第四章 「壊れた日常」


 1

 超音速で小笠原沖から羽田に辿り着いた時、玲治を見た航空隊員がギョッとした。
 酸欠で蒼白い顔をしたまま、必死の形相で、しかしふらふらとゼータのコックピットを降りて近づいてくる玲治に一種、特殊な恐怖を覚えたのだろう。だが玲治本人は気にする事無く隊員を押し退け、駆け出す。途中で脚を引っかけて転びながらも、何かに取り付かれたかのように立ち上がり、また駆け出す。それを繰り返す玲治を誰もが呆然と見詰めていた。
 格納倉庫に入って辺りを見回すと、バイクが一つ、あった。使い込まれた感じの古臭いバイクだ。所々が錆付いてはいるが、その白を基調とした塗装はXJR−400。それに近づいていくと、一人の隊員がキーを差し出して来た。余裕の無い顔でそれに頭を下げると、アイドリングも無しにエンジンをかけ、アクセルを握り締める。急激な暖気にエンジンが悲鳴を上げつつも、玲治は気にせず、バイクを発進させた。ヘルメットもかぶらずに羽田の滑走路を抜け、一般道から池袋方面へ全速力で走っていった。

 *

 闇に呑み込まれた視界から、着陸用の滑走路に灯った識別灯に合わせて、操舵士が緊張の面持ちでガルダの巨体をアスファルトへと近づけていく。巨大な航空機が緊急に羽田空港に着陸すると、クランは一息ついて、お疲れさま、とブリッジ・クルーに笑いかけてやった。
 ただ、内心の焦りは、大きい。引き攣った笑みにならない様に気を付けながらもブリッジを出て、すぐに表情を引き締める。エレベーターを閉じると、玲治を追う為に車の手配をしてくれるよう、連絡を取った。その間に地上に着いたのを確認し、受話器を置く。
 外に出て、違和感に気付いた。
(殺気……?)
 頭の隅に引っ掛かるのは、白い靄の掛かった記憶だった。懐かしい感触。それに注意を奪われながらも、身体はガルダの後部デッキへと向っていた。無意識だ。
 思い出した時、ようやく、気付いた。その時にはクランは後部ハッチの中にいる。ノーマルスーツから着替えたセシルが走って来たのを見て、クランは笑みを浮かべた。焦燥が浮かんでいるのを隠したかったからだが、どれだけ上手く行っただろう。
「クラン。どうしたの?」
 こんな所にいる事を疑問に思ったのだろう。それを誤魔化す為に、水色を基調とした女性士官用の制服を着たセシルを一頻り見詰めてみる。彼女は頬を赤らめた。
「車が来ちゃうでしょ」
 と、セシルが言った。その時には、クランは、時間が無い、と直感している。
 視界の隅に、ゼータプラスが映った。
「セシル」
「な、なに?」
 真面目な声音に驚いたのだろう。セシルが驚きに瞳を開ける。その時には、クランは駆け出していた。
「C1を借りるよ」
 言うが早いか、整備員を掻き分けて、ウェーブ・ライダー状態のゼータプラスに取り付き、キャノピーを上げる。
「クラン!?」
 セシルの驚きに満ちた叫び声が聞こえた。
 それでも、クランは、止まらない。瞬時に融合炉を起動すると、付近、または進路上にいる人間に危険を勧告した。
「退いててくれ!」
 フット・ペダルを踏み込みながらも桿を操り、後部ハッチから飛び出る。速度を上げて、同時に機首を上げると、スラスターを思いっきり開いた。
 身体に掛かる圧力に眉を顰めながらも、即座に雲を突き破ると、高度一万mを越えるところまで飛び出てから、弾道飛行に入る。
「スタンリー……久しぶりじゃあないか」
 口元に笑みを零し、クランは一人、東を目指す。その先に居るであろう存在は、まだ、この事を知らないだろう。

 2

 ――信じたくなかった。

「石穂くん……」
 同僚の言葉は聞き取れなかった。そのままゆっくりと歩み、そして、ドアを、開けた。病院入口の恐ろしいほどの混雑から抜け出してまでやって来た個室に、その表札に、『熊谷 奈央』の名がある事を確認しても、まだ確信ができないで居る。何の冗談なのか。そう思って入った部屋は、二人の人物が、玲治に背を向けて立っていた。その中心のベットに誰が居るのか、見なくても、解る。ここに来るまで嫌と言うほど考え、頭の中に廻っていた光景が、今まさに、目の前に在る。だがそれは、余りにも想像に当て嵌まり、逆に滑稽な芝居か何かと疑ってしまうほどだった。

 ――信じたくなんてなかった。

「玲治……」
 振り返った熊谷防衛次官に呼ばれたことを、しかし、玲治は理解できなかった。

 ――信じたくなんて無かった……!

 なのに――

 ひょっこりと、両親の影から顔を出し、少女が微笑む。いつも通りの微笑。彼が見続けて来た優しい笑み。
「遅いぞぉ、玲ちゃん」
 ふわり。普段は後ろにまとめている髪が、今日は降ろされている。それが茶色の軌跡を残して、照明に反射していた。柔らかくて綺麗な、玲治の大好きな髪の毛。
 だが今は、とにかく、悲しかった。
「ちょっとドジしちゃった。ごめんね、玲ちゃん。いつも言ってくれてるのに、玲ちゃんの説教、あんまり聞いてないみたい」
 えへへと笑って、奈央は舌を出した。まいったまいった、と頭を掻いている少女が痛々しくて、玲治はふらふらと奈央に近づいていく。
「ねぇ、二人とも」
 笑みを浮かべたまま、奈央が口を開いた。奈央の両親が彼女の顔を見る。
「玲ちゃんと二人きりにさせて」
 一瞬、熊谷次官が驚いた顔をした。だがすぐに表情を戻し、一つ頷くと、夫人を伴って玲治の脇を通り過ぎる。
「奈央を頼む……」
 玲治にだけ聞こえるように、彼は、言う。今まで聞いた事も無いような沈んだ声音。
 バタンと、後ろでドアが閉まる音がした。
 奈央は今も微笑んでいる。
「こっちにきなよ」
 コクン。無意識に頷く。おぼつかない足取りでベットの脇に立つと、奈央が玲治を引っ張って、むりやり椅子に座らせた。
「ね、なんでこんなに遅かったの? わたし、すごく心配したんだよ」
 奈央は、泣いていた。
「玲ちゃんが居なかった時ね、お父さんったら、多い日は一日に五回も外にでてったんだよ。ね、なにしに行ってたと思う?」
 奈央は精一杯、自分を護ろうとしているのだ。だから本当は泣いているのに、強がって、笑ってる。
「それがね。煙草を買いに行く、なんて言って、神社にお参りしてたんだよ! しかも一回毎に煙草も買ってくるから、余り吸わないのに棚の中に入りきらないくらいになっちゃって、一生懸命、知り会いにあげたりして大変なんだから。おかげで原路さんとかすごく困って、一度、私たちにどうにかしてくれって泣き付いて来たこともあるんだ」
 玲治はこの部屋に来るまでに聞いている。奈央は出口に近く、早くに救出されたので、症状が軽くてすんだ。脳への後遺症や細胞の壊死なんかはほとんど無い。それが、数多くの死者、重傷者をだし、今も苦しんでいる多くの人に対する罪悪感から、必死に表情を繕っている、と。
 だけど、奈央は、泣いていた。
「面白い話でしょ? 何だかんだいって、お父さんも玲ちゃんのことが好きなんだよね。今度きた時は日本刀振り回されながら追い掛け回されることはないと思うよ。良かったね玲ちゃん。安心したでしょ?」
 いつもより饒舌な奈央の顔が必死になってきている。懸命に、なにかを堪えるように、押し留めるように。
 そんな奈央を見ると、玲治は、なにもできない。
 ただ呆然と、少女の顔を見ていることしか、できなかった。
 奈央は頬を膨らませて、もーう、と言った。そのまま玲治の胸に凭れて、頭を押し付ける。
「なんか言ってよ玲ちゃん。私が面白い話してあげてるのに……!」
「――奈央……」
 ん、と奈央が顔を上げた。その顔はすでに赤くなっていた。目尻に溜まった涙と赤くなった瞳を見て、玲治は、抑えていた言葉を発する。
「泣いても、良いんだよ……?」
 奈央の表情が凍った。その次には俯いて、頭を思いっきり玲治の胸に擦り付ける。
 玲治の太腿に、パタッ、と水が、弾けて染みた。
「なに言ってるの、玲ちゃん? 別に、私が泣く必要なんて、無いよ……!」
「抑えなくて良い……。奈央はもう、悲しんでも、良いんだよ」
「だから、なんで悲しまなきゃならないの!」
 バンッ。胸に衝撃がきた。奈央が玲治のそこを叩いたのだ。
「私なんかよりももっと酷い人はたくさん居る! 私は全然マシで、ただ足が動かなくなっただけで、一般の生活ができるの! でも、皆、苦しんでたんだよ!? 集中治療室から出て、点滴を投与している間、色んな人の泣いて、叫んでいる声が聞こえた! お父さんがわざわざこんな部屋用意してくれたけど、ここはただ寂しいだけなの! でも、もっと寂しくて、もっと辛い人は、いっぱい居るの! だから私が悲しんでるのは筋違いなのよ! だから、私は! 私は……!」
 ドン、ドン、と叩き付けるように玲治の胸を殴り付ける奈央の声は、涙に掠れて、途切れ途切れになっていた。
 その手を掴み、静かに、腕を滑っていく。肘から二の腕、肩を伝い、玲治は奈央を抱き寄せ、抱きしめた。
 力強く、胸の中に、抱いた。
「奈央……」
 耳元で呟く。小さく、しかし、悲しく。
「奈央……!」
 腕にさらに力を込めた。華奢な少女の身体を、思いっきり、この胸に。
「奈央、奈央……!」
 ――ごめん
「ごめん、奈央……!」
 ごめんなさい、ごめんなさい――!
 自分の視界が霞んでいるのが解る。自分の声が掠れているのが解る。
 そして、奈央が泣いているのが、解る。
「玲ちゃん――」
 掠れた声で、少女は、精一杯に言葉を紡いだ。
「私、足、動かなくなっちゃった……」
 シャツに染み入る奈央の涙は、なんて熱く、なんて切ないんだろう。
「もう、歩けないよぉ……!」
 ごめんなさい、奈央――
 咽び泣く愛しい少女に、玲治はただ、抱きしめて、そう言う事しかできない。
 これが運命だと言うのなら、これはなんて残酷なことなのか――
 辛さにただ、咽び、泣く。

 3

 美しい夜景が広がる都市を真上から眺める。それは不思議な気持ちだったが、今のスタンリーは別の感慨に呑み込まれて、それどころではない。
 スタンリー・ヒューズは、ベース・ジャバーに乗ったガンダムGP02の巨体の中で、人類史上、最も下劣な都市を見下ろしている。
 ワシントンDCは美しかった。
 ニューヨークや香港の用に100万ドルとまで例えられるような素晴らしいものではない。だが、世界一の超大国・アメリカ合衆国の象徴とも言えるこの大都市は、それに恥じぬような夜景を持っている。
 だが、ここから、世界は動かされている。この地球を愚劣な保守思想で埋め付くさんとしている、エゴイズムに満ちたくだらないブルジョアジーが、今まさに、世界の潮流を我が物にしようとしている。
 それだけは、スタンリーには、許せなかった。
 現在、プロキシマ・ケンタウリ革命軍は、地球侵攻の最大局面に入っている。日本に巡航ミサイルを放ち、それを囮に要所を、適度な精神ダメージを狙い、攻めていく。経済大国として国際社会に深く食い込んだ先進国が受けたダメージに視線が向っているその隙に、唯一の超大国を、攻める。
 その大役を任されたのが、革命軍のトップ・モビルスーツパイロットであるスタンリーであった。
 だがこれは、日本に向けて行ったような、情報の混乱だけを狙ったようなテロリズムとは違う。彼らの最大の目的こそ、アメリカ合衆国の抹殺なのだ。
 その為に、革命軍は、ザンジバル機動巡洋艦を首都ワシントン上空に待機させ、ミノフスキー粒子を散布している。電離層や衛星中継による長距離無線電波を封じて情報的に孤立させ、ガンダム・サイサリスで一気に片をつけるのがその計画だった。
 かつて誰も行うことができなかった、ワシントンへの直接攻撃を、やろうと言うのだ。
 その感動はスタンリーの身を震えさせていた。
「長い道程だった……」
 呟く。護衛の僚機が緊張の声を送ってくるが、それも一方的な興奮だ。上空3000メートルの高度から見下ろす美しい夜景と、その後への想像に、いてもたってもいられないだけ。二機のジムUが行う交信はスタンリーには関係ない。今、彼を邪魔するものは、誰一人として居ないのだ。
「くだらないような右翼指導者が跋扈する世界を許せないのは、何処でも同じだ。美しい夜景を持つこの国も、化けの皮を剥せば右派思想に凝り固まった無意味な人種だと言うことを、いやと言うほど知らされて来た」
 三百六十度の全天視界ディスプレイから見下ろす街並み。それを眺め、今度は上を向く。雲一つない晴天に、深く降りた夜の帳が星々の光に輝いている。
 彼は、もう帰ることのできない祖国を想い、震えた。
「過去に幾度と無く戦って来た戦友よ……。朽ち果て、無念に泣いた英雄よ……」
 瞼を閉じる。その暗闇を透き通り、未だ瞳に焼き付いてくる星明かりに、スタンリーは人の思惟を感じた。
 彼をここまで導いてくれた、数限りない盟友達の、歓喜の声だと、そう思えた。
「お前達の心、ここに届いているか? 俺はここまできた。蛆虫のような不必要なクズどもに、今こそ革命の怒りをぶつける時が……!」
 空を見詰め、その明かりが躍っていることに、満足感を抱く。その後で視線を再び下に向けると、彼は微笑を浮かべた。優しく、しかし狂気に満ちた笑みだった。
「祖国を捨てた――それがどれだけ苦しいことだったか、安穏と戦争を画策する愚者どもには理解できんだろう。しかし我々は、その苦しみを抜け出し、新しい祖国を創る」
 コンソールを見る。機体の状態は全てにおいて問題なし。それに満足しつつ、手際良く、所定の作業をこなす。ガギギッ、ガンダムの右肩に固定されていたバズーカ基部を前方に回し、次に左腕のシールドに収容された砲身を取り出すと、基部とドッキングさせた。断続的に発されていた電子音が消えて、コンソールに新たに発生された武器の状態が映し出された。グリーン。
「その為には、くだらん資本主義を掲げ、形だけの民主主義を盾に横暴を繰り返す者共の存在などは邪魔なだけ……」
 コンソール・パネル右手にあるプラスチック・カバーが開いた。他の機体には無いカバーの中には、テンキーが並び、それぞれが小さな圧力を待ち望んでいる。
 右手を伸ばすと、静かに、しかし迅速に、コードを打ち込んだ。6桁の数字にテンキーが赤く、淡く発光すると、確認用のコードをさらに叩き込む。その一つ一つの数字に、否応無しに緊張感が――そして期待感が、膨らんでいった。
「傲慢なる為政者どもよ……。貴様らの時代は終りを告げる。これからは、より洗練された者達の未来がある。だからこそ、お前達は、ここから消えねばならんのだ」
 テンキーの発光が青になると、コックピット内に再び電子音が満ちた。甲高いその音は、これから呼ぶ破壊を待ち望む、彼の同志の歓喜の声に聞こえた。
「RX−78GP02Aよ……貴様も喜んでくれるのだな」
 微笑みを浮かべ、スタンリーは最終調整に入った。バズーカ後部を掴み、ポートを開くと、その巨大な砲身に命を吹き込むべく、一発の弾丸を取り出す。
 ずんぐりとした巨大な砲弾だった。それをポートに押し込み、薬室内にセットする。カバーを閉じて完全に密閉した時、スタンリーは再度、下界を見下ろす。
「これから我々の新しい明日が始まる! ヴォルス・レイズ・デュアリクトの理想を体現する為に生まれた我が心、とくと味わうがいい……それが、今までに朽ち果てて来た英雄達の、死霊達の叫びよ!」
 アトミック・バズーカの照星が固定された。レーザー照準システムによる完璧なスナイピング・ポイントにあるものは、今までのアメリカの権威の象徴。
 複合照準システムの照門が照星と重なった時、スタンリーは最終セイフティを解除していた。同時に全回線をオープンにして、また自らもその高揚を吐きださんと、叫ぶ。
「これは我々の宣戦布告だ、戦慄くがいい独裁者達よ! 故郷たる地球に帰り、我々は理想達成の為に、貴様らを打ち砕かん――!」
 アトミック・バズーカのチェンバー内に入ったMK.82が歓喜に奮えたように思えた。もうすぐその悪魔の力が解放される。レーザー核融合弾の驚異的な威力は原爆の比ではない。その強力な炎が美しい夜景を嘗めとり、拡散する放射能がさらに広範囲の人間を焼き尽くし、有害な電磁波が大気を席捲し、この地球と言う星におぞましいばかりの後遺症を残してしまうことだろう。だが、狂暴な核のエネルギーは、世界の再建への第一歩となる。一瞬間の憎悪と、その後の栄光を思い、彼の同志達は全員が心を奮わせる。全員の心が、貪欲に次の光景を見定ている。
 自分を含めた全ての人間が、息を呑んだ。
 たった一人を除いて――
『やらせはしない……!』
 なに――?
 ヒュン、閃光が駆け抜け、僚機のネモに突き刺さった。
「何だ――!?」
 見上げた時には、灰色の影が視界を通り過ぎている。その進路上に視線を向けると、旋回したウェーブ・ライダーが見えた。右側で爆発。同時に機体下部のビーム・スマートガンが閃光を発し、スタンリーの顔を明るく照らす。
 ゴォッ! 再現された音声が伝えたのは、もう一機のネモが吹き飛ぶ姿だった。左腕を付け根からもぎ取られた機体が宙に浮き、ベース・ジャバーから引き離される。傷口からは鮮血の用に火花が散り、そのすぐ後には小規模な爆発が精密機械を焼いている。ウェーブ・ライダーは空中でホバリングしたかと思うと即座に変形し、残されたベース・ジャバーに着地した。さらに腰部ビーム・カノンで落下しているネモのメイン・エンジンを確実に貫いて、爆散させている。
 余りにも鮮やかな手際に、スタンリーは一瞬、呆然とした。僚機が何の反応も示せぬままに全滅させられている。その事実に愕然としつつ、そんな芸当ができる人物を瞬時に計算している。
「貴様は……!」
 呻き声が漏れたことに、果たして彼は気付いただろうか。
『久しぶりだね、スタンリー・ヒューズ』
 ゼータプラスのスマートな顔がこちらを向いた。武骨なサイサリスとは対極に位置するような冷静な表情をしたガンダムに、スタンリーはあの男の顔が思い出された。
 できれば二度と見たくない顔だった。
「クロスト・グランディオーナか! 何故、貴様がここに!?」
 苦り切った表情でスタンリーが叫んでいる間に、ゼータプラスはスマートガンの銃口をスタンリーに向けていた。それに息を呑みつつ、ヘルメットのバイザーを上げる。
『ヴォルスに聞いてないのかな。僕は解放されたんだよ、それに、君たちの幼稚なお遊びくらいでは、僕は出し抜けない。いつになったら学習してくれるんだい?』
「黙れよ、クロスト!」
 瞬時に向きなおり、スタンリーはサイサリスの右腕をゼータプラスに向けた。アトミック。バズーカの巨大な銃口を向けられたクランだが、その答えは憎たらしいほど冷静だった。ふっ、と一笑したクランに、スタンリーは苛立ち、奥歯を軋ませる。自分の滑稽さに気付いたからだ。
『ここで撃ったら間違いなく君も死ぬぞ、スタンリー。如何なGP02の冷却機構と言えど、核爆発の中心点で、一万度を超す超高熱の中を生き延びる術はない。今、君は圧倒的に不利な状況だ』
 近距離回線だと言うのに、ミノフスキー粒子は電波を撹乱し、マルチ・モニタに映ったクランの映像を歪ませる。映像内の彼はノーマルスーツも着ていない。それでウェーブライダーの音速飛行に耐えて来たクランの強靭さを見せ付けられたことに、それでも顔色一つ変えずに冷静でいられるクランに、スタンリーは更なる苛立ちを覚えた。
 ほぼ膠着状態のまま、スタンリーは、奥歯を噛む。
「……貴様は何故、我々に刃向かうのだ? お前とて政府の腐敗状況は分かっていたはずだぞ。にもかかわらず革命を潰し、意のままに戦争を進めて来たお前だ。俺には、貴様がなにを考え、なにに基づいて行動しているのかが、読めない」
『簡単なことだよ、スタンリー。僕は君たちが気に入らなかったんだ』
 ノイズ混じりの聞き取り難い声だが、その内容は良く分かる。だからスタンリーは眉を顰めたのだ。
「気に入らない、だと?」
『その通りだよ。僕はより高みに行くはずだったんだ。なのに君たちはくだらない戦いを挑んで、その目論見を壊してくれたじゃあないか。僕よりもまず先にヴォルスが居る、それが不愉快なのは自明の理だ、火を見るよりも明らかなことさ』
「相変わらず傲慢なものだな……」
『そうかもしれないね。でも、僕だって、立場的には君たちと同じだ。ある程度の有識者なら、あの構造の弊害なんて簡単に見抜けるものだよ、スタンリー。ただ君たちのやり方が僕には合わなかったんだ』
「確かにお前は昔からそうだったな……だが、正しい様に見えて、お前のような傲慢で余裕に満ちた考えは必ず世界を滅ぼして来たのだよ、クロスト!」
 叫び、即座に桿を前に押す。スラスターが点火して、前のめりに機体が傾いた。それに焦ったようにスマートガンが光条を吐くが、スタンリーは直前で右腕を振った。重心が右腕に移動し、無理矢理、体勢が入れ替わる。スレスレを野太いメガ粒子が通り過ぎ、プラズマの微粒子が、装甲に不可視の穴を開けていった。
 それでも躱したことに変わりはない。左手にサーベルを握らせると、展開したビームで斬りかかった。巨大な盾の影からの斬撃に、ゼータプラスはバルカンで牽制しながらも、スマートガンの銃身でシールドを抑えて、斬撃を阻止してくる。二世代近く前のサイサリスではパワーでゼータに劣っている。そのまま弾き返されそうになった時、スタンリーはアトミック・バズーカの巨大な銃身をハーネスにむりやり固定し、右マニュピレーターにもサーベルを握らせた。
 超近距離で頭部バルカンを斉射、先に放たれていたゼータの六十mm弾に胸部装甲を削られながらも、クランの注意を引き付け、死角を創り出すことに成功した。その一瞬を好機と見て、左腕を弾いて少しの距離を取ると共に右腕を振るう。アポジモーターで微妙に軌道を修正しつつも、刃を形成し、完全に勢いの乗った横薙ぎの斬撃がゼータに襲いかかる。
 だが、灰色のガンダムは、それを防いでいた。腰部ビーム・カノンの射線をサーベルの進路上に固定して射撃すると、ビーム同士が炸裂してスパークした。同時に機体を浮かせたゼータがその衝撃波で後ろに跳躍すると、そのまま変形してホバリングする。
 そこまで確認したところで、スタンリーはスラスターを開放して、背後に跳躍していた。機体を浮かせ、離れていたベース・ジャバーにむりやり着地する。スパークによって一瞬だけ焼き付いたモニターはその役割を果たしてはくれなかったが、頼り無いレーダーの反応を頼って機体を乗せていた。神業的な技量であるが、しかし、一瞬間、視界が無いのは最悪の状況だった。
 ディスプレイが白色から解放されると、殺気を感じて機体をずらしている。だが、その瞬間には、ビーム・スマートガンの光条が下からせり上がり、サイサリスの左肩を貫いた。
「ぐああっ!?」
 肩が小さく爆ぜ、外れた。その衝撃にシートを揺さぶられながらも、ディスプレイを、真っ直ぐに駆け上っていくウェーブライダーが過ぎる。
 左のマニュピレーターは、ワシントンの街中に呑み込まれ、消えた。
 くっ、と呻き、前方を凝視する。捨てたベース・ジャバーに再び着地し、ゼータプラスはそのデュアル・カメラを明滅させた。
『やるようになったよ、スタンリー。でも、今度は、やらせない』
 再びスマートガンがスタンリーを捉える。
 今度は間違いなく、サイサリスのコックピットを狙っていた。
 ぎりっ。強く、奥歯を噛み締め、桿を握り閉めた。
「悔しいよ、クロスト。サイサリス如きではお前のゼータは破れない……」
 マルチ・モニタのクランが微笑んだ。映像の乱れで良くは解らなかったが、スタンリーには、嘲笑にしか映らない。
「だがな、俺はこのままではいない! 必ずや貴様を攻略し、我が胸に栄光を抱く!」
 コックピットの指揮系統をベース・ジャバーに移動させる。そのまま桿を前に倒し、上昇した。
「その時まで、この街の美しい光景は残しといてやるよ、クラン。次は本気で行く!」
 言い残し、スタンリーは上空で待機するザンジバルに戻っていった。未だに解放されないMK.82の破壊力を想定し、再びこの光景に戻ることを誓いながら。
 それが、彼がここまで辿り着くまでに犠牲になって来た同志達への、彼なりの手向けなのだ。

 *

 GP02のテール・ノズル光が真に深い宇宙の闇に呑み込まれていく。その上に待機する巡洋艦が、巨体を震わせながらも成層圏へと登っていった時、クランは一つだけ、大きく息を吐いた。
「余裕、か……。確かにそう演じてはいるけど、僕だって精一杯なんだよ、スタンリー」
 悲しい微笑だ。俯きながらも、敵となった男の言葉を回想している。
「それが解らないようだから、僕たちは互いを認め合えないのかもしれない。でもね、僕はそれでも満足なんだよ」
 コンソールに貼り付けられた写真がある。邪魔にならない様に上だけ止めてあるそれは、クランとセシルが二人だけで写った珍しいものだった。
 嬉しそうに笑って引っ付いてくるセシルと、気取ったように笑んでいる自分。コロニーの山側、森林公園で撮った写真には、雄大な街並みと、美しい空が見えた。平和な光景。時間的には随分と昔のことなのに、それは昨日の事の用に思い出せる絵であり、記憶なのだ。
 無邪気な少女に触れる。彼女はクランの事を、一番良く分かってくれている。
「僕にはセシルが居る。自分を理解してくれる人って、すごくありがたい存在だ。セシルと一緒に居られる事は、僕の最大の幸せであり、これからの為の宝物なんだよ」
 感傷に浸っている自分を嘲った。長らく寝ていたせいでボケたのだろうか。
 いや、寂しかったんだな、と思った。
「そろそろ帰ろうか」
 写真に向って喋りかけてしまったのは、セシルがずっと自分を忘れていなかった事が、嬉しかったのだろう。
 気を取り直して、足場にしているベース・ジャバーの自立制御プログラムに、『巡航』と『自爆』の命令を送り込む。それが済むとゼータプラスをジャンプさせ、即座にウェーブライダーに変形した。
 真っ直ぐに海へと走るド・ダイのテール・ノズル光を横目に見ながら、クランは機体を上昇させている。
 とりあえず日本に帰ったら、玲治と会って、これからを話さなきゃならないだろう。

 4

 頭の上をさらりとした感触が通る。優しい温もりに気付いた時、寝てたんだな、と意識した。同時に瞼を通して伝わってくる強力な明かりに、朝だ、と実感する。
 目を開いた時、奈央の笑みが、見えた。
「起きた?」
 優しい声音に顔を上げる。布団に埋もれていた姿勢で眠っていたのだ。腰掛けたまま前傾姿勢だったせいで、身体の節々が痛い。
「朝か……?」
 自分でも分かっている事を口にした。寝惚けている。
 それが解っているのだろう。奈央は、クスッ、と笑い、
「まだ早いけどね」
 と言って伸びをした。
 東側から強烈な朝日が顔を出してきている。まだ街を照らし始めたばかりなのだろう、窓の外は薄暗かった。それでも目を覚ます事ができたのは、多分、奈央の掌が玲治を揺り起こしていたからだ。
 軽く欠伸をした後で、玲治は奈央を見た。
 昨夜とほとんど変わってはいない。病院のパジャマ姿で、下半身を布団で隠すようにして腰掛けている。寝起きの髪の毛は少し乱れてはいたが、それでも綺麗だった。白い頬に細い眉、厚めの唇なんかは、今まで玲治が接して来た少女と、何ら変わりが無い。
 ただ、それでも、彼女の瞼は赤く腫れていた。玲治の胸の中で思いっきり泣いた昨夜。その証拠を見せ付けられたような気がして、玲治は、夢じゃない事を確認する。
 これは、現実だ。
 現実になってしまったのだ。
(今はまだ静かだ……。でもまたすぐに、悲嘆の慟哭がここを満たす……)
 寂しいと感じた。
 病院は寂しい場所だ。
(辛い現実だよ。まるで自分がこの事態を招いたように思えてくる)
 残酷な大量殺人はこうまで人の心を空虚にしてしまうものなのか。
(もうこんなのはまっぴらだ……)
 ぺたっ、と額に掌がくっ付いた。
 顔を上げると、奈央の顔が、目の前に広がっている。
「どおしたぁ玲ちゃん。暗いぞぉ」
 普段のように笑顔を浮かべる少女。それが悲しくて、玲治は奈央の手を掴むと、そのまま抱き寄せた。きゃっ、と小さく呟いた奈央は、玲治の胸に納まって、抱きしめられる。
 奈央はキョトンとしていた。
「俺が一緒に居る……。ずっと護ってみせるよ、奈央」
 真剣に言葉を口にした。それは一種、プロポーズにも似ていただろう。
 それに対して奈央は、照れくさそうに笑ってから、目を伏せた。
「だーめっ」
 言いながら、奈央は玲治の胸に頭を擦り付けてくる。
「私を言い訳にして逃げないの。玲ちゃんはまだやる事があるんでしょ?」
「そんな……」
 困惑しながら、奈央の顔を上げさせた。自分の方に向かせてから、少女の瞳が潤んでいる事に気付く。苦笑が漏れた。
「玲ちゃんはカッコイイところを他の人に見せてきなさい。皆が羨ましがるような人になったら、私は玲ちゃんの言った事を信じてあげる」
 それは奈央の、彼女なりの呪文だった。安全祈願だ。強がってみせる少女が、玲治には、とにかく愛しい。
 奈央の笑顔に、玲治は言葉が見付からず、ただ黙った。その様子に微笑し、今度は奈央が玲治の頭を抱く。彼女の髪の毛に埋もれ、その香りを感じた。
 奈央は一言、
「大丈夫だよ」
 その一言で玲治はどれだけ救われただろう。
「ありがとう……」
 耳元で呟いた。んっ、とくすぐったそうに、奈央が笑う。少女の白い首筋にキスをして、玲治は、顔を上げた。
「じゃあ、行くよ、俺は」
 微笑んだ。奈央に元気を貰ったから、そんな事もまた、できる。
 奈央も笑った。寂しそうだったけれど、それをむりやり引っ込めたような笑顔だった。
「頑張ってきなさい。待ってるからね」
 うん、と頷く。こう言ってくれる女の子が居る事を、玲治はとてもありがたく感じた。それが幸せと言うものなのだろうと思う。
BACK     目次     NEXT