第三章 「闘いと戦い」 1 後ろに灰色のガンダムを従えたゼータが飛行していると、前方に巨大な機影が見えてきた。それがアウドムラだと気付く事ができたのは、大急ぎで攻撃しようとした所に届いたレーダーの警告音であったのだ。 玲治は余りにも巨大なその機体を見上げて、思わず呟く。 「デッカ……」 アメリカ軍の大型輸送機、C5すらも軽く凌駕するその機影にとりあえず呆然となっていると、マルチ・モニタに男の顔が映った。同時に無線から湧き起こる野太い声。 『セキホ大尉か、すぐに着艦されたし』 「うい。いつのまにか治ってたのね」 『エンジンの交換を要したが、概ね簡単な作業ではあったので。所で後ろの機体は?』 「お客さんです。多分味方だと思うけどね」 『分かりました、着艦許可を出しましょう』 「ありがとう。ありがとついでに、ゾックを拾ってくれないかな。少し離れた海域にいると思う」 『了解、後部ハッチよりどうぞ』 「ういよ」 ウェイブ・ライダーをガルダの後方につけると、ゼータプラスも同じ動作をした。その機体が少しぶれているのに気付いて、慣れてないのかな、と思う。まぁ良いか、とハッチに機体を滑り込ませた。 誘導に従って所定の位置についたゼータ。そのキャノピを跳ね上げて、玲治は外に出た。同時にゼータプラスが滑り込んでくる。ガタガタと振動しながら入ってきた機体に、一瞬だけ全員が緊張した。 「セキホさん、あれは?」 リスが駆け寄ってきた。知らん、と首を振る。その直後に戦闘機のキャノピーが開いたので、全員がそれに注目した。 出てきたのは、赤いノーマルスーツだった。――多分。玲治は初めて本物のノーマルスーツと言う物を見る。身体にフィットした繋ぎの服は保温性と気密性を重視した、宇宙空間での活動を可能とする素材。頭を守るヘルメットにはバイザーが下ろされている為にここからでは顔は分からないが、あの時の整った顔を思い出して、どんな美人なのかと想像してみた。少しちみっちいが、スタイルは良いようであった。 そこまで考えた所で、デッキ内にどよめきが走る。なんだなんだと思っていると、リスが呟いたのが聞こえた。 「ま、まさか…そんな筈はない……」 「な、なに? 何がそんな筈ないの?」 事情が掴めない玲治。しかしリスが振り返るよりも早く、女性が声を発した。 「皆、お久しぶりー!」 うおぉぉ!? と全員がほとんど声を揃えた。同時に女性がヘルメットに手をかける。玲治もこの時ばかりは、おおおっ、とどよめきに参加した。 「むっ!? むくくっ……」 呻き声が聞こえる。なんだなんだと思って見ると、女性はヘルメットを持って何やら焦っていた。 な、何だ、と呆然。 「きゃーっ!?」 キャノピーから滑り落ちて転ぶ女性。その拍子にヘルメットが外れて、固い床に硬い音が響き渡る。 (うわぁ……) やっぱり呆然。 「せ、セシル様ー!」 デッキ内の整備員のほとんどが声を上げた。 「うおおおおおっ……?」 な、何事――? 玲治は他の事で声を上げた。 その間にもスタッフ達は女性の方へと駆け寄っていく。口々に、大丈夫ですか、やら、お久しぶりです、やらを連呼し始めてうるさくなってきた格納庫内。広い空間に響き渡る声に、玲治はどうするかな、と考える。とりあえずクランに会おう、と思った。 「な、リス――」 振り向いたらしかし、彼の姿はなかった。 「………あらら」 リスも謎の一角に固まっているのだろう。適当な相手を探そうと周りを見回すが、玲治の周りに人はいなかった。 (す、隅広は……?) 知った顔を探そうとするが、やはり見当たらない。嫌な予感がしたので集団を見てみると、その中に見慣れた顔がちらほら。 完全に野次馬気分なのだろう。その興奮したような顔を見て、あらら、と思った。 (まぁ、良いか) 前向きに考える。欠伸を一つした後で、ブリッジかな、と適当に当たりをつけた。一応は集団に向って、整備頼んだぞーと声を掛けてみる。その後でエレベーターに乗って、上へと進んだ。 「飛んでるなー」 窓から流れる景色を見て、今日は比較的に良い天気だな、と思う。通路を歩きながらボケーッとしていると、前から人の気配が近づいてきた。 「おや、玲治君じゃないか」 なにやら文書を読みながら、数人のスタッフを連れたってクランが現れる。ういっ、と手を挙げると、玲治は近づいていった。 「飛んだんだな」 「元々、そんなに大きな外傷はなかったしね。応急処置レベルだけど、使用不能になったエンジンは二基だから。他は使えるから、通常航行に支障はないよ」 「あ、そう。ところで、うちの艦隊は?」 「ミノフスキー粒子の影響で主力航行システムがダウンした状態の艦艇ばかりだったから、後を追うのも困難だと思ってね。帰ってもらったよ。その分、有志を集って臨時の整備・オペレーション部隊を編制させてもらったから余り変わらないかな」 「じゃあ、グフとかは……」 「まだ使えそうだったから乗せといたよ。とりあえず、精密機器に対ミノフスキー粒子コーティングは施しておいた。完全に復旧した訳じゃないけど、通常使用には充分耐えられると思う」 「そうか。悪いな」 「いやいやどういたしまして。それより、今後の我々の方針だけどね」 「艦隊を追う、か?」 「その通り。君たちの首都が危なそうだから、緊急事態とさせてもらったよ。ゾックを拾ったらすぐに最大戦速で追うけど、間に合うかは微妙かな……」 「ん、オッケ。ゼータで追う分なら、ガルダよりも早いだろうな」 「戦闘機だからね。整備完了の時点で行ってもらうかもしれない」 「俺は大丈夫だ。それより……」 難しい話をしていると、唐突に後方がガヤガヤと騒がしくなる。なんだなんだと会話を中断して後ろを振り返ってみる一行。すると、中から一人が突出して駆け寄ってきた。凄い勢いで。 赤いノーマルスーツを着たその人物は、良く見るとあの女性だった。長い黒髪を先の方で束ねているので、走る度にそれが揺れている。焦ったように廊下を駆ける姿が、窓を通して陽光に照らされると、その姿は神秘的ですらあった。 彼女はこちらを見ると、パッ、と表情を明るくする。なんだなんだと見ていると、女性は一心不乱にこちらに駆け寄ってくると、スピードを緩めもせずに突進してきた。 「クランー!」 猛烈な勢いで玲治の横を通り過ぎ、クランに向けてタックルする。それに全員がギョッとなった。 「グアフー!」 クランの胸に飛び込んだ女性。それを受け止めるクランの胸。重力に引かれていると言うのに、ベクトルはそれを気にする素振りすらなかった。勢い余った突撃力が、クランを後方へと押しやっていく。どこん、と二人は壁にぶつかった。 「あああああああああああああああっ…………!」 背中を強打したらしく、クランは身を捩って悶えていた。 しかし女性はそんな事は気にならないと言うか気がつかないと言うかとにかくそんな感じだった。クランが全面的にクッションの役割を果たしたのか、それとも本人が鈍いだけなのか。クランの苦しみ具合からすると、恐らく前者なのだろうな、とそんなことをボンヤリと玲治は考える。対照的な二人の様子に、涙の混じった甘えたような声が響いた。 「クラン…会いたかったよぉ、クラン……たくさん、たくさん、心配したんだからね………」 掠れた声は感動を深く滲ませていた。それが、マルチ・モニタ越しに見たあの気丈そうなお嬢さんなのかと目を疑う。まるでようやく母親を見付けた迷子の幼子のように小さく、そして愛らしく見える。彼女の身体が実際に小柄であり、尚且つクランがそれ相応に細身で長身であるが故に、その姿は際立って見える。 そこだけ、雰囲気が和らいでいるように見えた。美しい再会の図。クランも悶えるのを止めて女性の肩を抱く。良い。実に良い絵だ、なんて感動に微妙に涙を滲ませながら、玲治はその美しい空気を、まるで感動ドラマを見る様な心持ちで鑑賞していた。 やがて、クランが女性の肩を掴み、女性はクランの胸から顔を上げる。見詰め合う二人。余りにもあれな雰囲気がその空間を包み込み、うひゃあ、と玲治は思わず目を覆った。 そして女性が瞳を閉じて―― 「君は、誰だったかな?」 クランの素っ頓狂な声で全ての雰囲気もぶち壊し。 一瞬、誰もが呆気に取られた。完全に、はっ? 的な肩透かし。呆然とした空気の中で、クランだけがまじまじと女性の顔を見詰めていた。 まさにまじまじと。そりゃあもう僕こんな人知りません的な勢いで。 「えっ? なに、あのえっと、その、……えっ?」 完全に困惑しているのは女性の方である。そうであろう、と玲治は我に返って思う。すると周りも現実に回帰し始め、周りは俄かに騒がしくなり始めた。 「な、誰って大佐、あの、えっ?」 「誰ってクランさん、セシル様ですよ!」 「憶えてないんですか? 冗談はよしてくださいよ……」 「だって、大佐がセシル様の事を忘れる訳ありませんよね?」 「馬鹿な事言ってないで、はやくセシル様を喜ばせるのが先決だと思うのだが」 その他ありとあらゆる質問攻めに、クランが困ったように瞳を右往左往させ始めた。それを傍観者として眺める玲治。 大変だなぁ、的な思いしかない。なんだか見てて楽しい。 「いやあの諸君、落ち着きたまえ。ここは公平に話し合おうではないか」 「大佐、セシル様の事、まさか忘れた訳ではありますまいな……?」 沈黙するクラン。その首が徐々に右方向に傾き始めた。 『不思議そうな顔すんなよ!』 方々から叱咤が来る。 クランが戸惑ったように首を元の位置に戻し始めた。 それを見ていた女性の目尻に、今度は別の涙が浮かび始める。彼女は信じられないと言う表情を、徐々に信じたくない、と言う感じに歪めていった。 「ひ、酷い…私、クランが変な目に合わされてるんじゃないかってずっと不安で、ずっと会えなかったから凄く寂しくて、これからもずっと会えないんじゃないかって凄く心配で、でも、クランの顔を見れて凄く嬉しくて、ようやく会えたんだぁ、て思って……クランも喜んでくれると思ってたのに………!」 女性の瞳から、涙が零れた。それがすぐに滝の様に流れ始め、彼女はゆっくりと首を振るとクランから離れるように、よろけながらも後退していく。 やがて、耐えられなくなったかのように勢い良く後ろを向くと、 「クランのカピバラー!」 そう叫んで、走り去ってしまった。 「カピバラ!?」 クランが自分を指差しながら目を白黒させる。 (何故にカピバラ……?) 玲治は、長崎で見た不可解な生物を思い出していた。 似ても似つかぬとは、こういう事なのだろうか。 その間にも、女性の叫び声は聞こえている。うわああああぁぁんっ! と長く尾を引いて、廊下を反響していった。次いで、徐々に高度を落とし始める機体に気付く。ゾックを回収する海域まで来たのだろうか。 「ま、待ちたまえ!」 四方八方から非難が集中する場所から、クランが溜まらず飛び出して女性の後を追いかけ始めた。その身体を、減速していくガルダの慣性が襲う。だが、クランは淀み無く走っていった。ついでにその先で、何かが派手に床を叩くビッターンと言う音と、うわあぁぁんっ、と言う悲鳴が上がる。 賑やかだなぁ、と思いながらも、アウドムラの巨体が着水する衝撃に、玲治は少しよろけるのだった。 * ヴォルス・レイズ・デュアリクト。 それが彼の名であった。 目に掛かるくらいの、少し長めの金髪。染み一つない肌。強い意思を感じさせる碧眼。整った顔立ち。平均と同じ位かそれより少し高いくらいの身長。そして、絶対的なカリスマ性。 コロニー・サイド連合を敵として仕立て上げるだけの頭脳と、先読みの鋭さ。常に冷静さを失わず、革命を絶対的な位置から推進してきた政治手腕と、それをやってなお暗殺の憂き目を免れてきた勝負強さ。それら全てを兼ね備えた人間は、まるでフィクションの世界から飛び出してきたような美しい青年であった。 まだ、青年なのだ。三十にも届かぬ年齢の彼がここまで来たのは、正に奇跡としか言いようが無いであろう。 だが、彼にとってこれは必然だった。否、必然の中に生まれた綻びが、ここに来させてしまったのだろう。 自分は生まれるのが早すぎた――ヴォルスは、そう思う。実質、革命は失敗したのだから。その理由は準備が不十分だった事と、何よりも大局にばかり気を取られていた事だろう。何故ならば、革命の発端は彼が画策していた物よりも早く起きてしまったのだから。 小さな事だった。ただ、革命の一員として調子に乗っていたチンピラが血迷って、コロニーの警備軍に対して攻撃を仕掛けた事だ。 最悪の形だった。それでは、内心では連合を見限っていた多数の市民達も、ヴォルス達につく事はない。世論は完璧に彼らの敵に廻ってしまった。 しかも、彼が思いもしない宣伝材料を連合は使ってきたのだ。 大財閥・セラフ家の長子、セシリールである。時代のプリンセスであるその女性が連合軍の一人として、なんとガンダムに搭乗して戦っていたのだ。 民衆が沸いたのは当然であった。さらに厄介なのが、英雄の存在。 ヴォルスと同じ力を持った、連合軍の切り札であるクロスト・グランディオーナは確実にヴォルスを追い込んでいったのだ。 だがしかし、クロストは巧妙であった。民衆の目をセシリールに向ける事で、自分を必要最小限の英雄として、情報を流す事をしなかったのである。尚且つ、あたかもセシリールと自分は関係の無いような素振りをして来た。それが革命軍の動向を狂わせ、結果的に各個撃破されていってしまったのだ。 最終的に、ヴォルスはクロストを捕らえる事ができた。それだけではない。連合軍の最新鋭モビルスーツであるガンダム・タイプを多く取り入れる事ができた。エース部隊であるクロスト隊だ。それを、旗艦ごと接収できたのは有り難い事であった。――が。 ダンディ・ライオンで何とか地球圏まで来たヴォルスではあるが、思わぬ誤算があった。自分の乗っている船が落とされ、さらに捕虜であるクロスト隊の人間を解放してしまった事だ。ヴォルス自身、捕らえられて営倉に放り込まれた。幸いだったのは、彼らを捕まえたのが地球の兵士達であった事だ。連合の人間だったならばヴォルスは即時処刑されていただろう。 後ろ手に縛られている縄。それを切ると、ヴォルスは手首を慣らした。少し引き攣ってはいるが、これならば充分、モビルスーツも操縦できる。 彼は一つ頷くと、後方を振り向いた。 「すまないな、皆……」 ヴォルスの言葉に、しかし彼らは首を振る。全員が覚悟のできた瞳をしていた。ヴォルスを逃がす為だけに囮になる事を、全員が寧ろ誇りに思っているかのような真っ直ぐな眼差しであった。 ヴォルスは、彼らを見て頷いた。作戦開始。 素早く、一人がドアの方へと近づいていく。歯の奥に隠して居たプラスチック爆薬を取り付けると、針金を通す。あとは少量の電流を流す事で、鍵が簡単に破壊された。ガルダの巨躯が動き出した。浮上したのだ。その衝撃に、しかしヴォルスはゆっくりと歩む。外に人の気配が無い事を確認して、彼は飛び出した。 「ヴォルス様、御無事で!」 後ろで男の声がする。ガルダの艦長をやっていた、スパリックと言う男だ。 それに軽く手を挙げる。予定ではあと少しで迎えが来る筈だ。それまでに、ガンダムを奪取せねばならない。 走る。後方で雄叫びが聞こえた。次いで銃声と悲鳴。武装の無い彼らに抵抗する手段はない。すまない、そうもう一度思い、ヴォルスはエレベーターに滑り込んだ。 「お前は……!」 兵士が腰のホルスターから拳銃を抜こうとした。そのコンマで、彼はドアを閉めた。目の前の男よりも、後方からの銃撃の方が危険だと判断したのだ。 銃口が向けられる。そこから火花が上がった。頭を屈めるとすれすれに銃弾が通り、キィンッと耳障りな金属音が響いた。同時に腕を跳ね上げる。裏拳が顎にヒットした。それで脳震盪を起した兵士がよろめくのと、格納庫にエレベーターが辿り着くのはどちらが早かったろうか。開いたドアから飛び出すと、喧騒の中で整備員が各々の仕事に取り掛かっていた。こちらに気付いた様子はなく、彼は左に走ろうとする。だが、目的のゼータガンダムがバラされているのを見て、くそっ、と舌打ちした。反対を向くと、ベットに寝かされる新品の機体が目に入る。 青と白を基調とした機体色に、連邦製のスマートな体躯。ヴォルスは未練を断ちきってそちらに走った。 整備員達はそれぞれの仕事に熱中している。寝かされたままのガンダム・アレックスに気付く者は居ない。彼はコックピットに滑り込むと、エンジンを始動させた。 ウィン。核融合炉に灯が入る。全天モニタが全てを映し、ヴォルスは機体を起き上がらせた。 そこで始めて、整備員達は異変に気付いたようであった。立ち上がったアレックスに、慌てたように全員がこちらを見上げる。ヴォルスは外部スピーカーをオンにした。 「ハッチを開けろ! でなければ、破壊させてもらう」 同時に、アレックスの右腕が跳ね上がった。カバーがずれ、武骨な機関砲が姿を現わす。ライフルとシールドを取る時間はない、そうヴォルスは判断し、機体を前進させた。 整備長の男が何やら口早に捲くし立てる。一人がハッチの近くに行くと、手動で開けた。そこにアレックスを滑り込ませると、スラスターに火をつける。上空へ。そして、ガルダの広い飛行甲板に着地した。 「大丈夫か……?」 陽動のチームが追っ手を防いでくれるだろう。そう思い、ヴォルスはゆっくりと息を吐いた。 追う者が居たとしても、脅威にはならないだろう。アレックスに敵うモビルスーツは、ゼータが整備中の今はこの輸送機には無い筈だ。ならば安心できる。あとは迎えのベース・ジャバーを待つだけだ。 安心した直後に、レーダーが警告音を発した。何だろうかと見ると、視界の先にモビルスーツが立っている。 上に反った、威圧感を与えるスパイク。青の機体に一つ目。武骨なシルエットの陸戦用モビルスーツ――MS−07B、『グフ』がそこに居る。 脅威にはならない筈の機体だ――だが、何故か分からない。ヴォルスの背筋に悪寒が来た。 2 目前に居るのが、よりにもよってあのガンダムだとは、思いたくも無かった。だが、眼前に事実がある。自分のグフではスペック差があり過ぎた。ならばあとは、パイロットがクズである事を祈るしかない。 玲治は決意し、ガンダム――RX−78NT1『アレックス』を正面に捉える。 NT1、つまりニュータイプ専用機。この時代にニュータイプはナンセンスだが、連邦軍が始めて造ったニュータイプ対応機は、アムロ・レイの専用としてのピーキー・チューンで知られている。磁気によって機体の動作をスムーズにし、より運動能力を向上させたマグネット・コーティングを始めとした最新技術が多数取り入れられたモビルスーツは、現代において最も強力な機体である筈だ。 それが何故にこんな所にあるのか。それもまた疑問ではあった。確か、アナハイムが専門チームを創って開発していた筈だ。試作機がこの前に売りさばかれたと聞いたが、よもやこの機体がそうなのだろうか。 グチグチと悩んでいてもしょうがない。そう思い、覚悟を決める。こちらに気付いたアレックスも臨戦態勢を取った。玲治は後悔する。 (とっとと仕掛けときゃ良かった……!) 左マニュピレーターを上げる。機関砲の斉射で敵を牽制。 その後でスライド移動をした。すぐ横で弾着。アレックスも機関砲を撃ってきたのだ。 「卑怯だ、くそ!」 毒づく。九十mm弾がシールドに弾けた。 遠距離戦は不利。瞬時に判断すると、一気に間合いを詰める。相手にライフルはない。機関砲ならばシールドで防げる。そう判断しての肉薄だった。 マニュピレーターをシールドに突っ込む。そこから抜いた柄。それを振りかぶった時には、セラミックス系重金属分子が灼熱した刃を形成していた。 下ろす。勢いの乗った上段が、しかしビームの刃に防がれた。ランドセルについた「懐中電灯」が一本消えてるのを見て、いつの間に、と歯噛みする。 プラズマの干渉が、双方の間で弾けた。反発する力が互いを引き剥がす。 「ちっ!」 反動を利用して後方へ。接地と同時に重量を前に乗せ、踏み込む。横一線の斬撃はしかし、紙一重で避けられた。同時に振り下ろされる刃。マニュピレーター部分をシールドで抑え込み、ベクトルを流して蹴りをくれた。 よし、と思う。が、次にはコックピットが揺れていた。 ぐああっ! そう呻いて、アレックスの頭部から引かれる火線に、油断した、と自分に激を飛ばした。何やってんだ、俺は! 自分が劣勢に立たされている事を感じる。後退り、機関砲の牽制。体勢を立て直したアレックスが、ステップと同時に斬り込んでくる。防御。拳が振るわれる。シールドを挟んで受けた。 突き。躱される。薙ぐ。受け止められた。機体を回転させて、もう一薙ぎを敢行するが、逆に手首部分を抑え込まれた。 アレックスのデュアル・カメラが明滅する。ほとんど密着した状態のまま、頭部バルカンが放たれた。それにアンテナを削られながら、スラスターを点火。思いっきり踏み込んで、肩のスパイクを突き立てた。 ガァンッ! 音が再現され、アレックスが吹き飛んだ。バルカンに当てられて掠れながらも、メイン・ディスプレイはまだ生きている。もう一息だと思って大上段に振りかぶった。 それが仇となる。下から蹴り上げられ、体勢が崩れた。その隙を見逃さず、アレックスが立ち上がって横薙ぎにビームサーベルを振るった。 咄嗟に左のマニュピレーターを挟み込んだ。グフの専用シールドが超高熱の微粒子束にぶつかり、溶解する。鉄が瞬時に原子へと分解され、イオン臭が空気に満ちた。 「くおっ!?」 シールドが切り裂かれ、腕部にビームが突き立った。摂氏数千度のサーベルが機関砲の残り弾薬に発火させてしまう。暴発が腕を包んだのを感じ取り、玲治は左腕を肩から切り落とした。それと同じタイミングで後退し、爆発から免れる。 一つ、息をつく。その後で正面を向いた時に、目前にアレックスが迫っていた。 「うわっ!」 咄嗟に防いだ。弾かれる。同時に振りかぶり、同じタイミングで打ち合う。プラズマでモニタが焼き付きそうになった。それに目を細めながら、今度は後退。正面をビームが通過し、装甲に不可視の穴を開けていった。 敵に隙が生まれる。それに踏み込むが、左腕が上がっているのを見た。 危ない――直感する。機関砲の銃口が覗く。スラスター点火。前のめりにジャンプすると同時に銃弾がばら撒かれ、脚部サブ・スラスタがイカレた。 それでも、何とか空中で体勢を整える。移動中のガルダの上で――強風が吹き付ける不安定なその場所で、しかし玲治は神業的なバランス感覚を発揮した。 アレックスが起き上がった。それに、ヒートソードを投げ付ける。それを弾いた瞬間に、行ける、と思った。 右マニュピレーターを振る。高分子重合物が集合し、鞭を形成した。電磁パルスの放出。表面が発熱し、容易にアレックスに届いたヒート・ロッドが確かな手応えを与えた。 ギャアアアッ。火花を上げて、アレックスの右肩からマニュピレーターが落ちた。 鞭が戻ってくる。それを収納し、玲治は笑みの一つも浮かべない。額に浮いた脂汗をも意識せず、彼はグフを走らせた。 アレックスが、もう一本のサーベルを抜く。そして、駆けた。肉薄。交錯した両者の間で緊迫が弾ける。 「くっ――!」 グフが倒れた。駆けたままのベクトルを残したまま、切断された右足が機体を支えられない。前のめりに転倒し、飛行甲板に接触する。 アレックスが起き上がった。その頭部に走る傷に、アンテナの片方が欠けている。同時にメイン・カメラにも裂傷があった。グフのヒート・ロッドが熔断した痕だ。それしか、つけられなかった。 玲治は歯噛みする。アレックスのデュアル・カメラが明滅した。サブ・カメラに視界が移行したのだ。 それとほとんど同時に、アレックスの機体に鉛弾の雨が吹き付けてくる。横合いから飛んで来た百二十mm弾はザクマシンガン。平田達がようやく援護にきたのだ。 「遅ぇよ!」 怒鳴る。視界では、アレックスが機関砲で牽制している所だった。 ピコーン、グフに通信が入る。驚いた事に、それはアレックスからだった。 なんだ、と思う。だが、答えるよりも先にマルチ・モニタが開いて、白人の男が顔を覗かせた。 『素晴らしい腕の持ち主だ。最期に名前を聞いておきたい』 低めの声だ。だが、彼の外見を損なう物ではなかった。 「……石穂 玲治、大尉だ」 『そうか。私はヴォルス・レイズ・デュアリクト。革命軍の指導者だ』 映像にノイズが走る。ミノフスキー粒子が散布されたのか。 『ここは苦しいからな、退かせてもらう。運があるならばまた会えるだろう』 さよならだ――そうヴォルスは言った。その意味に気付き、顔を上げる。途切れ途切れになったレーダーから、航空機の機影を確認した。 「っ、待て!」 グフを起き上がらせようとした。だが、その前にアレックスの頭部バルカンがグフのバックパックを叩く。ランドセルが小爆発し、その振動にコックピットが激しく揺れた。くぅぅっ、と呻く。だが、と思って無理矢理に上半身を起すと、ヒート・ロッドを飛ばした。 アレックスが地を蹴る。電磁鞭がそのスレスレを掠って、ザクマシンガンの弾丸が当たらない火線を引いた。空中に身を躍らせたガンダムの機体を、飛来して来たベースジャバーが拾って、急速で離脱していく。 「くそっ!」 ザクが鉛弾を射撃するが、無駄だった。視界の中を離脱したアレックスの後を目で追い、玲治は屈辱にコンソールを叩いた。 3 「ヴォルスが居たのか……」 小さく、溜息が聞こえる。 そのクランの様子を見ながら、玲治は呟いた。 「……すまん」 「ふむ。とりあえず、君が悪いと言う事で決着しようか」 クランは堂々と胸を張る。 「違うでしょうが!」 クランの横に立っていた男が、彼の頭を引っぱたいた。スパコーン、と小気味の良い音が聞こえる。 それに、心外だなぁ、と言う表情を浮かべると、クランが言った。 「責任を全て引っ被ってくれると言ってるんだ。その好意に甘えようと言うだけじゃないか」 「また、大佐は……!」 男は盛大に溜息を吐いた。 それを無視して、クランが向き直る。 「ま、一概にどちらが悪いとも言えないのが現状かな。捕虜を確かめなかったこっちも悪いし、適当に放り込んでおいたそっちにも落ち度はあるだろう?」 「ああ……。ろくな身体検査もしなかった様子だ」 「しょうがないと言えばしょうがないだろうね。日本軍の実戦経験は少ないから、基本的な部分でミスが生じてしまうのも頷ける。これも経験だろう」 「そう言ってくれると、助かる」 玲治が頭を下げると、お互い様、とクランが笑った。その後で振り返ると、 「早く消毒を済ませなさい」 男に向って言う。やってます、と反論が帰って来たが、クランは表情一つ変えずに、 「セシルをあそこに閉じ込めとくのも可哀相だろう」 後ろを指し示しながらマジメな顔で男の顔を見詰めた。 「閉じ込めたのはあんたでしょう……」 はぁ、と再び盛大に溜息を吐いて、男は消毒作業に戻っていく。 ふんっと胸を反らして、クランはそれを見送った。彼の後ろでは、しくしくとすすり泣く声がドアを通して聞こえてきていた。士官室に閉じ込められた、セシルと言うらしいあの女性の声だ。 「なんで閉じ込めたんだ?」 当然の疑問。その後に、てか思い出したのか、と更なる疑問が続いた。 それにクランは笑いながら、 「思い出すも何も、あれは芝居に決まってるじゃないか」 当然だろう、と言うように胸を反らす。芝居に見えなかったんですが――と、玲治はそう呆れた。 「閉じ込めたのは、危険だったからだ」 少し真面目な顔になって、クランが言う。革命軍の捕虜が脱走した時、クランは咄嗟にセシルを自室に突き飛ばし、外からロックを掛けたのだ。 「じゃ、今は出してやっても良いだろう」 「駄目だ」 強い口調だった。クランにしては珍しい感情の発露に、玲治は目を丸くする。 「セシルに血を見せる事はしない。あの子は純真なんだ」 「じゃあ、何で軍人なんかに……?」 「僕の後を追って来たらしい。士官学校から幹部候補生になった辺りで、セシルの士官学校入校を聞いた」 苦々しそうに、クラン。彼は溜息を吐いて、 「平時だったらまだ良かったよ。でも、正式に入隊した僕とセシルの卒業が重なってね。僕らの上司が、セシルの昔の執事だったんだけど、その人の忠告も聞かずにセシルが前線に出たがったらしいんだ。そこで仕方なく、セシルは僕の隊に入ったんだが――その直後に、革命運動が起こった訳さ」 クランは溜息を吐いた。その内心の複雑さを読み取り、玲治は静かにクランを見詰める。 「大変だったんだな」 「ああ、大変だったよ。未来の大将たるこの僕が、最前線でモビルスーツを使用する羽目になるとは露も知らず……」 「えっ、そっち?」 「当然だろう。一隊の隊長を任されて、母艦から作戦を飛ばしていたんだぞ。それが、セシルのお守りだってモビルスーツに乗せられて、一番危険な囮をやらなきゃなら無くなったんだ。これじゃ将来の為に戦術を学ぶどころじゃないんだから」 「ええっ!? 好きな女を護る為とか、そういう事は考えなかったんですか?」 「はははっ、嘗めてもらっちゃ困るよ。戦時中だろう? 上の方が利用できる物は利用しようとしたらしくてさ、セシルには母艦で安穏してもらおうと思ったら、政府がプロパガンダにあの子を使ったんだよね」 「プロパガンダ?」 「セシルは財閥令嬢なの。そんなお嬢様が第一線で戦ってる所を宣伝して、民衆の士気を高めようとしたんだよ」 「セコイと思うんだがなぁ」 「でも効果は凄かったんだよね。なんせ僕の戦隊だろう、部隊で合わせれば戦果は凄かったんだからさ」 「自分で言いますか」 「自分で言いますよ」 「だが、最前線で戦わせてたんだろう。危なかったんじゃないか?」 「最前線は僕だけだ。セシルの為だけに、ベアーが三隻の艦隊にしてくれたもんだから、その大半をセシルの護衛に回して、しかもセシルを最新鋭のゼータプラスに乗せたんだ。御陰で、僕は黒マークUで戦う羽目になったよ」 「ガンダムだから良いじゃねぇか」 「駄目だよ、相手は可変モビルスーツやモビルアーマーの類いが多かったんだから。革命因子がそこら中に居たもんだから、軍部や企業からそっちにどんどんと兵器が流れていった事情があるんだ」 「明確な国ではない為に起こるゲリラ戦か……」 「その様な物だね。対宗教の戦いみたいな物だったけれど、問題は人種やら何やらが全く関係なかった事」 「誰でもその思想に共感し得る、か。しかも相手はクーデターではなく革命だ」 「そうなんだよね。どんどん勢力伸ばしていくのを食い止める為には、世論をこちらに回さなきゃならないから」 「だからこそのプロパガンダ」 「御名答。だけど、僕はセシルを戦わせたくなかった」 「どういう事だ?」 「言っただろう、大半をセシルの護衛に回したんだ。あの子には戦闘ではなく作業をやってもらってた。実戦は僕を含めた数人で行ったよ。当然、被害も大きくなったけどね」 「そうか。それ程までに、あの女性を……」 「大切にしてる。セシルには、人殺しはさせたくないから」 そういうと、クランは悲しそうに首を振った。その表情が悲しみに満ちているのを見て取って、玲治は少し複雑な気分になる。 責任を感じてるんだろうな、とそう思った。 「セシルは既に一機のモビルアーマーを撃破していた。本人がはしゃいでたから事実なんだろうね。初めての戦果に喜んでいたけど、それはまるでゲームに興じる子供のようだったよ」 「モビルスーツ戦の弊害だ」 「経験者ならやっぱり解るか……あの狭いコックピットだから、どうしても現実感が無くなってしまう。特に士官学校出だから、シュミレーターの感覚がどうしても残ってしまう。相手の顔が見えぬままに強力な兵器を振るうと、新兵に人を殺した感覚は無くなってしまうのは周知の事実だ」 「肌で感じる事が無いからな。ゼータのコックピットが快適だったから、それは余計にそうなるだろうな」 「やっぱり、それが一番怖かったよ。できればセシルにはモビルスーツには乗って欲しくない」 「じゃあ、お前がやれよ」 乗れるんだろ、と言外に含ませる。クランは微笑を浮かべた。 「そうだね。なるったけそうするよ」 はははっ、と声を出す。クランはその後で廊下を見た。 「……消毒は済んだようだね」 「死体はどうするんだ……?」 革命軍兵士の脱走。たった一人の指導者を逃す為だけに、彼らは自らの命を捨てた。艦内の銃撃戦はブリッジ付近で行われていたが為に、クランの部下も少なからず犠牲が出たのだ。そして、捕虜達は最後の一人まで抵抗を止めようとはしなかった。その壮絶な戦いの爪痕は、そこかしこにある銃痕やこびり付いた血痕からも見て取れる。彼らの執念は、玲治の想像を絶していた。 同時に、これらの全てが現実である――そんな実感が玲治を震わせたのだ。 「捨てるよ。全部ね」 クランが言う。平然とした様な態度だった。 「彼らを弔おう。海に沈めても構わないだろう? 皆、自分達が生まれた土壌の中で吸収されていけるんだ。スペースノイドだった僕らにとって、これは幸せな事なのかもしれない」 いつもよりも饒舌になっている。クランの言動から、彼の痩せ我慢が理解できた。 これが戦争だ、と。そう玲治は思う。モビルスーツによる正攻法の白兵戦だけではない、本質は命の消失にある。消えていった生命を見届ける事をせねばなら無いのが、戦いなのである。今大戦で自己主張も無くアメリカに付き従い、そして自分に犠牲が出ないように援護だけをやって来た日本は、恐らく世界でこの思いが最も希薄な国であろう。だからこそ、現実が重い。 「急ぐぞ。少し、時間が無い」 焦りが心の中に生まれるのを、どうしようもなく思う。世界で唯一、核を食らった国。故にその恐ろしさを理解している筈なのに、この平和ボケは何だろう。それらが幾ら何をやった所で、奴等の狙いは砕けないのではないか。 あの艦隊が何を狙っているのかは分からない。だが、止めなければならないだろう。そして、止められるのは日本国民の中でも限られている。自分がその中の一人である事を実感し、恐怖した。 願わくば――この禍根を最期に、自分の戦いを終わらせたい。 「……すまない、セシルを呼んでくる」 クランの言は、落ち着け、と言っているように聞こえた。 4 少し薄暗くなった水平線を見据え、もうすぐだ、と思った。日本軍の軍事衛星に繋いで、リアル・タイムでの海図・海域地図をデータとしてコックピットに送っているのである。衛星が上空で敵艦艇を捕捉し、追尾している。その場所に向けて、玲治はウェーブライダーを駆っていた。 そこだけ電波が届くのは、ミノフスキー粒子が散布されていない証拠だ。即ち、巡航ミサイルを撃ち込む準備をしている状態なのである。 彼らが撃ち込むのは、トマホークの通称で知られる巡航ミサイル――BGM109、核弾頭搭載型のAタイプ。有効射程で二千四百キロメートルと言う化け物のような距離を支配範囲とするミサイルだ。打ち込まれたデータで慣性飛行しながら、自らのアクティブ・センサーで地形を照合・解析し、確実に目標位置まで到達できる最高級の艦載誘導弾である。現在、小笠原沖付近にまで到達している彼らならば外す事の無い距離だ。 何故、有効範囲に入った時点で撃たなかったのか。そして、なぜ日本に撃ち込むのか。それらの疑問も無い訳ではない。他の先進国周辺でミノフスキー粒子が散布されたあとは発見されていないし、衛星軌道上からそれが捕らえられない筈が無いのである。なぜならば、そこだけ電波の空白地帯が出現するからだ。 ミノフスキー粒子は拡散率が非常に高い。それゆえに長時間留まる事はしないが、逆に敵の目を眩ませるには常に散布せねばならないと言う問題が生まれる。電波の空白地帯を辿る事で、彼らの足跡を追跡する事が可能なのだ。その様な状態にある場所が、玲治が追っている艦隊の進路以外には見えない。 そして、今やそれは艦隊では無くなっていた。 目標はたった一隻の艦艇になっていたのである。艦艇を護っていた、ザンジバルなどの空中艦は姿を消している。それが何故かは分からない。だが、事実はたった一隻の艦艇が太平洋側で東京を狙っていると言う事だ。 その艦艇が、退役したアメリカの旧型艦である事も判明した。ついこの間に売却されたミズーリと言う駆逐艦である。それは元々は戦艦として活躍していた物で、巡航ミサイル発射機構も当然備えられた艦艇だ。 危険を肌で感じる。玲治は緊張感の中で、昂ぶりよりも焦りが強い事を自覚していた。既に目的の艦はゼータのレーダーに捉えられている。後は、視界にそれを捕捉できれば―― 雲を突き抜け、ウェーブライダーの機首が降下する。対流圏を越え、一km以内に捉えられたミズーリが見えた。その垂直発射管のハッチが開いたのを見て取り、くそっ、と毒づく。だが、間に合わない訳ではない。 「間に合えー!」 咆哮も同然の叫び。夕陽に輝いていた海面が雲に少し隠れると、MVLS(ミサイル垂直発射管)に閃光が咲いた。反射的に機首を持ち上げると、噴煙が艦艇の一画を包んだのが、ゼータの全天モニタに映る。 上空高くに舞い上がる誘導弾。それが巡航用の水平翼を開くと同時に、玲治はゼータを変形させていた。 水平に角度を変えたミサイルに向けて、ビームサーベルを振るう。金属を融解させた超高熱の刃が、接触面に盛大な火花を散らせた。それに、スクリーンが焼き付かないように光量を落とす。だが、ミサイルは停まらない。玲治はゼータの頭部を進行方向に向け、バルカンを連射した。 一瞬の暗色から視界が回復する。神業的な正確さで弾頭のみが切り落とされたトマホークAが、六十mmの弾丸に貫かれた。推進燃料に成形炸薬弾の爆炎が引火し、空中で炎上・四散する。同時にプルトニウム型の核弾頭が海面に吸い込まれた。広島型の二十倍に近い破壊力を持つ、二百キロトンの核弾頭が深海に姿を消すと、ようやくと言うように玲治は安堵の溜息を吐いて、重力に引かれるゼータの機体を減速させた。 ガアンッ、と衝撃にシートが揺れた。ミズーリの甲板に降り立ったガンダムが、そのデュアル・カメラを光らせる。艦橋に居る人間達への、これは脅しだ。 コックピットに入電がきた。接触回線を使った電子文を開くと、英語で短くこう書かれていた。 『我、投降せり』――。 当然だな、と思う。同時にレーダーを確かめるが、アクティブ、パッシブの両方に反応はなかった。ミノフスキー粒子の妨害やECMなんかも無い事を確かめ、これが本心である事を信用する。 艦橋と回線を繋ぐと、玲治は武装解除を勧告した。それに素直に従うと言ったのは、艦長らしきアジア人だ。それはアラブ訛りの酷い英語で、早口に玲治に返答して来た。 これで良いだろうな、と思う。深くシートに身を沈め、実感の沸かない終了に対して溜息を吐いた。呆気なく、また虚しさが残る。 聞かれて困る内容じゃないよな、と玲治は思った。それでレーザー回線を使用したのだ。アウドムラとはすぐに繋がった。 『玲治か……落ち着いて話を聞いてくれ』 直で艦長専用の回線に繋がった事に玲治は驚いた。そして、前置きも、また称賛も無しにクランが発した言葉は、彼を混乱させる。 「どうしたんだ」 『そいつらの攻撃に合わせて、日本各地でテロ攻撃が起きたらしい。各原発やバッチ・サイト、主要基地や国際空港がそのターゲットだったらしいが、海保や軍、警察機関の事前の準備で被害を最小限に抑えたんだが……』 被害があったのは、那覇の航空隊基地や千歳陸軍基地、根室・佐渡・宮古島の各レーダー・サイトであるらしい。それも、展開されていた警備隊によって大規模な損害は免れたと言う。 『今回もっとも被害が大きかったのは、東京の地下街だ』 知っている。日本で最も巨大な地下街だ。新宿から池袋まで、直線距離で約4.8kmと言う長さを網羅し、最深階層で地下五階。そこに通じるゲートの総数は二十四。その巨大さは呆れ返るほどである。玲治は奈央に、デートだとここを引っ張り回された過去があり、それ以来そこには余り近づいていない。 「そこに、何があったんだ……?」 『神経ガスだよ。換気扇に滑り込ませ、地下街に居た人々を無差別に殺戮した。空気よりも重いガスだったらしく、更にそこまで多い量が撒かれた訳じゃないから限定された区域で、全滅と言うのは免れたみたいだけれど……それでも死者は五百人を越えるだろうって言われてる』 「くそっ!」 クランの言葉を遮り、玲治は怒りにコンソールを殴った。自分の無力を突き付けられた気がする。 そんな玲治の様子を見て、クランが一瞬だけ言葉を紡ぐ事を躊躇った。だが、思い直したように顔を上げて、冷静な口調で言う。 『だから、落ち着いて聞いて欲しい、玲治……』 「なんだよ!」 衛星通信の電波を拾って、その情報をモニタに映し始める。どんな状況なのかを知ろうと、彼は焦りを浮かべた。自分の知らない所で進んでいく現実を、必死に追いかけようとしているのだ。 『……病院に搬送された被害者の中に、熊谷 奈央の名前があった』 ――えっ……? 冷水を頭から浴びた気持ち、と言うのを玲治は始めて体感しただろう。 全身の血の気が退いて、玲治は自分の目を疑った。 見付けたのだ。クランが言った直後に、玲治自身が被害者名簿の中にその名を。 『熊谷 奈央』――彼の最愛の女。 『君の、恋人だろう……?』 クランの声は聞こえていなかった。ほとんど反射的に甲板からゼータを跳躍させると、即座にウェーブライダーへ。最高速度で戦闘機を発進させると、恐ろしいほどの加重に肋骨がミシミシと悲鳴を上げた。同時に、急な高速運動に息が詰まる。呼吸が上手くできずに、喉が喘いだ。 しかし――彼はそれを、感じない。 『玲治、落ち着いてくれ。こっちも羽田の方に向う。君もそっちに行って欲しい。きっと大丈夫だから、自分の身を一番に行動してくれ――』 クランの声が虚しく響くコックピットの中を、玲治は地獄の様に感じていた。 予期せぬ最悪の結果が、彼の心を蝕んでいるからだ。 * 東京の巨大なジオフロント。池袋ゲートの一階と二階の間にある休憩場で、公衆電話に張り付いている少女の影があった。 降ろせば肩を少し越えるくらいの、色素の薄めな茶色の髪の毛――染めたような物ではないので栗色に近いが、それは生まれつきの色だ――を後ろで纏めてアップにしている髪型。最近では古いと言う感覚のある語彙ではあるが、世に言うポニーテールと呼ばれるものだ。小作りな顔に、不機嫌そうに眉根を寄せた熊谷 奈央は、はあっ、小さく溜息を吐いて、受話器越しの相手に再び言葉を残す。 「じゃあ、まだ来てないんだ……うん、大丈夫だよ。帰って来たら思いっきりいびってやるつもりで居るから。……あははっ。玲ちゃん、ホントに何やってんだろうね。……うん、もうすぐ帰るから。……お母さん。良い大人がそんなに心配しないの。それじゃ、後でね」 カチャン、と受話器を置くと、出て来たテレフォンカードを手に取る。それの残度数が5を過ぎているのを見て、これも買わせてやろう、と思った。 腕時計に目を落とす。日没までもう少しだから、今から帰宅ルートを通っても夕飯には充分間に合うだろう。奈央はそう考えてまた溜息を吐いた。もう、と口の中で小さく呟く。 (何やってるのかなぁ……) 玲治の事を考える。昨夜に電話があって、帰れるよ、と連絡を貰った。それに浮かれて待ってたのに、さっき到着した輸送機や輸送艦に玲治は居なかったと言う。防衛官僚の父が言ったのだから間違い無いだろう。父もまた、その関係で庁に行ってしまったらしい。 (どうなってるのよ。人様に心配かけるなんて、玲ちゃんのクセにナマイキだなぁ。これは、帰ってきたらいっぱい、いっぱい――) ――どうしよう、と思った。特に何か思い付かない気がする。奈央は眉間に皺を寄せて考えた。 (三日くらい口も利いてやらない、とか?) 駄目だなぁ、と思う。これは自分が耐えられそうにない。もう彼是、二十日近くは彼に会っていないのだから。 (じゃあ、三日間エッチ禁止……?) 思い付いてすぐに、自分の顔が上気したのが簡単に理解できた。 (これじゃ、まるで期待してるみたいじゃない……) 階段を上りながら、奈央は一人で頭を抱えた。 (うぅ…なんで玲ちゃんが悪いのに、私が悩まなきゃいけないのぉ……!) そうだよね、と顔を上げて、奈央は決意する。 (ケーキを奢ってもらおう。いっぱい食べるぞぉー!) 一人、少女は拳を握った。満17歳と、青春真っ盛りの奈央は、自分の思考能力を単純化する事で問題の解決を簡単に図るように自身を仕向けたのである。 じゃあ、と思う。自分の知っている中で、何処が一番高くて美味しかったかな――? あれこれ悩みながらも、一階の階段に脚を掛ける。上を見上げて、ふと思った。 (美柚ちゃんはもう来てるかな?) 今回、一緒に買い物をした友人だ。アクセサリー店で気に入った物を買おうかどうか迷っていたので、奈央はその隙に公衆電話に走ったのである。ゲート前で落ち合う予定だった筈だ。 「やる事も決まったし、早く帰らなきゃね!」 言葉に出して、奈央は足を踏み出した。そのまま、玲治に奢らせる事を少し考えている。 少ししてから、あれ? と思った。 上を見上げた時に、先程と目線がほとんど変わってなかったのだ。階段を上った筈なのに、自分は全然進んでいない。 どうしたんだろう、と意識をそこに集中して、太腿に力を入れる。一歩が酷く重く感じて、奈央は全身のダルさに気がついた。同時に、熱に浮かされたかのようにボーッとする頭が視界を霞めている事にも。 (えっ――――?) あぐぁっ――と、誰かが、呻いた。遠くなりかけた聴覚が小さくそれを捉えると、奈央は苦労して背後を振りかえる。 その時には、呻き声は階層の中に広まっていた。誰もが苦しそうに顔を歪め、中には床に蹲っている者まで居る。 どうしたんだろう、と思った。奈央自身、酷く呼吸が苦しい。お腹に鈍痛が来て、少女はその場に屈みこんだ。そして、見る。 薄っすらと漂う、何かの気体だった。そこだけ空気の色が不自然に感じたのだ。だが、それを見たからと言って奈央に何が起こったのかは分からなかった。 はあっ、と大きく息を吐く。 (苦しいよぉ…誰か、助けて……) 薄っすらと開いた瞼が、ゲートの出口を捉えていた。そこに手を伸ばして――いや、伸びなかったのだ。宙を掻こうと意識した腕は硬直したように動かない。それだけでなく、全身の筋肉が麻痺していた。甲高い高周波が耳の奥で静かに鳴り響いているのだけが、感じ取れる。 (助けて、ください……お母さん) 首が力無く垂れ下がり、奈央は全身を横たえていた。頬にコンクリートの冷たい感触が感じ取れるような気がしたが、実際は階段の段差でそこを切っていたのだ。その熱さすらも、彼女には感じ取れない。 心に空虚な穴が空いた気分だった。そして、その深淵の中に奈央は一つの影を見る。 (れ…い、じ……――) 優しく微笑んでくれる青年の顔が横切ると、奈央は瞼を閉じる。自分の口元に微笑が浮かんでいるのではないかと、そう思った。 |
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