終 『初恋 − 二』


 ユーリー・ハスラー中将は、連邦軍の艦隊が月面都市フォン・ブラウンを発進したと聞き、愕然とするのと同時に納得もしていた。
 グレミー少将の政治工作も時間切れということだ。あと一週間ほどの猶予を連邦政府にはとりつけてはいたはずだが、はやる軍を止められなかったのだろう。さきの第二次独立戦争で直接被害をこうむったのは、サイド4や月面のグラナダ市がらみの艦隊と連邦本軍の一部にすぎない。数ヶ月前まで連邦軍内での諍いがあったとはいっても、無傷の艦隊はいくらかでもあるのはわかりきったことである。連邦軍内には、アクシズとのそれを負け戦とされたことに得心のいかない連中はまだいても不思議なことではないのだ。
 建国宣言こそできずにいるが、サイド3は厳然たる独立国であって、要請のない他国軍の治安出動を必要とはしない。
 そう言って連邦の艦隊に牽制もできるし、諸サイド国家へのアピールも可能ではあるが今からではまにあわず戦端を開かざるをえないだろう。なにより周辺空域の治安を盾にされれば、こちらに否があるのも確かなのだ。そのために、フォン・ブラウン駐留軍が担ぎ出されているに違いないのである。
 キャラ・スーン少佐がグラナダ市宙域に残してきた機動部隊は早々と降伏し、拘束されているという報告がマイクロウェーブ通信で入ってきていた。
 サイド3は明朝には包囲されている、ということになるだろう。
 その情景を思い描いて、ユーリー・ハスラーは蒼白となった。
 フォン・ブラウン駐留軍の一部に連邦本軍が主体になった艦隊のようだ。現在のサイド3の物量だけならば、まだ充分に渡り合えると言いきれる。しかし、グレミーやハマーンといった求心力を欠いた現状で兵たちが戦えるとはとうてい思えなかった。二人の死亡をどこまでも隠蔽できるものではない。
 なにより、今ようやくひとつの戦いが終わったというのに、だ。

 頭を抱えつつも、既にハスラーは部下に指示を出していた。
 緊急議会の招集を要請し、今事件の勝利軍提督である自分に全軍の指揮権を与えること、そしてハマーン軍の残党が反抗を続けるのであればその討伐件を与えるように進言した。
 すると、別の通信兵が連邦軍の艦から打電がはいってきたことを告げた。
 すでに降伏勧告かと思いきや、それはたった一隻の連邦遊弋部隊の艦からだった。

 “私は、連邦軍のクワトロ・バジーナ大尉である。私の責任において、正面の連邦艦隊は止めてみせる。貴艦等も軽率な発砲を控えていただきたい”

 聞き覚えのある声だった。
 そしてハスラーは、これでどうにか助かったと、その場にへたり込んでしまいそうになっていた。
 クワトロ・バジーナ大尉が乗艦している、空母を二つ並べたような風体の艦は徹底的に無抵抗の姿勢を見せていた。収納の可能な艦砲の総てを収納し、護衛のモビルスーツも発進していなかった。
 クワトロがそれをさせているのだろうが、艦長は気が気ではないのだろうなとハスラーは哀れんでいた。
 『相変わらず、くえない人だ』
 それでも、その口はほころんでいた。



 クワトロは、非常招集されたジオン議会に乗り込むと、この期におよんで戦端を開くことの無意味さを説いた。
 連邦の艦隊をサイド3の宙域に入れてしまうことにはなるが、事故事件を一件も発生させずに二週間で撤退させることを約束した。
 担保として自分の乗艦している艦を《ガンダム》ごと差し出すと言い、議会全体を唖然とさせる。
 また、ハマーン・カーンとグレミー・トトの死、ミネバ・ラオ・ザビの不在を徹底的に隠し通し、連邦側に気取られないようにと強調した。このひとことで、ジオンの議会はクワトロを信用し、その意向のようにするしかなくなってしまっていた。
 とくにミネバの不在を公にしてしまえば今のアクシズ・ジオン皇国は更なる混乱をきたしてしまうだろう。影武者をたててでも、事態を乗り切るしかなかったのである。
 かえす刀で地球のダカールに降りていったのを見て、ハスラーの副官は頼もしくも騒々しい人だと評した。
 「まさに彗星というに相応しいな」
 嘗てアクシズ脱出を手助けできたことを今ほど誇らしく思えたことはないと思い、ハスラーは目を細めていた。



 ダカールの連邦議会で、クワトロは連邦政府を哀れんでもみせた。
 「いちど承認したサイド3の独立を取り下げれば、それはもはや連邦政府の威信に関わることです。各サイドにも不信感が広がりましょう」
 敵国の兵であれ、その血がその国の独立の為に流されたのだ。いちど決定したことを舌の根も乾かぬうちに翻すのは、それを蔑ろにするということだ。建国されたばかりで赤子のような国を捕まえ、内政が不安定であると指摘するのは時期尚早であると。地球圏の秩序維持のためには、地球連邦政府こそが毅然としていなければならない。あっちでもないこっちでもないということをくり返せば、その方が他のサイドから火をあげさせることにもなりかねないと。
 クワトロが持ち出したのはこういった精神論だけではなかった。
 アクシズが地球圏帰還に帰還してから、ペルム戦争によるサイド3の吸収、そして第二次独立戦争と時をおうにつれて、地球圏のあちこちに潜伏していたジオン公国軍の残党によるテロ行為が減少してきているという現状をあげた。直接サイド3を目指す組織や、サイド3への口利きを条件に投降してくる組織もでてきている事実がクワトロの身方をした。敗戦は連邦政府には痛手ではあったが、サイド3独立を安堵することで治安が好転するのであれば、それは歓迎すべきだということだ。
 三十分に及ぶクワトロの大演説の後、連邦議会は軍のサイド3からの即時撤退を決定した。



 連邦軍がサイド3空域に進入してから十二日もの期間、連邦軍とアクシズ・ジオン軍との間でまったくトラブルがなかったことは賞賛に値する。この時の徹底的な両軍の統制は、今後どのような場所でも実現できないだろうと言われたほどである。アクシズ・ジオン側は、戦闘が終了したばかりで将兵の疲弊が極限状態だったということもあるし、徹底的に三人の指導者の不在が隠蔽されたことが大きいだろう。連邦側は、クワトロの部隊である遊弋部隊には憲兵と同じ権限が急遽あたえられた。超法規的措置であり、とうの本人たちをも困惑させたが治安維持に目を光らせていた。量刑に、一親等までの銃殺もありえるとクワトロが軍内にアナウンスしていたこともあるだろう。

 そして、
 クワトロ・バジーナがダカールで議会の説得をしてから七日後、アクシズのベイブロックから最後の連邦軍の艦がサイド3を離れようとしていた。
 ジュドーはベイブロックの桟橋のひとつに立ち、その艦で地球に帰るクワトロを見送るところだった。
 奇しくもその桟橋は、やはりアクシズからの地球へ帰るクワトロをジュドーがスペースランチで送りつけた場所である。
 その時と違うのは、クワトロについていた護衛がいないことであり、ハマーン・カーンがいないことであり、そして、ミネバ・ラオ・ザビ皇王がいないことだった。
 あの時あの少女をミネバ様と知っていて止めることができたら、こんな悲劇はなかったのではないだろうか。
 グレミー閣下が死ぬことはなかったのだろうか。
 ハマーン様の私怨が和らいでいたのではないか。
 ミネバ様の心配をして、シャア・アズナブルがアクシズに残っていてさえくれれば、こんなことにはならなかったのではないか。
 様々な思惟をめぐらせながら、ジュドーは、相変わらずサングラスをしているクワトロに《ダブルゼータ》のメモリーチップを手渡した。
 「ありがとうございました。貴方のおかげで、ジオンの為に戦うことができました」
 これは、皮肉ではない。
 「君を利用したようになってしまって、すまないと思っている」
 白いスーツの胸ポケットにチップを入れると、クワトロは握手を求めてきた。
 ジュドーはそれに応じ、おそるおそる掌を重ねた。
 「いいえ。貴方にそのつもりがなかったことはこうしていてもわかります」
 ジュドーの声は、涙でくぐもり始めていた。
 このまま除隊して、リィナやプルが待っているサーラントのプランテーションで花を作るのだと言った。人の死をたくさん見たから、もう殺したくないし死を見るのが嫌だというのは偽善である。それでもジュドーは、若すぎるにもかかわらずいちどにたくさんの死を見すぎてしまった。妹やプルをまもるほかの手段が見つかったのならば、除隊したほうがいい。
 次に、力がゆるみ、離れていこうとするクワトロの握手を、ジュドーは思わず両の掌でしがみつくように引きとめた。
 「ジュドー君」
 クワトロは、わずかに驚きはしたがすぐにジュドーの真意がわかって、もういちど握りかえした。
 「あの時サイド3に来ることができなかったら、もっと、……悔やん、で、いた、でしょう、……から。でも、ハマーン様は、ハマーン・カーンはバラのように散ったんです! 俺の目の前で……」
 クワトロは、サングラスをはずしてただ小さくあいづちをうった。

 やはり、クワトロ・バジーナを責めるのは理不尽だと、ジュドーの理性は躬らをとめようとする。
 こうして自分の初恋が実らなかったように、誰にでもそれぞれの感情があり、状況がある。受け入れられなかったことを咎めるのはいけないことだ。
 それでも、あふれ出したこの心の奔流はとどまりようがなかった。
 ジュドーは涙で歪んだ視界の中でクワトロの瞳を捜し、見つけた時に跪いていた。
 それから、握手に額をあてて、ついに嗚咽をはじめてしまった。
 『どうして貴方は、ハマーンに優しくしてあげられなかったのだ!』
 どうして、抱きしめてあげなかったのだ。
 彼女の望んでいたのは、たったそれだけのことだったのに。
 「シャア・アズナブル大佐。俺は、貴方になりたかった……」
 躬ら苦しむか、他人を苦しませるか。そのいずれかなしに恋愛というものは成立しない。

 ジュドー・アーシタの初恋はこうして終わった。

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