七話 『失恋』


 ハマーン・カーンがグレミー・トトを撃った瞬間をジュドーは目の当たりにしてしまった。
 こうならないように祈っていたというのに、最悪の事態に愕然とした。
 ジュドーは、ハマーンが拳銃を持っていることなどまるで意に介さないように、グレミーに駆けよって抱き起す。
 その名を叫んだ。
 ありったけの力で現世にしがみつこうとするように、グレミーはジュドーの肩に掌をかけた。
 「お前には最後の最後まで……。不甲斐ない主で、すまなかった」
 込み上げ、溢れるジュドーの涙がグレミーの顔をぬらす。死んではならないと叫ぶが、グレミーの声はか細くなっていくばかりだった。
 なぜあの時、ハマーンのところへ行くという閣下をもっと必死で止めなかったのだろう。常に勝ち続けるグレミーは、ジュドーにとっても英雄だった。死ぬことなどない人だと、ありえないことを思っていた。なにより戦況が有利であったということで、やはり慢心していたのだ。敬愛するミネバ様を蔑ろにされていると思っていたら、居ても立ってもいられなくなるのが当たり前ではないか。不敬罪を承知で、殴ってでも諫めるべきだった。総てが終わってから慌てて駆けつけても、なんの意味もない。
 「ダメです。閣下は、これからのジオンを!」
 「卑しき私がジオンを導くなどというのが、分を辨えぬ志だったのだ。これは、その報いだよ」
 妾腹であることを卑下したのか、ハマーンの言葉を信じたのか、グレミーはそう言って力なく笑った。
 その青白くなって行く顔に、もう助からないということはジュドーにもわかった。
 「閣下、ダメです」
 ジュドーも、もう思っていることを言葉にすることができなかった。引き留めること、これまでの恩義、その総てを言葉にしようとして頭のなかがいっぱいになっていた。
 「ジュドー・アーシタ、略式ではあるがお前に従六位下を判授する。ジオンを頼む。政に関わらなくても……。そして、プルを頼む」
 そして、グレミーは息絶えた。
 ジュドーは、もう声もあげられなかった。
 信義と礼節を重んじた人が逝ってしまうというのに、それを嘲るように傍らに立つ人間がいるというのは、あまりに理不尽ではないのか。
 何故それが、自分が恋をしてしまった女性なのか。
 ジュドーは発狂するてまえにまで追い詰められていた。

 アーシタという名前を聞き、ハマーンは納得できた。
 かつての権力抗争で排斥したアーシタ夫妻、その息子が軍に入隊したと耳にした時、復讐の準備をはじめたのかと思っていたが、それが今になったということなのだろう。もう少し時間をかけて昇進し、側近にでもなって現れるかと思っていたが、このようなカタチになるとは意外だと思った。これまでのジュドー・アーシタに、そのつもりがあったのか否かということは問題ではない。人の因果や業というのは、意図せずとも関わってしまう時はそうなってしまうのもなのだから。
 『ならば、お前もここで排除する』
 ハマーンは、静かに銃口をジュドーに向けた。

 「ジュドー!」
 ハマーンがトリガーを引く前のタイミングで、政庁謁見の間の入口に立ったプルが叫び、拳銃を撃つ。
 怯んだハマーンは銃口をプルに向けるが、彼女は既に十歩と離れていないところにまでせまってきていた。
 プルの放った銃弾はハマーンの肩をかすめ、ハマーンの銃弾はプルの脹脛をえぐった。
 我にかえったジュドーは、後ろからハマーンを羽交い締めにしようとするも振り払われる。だが、その拳銃をたたき落とすことはできた。次に腰のホルスターから拳銃を抜いた時には、ハマーンは謁見の間から走り去っていくところだった。
 ジュドーは制止を叫ぶが、プルの呻き声が気になって追うことはできなかった。
 「大丈夫か、プル。すまない、お前まで」
 脹脛を押さえてしゃがみ込んだプルの顔を覗き込む。
 プルは、苦痛の中に笑顔を浮かべながら、骨にとどいていないと思うから大丈夫だと途切れとぎれに言い、鼻水と涙で顔をぐしゃぐしゃにして泣きはじめた。
 脚の痛みではない。
 「グレミーは、死んじゃったのね?」
 まるで兄のように慕っていたグレミーの死を、既にプルは察していた。どこか超能力のように物事の経緯を察してしまうことは、これまでにもなんどかあったことだ。
 血縁的にはともかく、身内のいない彼女にとっては兄と同じ存在だったはずである。軍での部下でしかなかった自分が抱く悲しみや怒りとは比べものにならないものが、プルのなかで渦巻いていることがジュドーにもわかった。
 「閣下は、プルのことを心配されていた」
 なんと言って慰めたらいいのか、わからない。これまでだってそうだった。仲間の死に対して、その身内になんと言ってよいのか。なにを言ってもかえってくるものなどない。常に、自分の無力を思い知らされるだけである。
 悲しみの道だけが悲しみを知らざる世界に通じている。しかし、その道程を歩く者の背には重荷があり、足は重い。精神の力を発達させるのは悲しみだというのなら、死ぬまで未熟なままでもいい。
 ジュドーも、プルの止血処理をしながらまた涙が込み上げてきた。
 「ジュドー、グレミーのかたきを討って」
 涙を袖でぬぐうと、次から溢れてくる涙を必死でプルは堪えていた。
 ハマーンにはあんなに能力があるというのに、こんなことにしか使わないのはいけない、と。
 たしかに、人の上に立つ者の能力は民衆のためにある。そのように振る舞わねばならない。背負った責任を、私欲のために浪費することは許されないことだ。
 お前のことが心配だというジュドーを、軟弱だとプルは叱りつけた。ニュータイプチームの意地を見せてみろと。
 ハマーンには、もうなにも残されてはいない。今度こそ本当に総てのカードを使いきったのだから。ハマーンがどんな過去を背負っていたとしても、ひとりでなにができるというのか。
 「確かに俺は、閣下から従六位下に任じられたんだ」
 ジュドーには、ジオンがある。リィナがいる。プルがいる。そして、グレミーがいる。
 「ジュドーを騎士と認めたグレミーのために。衛生兵ならすぐに来る、から」
 それから、ジュドーならばあの危険な因子を駆逐できるはずだとプルは言った。

 今の今までハマーンを警戒していなかった自分がひどく軟弱な男のような気がして、ジュドーは情けない気持ちになっていた。
 尊敬する上官を殺され、大切な同僚を傷つけられるまで自分はいったいハマーン・カーンのなにを見てきたのだろう。
 ハマーンは、ミネバ様とともにアクシズやジオンの希望だったはずではなかったのか。
 たんなる敵ではなく、危険な存在としてハマーンを認識しているのは今やプルと自分だけだ。ならば、プルの言うように自分がハマーンを討つべきだという使命感がわいてきた。
 「俺がどこまでハマーンに対抗できるのか、わからないけど」
 プルの頭をグシャグシャッと撫でたジュドーは、一瞬ニヤリと笑ってから眦を決し立ち上がった。

 プルはその勇ましい背中を誇らしげに見送ると、つぎにグレミーのところへと身体を引きずった。
 胸に耳を当て、そこが静かすぎることに嗚咽がとまらなくなってしまった。
 本当に死んでしまったのだ。
 自分はまだ死ねない。ジュドーのお嫁さんになって、リィナのお義姉さんになるのだ。いっぱい幸せになって、グレミーのお墓をずっと護らなくちゃならない。
 だから、ハマーンをこらしめなくちゃいけないのだ。
 「嫉妬だけじゃないよ。ジュドーはハマーンが好きだけど、ホントだよ」
 これまでだって、ずっとハマーンのことを疎ましく思っていた。いなくなってしまえばいい。そうすれば、ジュドーの全部を自分だけのものにできる、と。でも、それだけではなかったのだ。ハマーンに対する敵意は、このこともさしていたのだと今になればわかる。こうなるとわかっていれば、軍で出世していくグレミーを泣いてとめたのに。大切な人が死んでしまったことを、死んでから遠くで察知したところでなんになるというのか。
 まともな忠告のひとつもできないで!
 プルは、グレミーの冷たくなった頬に接吻をした。
 「私、ニュータイプらしいのに。ごめんね、オニイチャン」



 政庁の庭で跪かせてあった真珠色の《キュベレイ》は、独断で飛び出したグレミーを慌てて追いかけるためにプルとジュドーが使用したものである。
 それをハマーンが奪取するのに、ほぼ障害はなかった。
 プルとジュドーだけでなく他の将兵たちも同じようにグレミーを追いかけてきていて、政庁の中にまで乗り込む者と周辺の警備にわかれていた。警備担当は、庭に飛び出したハマーンに虚を突かれたのである。
 単身、護衛もなく政庁から飛び出した女性がハマーンだなどと、諜報部員ならともかく他の兵科の誰が思うだろう。それに、ハマーンに敵対しているグレミーの部下といえど、先日まで最高司令官としていた女性が現れればそのそのトリガーを引くことをためらうものである。
 ジュドーが、プルを気遣っていた時間が明暗を分けてしまったのだ。すばやく連絡をいれていれば、このようなことにはならなかったはずである。

 ほどなく政庁を飛び出したジュドーは、ハマーンを追撃するために右往左往する仲間の状況を見て臍をかんだ。
 『まだ迷いがある!』
 いつまで自分は初恋に振り回されているというのだ。プルを気遣っていたのは、無意識にハマーンを逃がそうとしていたからではないのかと躬らを疑った。一等操縦士になったあの時の舞い上がっていた自分を否定しなければ、国にも自分にも未来はないとわかっているというのに。
 「《ダブルゼータ》、ジュドー・アーシタ曹長が使います!」
 誰にいうでもなく宣言したジュドーは、そのコックピットにおさまっていた。
 他の《ザク・ドライ》はふさがっているだろう。自分が《ダブルゼータ》を使うしかない。
 ジュドーは一気にスラスターを開け、五機の《ザク・ドライ》と共にハマーンの《キュベレイ》を追った。

 グレミーが単身で乗り込んでくることはハマーンにはよめていた。だから政庁職員には臨時で休暇を与え、被害が大きくならないようにしたのである。グレミーの死体は遺棄し、そのまま自分は雲隠れするつもりだった。今後は、おりにふれてミネバ様のところに顔が出せればいいと考えていたのである。
 しかし最後の最後に誤算があった。ジュドー・アーシタである。まさに、思わぬ伏兵というやつだ。
 グレミーを追って部下たちがやってくるのは当然のことで予想もなにもないのだが、あの場にあのタイミングで現れるとは思わなかったのである。
 『それも、あのアーシタ夫妻の息子だとはな!』
 シャア・アズナブルの腰巾着だという認識しかなかった。美男美女の夫婦が、派閥のイメージ戦略のためにでしゃばっているだけだと侮っていた。まさかここにきて、こんなカタチで自分のゆくてを阻むとは予想のできないことだった。
 それがにがにがしいことだと脳裡を巡らせながらも、自分を追ってきた十二機の《ザク・ドライ》の総てに意識を集中した。
 そして、《キュベレイ》の背部のコンテナーからファンネル・ビットが躍り出る。
 次の瞬間には、その総ての《ザク・ドライ》が撃墜されていた。

 まだ後方にいたジュドーは撃墜されることはなかったが、その鮮やかなさまを見て息を呑んだ。
 「圧倒的だ……」
 ファンネル・ビットを一度期に複数を運用するというのは、そのように設計されているのだしOSがリカバリーしてくれることだからたいしたことではない。複数のファンネル・ビットを用いてひとつの標的に対して使うというのが通常であり、複数の標的というのは不可能だというのが《キュベレイ》パイロットのあいだでの共通認識だった。それも搭載火力の小さいファンネル・ビットによって一撃で目標を沈黙させ、大きな爆発をさせていないということは、機体中央部の熱核反応炉かコックピットをパイロットごと焼いたということになる。
 ハマーンは、複数の目標にピンポイントで攻撃できるという神業の持ち主だということだ。
 それも、あの真珠色の《キュベレイ》はニュータイプであるエルピー・プル・ツウァイリンゲ用にチューニングされている機体で、そうでない人間がファンネル・ビットを含むサイコミュシステムを扱えるはずはない。
 ハマーンにはニュータイプの素養があるということである。
 ジュドーはおののくも、プルの顔を思いかえしていた。
 そして、三方からハマーン機を挟み撃ちにするという案が仲間から提示され、それに賛同していた。

 ニュータイプとしての素養がいかに低かろうとも、サイコミュシステムを扱うことの巧拙と比例するとはかぎらない。
 ハマーンは、《キュベレイ》の操縦を懐かしいと思っていた。そして、操縦技術がまだ衰えていなかったことに自身で驚嘆していたし、安心していた。サイコミュシステムの初期開発スタッフだったという過去はだてではない。ハマーンが開発チームから離れてから幾年たち、他の数多の被験者が携わり量産されるにいたっても、その根底にあるのは初期のハマーンから採取したデータだったということだろう。能力に劣勢があろうとも、その道具が手に馴染んでいれば負ける気はしないとハマーンは思った。
 ファンネル・ビットをコンテナーに戻すと、ハマーンは《キュベレイ》を着陸させられる公園があるはずだと足下を検索した。
 《キュベレイ》や《ザク・ドライ》には飛行するための翼が装備されていない。重力下においては、スラスターや姿勢制御バーニアの推力で無理遣り長大な跳躍をするという程度のことしかできないのだ。そのため、定期的に総バーニアを休ませる時間が必要になる。コロニーの中でモビルスーツを跳躍させる他の手段として、ゼロGラインを利用するというものがある。島三号とよばれる円筒形のコロニーが地球上と同等の遠心重力の1Gを発生させられるのはその内壁だけであり、上空三キロメートルは無重力状態なのである。ゼロGポイントとよばれたり、回転軸故にゼロGラインとよばれる。この線上では飛ぶ必要がないためにバーニアを休ませることができるのだ。
 一般施設に影響を与えにくいこのゼロGラインを使う方が一般的ではあるが、ハマーンはあえて地上に着陸する手段をえらんだ。
 正午という時間のためだろうか、さいわいにもその運動競技場は無人状態だった。二十メートルのモビルスーツが十機は着陸できるほどの広さがあった。観客席の一部を破壊するも、《キュベレイ》をグラウンドに着陸させるハマーン。
 「しかし、お前たちは休ません」
 ハマーンは口の中でそう言い、笑いながら再びファンネル・ビットを射出した。
 ハマーンを追いかけてきたジュドー達は窮するだけだった。上空から地上を攻撃すれば、間違いなく地面に穴を開けてしまう。コロニーに穴を開けてしまうということだ。正確に《キュベレイ》に当てることができれば被害は最小限ですむ。しかし、標的に対して弾幕を張り、数発に一発が当たるというのが現状なのだから、それは不可能だと言ってもいい。
 地球に対してアースノイドは無自覚であり、それに反比例するかのようにスペースノイドはコロニーを愛する。
 コロニーに穴を開けるなどという暴挙を、ジオン国民ができるはずがなかった。ハマーンはそこに付け入ったのである。
 ハマーンとてスペースノイドであり、そのプライドもある。しかし、上空六キロメートルさきの地上に大気を掻き分けてとどくメガ粒子砲など艦砲クラスしかありえないし、《キュベレイ》のファンネル・ビットに搭載されたメガ粒子砲は出力が低い。懸念することなく攻撃することができた。さきほどのようにコックピットか熱核反応炉を正確に撃ち抜き、推進剤に引火さえさせなければ爆発することもない。
 しかし、次にハマーンがとった行動は更なる攻撃ではなかった。
 いきなりファンネル・ビットを引き上げたかと思うと、再び跳躍、逃避行動にでたのである。
 だが、ここでジュドーがいっしょに行動してきた《ザク・ドライ》の五機は、即時に《キュベレイ》を追撃することはできなくなっていた。
 バーニアを休ませなくてはならなくなってしまったからである。
 そうでなくても構造的に《ザク・ドライ》よりも《キュベレイ》の方が滞空時間が長いのだが、数分とはいえ競技場で着陸できたこととできなかったことの差は大きい。飛行コースを自身で決定することができる、という逃げる側アドバンテージを有効的に活用できたハマーンの強かさである。戦争に負けてグレミー軍に切り込まれたとはいえ、それは数分前のことであるし、ズムシティで制圧されたのは第一ドッキングベイだけにすぎないということだ。
 ハマーンは、一気にゼロGラインまで跳ぶと第二ドッキングベイを目指した。

 隔靴掻痒、競技場で休めず攻撃もできないジュドーであったが、そこから飛べなくなるということはなかった。
 戦闘爆撃機という形態のとれる《ダブルゼータ》は、《ザク・ドライ》とは違って翼があるのだ。燃料のあるかぎり重力に逆らうことができた。
 編隊行動をとらないのは危険だという仲間の言葉を退け、ジュドーは後から追いかけてきてくれと機首をハマーンの跳んでいったさきに向けた。
 ハマーンには、ジオンの指導者をし続ける気など毫もないし、当然、このままズムシティにいるつもりもないのだとジュドーにはわかっていた。そのつもりが微塵でもあれば、なけなしであれ部下を伴うはずだからである。
 このままサイド3のどこかのコロニーに、もしくは他のサイドにでも潜伏して一生を閉じる気だろう。
 そんなハマーンをズムシティの外で見失ったりしたら最後である。二度と見つけることはできないだろう。
 この《ダブルゼータ》の推進力ならば見失っていない《キュベレイ》に追いつくことはできる。
 グレミー軍の《キュベレイ》を奪取したハマーンには、無線の内容が筒抜けだろう。いちおうこちらも非常事態用のチャンネルに切り替えてはいるが、効力があるとは思えない。それも考慮のうえでこちらのモビルスーツを使用しての脱出に違いないのだ。
 本当にあの狡猾なハマーンを抑えることができるのか、ジュドーには自信がなかった。



 第二ドッキングベイのゲートを潜って宇宙空間に飛び出したところで、ハマーンは追撃の戦闘爆撃機を振り切るのを諦めた。
 飛行性能では《キュベレイ》の方が劣っていると悟り、追撃機を行動不能にするしかないと考えを改めたのである。
 目の前の戦闘爆撃機のパイロットが誰であるのか、ハマーンにはわかっていた。因果などというのは非科学的な言葉だが、それを実感することは一生の間に何回かはあることのようだ。
 と、目の前のスクリーンに映っている戦闘爆撃機がモビルスーツの形態になり、その姿にハマーンは怒りを通り越えて笑ってしまった。
 「この周波数なら聞こえているな、ジュドー・アーシタ。かつては、サイド3の独立を阻んだといわれる《ガンダム》とはいえ、私の野望を止め、両親の仇討ちなどできまいよ」
 第一次ジオン独立戦争後で《ガンダム》さえ現れなければ、とっくにジオンは連邦政府から独立していたのだ。そうならば姉も新しい恋を見つけられたであろうし、自分とてシャア・アズナブルと添いとげることもできたかもしれない。公国軍残党がアステロイドなどというところに逃げ込むことがなければ、自分はミネバ様の摂政になどならずにすんだというのに。その《ガンダム》が、再び自分のゆくてに立ちふさがるのは不快きわまりなかった。たった一機のモビルスーツが戦況をかえることなどありえない。ファンタジックな謬見なのだという意識はある。それでも、ジオン軍は《ガンダム》に敗れたのであり、その後の不遇もその所為であるというのはアクシズ将兵の心の奥底にある認識なのである。
 ハマーンは吼え、ファンネル・ビットの総てを射出すると、《ダブルゼータ》に猪突させた。

 自分に襲いかかるファンネル・ビットを見るのは初めてではない。
 プルはじめ、ニュータイプチームの仲間を相手になんども模擬戦をやっているのだ。
 それでも、ジュドーはそうけだっていた。これまではしょせん模擬戦でしかなかったということもあるし、なにより、こんなに迷いのない稼動をするファンネル・ビットを見たことがなかったからである。
 今までの追撃でわかってはいたことだが、ハマーンはそうとうの手練れだということをまざまざと知らされた。
 『しかし!』
 ジュドーは、迷わず《ダブルゼータ》の大出力ビームライフルをハマーンの《キュベレイ》に向けて撃った。
 ファンネル・ビットを狙い撃ちにするというのは、そのサイズとスピードから考えたら不可能である。それよりもはるかに大きく動きの遅いモビルスーツに対してですら、ドックファイトでは弾幕を張るというのがセオリーなのだ。ならばファンネル・ビットの攻撃がこちらにとどく前に、惑わされず本隊を攻撃した方が効力がある。ファンネル・ビットそのものは独立した機動兵器ではない。思考し、百パーセント独自の判断で動かないいじょうは、本体の《キュベレイ》を沈黙させれば無力化できるという理屈だ。ルーティンプログラムも組み込まれており、いっけん思考して動いているように見えなくもない機動もするが、擬似的なものでしかない。《キュベレイ》のパイロットが回避運動に気をとられすぎれば、ファンネル・ビットの制御がおろそかになる。ハマーンほどに精密に操作ができるということは、その落差は大きくなるものだ。
 ジュドーとて、だてにニュータイプ研究所に長く所属はしていない。
 なにより、現役を退いてから月日を経ているハマーンにも不利な要素はあるはずである。
 はたしてジュドーの目論見どおり、ファンネル・ビットの動きが鈍って二機は撃墜することができた。それでも狙い撃ちにできていたわけではなく、ライフルのメガ粒子が大出力だったおかげである。余波で吹き飛ばしただけにすぎない。《ダブルゼータ》も右肩の関節に攻撃を受けて、動かせなくなってしまっていた。
 今ので《キュベレイ》に当てられなかったというのは、正直つらい。この手段は二度と仕えないはずだから、本体を仕留められなくとも、二十機あるファンネル・ビットのうちの半数は撃ち落としたかったところである。右肩が動かせなくなってしまったことで、姿勢制御が五パーセントの低下をし、ビームライフルの制御を肘関節のみでおこなうことで射撃制度が四十パーセントに低下したとコンピュータが警告してきた。あのハマーンの《キュベレイ》を相手にするのにこれらのダメージは大きすぎる。
 「父さんと母さんをかえせ!」
 生命の危機を感じた所為か、心の奥底にあったであろう本音がジュドーの口をついて発た。
 そのことに自身驚愕し、次には我にかえったようにジュドーはヘルメットシールドの上から口をおさえていた。

 今のジュドー・アーシタの声は無線から聞こえてきただけではないとハマーンは気付いていた。
 気配だけではなくて直接のようにジュドー・アーシタを感じられるとわかったハマーンは、そのまさに子供の悲鳴に絶叫で反した。
 第一次ジオン独立戦争の時のように《ガンダム》が戦えるのならば、なぜ今頃になってノコノコと目の前に現れたのだ。来るのが遅いのだ。父が死ぬ前、いや、
 「どうせ来るのなら、何故あの時に来てくれなかった!」
 摂政に就任する前に現れ、アクシズを連邦政府の完全支配下にしてくれればよかった。シャアも自分も、どれだけ拘束されることにはなろうとも、ずっと近くにいられたかもしれないというのに!



 二人の慟哭は、互いにモビルスーツの装甲を隔てていないかのように、そして耳朶をうつことなく直接脳髄にとどいていた。



 昼下がり、
 産まれたばかりのリィナを胸に抱く父。
 ジュドーの手を引く母。
 アクシズのどこかの公園での風景。
 楽しそうに微笑んでいる。
 傍らには噴水。

 その噴水池に全裸のプルが飛び込み、それを幼いグレミーが咎めていた。
 意に介さず、プルは両掌で水をグレミーに幾度も浴びせる。
 やがて、Tシャツが濡れるのも忖度せずに、グレミーも噴水池に飛び込んだ。
 無邪気に笑っている。

 噴水の前のベンチ。
 ハマーンはサングラスの男性とならんで腰掛けていた。
 たくましい肩を借りて居眠りをしていたハマーンの鼻梁をつまみ、おこそうとする男性。
 優しく微笑んでいた。
 気付き、視線が合って照れ笑いするハマーン。



 『俺はなにを見ているんだ?』
 クワトロ・バジーナがハマーンといっしょにいる?
 そんな言葉が口をつく直前に、ジュドーは様々なことを悟って口をつぐんだ。
 見たことのないはずの情景が直接頭に飛び込んでくることに対して反射的に、おそらくはハマーンと思われる正面の影に疑問符をぶつけただけである。
 それでも、これの意味がわかっても、見える意味がわからない。
 『意味などあるものか。貴様も他の男のように、気安いというだけのことだ!』
 ハマーンは、唾棄した。
 男というのは、産まれた時から年老いるまで無意識に女の中に土足で入り込むことしかしないのだ。
 それが今さら見えてなんになる。
 『違う! ハマーン、様、それは……』
 悲観的になっているハマーンを諭したい衝動がジュドーにわきあがってきた。
 ジュドーにも、だんだん意味が見えてきていた。
 人は、周りに対応して生きてゆくしかない。順応というヤツだ。抗っているように見えても、それこそが流されているということでもあるのだ。そんな行き違いが関係を歪ませてしまうのは、途切れさせてしまうのは悲しいことではないか。
 口元を歪ませ、ハマーンはもういちど冷たく吐きすてた。
 『それを、気安いというのだ!』



 “ジュドー、ダメっ!”
 「プル?」
 ジュドーを引き戻したのは、どこからか聞こえてきたプルの声だった。
 しかし、次には衝撃とともに《ダブルゼータ》の左腕が吹き飛ばされていた。《キュベレイ》のファンネル・ビットの体当たりである。とはいえ、プルに引き止められていなければ、コックピットに直撃を受けて死んでいたかもしれない。
 正面モニターいっぱいに真珠色の《キュベレイ》が映っていた。
 ジュドーは息を呑み、悲鳴もあげられずに竦みあがってしまった。

 「貴様のような子供でもそうなら、男というのは総じて破廉恥な生き物なんだよ!」

 生かしては帰さんとばかりに、《ダブルゼータ》の腹部コックピットブロックに直接《キュベレイ》の足蹴りがきまる。
 その衝撃の中でジュドーが気絶しないのは奇跡にも近かった。
 後方にはじき飛ばされた《ダブルゼータ》を啄まんとファンネル・ビットが群がる。明らかに急所を見つけ出していて、総てがそのコックピットをめがけていた。
 一斉に降りかかる攻撃がとどくその直前、ジュドーはほとんど無意識に《ダブルゼータ》を分離していた。
 そのため、かろうじてファンネル・ビットの攻撃を躱しきることができていた。
 《ダブルゼータ》は戦闘中でも任意で三ブロックに分離することができ、それぞれで運用が可能なのである。積み木のように積み上げられた中央は、まさにコア・ファイターと呼称される小型戦闘機で、コクピットブロックでもあった。積み木の上部と下部はパイロットの脳波で操作される、まさにファンネル・ビットと同じ運用が可能なのである。
 被弾はしているが、まがいなりにも総てを動かせるとわかってしまったジュドーは、機首に装備されているガトリング砲を連射しながら《キュベレイ》にコア・ファイターで突進した。
 「優しかったハマーンに戻るんだ!」
 それは、ジュドーの最後の説得だった。

 そんな言葉も、今のハマーンにはきれい事にしか感じられなかった。
 ずっと信じていたのだ。
 信じて、信じて、信じて待ち続けたのだ。
 それでも、最後におとずれたのはとどめの呵責でしかなかった。
 いまさら、なにを信じればいい!
 「都合よく、使い捨てにされはせん!」
 ハマーンは、刃向かってくるマッチ箱のように小さな戦闘機をファンネル・ビットで追った。ガトリング砲でメインカメラを潰されはしたが、残りは回避した。小回りがきいても、その程度の制圧力では《キュベレイ》を撃墜することなどできはしない。
 しかし、ジュドーの目的は自身を囮にすることだったのである。
 ハマーンの意識がコア・ファイターに向いているあいだに、分離した《ダブルゼータ》の上半身ブロックに搭載されたビームライフルを制御し、《キュベレイ》を撃ち抜いていた。



 うまくやれるか否か、それはジュドーにとって当たり目の少ない賭けだった。
 レクチャーを受けてはいたが、実際に《ダブルゼータ》を分離して扱うというのは初めてのことだったのだ。それも、爆発をさせないように熱核反応炉だけをピンポイントで狙撃するなどというのは慣れている《キュベレイ》でもやったことのないことである。
 ただ、爆発をしなかったからとはいえ反応炉だけをきちんと撃ち抜くことができたとはかぎらない。爆発させたくなかった理由はハマーンを死なせたくなかったからであり、反応炉の上部にあるコックピットもメガ粒子で焼いている可能性は否定できない。
 そんな器用なことが狙ってできるのは、それこそハマーンだけであろう。
 逆噴射をして慣性飛行をしていたコア・ファイターを、腹部に風穴のあいた《キュベレイ》の正面で停めた。
 アンテナの役目も果たすファンネルコンテナーも今の攻撃で完全に破壊しているので、ファンネル・ビットによる攻撃はもうないはずだ。他に内蔵している武器が、小型とはいえ戦闘機を撃墜することができないことも《キュベレイ》を熟知するジュドーには明白だった。
 ただわからないのは、ハマーンの生死である。無線が使えない可能性は高いから、中との連絡が取れるか否かもわからない。ノーマルスーツもなしで搭乗しているのは確かなことで、ジュドーは半ばいじょう諦めていた。


 “見事だな、ジュドー・アーシタ。お前はいいジオン国民だ”
 万が一で生きていた無線からハマーンの声が聞こえてきた時、ジュドーは神の存在を信じた。
 「大丈夫ですか? もうすぐ仲間がきます。お気を確かに」
 自分で攻撃しておいてこう言うのも変だと思ってすこしおかしくなったが、ジュドーは必死で叫んだ。嬉しくてしかたがなかった。
 “お前の純粋さ、まさにグレミー・トトやキャラ・スーンが入れ込むはずだ。このさき、このままでいられるのか、見物だが……”
 その声から、疲れてはいるがたいしたケガをしていないのではないかと洞察できてジュドーはその神に感謝もした。
 大切な人が死ななかった。
 失わずにすんだ。
 「この《ダブルゼータ》をかしてくれたんです。今は、連邦軍にいるんですよ」
 ジュドーは、躍り上がってコア・ファイターのコックピットから飛び出し、《キュベレイ》のコックピットハッチに飛び移った。
 自分は、ハマーンがいちばん会いたい人の居場所を漠然とでも掴んでいる。この《ダブルゼータ》が架け橋になってくれる。ジオンと連邦の戦争が終わっている今なら、二人を引き合わせることくらい難しいことではないはずだ。
 嫉妬はある。
 でも、そうせずにはいられない心境だった。
 ふと振り返ると、後方に仲間の《ザク・ドライ》が接近してくるのが見えた。
 ジュドーは更に嬉しくなって掌を振った。
 救助信号は出さなくても、見つけてくれているようだということはわかった。
 『これで、帰られる』
 ハマーン様とジオンに帰られる。
 ジュドーは、大きくなんどもなんども掌を振った。
 “ジュドー。私の肌は、誰にも触れさせはせんよ!”
 「ハマーン様?」
 ハマーンの言葉の意味がいっしゅんわからず、わかってしまった次の瞬間には《キュベレイ》のコックピットハッチが棺桶の蓋のように容赦なく開いていた。

 ほぼゼロの気圧。
 遮られることのない灼熱の太陽光線。
 《キュベレイ》のコックピット内の一気圧に押し出されたハマーンの細い肢体は、
 焼け、
 凍り、
 沸騰し、
 干涸らび、
 そして布切れのように漂いはじめた。
 ワイン色の髪の毛はつぎつぎと抜け落ち、あたりに花片のように舞った。
 地獄の底で絶望の声をあげたジュドーは、それを捕らえようと掌を伸ばすが、それすらも拒むかのようにすり抜けていってしまった。

 男は自分を愛さない女にたいして激昂するが、すぐにあきらめられる。女は捨てられてもそれほどに騒ぎ立てないが、永遠に慰められない思いを胸に抱く。

 ジュドーは、ただ自分の無力を呪った。

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