Chapter4 『エマ・シーン』


 モビルスーツドックで“リック・ディアス”の簡単なレクチャーをすませたカミーユは、昼食をとろうと食堂に来て、そこでエマ・シーン中尉を見つけた。同じグラナダ市からの脱出組という親近感を勝手に持ってもいたし、エゥーゴへのスカウトも半分は彼女がしてくれたようなものだ。それに、この艦で真っ当な会話が成立しそうなのはクワトロ大尉とアストナージ曹長、そして彼女しかいないからカミーユが声をかけたのは当然の成り行きだった。
 「エマ中尉は、これからどうするんです?」
 バゲットを四分の一とサラダをトレーに乗せたカミーユは、エマの向かいの席に着いた。
 「カミーユ少尉。監視員がいるっていうのは、どの任務にも就けないってことでしょ。私がティターンズのスパイだってなんの不思議もないんだから」
 エマは悪びれることもなければうんざりした様子でもなく、食堂入り口の監督官を目でしめした。
 カミーユのようにもともとエゥーゴに利用されていたような連邦の士官であれば警戒されることも少ないのだが、ティターンズのメンバーであったとすれば簡単に信用されるわけもない。監視員をつけられ、その期間を知らされずに組織の中を泳がされることになる。プライベートも極端に制限されるほどの生活をしなくてはならない。尤も、強奪作戦をエマに持ちかけたのはエゥーゴ側、クワトロ・バジーナ大尉だという経緯があるから普通よりも期間は短いのではないかとエマは言った。
 クワトロは“リック・ディアス”や“ゼータ”の開発に携わっているから開発士官だとばかり思っていたが、モビルスーツを華麗に扱ってみせたりもするしスパイのようなことまでするまさに何でも屋だとカミーユは感心した。ただ苦労性という言葉は、クワトロ大尉のためにあるのかも知れない。富は得られるかも知れないが、貧乏くじを引き続ける人なのではないかと漠然と思った。
 「奥さんはいないって言ってたけど、恋人はできても結婚はできない人かもな。奥さんになる人、可哀想ですよ」
 「それは、我々軍人ならみんないっしょじゃないのかしら?」
 それでもエマは、カミーユの洞察にのどを鳴らして笑った。彼女も思うところがあるのだろう。
 エマ・シーンのようなしっかりとした人というのは、どこそこ子供というかともすればマザコンではないかと思えるクワトロには合うのではないかとカミーユは思った。
 「いい男だから、女の人はほっとかないって気がしないですか?」
 「それ、私をあおっているつもりかしら?」
 小首を傾げて、エマはカミーユの瞳をのぞき込むようにした。
 「そんなんじゃないですよ。中尉がどんな人が好みなのかって、興味があるのは認めますけど」
 カミーユは狼狽しているのを隠しきれなかった。
 「私こそ、結婚できるのかしらね」
 とエマは嘆息した。女だてらに軍人、それもモビルスーツのパイロットになってしまったら、男が寄ってこないというよりも男に寄りかかろうという気分になれなくなったと自分の心境の変化に驚嘆しているのだという。
 「フェミニストには怒られそうですが、戦うとか戦争とかってもともと男のものですからね」
 エマの職業選びを否定するつもりではないが、これはカミーユの経験則である。
 一年戦争後は、女性の軍などの国防関係への進出が加速的に増えていた。
 それは、旧世紀末期に権利だの平等などといってブームになったものとは賦質を異にしている。
 一年戦争最初の一ヶ月で、地球圏は人口の半数を失ってしまった。ジオン軍による地球へのコロニー落としがその最大の原因であり、その後の各サイドへの侵攻により多くの将兵の命が奪われたのだ。テクノロジーの進歩が大量殺戮を可能としたということでもある。
 士官学校や兵の採用基準は引き下げられ、体力面で不利だった女性の増加を招くことになる。モビルスーツに限らず女性のパイロットは稀有であったが、全体の三割に迫っていた。
 エマ・シーン中尉もそんな中のひとりである。
 そんな中のひとりではあるが、一年戦争という要因が無くても彼女は軍人になっていたのではないだろうか。
 それは、今回の“ガンダムマーク2”強奪事件に協力したことから証明できる。
 「私は、三十番地事件の実行犯なのよ」
 そして、だからエマ中尉はティターンズを見限ったのだと、その事実に驚くよりもさきにそう思った。ティターンズが毒ガスを使ってコロニー住民を虐殺したから裏切ったのではなく、自分がその片棒を担いでしまったからなのだ。
 命令にさえ従っていればサラリーを受け取ることはできるのが職業軍人だ。士官学校を卒業していれば、十年間は昇給しつづけ試験を受けなくても尉官で頭打ちとはいえ三階級の昇進は保証されている。それが地球連邦軍の給与システムである。そしてティターンズであれば、さらに手当すらあったはずである。そんな中で、組織を裏切るという行為はそれらを放棄するということでもあり、主義や主張がなければできることではない。
 「中尉とはこうやって話すのは初めてですが、こうしたことって似合ってるって思えます」
 飛躍した返事だったし、まともに会話をしたことのない相手には失礼かとも思ったが、カミーユの正直な気持ちだった。
 「軍人になれば人殺しを商売にしているって、自称平和主義者なんかに言われたりもするわけでしょう?」
 志の高い軍人にとって、それは呵責でしかない。事実、そういった平和ぼけから発した人道主義に押しつぶされて爆発し、軍が政権を掌握して国家をひとつ転覆させかけた歴史が旧世紀にもある。しかも、怨嗟が政府を傀儡にしたのではなく、国家国民を護りたいというただひたすら正義感がそうしたのだ。人殺しと言われればいわれるほど、軍人はその言葉や行為に過剰に反応してしまうのである。今のティターンズが政権を掌握しようとしているのは、旧世紀にあったことの焼き直しかも知れないのだ。
 軍人は、その規定に則って決められた者のみを殺す。そういった規範が存在するから、私怨のない相手を殺すことにも自己を得心させられるということだ。
 三十バンチのデモ鎮圧作戦でのバスク・オム大佐の命令は、その規則を無視したのだ。自己弁護の機会を軍人みずから放棄したようなものである。
 「人殺しの言い訳の道具を残しておくことに執着しているつもりもないし、エゥーゴに参加したところで罪が消えるなんて思わないけど」
 エマの言いようは、軍人にとって切実である。カミーユとて殺人者の汚名を着たくはない。無論、ティターンズが現在ほどの勢力を持っていなければ真っ当な軍法会議が開廷され、エマには情状酌量があり無罪の可能性すらあるだろう。現に作戦では睡眠ガスと聞いていたわけだし、後に抗議でバスクに上申したさいにはきつい張り手の後に「ティターンズであったことにこそ感謝しろ」と、ティターンズの軍法会議は命令違反のみだとまで言われているのだ。
 「司令官や兵は、人や兵を殺さない。人を殺すのは戦争だ。戦争という大儀が人を殺すのだ……って、これ、僕の出た士官学校で校長に何度か聞いた言葉です。エマ中尉のやったこと、やっぱり間違ってませんよ」
 なんと言ったところで、今のエマを慰めることなどできないだろう。ただ、カミーユは明るく彼女の今の行動を肯定することだけに努めた。

 「ちょうど二人が揃っていてくれたな。エマ中尉、“マーク2”のレクチャーをカミーユ少尉にやってもらいたいのだが」
 クワトロも食堂に来た。
 「ずいぶんお急ぎのようですね? “アーガマ”まで“マーク2”を運べたカミーユ少尉になら、程ないレクチャーですむとは思いますけど」
 「あと一時間ほどで、アンマンの港に入港する。エマ中尉には、そこでこの艦をいちど降りてもらいたいのだ。ティターンズでバスクのそばにいたのだから、いろいろとな。そこで補給をすませたら、すぐにキリマンジャロ攻略作戦の為に出航せねばならんからな」
 アンマンとは、月面都市のことである。実はエゥーゴ最大の拠点なのだが、非合法組織であるということや、その活動理念の為にそうであるとは公表されてはいない。
 エマがティターンズの士官であったことを指摘するわりに、クワトロの口は軽かった。
 「大尉、中尉にそう言うのは、信用できているってことなんですよね」
 カミーユは声を明るくした。質問というよりも、念を押したといった方が正解だろう。
 「私とて、そこまで厚顔無恥ではないよ。中尉や彼には悪いが、他のクルーの手前のポーズなんだ」
 クワトロは、食堂の入り口の処に立っている監視員を顎でさした。
 「了解です」
 エマは脇をしめて誠実な敬礼をクワトロに向けると、カミーユもそれにつられてそうした。
 エマの声が明るい張りのあるものに感じられたから、彼女が生まれかわれるきっかけを本当に掴むことができたのではないかと思った。



 “ガンダムマーク2”のレクチャーを受けるために、モビルスーツドックの無重力帯でエマのうしろを泳いでいると、クワトロの紅い“リック・ディアス”がカミーユの視界に入った。
 クワトロ・バジーナという士官はいったい何者なのだろう。
 今回の自分も飛び込んでしまった一連の事件で、カミーユはクワトロから苛ぐようなイメージを感じ取るようにはなっていた。
 『悪い人ではないんだ』
 そして、こういった感慨も根拠もなく持つことができる人間でもある。ある意味いちど騙されてはいるのだが、それを不快だとは思えなかった。何かを隠すことに悪意ばかりでないことは解るから、彼のつかめない部分を拒否の理由にはしたくはなかった。
 それでも、いくら連邦軍が人手不足だといってもクワトロの働きようは異常だと思う。“リック・ディアス”や“ゼータ”のようなモビルスーツを極秘裏に開発するために東奔西走している傍らで、モビルスーツのパイロットをやるようなことはなかなかできるものではない。開発していたアナハイム・エレクトロニクス社は、連邦軍、ティターンズにも納品しているような企業なのだ。クワトロ本人は、企業の巨大さと強力なバックアップの賜だと言い切っているが、ならそのバックアップを引き出す人脈はどういったものなのか。それが不思議でならなかったところをもってきて、“アーガマ”に来てみれば、どうやら政治向きの活動もしているように見受けられる。完全に軍人の範疇をこえていた。将官ならまだしも、尉官がである。有事特殊軍法で昇進の辞令を受けぬままに役職に就き、上官に命令を下すようなことはままあるのだが、彼の場合はそれに当てはまっていないような気もする。
 「少尉は以前、なんてモビルスーツに搭乗していたのかしら?」
 エマが振り向きざまに質問してきたので、それきりカミーユはこのことについて考えるのをやめてしまった。

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