そ現実感のないこの光景に、視界が歪んでしまう。どんな時でも――そう、両親が死んだ時も、現実感のなかったあの時も彼女は泣かなかった。なのに、一番信じられないような時に涙が出てきたのは、何だかただのお笑い種のように感じてしまう。
「さよならも言ってないのに…居なくなっちゃうの、やだよぉ。会えなくなる時があったら、その時はさよならって言おうって、そんな事言い出したのはあなただよ? なんで出来ないのよぉ……」
 呆然――と言う感じではなかった。ただ、ああ、あの人は居なくなったんだなぁ、と言うのが明瞭に理解できてしまっている。
 悲しみ――ではない。
 絶望――でも、ない。
 純粋に、寂しい。人生で始めて、その言葉の意味を知ったような気がした。もう一生会えなくなったような気分になり、彼女は涙を流す感覚を思い出した。
「バカァ、バカバカバカ……」
 もう、視覚は用を成さなかった。涙に歪んだ宇宙は、ただ暗いだけで歪んでいる。コックピット内の明るさも、今の彼女にはただ物悲しいだけ。
「クランの、大バカ――――――――――――――――!」
 その後は、鳴咽の中に続かない。背を丸め、無重力の中に涙の粒を浮かせるのみ。
 彼女――セシリール・セラフは、密閉された空間の中に居てしかし、彼の吐息を感じたような錯覚を覚えたのだ。

 *

 戦闘終結から早二週間。結果的に見れば、革命軍は彼らの目的を果たしたであろう。
 彼らが目指したのは、別の太陽系に存在する人類の故郷、地球。400年以上もかけてやってきた人類が、ここに築き上げた文明も何千年も前に突如として崩壊した。その直接の原因となったコード・ターンAも廃棄され、スペース・コロニーの建設も進んで完全な復興を遂げたこのプロキシマ・ケンタウリ。だが、そこを統轄するコロニー・サイド連合も、腐敗の時を迎えて革命の火種を起こしてしまうのは、人類の習性だろうか。が、圧倒的な国力を誇る連合軍に、ゲリラ戦術でしか抵抗らしい抵抗ができない革命軍が敵う筈もない。彼らが最終的に打ち出したのは、このプロキシマ・ケンタウリからの脱出であった。
 この時代、人類が住める環境のある惑星が存在しないこの恒星系では、コロニー及び宇宙船の開発技術は大幅に進んでいた。前文明から考えると、実に70年近い差を埋めているのである。そこで、この恒星系まで移動してきた宇宙船「ダンディ・ライオン」を復元しようとしたのである。
 結果、長く続いた戦争状態に、腐敗した政府が情報網の確立を成立させる事が出来なくなったのが一番悔やまれる所である。巨大宇宙船の開発を最後まで気付かなかった連合側は、完成・出港までその存在を知る事が出来なくなっていた。革命軍が占領した、惑星アルファの二つの衛星の内の一つ、コード・『ムーン』の裏側にあるサイド3で極秘裏に出発しようとしていたダンディ・ライオンに奇襲をかけたが、それが失敗に終わってしまった。革命軍指導者を始めとする、億に相当する人間が地球侵攻へと向けて旅立ってしまったのである。
 彼らが帰る事は、有り得ないであろう。最新式のエンジンですら四百年近い歳月を渡らねば辿り着く事の出来ない地球圏。それを追う、討伐隊の編成も進んでいると聞く。が、それにセシリールが入る事はない。連合治世の中でも一・二を争う大財閥のセラフ家の長女が、軍などに入ってモビルスーツを扱っている事すらも勘当物なのに、もう会う事すら許されぬ遠い場所へと行かなければならないのだから。
 財閥の圧力があれば、軍が傾くのは当然のように思われた。だから、セシリールが彼女の直接の上司であるグロース少将に呼ばれたのも、彼女の要請を断わって討伐隊のメンバーから外されるのだろう、と言う絶望を胸に抱いて行く事になってしまうのだ。
 少将の執務室までやってきて、緊張が高まるのが分かった。結果は目に見えているようだが、こんな所で諦めきれる物ではない。無理矢理にでも船に乗り込むぐらいの覚悟は持っていた。ただ、それでも緊張してしまうのは、普段は彼女の隣に居てくれた上官の存在がないからだろうか。
(そう言えば、一人でこの部屋に入るのは始めてかも――)
 そう思い、悲しくなる。クランのバカ――そう、呟いた。暗くなった気持ちを抑えつけ、立派なドアをノックする。コンコンコン、の後に、秘書官の声が小さく聞こえた。セシリールはドアノブを廻す。
「失礼します」
 カチャリと良い音を立てて開いたそれのすぐそこには秘書官が居り、もう一つのドアを潜らなければ少将には会えない。
「セシリール・セラフです」
 それだけ言うと、ブロンドの秘書は納得したように柔和な笑みを見せた。その、包み込むような包容力のある笑みを酷く羨ましく思いながら、
「どうぞ。少将がお待ちですよ」
「ありがとう」
 ニコリ、と精一杯の笑みを浮かべるが、どうにも負けてしまってるように思えて仕方がない。長い黒髪を揺らしながら、彼女はもう一つのドアを開けた。
 その、広い執務室の中に溢れる光は、全てが正面のマジックミラーから入り込んでくる光だ。コロニー内壁の壮大な風景を映し出すガラスの手前には、執務机が置かれている。
 逆光の中、その厳つい顔を暗くしている男が執務机に居た。威風堂々とした巨躯を椅子の中に何とか納めて、入ってきたセシリールを見る。その眼光は強烈で、視線に射抜かれた者を竦ませる迫力が在った。
 が、既に小さい頃から目にしてきていたセシリールには、何の迫力もなかった。ただ、
(偉くなったんだね……)
 その感慨しか湧いてこない。セラフ家に仕えていた頃からセシリールの世話役を任されていたグロースは、彼女の我侭さを知っているのだ。
 だからだろう。彼の額に浮いた冷や汗を、セシリールは見逃さなかった。
「あ……」
「セシリール・セラフ、ただいま参りました。如何様で御座いましょうか、少将」
「うっ……」
 セシリールの機嫌が悪い事を察したのだろう。グロースが言葉を詰まらせる。彼の顔には、説得は無理、と言う字が書かれているように見えた。
「あの、お嬢様……」
「如何様で御座いましょうか、少将」
 淡々と、返す。グロースは再び言葉に詰まると、深々と背凭れに体重を乗せた。良く椅子が壊れない物だわ、とセシリールは思った。
 カサッ、と音がする。グロースが紙を取り出したのだ。封筒に入ったそれを慌てるように取り出し、広げる。
「セシリール・セラフ」
「はっ!」
 間髪なく答えたセシリール。そんな彼女に一瞬だけ視線を投げ、グロースは小さく溜息を漏らしたようだ。それは、諦めに似ていた。
「右の者は、早急に革命軍討伐隊に加わり、戦闘部隊の編成を整えよ――」
「えっ?」
 セシリールが一瞬だけ耳を疑い、その隙にグロースは笑みを浮かべた。
 諦めたような――しかし、その柔和な笑顔は彫りが深く、真に父のそれに見えた。
「辞令です、お嬢様。何とか苦労してこれを承認させました」
「ど、ういう事なの?」
「お嬢様は昔から聞かん坊でした。だったら、私は貴方に胸を張ってこの地を出ていってもらいたいのですよ」
「つまり――?」
「お嬢様には、先遣隊のモビルスーツ部隊を束ねてもらいたいのです。セシリール大尉を、直ちに少佐とするように、との命令も下せました。クランを追うのでしょう? 行ってらっしゃいませ」
「グリー!」
 セシリールはそういって、グロースに抱き着いていた。その厚い胸板に納まった彼女の小作りな顔を眺めて、再びグロースは笑顔を見せた。
「ありがとう、グリー。でも大丈夫だったの? 無理させちゃった?」
「フフフッ、私よりも御自分の御心配をなさいませ。御本家は、貴方を勘当にするってカンカンでしたよ」
「今とどう違うのよ。それに、跡継ぎなら弟が居るじゃない」
「そうですが。でも、大奥様は寂しそうでしたよ」
「うん…。でも、良いの。お祖母様はきっと判ってくれるもの。そういう優しい人なのよ」
「ええ、そうでした。後で、大奥様にはお顔を御見せなさいませ」
「そのつもりよ。ありがとう、グリー」
 セシリールは嬉しそうに微笑むと、
「じゃ、早速編成に取り掛からなくちゃね!」
 嬉しそうに踵を返し、執務室のドアを潜る。
 もう一度、あの人に会える――今は、それが何よりも嬉しい。

 *

「クランの奴――」
 お嬢様を誑かすとは、何と言う奴か。
 グロース・ド・グース少将がそう呟いたのは、セシリールが退室してからだ。
 バタン、と閉じたドア。その、美しい後ろ姿を瞼の裏に思い起こしながらも、彼は溜息を吐いた。
(これで良かったのだろうか……)
 正直に、不安だらけだ。もうセシルお嬢様に会う事はないであろう。宇宙軍少将として、彼は討伐隊への参加は出来ない。セシルはよりによって、その更に前に出発する先遣隊の部隊長。敵に捕らえられたクロスト大佐を救う為だけに、彼女は部隊の編成をする筈だ。時間が無い昨今、明日にでも先遣隊は出発する。そうすれば、彼女とは二度と会えない。
(お嬢様……)
 彼は記憶を遡った。セシルが幼少の頃より、セラフ家に仕えていたグロース。あの時の可愛い少女が、今の美しいレディーに成長してくれた事は嬉しい。が、別段良家の出でもない、少し成績の良いくらいの若造に恋をし、尚且つ敵に捕らえられた間抜けなそいつの為に短い一生を棒に振るような真似をしてしまうなど、悲しみを通り越して諦めすらも覚える。が、
(仕方ないのかも知れん)
 ふうっ、ともう一度、盛大な溜息。クロストは別に悪い青年ではないのだが、あのセシルに釣り合うのかと言えば甚だ疑問である。彼女とジュニア・ハイからの腐れ縁だからと言っても、あの性悪坊主に聡明なお嬢様を取られっぱなしだと言う事がカンに障った。
「おのれ……!」
 彼が、静かに怒りを燃やした時である。
 唐突に、ドアが開いた。一瞬だけ呆気に取られたグロースだが、そこから顔だけ出した女性に更に慌てる。
「ごめんね、グリー。いつも迷惑ばかりかけちゃって」
 ペロッ、と言う風に舌を出して、セシルはすぐに顔を引っ込めた。そして今度こそ退室すると、慌ただしい足音が遠ざかっていくのが聞こえた。
「グリー…、か。」
 グロースは思わず微笑む。その渾名は、正直に全く浸透していない。大体の人間が、彼を『ベアー』と呼ぶのである。特に軍に戻ってからは、熊と言うこの渾名が広く知れ渡り、部下達の揶揄の対象にもなっていた。
 グリーと呼ぶのは、本当に自分に親しい人間だけだった。セシルも、士官学校を出て彼の指揮下に入ってからは儀礼的な呼び方しかしなくなってしまった。が、さっきは違う。いつもはクロストと一緒に来るからなのだろう、二人っきりになった時は親しみを込めて言ってくれた。
 『グリー!』と――
 それは、気恥ずかしいような嬉しいような、何ともくすぐったい気持ちである。
 グロースは席を立った。そのままドアを開けると、秘書官のルースが不思議そうな顔をしていた。
「何処に行くのですか、グリー?」
「ああ、少し散歩だ」
「でも、御仕事が溜まっておりますが」
「んぅむ……だが、たまには休憩を………」
「うふふっ。分かってます。行ってらっしゃい」
 優しい笑顔でグロースを送り出してくれる彼女に、彼は少々照れる。時々、こそこそとセシルの様子を見に行く事を、彼女は知っているのだ。
 チラリ、と彼女の端正な横顔を盗み見る。まだ少し微笑があった。
 そんな彼女の薬指に光るシルバーの指輪は、彼がプレゼントした物だ。

 *

 ミノフスキー・ドライブ・エンジン搭載式の最新鋭巨大艦の中で、地球到達までの長い時間を過ごすのは、特に気にならないらしい。
 それはやはり、五百年近い歳月をコールド・スリープで過ごすしかないからか。もし何かの事故が起きたとしても、それならば簡単に死ねるのかもしれない。
(縁起でもない事考えちゃった……)
 セシリールがカプセルに横になると、ついつい自分が寝ている間の事を不安に思ってしまう。
 でもまぁ、大丈夫な筈。そう楽観的に見る。むしろ、そこまでの行程よりも着いた後の方が大変なのだから。
 クランを救わねばならないのだから――
 セシリールは、そう自分に言い聞かせる。大丈夫、きっと彼が自分を引き合わせてくれるだろう。
 いつもそうだったように、今度も、きっと。だから安心して良いと思う。

 そうして、彼女は眠りに就く。期待もあるし、不安もある。でも、それよりも、早く彼に会いたいと思うのは、いけない事だろうか。
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