Chapter12 『恋』


 いかに二人の折り合いが悪いといっても、カミーユやクワトロをひとりで戦場に送り出すわけにはいかない。
 連邦政府による錦の御旗をいただいているとはいっても、モビルスーツの供給は捗らないので、やはりカミーユは“ゼータ”で出撃をしなくてはならなかった。
 クワトロ、エマ、カミーユによる三機での小隊がつくられることとなった。
 “ゼータガンダム”は可変システムを使用せず、他のモビルスーツと同じようにサブフライトシステムを使用することで運用バランスを取ることになった。“ゼータガンダム”の性能を生かしきることはできないが、クワトロやエマとのバランスを欠くことの方がカミーユの危険になるからである。
 「ブライト艦長の期待には応えるだけです。僕だって、大人なんですから」
 カミーユは、無線でまさに大人らしくないモノの言いようをした。
 エマはそのふてくされた態度を叱ってきたが、クワトロはまるで忖度しないように言った。
 「この戦闘で、戦争はいったん終わる。気合いをいれていけよ」
 クワトロが子供の論理でここにいるということは、カミーユの子供の感情に付き合わないということでもある。



 ティターンズの艦隊は二十隻。
 対するエゥーゴは八十五隻。連邦軍籍を入れずとも赤子の手をひねるよりも簡単なことだった。
 グリーンノア1を橋頭堡とする部隊と合流し、クワトロとカミーユ、エマの小隊はグリプス2への攻撃を開始していた。グリプス2はコロニーレーザー砲として使い物にならないであろうというのは大方の見方ではあったが、エゥーゴにとってやはり不気味な存在であるというのは違いがない。次の一射がルナツーにとどくことを連邦軍は懸念していたから、それを解消する意味でもグリプス2を確実に破壊するか掌握する必要があるのだ。

 そのグリプス2の巨大な円筒を背景に、エゥーゴのモビルスーツ部隊をたった一機で押し戻そうとしているかのようなモビルスーツをカミーユは見つけた。
 岩石を幾重にも積み上げたような風貌の巨大なモビルスーツ。
 その巨体に似合わない素早い動きで、グリプス2に近付くモビルスーツの総てを一瞬のうちに撃墜していた。
 「どうやったらあんなことができるんだ?」
 同時に、そのパイロットがパプテマス・シロッコ大尉だと予想ができて、カミーユはその執念に鳥肌が立った。
 “ああいった手合いは数でも押せん。我々で引きつけて、他の隊はグリプスに突入させる!”
 クワトロは、カミーユとエマを先導するようにシロッコのモビルスーツに攻撃を始めた。

 「この期に及んで戦場で紅い彗星に会えるとは思わなかったぞ。このプレッシャーは少尉もいるな!」
 シロッコは、目前に躍り出た紅い“リック・ディアス”を見て嬉々とし、その背後に見える白い“ガンダム”を見てそれがカミーユと解って神に感謝した。もっとも憎むべき相手に一度機にまみえたことは僥倖以外のなにものでもあるまい。まして、ダカール以降は後方に下がっているものとばかり思っていたシャア・アズナブルに会えることはこれ以上にない幸運に思えた。
 次に、シロッコが「行け!」と走狗に命じるように口の中で叫ぶと、シロッコの操るモビルスーツ“ジ・O”の背後から幾重もの光の矢が放たれた。
 クワトロたちの牽制でできた隙を突いてグリプスに近付こうとしたエゥーゴのモビルスーツ部隊数十機が、その次の一瞬でその胸を串刺しにされて消滅した。
 シロッコは、哄笑とともにあたりの空気を自分のものにしていた。

 カミーユには、何が起こったのか解らなかった。
 ただ、瞬間的に真上から攻撃があると解ってしまってそれをどうにか躱しただけのことである。
 「あ、圧倒的じゃないのか?」
 ただ、その一瞬の攻撃がシロッコの“ジ・O”から行われたのではないかということだけはどうにか解った。
 『ホーミングミサイルじゃないぞ。なんだあの攻撃は?』
 “ビットだな。やはりあのモビルスーツはニュータイプだ。手強いぞ!”
 無線のむこうでクワトロが呻いたので、カミーユは思い出した。一度だけ聞いたことのある兵器だった。サイコ・コミュニケーターという装置を介在し、人間の脳波によって操るミサイル状の兵器である。ミサイル以上に自在に姿勢制御を行えるもので、その先端にメガ粒子砲やレーザー砲を装備していたり、核弾頭を搭載していたりする厄介な代物だ。パイロットの技術才知によっては、機動部隊以上の戦力になる。戦場の旗色を変えられる唯一のモビルスーツである。
 今の攻撃で、クワトロ機もカミーユ機もどうにか無傷でいられたが、エマ機がサブフライトシステムを全損し脚部を破損していた。
 カミーユは、自分のサブフライトシステムを使って“アーガマ”に帰還するようにエマに進言し、クワトロの了承を取った。
 しかし、光の矢はカミーユのサブフライトシステムを破壊し、クワトロ機の左腕を吹き飛ばしていた。エマの“ネモ”は四肢を完全にもがれた常態で、コックピットだけが無事なのが奇跡的とも言えた。
 “こういった兵器は、近付きすぎれば使えないものだよ!”
 クワトロは“リック・ディアス”を素早く“ジ・O”の懐に滑り込ませビームバズーカを胸元に突きつけた。たしかに敵との距離が近すぎればこういった兵器は効力を失うものだ。
 しかし、トリガーを引く前に“ジ・O”の太いマニピュレータに砲身を握りつぶされ、次に“リック・ディアス”は殴り飛ばされていた。

 「この“ジ・O”を舐めてもらっては困るな。パイロットの技量差など、このようにモビルスーツの性能でどうとでも補えるものなのだよ」
 口では笑っていたが、シロッコは既にカミーユの“ゼータガンダム”を睨みつけていた。

 シロッコにとっては、カミーユ・ビダン少尉を倒さなければこの戦争が終わることはないのだろう。それが解っているからこそ、カミーユはファの制止を押し切ってこの戦場に出てきたのだ。シロッコの息の根を止めるのは自分でなくてはならない。カミーユはそこまで覚悟していた。
 カミーユは“ゼータガンダム”をウェーブライダーに変形させると、クワトロとエマに合図を送り、素早く二人の機体を背中に乗せてグリプス2に猪突した。
 シロッコの光の矢による攻撃から逃げ切れるくらいのスピードを“ゼータガンダム”はもっている。母体となるあの岩のようなモビルスーツの動きがいかに速くても、ウェーブライダー形態の“ゼータガンダム”に追いつくことはできないということである。
 カミーユは、グリプス2のメンテナンスハッチのひとつに飛び込んだ。
 「コロニーレーザーとしての管制システムを破壊さえすればいい。この位置からならば行ける。カミーユ少尉、あのモビルスーツにこだわりたい気持ちは解るが……」
 「大尉、解っています。グリプス2を沈黙させてからでも、シロッコを倒すことは遅くありませんから」
 私情、私怨で戦争を行ってはならない。シロッコのその念を否定するためにカミーユはこの戦場に来たのだから、エゥーゴの本懐を達成するためにこそ邁進しなければならない。

 いかにグリプスが基地化されている、グリプス2はレーザー砲化されているといっても、“スペースコロニー島三号”という基本形があるいじょう、大幅に構造を変えられるものではない。経費を削減するためにコロニーという既存の円筒を使うのだから、レイアウトを大々的に変えることは本末転倒だからである。それをふまえれば、管制室を見つけ出すことは、軍人でありスペースノイドであるカミーユやクワトロたちには容易なことだった。問題があるとすればそれを警護する兵が五人いることであり、それを排除することに危険が伴うということである。しかし、その警備兵の排除にもたいした時間はかからなかった。降伏勧告を受け入れずにエゥーゴや連邦軍に抗う気骨をもつティターンズ兵であっても、連戦錬磨のクワトロとの経験の差を埋めることは容易ではなかったということである。警備の薄さは、既にコロニーレーザーとして使用するつもりがティターンズにないことを物語っているのだろう。経験のある者は外で戦っているのだ。人員の極端に少なくなってしまったティターンズの哀愁である。
 では、なぜ使いもしないコロニーレーザーの管制室に警備兵がいたのか。そして、実際に運用する兵がいないのは何故なのか。答えは、クワトロがすぐに見つけ出した。
 「既に暴走を始めている。この常態なら、数分でグリプス2は大爆発をするぞ!」
 クワトロが多少ヒステリックにコンソールパネルのいくつかを操作したが、既にそれを阻止することはできない状況だった。
 レーザー発信装置に回るはずの電力の総てをキャパシタでとどめてられてしまっていた。いわば過充電の常態になっており、このままでは大火災、つまり大爆発を起こすということである。遠巻きに戦闘を静観している艦隊にまで被害が及ぶことは考えにくいが、戦闘を行ってグリプスに近付いている艦船は間違いなく沈む。ティターンズ艦隊は、躬らを餌にエゥーゴ艦船をこの陥穽に呼び込んでいるのである。追い詰められ、死を覚悟した人間の思いつく作戦だ。エゥーゴや、寝返った連邦軍に対してめにものをみせてやるというだけの幼稚な作戦とも言えるが、ひとつの思想を実現しようとした組織の尖兵としてのプライドをかけた戦いだということであろう。
 「しかし、お前たちを本隊に返しはしない!」
 「大尉、危ない!」
 「エマ中尉!?」
 シロッコが自分たちを追ってきていると考えるべきだったのに、そこにまで至らなかったのが迂闊だった。それは、シロッコが放った銃弾からクワトロをかばうためにエマが銃弾を受けるという代償となってはねかえった。
 クワトロは、エマを引き摺ってコンソールテーブルに隠れ、カミーユも姿勢を低くした。
 シロッコは、対照的に管制室の入り口で仁王立ちになって高笑いをした。
 「貴様たちのモビルスーツを見つけて破壊できればそれが手っ取り早かったが。紅い彗星も地に落ちたということか。いや、ここにいるのならば健在というべきだな」
 管制室には空気があるから、おのおのがヘルメットシールドを上げているために逆に声は聞き取りにくかった。もっとも、仕様周波数が違ういじょうはしょせん無線での会話などできはしないが。
 「ティターンズ残存兵の覚悟は認めるが、まだ終わらんよ」
 クワトロは拳銃の残弾を気にしながらも、エマを衛生兵に診せることを考えていた。
 「ここでシャアが死ねば、戦後の統率者を失って地球圏はまた荒れるな。アステロイドのアクシズが近付いてきているというのに。貴様の弱点は、この世を手にしたいと思っていないことだ」
 「私は、世の中を間違った方向に行かせたくないだけだ。人類がニュータイプになれれば……」
 黒いノーマルスーツのシロッコがゆっくりと近付いてきたので、クワトロは影から拳銃を撃つ。
 シロッコも姿勢を低くした。
 「人類全体がニュータイプになどなれるものか。いかにスペースノイドといえどもな。この世は、選ばれたニュータイプによって統率されるべきだった。貴様にその覚悟ないのなら……」
 いつか人類全体がニュータイプになる。そしてその時こそ地球圏が楽園になるはずだという楽観視は、ジオン・ダイクンの血縁者らしいとシロッコは叫んだ。その前にこのような戦争の繰り返しの末に人類は滅びてしまうだろうと。
 「お前の言うとおりなら、なおさらティターンズなどは容認できんな」
 「人類を正しく導くための尖兵なり得たのがティターンズだ。エゥーゴのような迎合するだけのやり方で、総ての人類を宇宙にあげられるものか。最終的にはヒステリーを起こして、地球に隕石落としをするのが関の山だ」
 「それは違うぞ。シロッコ!」
 思わず怒りにまかせてカミーユは立ち上がってしまい、あわてて拳銃を撃った。シロッコにも予想のできなかった行動だったのか、あっさりとその銃弾を肩に受けてしまう。しかし、以前と同じように弾の慣性でシロッコの身体が壁に叩きつけられただけ、ノーマルスーツが微かに破れただけでシロッコ自身はまるでそれを忖度しなかった。
 「カミーユ・ビダン少尉、何が違う。サラ様を殺した貴様が、何を言うか」
 よろけながらも立ち上がったシロッコはカミーユに向けて拳銃のトリガーを引いたが、弾切れだった。
 「そのサラを見ていたから解るんだ。人の気持ちを、たったひとりのささやかな気持ちを理解しようとしなかったお前がつくろうとする世界なんて!」
 サラの願いはかなえられないほど難しいものではなかったはずなのだ。でも、誰にだってかなえられるものでもなかった。唯一かなえる権利を持っていたシロッコ本人が知ってか知らずかそれを放棄し、サラを地球圏の君主に据えようとしていたことには気付いていた。そして、気付きはじめていたサラがそのことで思い悩んでいたこともカミーユには解っていたのだ。
 「そんなセンチメンタリズムは、戦争が終わってから言うんだな!」
 「貴様ぁ!」
 素早く次の弾倉を装填したカミーユは、シロッコに銃弾の雨をお見舞いする。しかし、怯みはするものの致命傷を与えるまでには至らなかった。あるいは当たっているのかも知れないが、以前のように強靱な肉体に阻まれているのかも知れない。焦燥のカミーユをよそに、その拳銃の弾も尽きた。
 軍人らしくもなく周章狼狽する様相のカミーユをみて、シロッコは嗤った。
 地球を統治する責任の重さに逃げ出すような者は、
 その尖兵になることを放棄する者は、
 サラ様に安らぎを与えることを拒んだ者は、
 サラ様を殺した者はこの世から去れ!
 そのかいなが勢いよくカミーユの襟元にかかる刹那、シロッコは絶叫した。
 コンソールを破壊してパワーコードを引き出したクワトロが、それを背後からシロッコに押しつけたのだ。拳銃の弾をものともしない身体でも高圧電流はこたえたらしく、シロッコは戦意を喪失して管制室から飛び出していった。今この場でクワトロやカミーユを殺さずとも、グリプス2の爆発といっしょに始末できると踏んだのかも知れない。

 エマは、既に虫の息だった。シロッコの銃弾は彼女の胸に埋まり込んでいたのである。
 紫色の唇になったエマに駆け寄り片膝に抱き上げたクワトロは、その白い頬に掌をあてた。
 「だから言ったんです。やっぱり、大尉は戦場に出ちゃあいけないんです」
 カミーユは、二人を見おろして静かに泣いていた。愛する男のために身をていした女性をもうひとり知っていたからなおさらだ。ひとりの身の振り方ひとつで、もうひとりの人生が変わってしまうことはどのような場合においてもあることだ。そして、戦場では人が傷つくものだ。死ぬものだ。それは仕方のないことである。でも、傷つくはずのなかった命というものはある。エマはまさにそれだったはずである。
 ダカールの連邦議会でシャア・アズナブルとして大演説をしてしまったクワトロは、やはり戦場にいてはいけなかったのである。
 「少尉、クワトロ大尉を責めないで。好きな人のために身を挺すことのできた私は、軍人として、女として本望です。男には、男の意地もあるのでしょう?」
 切れ切れの息のなかに交えたこの弱々しいエマの言葉など、言われるまでもなくカミーユには解っていることだった。この戦場で、あの時のサラの言葉も全く同じなのだ。
 「少尉、戦って。貴方の乗っているモビルスーツが“ガンダム”なら、この戦争を終わらせることもできるはずよ」
 エマは、自分の頬に当てられたクワトロの掌に自分の掌を重ねた。
 「カミーユ・ビダン少尉。行きます」
 カミーユは毅然とした敬礼をすると、「お二方も早く脱出をされるように」と踵を反した。



 “ゼータガンダム”にたどり着いたカミーユは、グリプス2の自爆のことを無線で“アーガマ”に伝えた。
 冷静に見てみれば、ティターンズの艦隊はグリプス2の近くにエゥーゴ艦隊を誘い込むように動いているように見える。エゥーゴとてコロニーレーザーの標的にはなりたくないからその前方にいることを避けてはいたが、自爆するとなればその被害は四方八方となる。角度ではなく、グリプス2からの距離が重要になるのだ。
 「はやく距離をとるんだ。時間がないぞ」
 カミーユも、ウェーブライダーの“ゼータガンダム”で、できるだけ距離をとった。
 まず身方にグリプス2の自爆を連絡しなくてはならないからクワトロとエマを置いてきてしまったが、二人の脱出は間に合うのだろうか。そんなことが脳裡をかすめた刹那、グリプス2の崩壊が始まった。この大爆発でも隣のグリーンノア1にまで被害が及ぶことはなかったが、おそらくは爆発によって歪んだ軌道の修正はせねばならないだろう。
 エゥーゴと連邦の艦隊で戦闘に参加している艦隻はほぼ全滅していた。爆光に、飲まれるように消滅していった。
 無論、これを仕掛けたティターンズ艦隊も同じ道をたどった。
 まさに、軍人としての意地である。そしてその成就でもあった。
 “アーガマ”は、この災厄を回避できた数少ない艦のひとつに名を連ねることができた。もともと戦闘に参加していた艦のなかでも後方にいたことが幸いしていたし、カミーユの連絡を一番に受けていたということもあるのだろう。
 とはいえ、エゥーゴ側の被害はグリプス2の爆発に飲まれることだけではなかった。連絡を受けた艦船がパニックに陥って先を争って後退を始めたために、艦どうしが衝突するなどしての二次被害が大きかった。まさにティターンズは、めにものをみせたのである。

 どうにか“アーガマ”の近くにまでたどり着いたカミーユは、この惨劇に息を飲んでいたが、ブリッジから見える位置に回り込むと、デッキコンダクターに自分が無事であることを告げた。クワトロとエマのことが気にはなったが、よもや一年戦争を生き延びたあの紅い彗星がこんなことで死ぬとは思えなかった。
 “カミーユ少尉! 少尉は無事なのね?”
 無線で、ファ・ユイリィの泣き声が飛び込んできてカミーユは少々驚愕した。そして、茫然自失していたが我に返ることができた。入室を禁止されているはずのファがブリッジにいるのは、それでも気の強いお姉さん気質の彼女らしいと思ってカミーユは笑った。おそらく、涙でぐしゃぐしゃの表情をしているのだろう。
 「ビダン少尉、生還しました。ご心配をかけてすみません」
 ファは、そのカミーユの声をどうにか聞き止めることはできたが、ブリッジ要員に注意されてヘッドセットマイクを取り上げられてしまったようだった。
 カミーユは、もう一度笑った。
 帰ったら、もう一度、ファをデートに誘おうと思った。ベジタリアンであることに彼女は眉根を寄せていたが、気安いレストランになら付き合ってくれるのではないかと信じていた。そして、プロポーズをしよう。まだ軍人やパイロットをやめるつもりはないから心配はかけることになるが、それでも受け入れてほしいと思った。
 この戦争で生き残った以上、自分は生きていかなければならないのだから。

 カミーユが、コックピットの機密を確認してノーマルスーツのヘルメットをとろうとした次の瞬間、“ゼータガンダム”の頭部が吹き飛んだ。
 次にカミーユの脳髄に直接パプテマス・シロッコの声が響いた。
 搭乗機の一部が吹き飛ぶという事態からわきあがった恐怖を吹き飛ばすために、カミーユは咆哮を上げる。それでも、大好きなファを巻き込まないように“アーガマ”との距離をとることを考えるだけの冷静さを保つことには成功していた。
 この攻撃は例の光の矢、クワトロの言っていたビットという兵器だろう。この衝撃波は、メガ粒子砲によるものではなくきっとレーザーによる攻撃だ。ビットを小型化するために、メガ粒子砲ではなくレーザー砲を装備しているのだ。そして、その攻撃もかなり遠方から行われているに違いなかった。さっきのカミーユは、完全に油断していたのだ。至近距離で“ゼータガンダム”を狙撃できたのならば、正確に機体中央を狙われてカミーユは今頃蒸発していただろう。なにより、レーダーに映らない距離にシロッコのモビルスーツもそれが操る大半のビットもいることになる。
 「それでも、奴にはこちらが見えているってことじゃないか!」
 危機感と緊張に包まれてはいるが、とにかく闇雲にでも“アーガマ”から離れることにした。
 いち早く“アーガマ”との距離をつくるにはウェーブライダーに変形をさせる方がよかったのだが、それでは攻撃に対して無防備になりすぎる。モビルスーツ形態のままバーニアをフル出力で吹かした。
 頭部をやられてしまったのでメインのカメラはやられたが、機体各部に取り付けられたセンサーや補助カメラを駆使してあたりの索敵を始める。グリプス2の自爆によるその関係のスペースデブリが多すぎて盲目というべき状況ではあったが、泣き言を言っていられる状態ではない。
 いかに彼の操るモビルスーツが高性能で今のエゥーゴ艦隊が大打撃を受けているとはいっても、戦局をひっくり返すことなど今更できるわけがない。ティターンズの意地はグリプス2や敵艦隊との心中だったが、パプテマス・シロッコの意地は、ただカミーユ・ビダンを殺すことなのではないのだろうか。
 それが解ってしまったから、カミーユは母艦である“アーガマ”から距離をとることを躊躇なく行ったのだ。このままでは“アーガマ”に戻れるほど推進剤は残ってはいない。しかし、ファや仲間の乗っている“アーガマ”を巻き込むわけにはいかない。戦闘が終了したら、救命信号を発進すればすむことだ。今の状況なら、ティターンズに拾われてたとしても虐待を受けるようなことはあるまい。

 “少尉、貴様には死んでもらう!”

 “上”からプレッシャーを感じることのできたカミーユは、シロッコの操るビットからのレーザー攻撃を躱すことができた。ついその発射元に索敵をかけるが、あのビットにそのセオリーは通用しない。モビルスーツのマニピュレータほどの質量しかないうえに無人機という特性を生かしたトリッキーな機動は、こちらの予想を容易に裏切る。いくつあるのか判らないビットが、ひとつの意思の下であらゆる方角から攻撃をかけてくるのだから、熟練のパイロットでも、かわしきるのは難しいだろう。
 このシロッコからの執念や殺意というプレッシャーを風のように感じ取れるので、カミーユは敵の姿が見えなくてもビットによる攻撃をなんとか躱すことができていた。



 “ゼータガンダム”の頭部に被弾し、そして“アーガマ”から離れていくのを見たファは、気を失いそうになるのを何とかこらえた。
 まだ敵がいること、それが近いのではないかということが解って“アーガマ”は騒然としはじめた。ブライトの命令でブリッジから連れ出されようとしていたファは、それでも髪を振り乱して食い下がった。“ゼータガンダム”を回収するために輸送機をかしてくれと言い始め、ブリッジスタッフの度肝を抜いたのである。
 「今のまま推進剤の枯渇した“ゼータガンダム”は帰還できません。初めての実戦データは、技術者には魅力的なんです」
 「しかし、“ゼータ”は攻撃された」
 ファが本気でそう言っているのなら、ブライトは絶対に許可しない。技術者のつまらない好奇心や関心だけで戦場を引っかき回されることなど御免こうむりたいからである。しかし、軍としては彼女の言い分こそ受け入れるべきである。ファは、その弱みにつけ込んできたのだ。
 つけ込まれても、ブライトはここにおよんで技術者のきちがいじみた興味本位の意見を斟酌するほど寛容ではない。それでもブライトがにべもなくファを否定しないのは、彼女が“ゼータガンダム”ではなくカミーユを心配していると解るからである。
 艦隊司令からの戦闘終了宣言はまだでていない。でていたとしても先ほどの攻撃がなかったとしても、軍人でないファを外に出すわけにはいかない。そう言いながら、先ほどの攻撃の二波がないのはカミーユがその攻撃を引きつけてくれているのだろうなという予想はしていた。だから、追いつけるのか見つけ出せるのかという疑問はあったが、モビルスーツ隊に“ゼータガンダム”を追跡し援護するように命令を下したのだ。たとえ輸送機が多少の武装をしていても、ファがカミーユを助けることなどできるわけはない。“ゼータガンダム”回収などという名目にしたって、彼女自身がでていく必要などないのだ。回収することが目的ではなく、回収された“ゼータガンダム”を視ることが目的のはずなのだから。
 「私は“アーガマ”に残った“ゼータガンダム”の唯一の開発スタッフです。私なら、見つけ出せます」
 援護に向かわせたモビルスーツ隊が、この状況でカミーユの“ゼータガンダム”を見つけ出すことができるというのはほとんど奇跡に近い。状況が状況だったということなのだが、カミーユの判断と行動がはやすぎて、しかも命令を仰ぐということをしなかったのでブライトの方の対応こそが遅れてしまったのだ。“ゼータガンダム”はどうでもよいにしても、カミーユ少尉を宇宙の迷子にするわけにはいかない。今のファ・ユイリィならカミーユ・ビダンを捜し出すことができるのではないか? 直感的にそう思ったブライトは、輸送機の操縦はメカニックではあるがアストナージにさせるという条件も付け足し、二機の“ネモ”の護衛をつけることで許可をだした。
 元気に礼を言ってブリッジを飛び出していったファの背中を見送るブライトを、デッキコンダクターの数名が呆れた表情で見ていた。
 「俺だって、あれくらいの年齢の時にはカミさんと命がけの恋愛をしたんだ」
 ブライトは、照れ隠しに輸送機の用意を促すことと二機の“ネモ”を護衛につけるように早く連絡しろとデッキコンダクターを叱った。



 シロッコがサイコ・コミュニケーターを介在して操るビットは、本体である“ジ・O”のところに戻ってきて定期的にエネルギー補充をしなくてはならない。
 ビットを小型化したことで電力や推進剤の搭載量に制限があるからだ。ビットの小型化は瞬間的な機動力をあげることに貢献したが運用面では問題を抱えることになった。ビットは本体を敵に察知されないまま遠距離攻撃できるということが最大のメリットなのだが、ビットが本体コンテナー戻るというその軌跡で本体の位置を敵に割り出される蓋然性がでてくるのである。とはいえ、“ジ・O”によるビットの攻撃を躱しながら見つけ出した本体を攻撃できるパイロットなどそうそういるものではないだろう。
 ただ、カミーユ・ビダン少尉は数少ない例外のひとりに違いなかった。
 そろそろ見つけられた頃に違いない、とシロッコは“ゼータガンダム”の挙動から洞察していた。ここまでビットによる攻撃を躱し、少しずつでも打ち落とし続けることができていることに舌を巻く。
 「さすがは、サラ様が気に入られた少尉だということだな」
 “ジ・O”自体の燃料も既に底をつく頃である。モビルアーマーの“メッサーラ”であったならまだ充分に余裕があったのだが、母艦などのバックアップをもたないでモビルスーツの“ジ・O”が行動をするには限度があるのだ。
 しかし、シロッコは焦ってはいなかった。もとより生き延びる気などないからだし、カミーユ・ビダンをここまで母艦から引き離すことができれば、このスペースデブリのなかで自分と同じように帰還を果たすことは至難の業になっていることも確かだからだ。自分が息の根を止めることに失敗しても、カミーユを死の淵に充分追い込んだとも言えるのである。
 カミーユがグラナダで“ガンダムマーク2”を強奪したとき、バスク・オム大佐に対する皮肉だけにおざなりな追撃をしてしまっていたことに後悔していた。紅い彗星の牽制の所為で“ガンダムマーク2”に近づけなかったことも確かなのだが、懲罰を覚悟でもっと主砲を使って撃墜してしまえばサラとカミーユが出会うこともなかっただろう。そうすればサラが死ぬこともなかった。仮にティターンズが壊滅したとしても、自分の夢が潰えることなどなかったのである。
 自分は肉体を強化された人間である。それもサイボーグ化などによる後天的なものではなく、受精卵の段階から組み立てられた強化人間である。だから、それに気付いてしまったときには人並みの生涯を送れることを諦めていた。養父であり自分の産みの親でもあるベルグ・シロッコ博士は、研究対象としてではなく心の底から自分を愛してくれていたことは解っていたから、不安なことなどなかった。しかし、血縁上の父親の名前を知ったときに躬らを呪った。この汚れた血を浄化するために何をすべきなのかを考えた。それが、地球や人類をあるべき姿にするために新秩序を樹立することだった。サラはその象徴になるはずだったのだ。
 人類や自分から総てを奪ったカミーユ・ビダンを許すことなどできはしない。
 この躬らの血と共に地獄に突き落とすことこそが、自分が最後にすべきことだと思っていた。



 ビットの総数は十五機で、その最後の一機をビームライフルで撃ち落とす頃にはカミーユは完全にシロッコの“ジ・O”の位置を掴んでいた。
 「何故、サラを戦争に巻き込んだんだ!」
 それはカミーユの理不尽な怒りである。自分こそ、面識がありながらもサラのことを真剣に諭していなかったのではないかと後悔もしている。彼女は躬らの意志でティターンズに志願し入隊したのだし、シロッコの下にいたのだ。上官であっても、シロッコに責任などあろうはずもない。
 それでも、叫ばずにはいられなかった。
 ビットの総てを失ったシロッコの“ジ・O”は、その岩のような巨体を“ゼータガンダム”に向かって猪突させビームライフルを乱射してきた。
 カミーユもビームライフルを乱射するが、“ジ・O”の意外な身軽さに総てを躱されていた。
 次には体当たりを喰らわされつつも、しがみ付くかたちで何とかこらえた。コックピットシートのショックアブソーバの許容範囲をこえる振動に脳震盪を起こしそうになるが、接触回線で聞こえてきたシロッコの怨嗟に奮い立った。
 少女ひとりの気持ちに気付こうともしなかった人間がつくろうとしている世に安息などあるはずがない。対話があるから戦争を健全なかたちで終わらせることができるのだ。この喩えはいかにも軍人らしいものだ。それでも、それが人と人の関わり方だと思う。結論ありきのところから始まる統治など、人を不幸にする。
 “カミーユ・ビダン少尉。あの世でサラ様に侘びよ!”
 「シロッコ大尉、まだそんなことを言っているのか!」
 “ジ・O”に捕らえられて“ゼータガンダム”の手脚をもがれる前に距離を置き、後退りをしながらビームライフルを撃とうとするが、既にそのエネルギーもなくなっていた。
 武器は総て使い切った。
 推進剤はもう残りがない。
 カミーユはビームライフルを捨てると、衝動的に“ゼータガンダム”をウェーブライダー形態に変形させていた。



 「サラが死んだときの苦痛を思い出せ。少尉!」
 そう叫んだ刹那、シロッコは自分の横に死んだはずのサラが立っているような気がした。
 何故、少尉の横ではなく自分の処なのか?
 いや、自分を恨んでいるのだな?
 “たとえ大尉が何者であろうとも、私は抱きしめてほしかったのです”
 かぶりを振ったサラはそう言って紅潮しつつも、操縦桿を握るシロッコの掌の甲に掌を重ねた。
 『私は、都合のいい幻影を見ている。……これは、少尉の新兵器?』
 シロッコはノーマルスーツのヘルメットを脱ぐと、脳のなかの霧を払うように頭を振った。



 『シロッコ、まだ解らないのか!』
 カミーユは、絶望的な気分になって操縦桿を前に倒した。
 ウェーブライダーは、“ジ・O”に向かって何の策らしい策もなくただ一直線に猛進した。
 「ザビ家の血など関係なくあんたを受け入れるって、あの時サラは言ったんだ!」
 カミーユは泣いていた。
 シロッコの心の傷をいやせない無力な自分のことをサラは悩んでいた。シロッコはそんな気持ちにすら気付けないでいたのだ。
 “ジ・O”は動かなかった。
 それは、燃料切れなのか、他のトラブルか、シロッコが覚悟を決めたのか。
 それとも、サラ・ザビアロフの意志なのか?
 ウェーブライダーの鋭角の機首は、“ジ・O”の腹部、シロッコの坐るコックピットに突き刺さっていた。



 ファは、ウェーブライダーの機首が“ジ・O”を捕らえた瞬間を目にして悲鳴をあげた。
 まだ遠くではっきりとは判らないが、尋常な使い方ではない。
 ただ、カミーユのことが心配でアストナージを急かした。

 アストナージが心配していたのは、“ゼータガンダム”の敵のモビルスーツの“ジ・O”がまだ稼働しだすのではないかということだったが、近付くにつれそれはないと解った。
 ウェーブライダーの機首は“ジ・O”の腹部を貫き、背中の側まで貫通していたのだ。頭部、胸部、腹部、モビルスーツのコックピットは大別してこの内のどこかにあるのだが、目算ではあるが、ウェーブライダーの機首が貫通できるような場所はコックピットのような空間のある場所でもなければ無理なはずだ。つまりカミーユはコックピットを貫いたのであり、敵のパイロットはその機首によって死んでしまっただろう。

 二機の“ネモ”に護衛されながら“ゼータガンダム”と“ジ・O”の戦闘があった空域に輸送機が着いた途端、アストナージの制止も聞かずファはカミーユの名前を叫びながら外に飛び出した。
 すぐにコックピットのある機首にとりつくが、衝突の凄まじさを物語る破損を見て血の気がひいた。
 コックピットハッチが歪んで、本来は密閉性を保っているはずのコックピットから空気が漏れていたのである。動力が生きていることを祈りつつ、ファはコックピットハッチをあげた。
 「カミーユ少尉!」
 狭いコックピットに飛び込む。
 カミーユは俯いて、奮えていた。
 生きている。
 大きなケガはしていないようだ。
 「ファ、僕は!」
 ファが、肩に掌を乗せると、カミーユは顔を上げた。
 カミーユは泣いていた。
 そして、ファに抱きついた。
 無重力のなか、二人の身体は浮き上がってゆく。
 「こんなカミカゼみたいな使い方は想定してなかったのに、よくも無事で……」
 ファも、込み上げてくる涙をこらえきれず泣いた。
 力強く抱きしめてくれているこの腕の力は生命そのものだ。
 泣いていても、カミーユが生きていることが嬉しかった。
 分厚いノーマルスーツの上からでも、お互いの暖かさが解るような気がした。


 the END

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