Chapter11 『ゼータガンダム』


 カミーユは、目を覚ました。
 そこは見慣れた“アーガマ”の医務室のベッドだった。
 拾ってもらえたこと、それも身方であった僥倖をカミーユは神に感謝した。体は少し痛いが、五体満足にいきていられることはあの状況から考えれば奇跡的である。
 必死で上半身を起こすと、思わぬ女性が横の椅子で眠っていた。ファ・ユイリィが背もたれに身体を預けて今にも転がりそうになっている。
 ティターンズ憲兵に捕らえられたにもかかわらずファがここにいるのはどういう経緯なのか、想像はできないでもなかったが今は考えるのはやめようと思う。まだ、ひどく疲れているような気がする。身体はまだいいのだが、頭がずしりと重いのだ。ただ、彼女が目覚めたら置いて逃げてしまったことを謝ろうとだけは思っていた。
 「少尉、気付いたようだね」
 カミーユの変化にいち早く反応したのは軍医だった。
 「カミーユ・ビダン少尉!」
 軍医の声に、ファも目を覚ました。
 視線が合った時、彼女の目には涙がいっぱいに溜まっていた。
 ファは泣きながらカミーユに抱きつき、そのまま心配をしたのだと嗚咽し続けた。
 カミーユは何度もファの黒髪を撫でてやった。



 医務室で食事を済ませブリッジにあがると、ブライト艦長に連絡をした。
 グリーンノア1を陥落させたところで和平の使者を送り、今、ティターンズの出方を見ているというところだった。
 カミーユの予想どおり、ファ・ユイリィはグリーンノア1にいたのである。
 エゥーゴが制圧したことで、保護されたということである。
 ファたちは反逆罪の告訴取り下げを条件に、ティターンズの工廠で“ゼータ”の開発を続けさせられていたのである。
 “ゼータ”開発スタッフの誰ひとりとして、連邦軍のモビルスーツの開発をしていることを疑う者はいなかったのだ。意図的にエゥーゴに協力をしていたという証拠がない。当時でも、ティターンズが司法をおさえきってはいなかったから有罪になるようなことはなかったのだろうが、裁判という音感の威圧に屈してしまったということだろう。
 “ゼータ”開発の継続とはいっても、カミーユたちが逮捕された時点でも実際に残されたことは少なかったはずだが、記憶違いだろうか。
 製品自体は完成している常態で、残っている作業といえば設計図の整理や、軍に提出する各関係書類の作成くらいだったはずである。このまま量産に移行するという話だったので、部品供給ルートの確保もできていた。人手不足であったとしても、生産ラインの管理までが開発の職務ではないだろう。完成祝賀の打ち上げにいく話をしていたところをティターンズの憲兵に取り押さえられたのだから。
 胡乱げなカミーユの表情を見て、ファはモビルスーツドックに誘った。“ゼータ”は“アーガマ”に収容されたのだ。

 「まさか、あれが“ゼータ”なのか?」
 モビルスーツドックの無重力空間を二人で泳ぐようにしながら、前方に見慣れないモビルスーツがあったからまさかとは思った。
 カラーリングには意表をつかれはしたが、たいして驚くことはない。塗装などというのは数時間でできてしまうことで、カミーユの知らない“ゼータ”のカラーリングがあっても不思議なことではない。
 それよりも何よりも驚愕したのは、一部の装甲が完全に改修されてしまっていたことである。
 「エゥーゴに奪われた“ガンダムマーク2”の代わりに、ティターンズの新たな“ガンダム”が必要だって頭部の改修をさせられたのよ」
 総ての部位に多少の変更点はあったが、とくに印象が変わったのは頭部である。“リック・ディアス”と同じようにモノアイのシステムを搭載していたはずだったが、完全に様変わりしてしまっていた。ツインアイを独立したシールドが被い、センゴクムシャのカブトのような頭部形状をしている。カラーリングが白ということもあってまさに一年戦争時の連邦の白い悪魔“ガンダム”だった。
 「ここまで改修させられたら、別のモビルスーツじゃないか」
 ムーバブルフレームという新技術は、装甲デザインの自由度を広げはしたが、これは変わりすぎである。剛性の心配はないだろうが、ファたちの苦労がしのばれた。いちど完成したものを作り直させられる労力は、並大抵のことではあるまい。
 「そう、“ガンダム”。“ゼータガンダム”よ」
 色が白いのは、下地塗りの段階で止まっているからで、本来ならば肩や胸のところのように紺瑠璃になるとのことだ。それも、ステルス性を特化させた新開発の塗料仕様なのだそうだ。
 ティターンズのクライアントの暴挙にも呆れたものだが、それを実現させてしまった“ゼータガンダム”開発チームの手腕にも呆然としてしまい、棒を飲んだような表情をするしかなかった。

 “ゼータガンダム”に張り付いていたメカニックのひとり、アストナージ・メドッソがカミーユたちを見つけて飛んできた。
 「ユイリィ女史も、ようやく来てくれましたか。艦長には今日中には動くようにしておけって言われてても、人手が足らんのですよ。“マーク2”ぶっ壊すような奴のメンテなんかほっておいて、こっち、手伝ってくれませんかね」
 アストナージはファに愛想笑いを向けながらそう言い、カミーユの頭を機械油の拳で小突いた。
 「ああ、はいっ」
 ファは、紅潮を気付かれないように振り返ると、ツナギに着替えてくると言ってドックをいちど後にするようだった。
 彼女が自由に“アーガマ”のなかを移動できたのは、“ゼータガンダム”のことがあったからだと今になって解った。
 その背中を見送りながら、アストナージは再びカミーユを小突く。
 「いい娘じゃないか。気ぃ失ってたお前のそばにずっといたんだぜ」
 「痛いなぁ。グラナダにいるときに一度ふられてるんなら、そんなんじゃないでしょ」
 知り合いがケガでもすれば、心配になって見舞いにくらいは行くものである。カミーユの認識はその程度のものだった。カミーユは、サラ・ザビアロフに恋をしていたわけではない。それでも、彼女の気持ちを把握してしまえたことは一種の苦痛だった。彼女の秘めた苦しい思いをまるで自分事のように感じてしまえたのは、まるで地獄だった。好きな女性であればなおさら、気持ちを理解しようという気持ちになどなるものではない。
 「そうか? 俺にはお似合いに見えるがな」
 カミーユが医務室に運び込まれてからというもの、ファ・ユイリィは落ち着かなかったのだという。“ゼータ”の開発経緯や彼女の物腰から察すれば、脈があるはずだとアストナージは保証してくれた。女は一度目の誘いは断るもので、プライドをたてて二度も三度も誘うのが男の礼儀だとも言った。とはいえ、ここに来る前にアンマンで女にふられたと泣いていたアストナージにそれを言われても説得力はないと思う。
 「和平の交渉中って言ったって作戦中なんだから、そういう話、無しにしません?」
 「作戦中だから、潤いのある話だってほしいさ。それよりも、“ゼータ”、見ておけよ。ブライト艦長は、お前に任せるって言ってたぜ」
 カミーユは面食らった。確かに誰かに使わせようという目論見があるから“アーガマ”に持ち込んだのだろうが、よもやそのオハチが自分に回ってくるとは思わなかったからである。抗議はしたかったが、あのブライト大佐が聞き入れてくれるはずもないと諦めた。“マーク2”を大破させた弱みにつけ込まれるに決まっている。“ゼータ”は“ガンダム”なんだからカミーユだとか、もともとテストパイロットをやっていたんだからと言われるに決まっているのだ。
 ブライトが“ゼータ”の特性を知っていて運用を考えているのかが心配だった。
 ひとつの作戦に性能の違う複数種類の兵器を運用することは正気の沙汰とは言えない。それを可能にしたのが宇宙世紀のモビルスーツというシステムである。人の形をし、汎用性が高いが故にサブフライトシステム等のサポートシステムと併用が可能となり、そうすることで新旧のモビルスーツの飛行性能差を埋めることができた。飛行性能だけではない。様々なファクターにおいて、サポートシステムを用いることでモビルスーツは性能差をカバーしてきているのだ。“ゼータ”はその新旧の性能差とはまったく違うファクターにおいて従来のモビルスーツとは違うのである。可変機構のため、運用面において微妙なバランスに出来上がっているというのが本当のところである。ウェーブライダー形態では、サブフライトシステムを使ったモビルスーツの飛行スピードをはるかに凌駕しているし、モビルスーツ形態では、単体のモビルスーツには及ばないのだ。これは、ウェーブライダー形態ありきの思想からきていることである。モビルスーツの汎用性を高めるためにとられた可変機構が、皮肉にも他のモビルスーツに対して特化させてしまうことになっているのだ。
 単機の“ゼータ”を作戦に投入するならば、可変気候を無視しサブフライトシステムを使用する形で使うか、編隊を組ませず単体で使うかのどちらかになる。
 「僕ひとりで、編隊も組まないなんて嫌ですけど」
 “ゼータ”を量産する時間さえあれば、複数機で編隊を組むということもありだろう。
 「アポリー中尉が感心してたぜ。たったひとりでモビルアーマーを二機も撃墜したってな」
 アストナージはカミーユの肩をぽんぽんと叩いた。ひとりでもやれるはずだとでも言いたいのだろう。とんでもない誤解である。あれは敵が隙を見せてくれたからできたことだ。仮にカミーユが敵の隙を見逃さない能力に長けていたとしても、そうそうそんな隙があるはずがないのだ。地球ではどうだか知らないが、宇宙空間において単機投入されるモビルスーツは脆いものである。
 「グリーンノア1が落ちたんなら、どのみち講和は結ばれるんでしょうけど、色はどうにかしてくださいよ。ミノフスキー粒子があったって、白は目立ちます」
 「アナハイムには発注してはいるが、間に合えばな。クワトロ大尉がいっしょに出撃してくれるんなら、大丈夫だよ」
 「なんで大尉が、“アーガマ”にいるんですか」
 てっきり、ダカールでの演説以降、後方に下がってそこからエゥーゴを指揮してくれるものと思い込んでいた。
 「なんでって、大尉は“アーガマ”のクルーだろ?」
 アストナージにはカミーユの疑問の意味が解っていないようだった。
 カミーユは、憤りが隠せないままアストナージにクワトロの居場所を訊いていた。



 クワトロがグリプスを包囲するエゥーゴ艦隊に合流したのは、カミーユが眠っている間のことである。
 政治家がそのパフォーマンスとして前戦に来ることは、虫酸が走らないでもないが良しとしよう。しかし、モビルスーツのパイロットでもあるからとはいえ、今のクワトロ・バジーナ大尉、いや、シャア・アズナブルがモビルスーツのパイロットをやるなどということは承伏できることではなかった。
 軍人が戦争とはいえ人を殺し続けることができるのは、それを指揮する上官が責任を取ってくれ、はてはその後ろにいる政治家が自分たちの正当性を国民や国際社会に対して解いてくれるからである。今や政治家であるはずのクワトロが前戦にパイロットとしているのは、その責任を放棄しているとしか受け取ることができなかった。

 やっとの思いで、ブリーフィングルームにいたクワトロを見つけたカミーユは、いっしょにいたブライトやエマにはいっさい忖度せず、その戸口で怒鳴り散らした。
 「修正してやる!」
 無重力を利用して壁を力任せに蹴ると、ロケットのようにクワトロに殴りかかった。
 しかし、すんでのところで傍らにいたエマ・シーンに遮られ、後ろ手に床に押さえ込まれてしまう。
 「少尉、何をしているんですか。場合によっては反逆罪ですよ」
 ヒステリックになることもなく、エマらしく静かにカミーユに忠告した。
 「ダカールであんなことまでしておいて、こんなところにいるんじゃ納得できるわけないでしょう」
 床に押さえつけられたままの情けない姿でカミーユは足掻いた。
 クワトロはカミーユを立たせるようにエマに指示すると、演技かかった嘆息をした。
 「まさか、私が本当にシャア・アズナブルだと思ったわけではあるまい? あんなものは、議員を注目させるためのデマだ」
 「貴方がジオンの子供であろうとなかろうと、そんなことは問題じゃないんです。あの演説を聞いていたら、前線に出てきてパイロットをすることなど、許されないことだって解らないんですか」
 トレードマークのサングラスのしたでクワトロが微かな笑みを浮かべたことに、カミーユの拳が再びピクリと反応した。
 「私は軍人なのだ。後方にいて、怯えていると思われてはしめしがつかんからな」
 後方にい続けることは、臆病者であることとは無関係だ。そこで何もしなければ確かに臆病だが、後方にいなくてはならない者には他にやるべきことがあるのである。シャア・アズナブルのビジュアルを知っている者などそうはいない。シャアをあの場の演出に使いたいだけならばべつにクワトロでなくてもよかったのだ。それでも、命をかけてあの場にクワトロは立った。それならばそれにこそ重大な意味があるはずなのだ。
 エマに立ち上げさせられた刹那、その隙を突いて、ついにカミーユはクワトロを殴り倒していた。
 クワトロは壁にまで飛ばされてそこにしたたか背中をぶつけた。
 今度は、エマも阻むことができなかった。
 「カミーユ!」
 「貴方がアムロ・レイを意識しているのは解りますが、まわりが貴方に期待しているのはそんなことじゃないんですよ」
 エマは張り手でカミーユを怯ませて、再び後ろ手に締め上げた。のけぞったカミーユは、それでもクワトロをにらみつけるのを忘れはしなかった。
 「いかに君がニュータイプでも、入り込んでいけないところがあることは知っておきたまえよ」
 床に座ったまま、怒ったふりをすることもなく口元に滲んだ血をぬぐうと、クワトロははずれたサングラスをかけなおしてカミーユから視線をそらせた。
 カミーユは、言いすぎてしまった自分を反省し言葉を詰まらせた。それでも、
 「僕だって軍人です、命令とあれば“ゼータガンダム”だって扱ってみせますが、この人とチームを組むなんてできそうにありません。軍法会議になってもけっこうです。反逆罪でも何でもっ」
 ブライトに怒りの方向をそらして虚勢だけは張った。
 「いい加減にしろ。少尉!」
 いきなり矛先を向けられて少し狼狽したが、ブライトはつゆほどもこれを感じさせずにカミーユに張り手を喰らわせていた。
 本来なら懲罰房に押し込むところだが作戦中につきおおめに見てやるとブライトは言い、そのままレクリエーションルームにまで連れて行って少し落ち着かせよとエマに命じた。エマとカミーユがブリーフィングルームを出て行ったのを確認すると、ブライトはクワトロを振り返って笑いながら掌をさしのべた。
 「すまんな、艦長」
 クワトロは、失笑しながらブライトの手を使って無重力空間で体勢を立て直した。
 「あれも、若さかな?」
 ブライトは、年齢に似合わないことを言った。
 だからクワトロもそれに応じて、おどけてみせる。
 「私がモビルスーツを扱いたがるのも、若さなのかな?」
 「とはいえ、私の心情をカミーユが代弁してくれたのだと、大尉には思ってもらいたいな」
 ブライトの本気とも冗談ともつかない言い回しに、クワトロは躬らを失笑する。カミーユの言うとおりに違いなかった。エゥーゴの反ティターンズ活動に刺激されたアムロ・レイ大尉が、地球で呼応する活動をはじめたらしいということを聞いたから、自分は“アーガマ”に戻ってきてしまったのだとは解っていた。それが一部の兵に嫌忌されることも承知していた。あのまま自分は次の連邦議会に法案を提出する準備と根回しをしなくてはいけなかったし、宇宙にあがったとしてもサイドや月面都市の各自治政府とのパイプを作ることに奔走せねばならないはずだった。
 「今回だけ、ティターンズとだけは軍事的にも決着をつけたいのだ」
 クワトロのその決意も、遊び半分ではないということもブライトには解っていた。



 自分の常人をこえた能力はつくられたものである。
 パプテマス・シロッコが宇宙空間において生身でいられたのは、彼が受精卵の段階からそう作られたからである。
 このことは彼自身も数年前まで知らなかったことで、木星からの帰途“ジュピトリス”のなかで知ったことだった。
 シロッコは自分が作られた生命であることで懊悩したことはなかったが、その受精卵の出所を知ったときに発狂しそうになった。
 だから出自を知りつつも、同じ志をもっているというだけで自分を登用してくれたジャミトフ・ハイマン閣下に恩義を感じているし、その孫娘であったサラ・ザビアロフ准尉を死なせてしまったことにいたたまれない気持ちになっていた。

 シロッコは、グリプス1にあるジャミトフの執務室にサラの戦死を報告にあがった。
 「儂は、ティターンズ旗揚げのさいに総ての肉親との縁を切った。あの娘がティターンズに入隊したのが偶然ではないにしても、その時から覚悟はしておったよ」
 ソファーに深々と腰掛けたジャミトフは淋しそうには言ったが、格別感情を込めてはいなかった。それはシロッコに対する気遣いでもあったし、一方的に親族と絶縁をした自分に孫娘の死を悼む権利などないという躬らを律する気持ちでもあった。サラの気持ちを察すれば、シロッコの盾となって死ねたことこそが本望であっただろうとジャミトフには類推できはした。しかし、この青年には露とも気付けなかっただろうし、それを言ってしまえば更にシロッコを追い込んでしまうことになると解るから、黙っていた。
 「サラ様であれば、地球圏の女帝にこそなっていただけるものと思っておりました。私が、一の家臣になれるものと信じていましたのに」
 シロッコのこの言葉に、やはり実直でマシーンのような野心家なのだと改めて解って、ジャミトフは小さくため息をついた。
 自分をいかようにでも罰してくれと言うシロッコをどうにか説き伏せたジャミトフは、サラのために生き延びろとも言った。

 シロッコが執務室を退出しようとすると、ジャミトフはそれを止めた。別に召還されたらしい巨漢バスク・オム大佐が現れたのだ。
 現在エゥーゴの包囲網を突破すべく、体勢を立て直しているというバスクの言葉を遮りジャミトフは叱咤した。
 「エゥーゴ側から和平の使者が来ておったとも聞くが、なぜ儂のところにその報告がないのか。ティターンズは、お前の私兵ではない」
 「しかし閣下、この段階での講和はあり得ません。閣下の失脚につながります」
 これはバスクの本音であり、ジャミトフを蚊帳の外に置いたつもりこそないのであろう。今、エゥーゴと講和を結ぶということは、勝者正義の戦史にならってジャミトフ・ハイマンが戦犯の汚名を着せさせられるのことが明白だったからだ。バスクがエゥーゴの使者を追い返したのは、忠義心に他ならなかった。
 「もう、兵も疲弊していよう。講和会議の席には、ジャマイカン少佐、ガディ少佐、パプテマス大尉にもでてもらう。バスクは締結を長引かせている間に逃げよ。三十バンチ事件やこの度のグリプス2の照射でお前には特級の戦犯容疑がかけられるのは明白だからな」
 ジャミトフの言葉に、シロッコも息を飲んだ。
 エゥーゴを一瞬で壊滅できるだけの軍事力を有していればそれをすればよかったが、今や軍事的にも世論でもエゥーゴ側が有利である。火力はあっても機動性の低すぎるコロニーレーザーはこの期に及んで役には立つとは思えない。その最大の稼働基盤とも言えるグリーンノア1を完全におさえられたのでは、照射もままなるまい。ティターンズの本懐は連邦政府体制の立て直しであるから、これ以上に戦争が長引くことはジャミトフの本意ではないということだ。人類を疲弊させるわけにはいかないということだろう。
 シロッコは、ジャミトフの心中を察して涙がこみ上げてきそうになった。
 「なりません、閣下。最後の一兵になるまで、徹底抗戦すべきです」
 「今や、ティターンズが守るべきものはない。戦ってなんとするか。エゥーゴの指導者があのジオンの息子ならば、地球を悪くはしま……」
 ジャミトフが総てを言い終わる前に、執務室に乾いた銃声が響き渡った。

 何より驚愕していたのは、ジャミトフを撃ってしまったバスク・オム本人かも知れない。
 大きな体躯を震わせ、拳銃がカチャカチャと音をたてていた。

 胸を撃ち抜かれたジャミトフは、ソファーから床に崩れ落ち、ぐったりとしてしまった。
 「バスク! 貴様ぁ!」
 シロッコが絶叫するのを聞かずに、バスクはその銃口を咥えると須臾の躊躇もなく引き金を引いていた。
 バスクの頭部は吹き飛び、血飛沫をあげながら人形のように倒れた。

 シロッコは、まだ息があるのではないかというジャミトフに駆け寄り、抱き起こした。
 救護班をよび、この世にジャミトフをつなぎ止めるために必死でその名を叫び続けた。
 「バスクめ、馬鹿な奴だ。奴のように汚れ役をすすんでやる軍人などいない。どこに行っても重宝されたであろうにな」
 肩で息をしながら、ジャミトフはバスク・オムを哀れむと同時にこのような最期を迎える自分をせせら笑っているようだった。真の目的はなにひとつ達成できず、このまま虐殺者の汚名を着るだけになるであろう。総ての肉親と絶縁したというのはそういった最期が予感できていたからに相違ない。しかし、今のジャミトフにしてみれば、連邦体制に一石を投じることができただけでも良しとすべきだとでも言いたげだった。むしろ、政治の舞台にシャア・アズナブルを引き込むことができたかも知れないということこそは、更なる嬉しい誤算だったのかも知れない。
 「閣下、喋らないでください」
 「後悔はない。サラと同じに、自分の信念に準じることができる。願わくは、シャアのつくる世界を見てみたかったが」
 「閣下には、まだやり残したことがおありです。まだ!」
 「ハハ、老体に無茶をいうな。よいなシロッコ、ティターンズは降伏させよ。シャアならば兵たちを悪くは扱うまい。抗えば、奴とてティターンズを庇えなくなる」
 シロッコの大粒の涙を顔中に受けながら、ジャミトフは力なく笑っていた。
 何故このような状況で幸せそうに笑っていられるのか、シロッコにはとうてい理解できなかった。ジャミトフ・ハイマン大将は生きなくてはならない。生き延びて地球圏の再生を行うべき人間なのだ。ここで生に執着しないのは、いささか無責任すぎるとシロッコは微かな怒りがこみ上げてきていた。しかし、それはサラを死なせてしまった自分の所為なのだろうと解る。孫娘を戦場で失ったことで、気弱になってしまわれたに違いなかった。
 「閣下、申し訳ありません!」
 「お前が謝ることではない。これで、サラのところに行ける……」
 「閣下!」
 咽が破れそうになるほどに何度もなんどもシロッコは叫んだ。



 ジャミトフ・ハイマン大将の命令を無視し、シロッコ躬らはエゥーゴともう一戦交えるつもりでいた。“ドゴス・ギア”をティターンズから強奪し、単身“アーガマ”だけでも沈める算段だった。エゥーゴから提示された降伏条件のなかにある“一万五千トン以上、もしくは十機以上モビルスーツ搭載可能な艦船の自費解体か引き渡し”の対象となる“ドゴス・ギア”であればその後のティターンズが困ることはないだろうとふんでのことでもある。無論、一トンでも大きな軍艦の方が敵に与えるダメージが大きいであろうという目論見はある。
 駐留していたフォン・ブラウン市の自治政府がどのような心証をもっているかにもよるのだろうが、今のままならばシロッコが戦犯になるようなことはないだろう。しかし、シロッコの望むところは平穏などではない。ジャミトフ・ハイマン閣下、サラ・ザビアロフを失い夢の実現が不可能となった今、夢の実現をはばんだカミーユ・ビダンやシャア・アズナブルへの恨みがシロッコを突き動かしていた。
 だから、シロッコの不穏な動きを察知してその下に集まってきた将兵たちに、
 「これは全くの私闘です。ジャミトフ閣下の遺言は、ティターンズの降伏ですから反逆罪にもなります」
 とその行動を諫めた。降伏に向けての準備は進んでいる。大半の将兵は、すぐとはいわないまでも平穏な生活を送ることができるようになるはずだ。それを、ふいにすることはない。
 「大尉の隊にも投降する者はいよう、人員を掻いたまま“ドゴス・ギア”を動かす気か? 無駄に散ることを覚悟しているにしても、しょうしょう不手際ではないかな」
 ガディ・キンゼー少佐はそう言って笑った。
 戦争の勝敗は既に見えていても、ティターンズであることに意地があるということだ。力でねじ伏せてきたティターンズが言えることではないが、同じように力のみでねじ伏せられるものなどないということをエゥーゴに見せてやらねばならない。このまま連邦の中央に居座られて増長をさせないためにも、ここで後衛たちに見せておかねばならないものがある。
 「感謝します少佐。このまま艦隊司令を引き受けていただきたい」
 シロッコはガディに握手を求めた。



 エゥーゴが提示した講和条件は、ジャミトフ・ハイマン大将とバスク・オム大佐の引き渡し、および一万五千トン以上、もしくは十機以上モビルスーツ搭載可能な艦艇の自費解体か引き渡し。サイド7総ての明け渡しであった。無条件降伏を突きつけることもできる戦況であることからすれば、破格中の破格と言える条件といえた。しかし、エゥーゴがここまで寛大な処置にでたのは仏心からではない。地球圏に接近してきているジオン最大の残党派閥アクシズを迎え撃つためには戦力が必要であり、そのためにティターンズに恩を売っておく必要があった。また、所詮エゥーゴは反地球連邦でしかなく、いつ連邦軍と干戈を交えることになるか解らない状況であることもその一因である。いずれはティターンズを身方に引き込むためでもあり、今は緊張要因を残してミリタリーバランスをとる上においても必要なことだったのである。
 そのような講和条件で、さらにグリーンノア1を陥落させられた状況にもかかわらず、ティターンズの一部の将兵が徹底抗戦を訴えていることがエゥーゴの上層部を驚愕、焦燥させた。
 艦隊司令官が、“アーガマ”にいるクワトロ・バジーナ大尉に動揺して連絡を入れてきた。
 「どうするも何も、完膚なきまでに叩かねばならないということでしょう」
 逆に、クワトロはあっさりと、せねばならぬようにするしかないという見解を示した。
 ここで撤退してしまっては戦争の火種を残すことになるし、ティターンズが望まぬカタチで息を吹き返すのは明白だ。何より、戦争を終わらせるというのは講和を結ぶということであり、戦闘の終了のことではない。節目をつけるべきときにつけておかないと、後でどのようなカタチで誰に上げ足をとられるか解ったものではないからだ。
 「それでは一時間後に投降を受け入れ、その後に一斉攻撃ということにします」
 「それでも降伏宣告は出し続けてください。ティターンズの兵は優秀です。無駄に死なせたくはない。ですが、投降を望んでいる将兵に、徹底抗戦を主張している連中の説得をさせないようにもおねがいします。分裂したティターンズにとはいえ、貸しを作るのは得策ではない」
 クワトロはそう言った後、どちらが艦隊司令なんだと言いたげにブライトを振り返って肩をすくめてみせた。



 “ゼータガンダム”の調整はほぼ終了していた。
 コックピットインターフェイスの自分用へのセッティングも終わらせたので、あとは外装を塗装するばかりだとカミーユは考えていた。
 シートに腰掛けたカミーユは、レーダーパネルの表示濃度を調節し終え、足下のファが、ペダルを一度踏んでみてくれと言った時、その脳裡に悲鳴が聞こえてきた。鼓膜を振動させることのない、脳に直接とどくような悲鳴である。数日前のコロニーレーザー発射の時に感じたものと似た感じではあったが、悲鳴はひとりのものであり、そしてそれがカミーユの知っている男のものだったということが違うところだった。
 「シロッコ大尉?」
 とがったこの雰囲気は、戦場で幾度かまみえたことのあるもので勘違いするはずもないと思えた。
 「カミーユ少尉、どうしたの」
 声が聞こえていなかったのかと足下のファが顔を上げると、顔面蒼白になっているカミーユをみて悲鳴をあげそうになった。まだ寝てなくてはダメだったのではないかというファの声を聞きながらも返事をすることができなかった。
 『悲しみだけが広がっていく。この戦争は、もう終わっている』
 ファが背中をさすってくれているのを心地よく思いながらも、カミーユはこみ上げてくる悪寒に震えが止まらなかった。
 シロッコの悲鳴にこの戦争の終結を感じてはいた。既に決着はついている。これ以上は、人の命を無駄に浪費するだけでしかない。それでも、その悲鳴のなかに事態を収拾させるチャンネルの喪失をも感じとることができてしまい、カミーユは絶望を感じていた。
 いかにクワトロでも、仮に後方でかまえていてくれていたとしても、この戦争をこのまま終わらすことなどできなくなってしまった。
 「シロッコ大尉、戦争は遊びじゃないんだぞ!」
 自分が何もできないことが解っているから、歯痒さにカミーユは絶叫するしかなかった。
 始めることよりも終わらせることの方が難しいのが戦争だというが、まさにその通りなのだろう。悪意において戦争がおこるのではない。欲望においてのみ戦争がおこるのではない。そしてその継続にはそこには常に善意や信念がついてまわるから難しくなる。
 カミーユにとってみればそれが遊びでも、シロッコはじめ一部の将兵にとっては自尊心をかけた重要な戦いなのである。

 「ティターンズの投降が始まったらしいが、一部の連中はまだやる気だ。一時間後には総攻撃を始めるぞ!」
 アストナージが“ゼータ”のコックピットに顔をのぞかせた。彼にしてみたら、ティターンズのこの行動は思いもよらないところだったのだろう。
 既に状況を理解していたカミーユが驚くことはなかったが、眦を決するのにはよいきっかけになった。
 「カミーユ大丈夫なの?」
 「これで、今度こそ戦争が終わるさ。心配することなんてないだろ?」
 不安そうに見上げるファに、カミーユはしらじらしく笑ってみせた。ファの懸念はそんなところにはない。彼女にしてみれば、戦争の終結そのものなどには興味はなかった。戦争状態であろうとも、その戦災の及ばないところに逃げてさえしまえればいいのだ。今のカミーユや自分はそこから逃避できるだけの位置にいるのではないか。体調が悪いカミーユが戦場に赴く必要があるというのか。
 「心配なのよ。もう、カミーユがでていく必要なんてないんじゃない!」
 「“ゼータガンダム”の開発スタッフの言葉じゃないな。自信がないのかい?」
 「ティターンズでも量産承認はおりているのよ。でも、そんなこと言ってない……」
 カミーユが次々とはぐらかしてゆくから、ファは少々いらだった。今の戦況からすれば、カミーユひとりがいなくても何も変わらないし、体調不良で戦場から離れていても咎める者などいないであろう。とにもかくにも、戦場に出てほしくないのである。
 「ファ、ダメだよ。うぬぼれで言ってるんじゃない、シロッコを止めることができるのは僕しかいないって解るんだ」
 戦争を終わらせるだけならば、この状況でなら誰がこの戦場に出てもできることだろう。でも、戦争が終わってもシロッコを止めることができることとは同義にはならない。戦闘が終了し、講和が結ばれ、たとえシロッコが死んだとしても、彼の魂は行き場を失ってさまようだけだ。それでは、また次の悲劇を生む元凶になるとカミーユには思えた。
 シロッコを真の意味で今からの戦争止めることができるのは、サラ・ザビアロフを失った悲しみを共有できた自分だけなのだと。
 この戦場で再びシロッコとまみえるなど通常でなら考えられない。それでも、確信があった。
 『僕は、シロッコと決着をつけなくちゃならない』


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