第六話 「火星、決戦の時」


 あれからも数回の戦闘を潜り抜け、遂にシグルド達は火星圏へと突入した。戦闘をこなす度に皆腕を上げ、精鋭と呼ばれるに恥ずかしくない部隊となっていた。特に、途中の補給物資を用いてディシールやヴァナに改造が施され、ガンダム・レギンレイヴとの性能差を多少だが埋める処置が施されている。
 また、長距離レーザー回線による情報から、他のエインヘルヤル隊もほとんどが同時期に火星圏に到達しているとの事だった。
「遂に火星まで来たんだな……」
 リフレッシュルームの窓から外を見て、シグルドは呟いた。
「……結構、長かったね」
 隣にいるエルキューレが言った。
 彼女は非番になる度にシグルドの元へ来ていた。この戦艦にいる者達とも、だいぶ打ち解けてはいるが、やはり古くからの付き合いであるシグルドと話をする方が気が楽なようだ。
「ああ、長かった」
 頷き、持っていたパックのスポーツドリンクで喉を湿らせる。
 視界には大きく火星が見えていた。数ヶ月前から見えていた赤い大地が、窓の外の半分程を埋めている。
 これから、スキッドブラドニールは火星の大気圏を突破して地表に降下する事になっていた。その降下地点は、火星連合軍本拠地だ。降下した後に部隊を即座に展開し、その場で本拠地を襲撃し、陥落させるのが、現時点での第一エインヘルヤル隊の最終任務だ。
 無論、そこで戦闘するのはシグルド達だけではない。他の、世界政府軍の艦隊が後から合流し、その後で火星への降下が始まる。別個に細かく分割された部隊が集結して艦隊を編成するのだ。
 火星連合軍には、本拠地陥落の際に本拠地に代わる拠点とされている重要拠点が二つ存在している事が分かっている。それが、火星の衛星であるフォボスとダイモスにある拠点だ。その拠点も陥落させなければ、火星連合軍を打ち倒す事は出来ない。
 だが、シグルド達はそれらを素通りして本拠地へと攻撃を仕掛ける。フォボスとダイモスに進攻するのは、他のエインヘルヤル隊を中心とする艦隊の役割だ。
 地球圏の戦力の半数近くが攻撃に回される事になるため、この作戦が成功しなかった場合、世界政府にとって状況はかなり不利になる。それだけのリスクを覚悟してまでも、実行する価値がある作戦なのだ。
 同時に三つの最重要拠点に集中攻撃を仕掛け、一気に陥落させ、戦争を終結へと導く。それがコード・ワルキューレの最終段階となっていた。その、中心となる火星連合軍本拠地へ攻撃を仕掛けるのは、第一、第三、第五エインヘルヤル隊の三部隊を中心とした艦隊となる。
 因みに、フォボスには第二エインヘルヤル隊が、ダイモスには第四、第六エインヘルヤル隊を中心として艦隊が編成させる計画となっていた。第二エインヘルヤル隊は、ガンダムを二機保有しているために、その一部隊を中心に艦隊が編成されるらしい。
 予定では、今日中に全ての部隊が揃い、艦隊が揃った所で打ち合わせを行い、襲撃する事になっている。最終的に襲撃するタイミングは三つの拠点攻撃艦隊同士で連絡を取り合い、同時に戦闘が始まるタイミングで行うようだ。
 その打ち合わせには、エインヘルヤル隊の艦長と二人の部隊長、そしてガンダムのパイロットが参席する事になっていた。艦隊が揃えば、シグルドはヴィーンやリシク、シェイズらと共に打ち合わせの為に一時的にスキッドブラドニールを離れる事になる。
「……これで戦争が終わるね」
「ああ。終わらせて見せるよ」
 力強く頷き、シグルドはエルキューレに笑みを見せた。
 戦闘をこなし、シグルドの見切りの精度は更に増していた。部隊内で唯一無傷で帰艦した事がある程だ。撃破されそうになった味方を助けたのも一度や二度ではない。
「約束だもんな」
 その言葉に、エルキューレが微笑む。
「ねぇ、シグ……」
 不意に、エルキューレがシグルドに顔を寄せた。彼女の息がシグルドの頬を撫でる。
「ん?」
「おまじないしてあげる」
「…エル?」
 シグルドが何か喋ろうとした時、その口を、目を閉ざしたエルキューレの唇が塞いでいた。
「――!」
 一瞬驚き、身を引きそうになるのを、シグルドは何とか堪えた。そうして、シグルドも目を閉じる。
 数秒の後にシグルドが目を開けた時、丁度リフレッシュルームに入って来たランディル、フィーユと目があった。
「……!」
 二人が目を丸くする。
「う、わぁっ!」
 唇を離し、シグルドは後退り、背中と後頭部を背後の壁にぶつけた。
「あっ……!」
 シグルドの行動に一瞬遅れて背後を見たエルキューレの動きが止まる。
 後頭部を手で押さえながら、シグルドは俯いた顔を上げる事が出来なかった。全身の体温が二度くらい上昇したようにすら感じる。ちらりとエルキューレを見やると、エルキューレも真っ赤になって俯き、ランディルとフィーユに背を向けていた。
「お熱いねぇ」
 ランディルが苦笑し、声を掛けた。
「タイミング、悪かったわね」
 フィーユも苦笑の混じった声を投げる。
 シグルドもエルキューレも言い返せずにそのまま固まっていた。
「邪魔して悪ぃな。後はごゆっくり」
「そうやってからかわないの」
 笑みの混じった声を残して、ランディルとフィーユが去って行く。
 二人がいなくなっても、数秒の間シグルドもエルキューレも動けなかった。やがて、ゆっくりと顔を動かしてお互いを見つめると、同時に笑い合った。

 艦隊が揃い、打ち合わせのための合同会議が行われていた。その戦艦は、戦艦としてはかなりの大型で、モビルスーツの搭載数も多い。どうやら世界政府軍の旗艦と同系列の戦艦らしい。
 その最前列にはエインヘルヤル隊の者達が並び、シグルドも座っている。
 真正面で作戦の説明をしているのは、火星方面軍司令官という肩書きの男だった。中年の、白髪混じりの厳つい男が、正面スクリーンの図をポインターで指しながら説明している。まだ会議は始まったばかりで、本格的な内容ではない。三つの拠点を同時攻撃するという説明と、エインヘルヤル隊を中心に展開するという事を説明していた。
「――よし、本題に入る」
 司令官が言った。
「今回、旗艦とするのは無論、我が艦だ。前面に出る部隊は、第一、第三、第五エインヘルヤル隊を中心に艦隊を組む」
 説明が始まり、シグルドはそれに耳を傾ける。
 先に聞いていた通り、ガンダム・タイプを保有する部隊を前面に押し出すようだった。ただ、ガンダムを保有していないエインヘルヤル隊が存在するのをシグルドは初めて知った。
 どうやら、コード・ワルキューレに際して造られた新型機はガンダム・タイプだけではないらしく、量産機の上位機種といったような新鋭機もあるようだ。そうして、そんな試作量産機を回されて新たに編成された部隊もエインヘルヤル隊という名を冠されているらしい。最も、その中には火星圏には進攻せず、地球圏の防衛に参加しているものも複数あるとの事。
「今回の作戦でこの戦争を終わらせる。全員、健闘を祈る」
 会議が終了し、司令官が部屋を出て行く。
 シグルドは溜め息を着き、両肩を回した。張り詰めた空気の中にいるのは疲れる。
「忙しくなるな」
 ヴィーンが小さく呟いた。
 この会議の後、先程の司令官は、フォボス、ダイモス方面の艦隊司令官と連絡を取り合い、作戦開始時刻等を決定する事になっている。そうして、その時刻設定に基づいて攻撃が始まるのだ。その通達がいつ来るかは分からない。そのため、それが来るまでに準備を完了させておく必要があるのだ。
「ガンダムのパイロットってのは、お前かい?」
 不意にかけられた声に視線を向けると、先程シグルドと同じく最前列に並んでいた第三、第五エインヘルヤル隊の面々がいた。
 声を掛けたのはその中の一人の男だった。
「あ、ああ……俺だけど?」
 シグルドの返答に、他の面々がシグルドに視線を向ける。
 それにシグルドはたじろいた。
「ふむ……ちょっと、試させて貰っても良いかい?」
「試す? 何を……?」
「ニュータイプ能力を、さ」
 言い、その男が前に出る。
 瞬間的に、彼がニュータイプだと判った。そして、その言葉の意味を理解した時には、シグルドは先読みに意識を向けていた。
「――!」
 突き出される拳の位置を見切った瞬間、その男の行動が変わる。最初に見切った、回避先に拳が向けられるのが読めた。
 そして、その時にはシグルドはそのどちらも避けられる事が可能な位置へと動いていた。後ろに後退はせず、次に攻撃が繰り出されても十分に対応出来る場所を、見切っていた。意識はしていなかったが、その場所はシグルドが反撃するにも最適な位置である。
 男の拳がシグルドの顔の脇を空振りし、その目が見開かれた。それを見ていた、第三、第五エインヘルヤル隊の面々も。
「……避けた……?」
 男の後方で眺めていた少女が呟いた。
 彼女もニュータイプなのだと、シグルドは悟った。恐らく、彼女もガンダムのパイロットなのだろう。
「……オーケー、流石だ」
 避けられるとは思っていなかったのだろう、驚きつつも笑みを浮かべ、男が言う。
(あ、危なかった……)
 反応に困り、シグルドは頭を掻いた。
 恐らく、彼は最初にシグルドが見切った回避行動を先読みしたのだろう。流石に二度も軌道修正をする事は出来なかったようだ。
「俺は第三エインヘルヤル隊の、ブラギ・ウェイバー。ガンダム・ヘルフィヨトゥルのパイロットだ」
「私は第五エインヘルヤル隊の、グレイス・シルバーグ。ガンダム・スルーズのパイロットよ」
 男と、少女が前に出て、簡単に自己紹介した。
「俺はシグルド・ルェンルーザ。ガンダム・レギンレイヴのパイロットをしてる」
「俺達三人が襲撃の要だと言っても良い。お互いに宜しくな」
 宜しく、とシグルドもグレイスも言い、互いに頷き合った。


 目の前にスキッドブラドニールがあった。
 周囲には幾つもの閃光が走り、爆発が生じている。
 戦場だと、直ぐに解った。幾つものモビルスーツが戦っている。
(――!?)
 目の前にモビルスーツが迫り、シグルドはそれを避けようと身体を動かした。
(――え!?)
 だが、身体が動かなかった。
 敵のモビルスーツが視界に広がり、シグルドを突き抜けて後方へ飛んで行く。
 そこにはシグルドは存在していなかった。シグルドの意識だけがその空間に存在しているかのように、シグルドは目の前で繰り広げられている戦いに干渉出来なかった。
 移動出来ず、視界を動かす事しか出来ない。
 そんなシグルドの目の前で、スキッドブラドニールが被弾した。
 周囲に弾幕を張り、二機のモビルスーツが護衛していても、対応し切れない数の攻撃に晒され、装甲が削られて行く。そうして、一機のモビルスーツが撃墜され、爆発した。
(――!)
 何も出来ない事が悔しかった。
 もう一機のモビルスーツも撃墜され、スキッドブラドニールが敵のモビルスーツの集中砲火に晒される。被弾しながらも、抵抗し続ける戦艦に、シグルドは近付こうともがいた。
 動けないのだと解っていても、何もしないでいる事が出来なかった。
 戦艦が沈む。
 それが解った。機関部が貫かれ、大きく火を噴いた。その爆発で戦艦の機関部周辺が爆発し、船体が千切れる。
 そうして、崩された艦橋を、閃光が貫いた。
(――!)
 シグルドは声にならない叫び声を上げた。

「――っ!」
 目を覚ましたのだと、直ぐに解った。
 その視界に広がる天井が、今、自分が戦艦の中にいるのである事を教えている。
「……なんて最悪な夢だ……」
 全身に噴き出した冷や汗で身体が休息に冷めて行く。
 ベッドから抜け出し、シグルドは部屋を出てシャワールームへと向かった。スキッドブラドニールには、居住区に二つのシャワールームがある。そのうちの部屋に近い方に入り、シグルドは汗を流した。
 作戦前の最後の休息時間に仮眠を取っていて見た夢としては、厭な夢だった。
「……」
 身体を拭きながら、シグルドは夢の事を思い返した。
 前にも、夢に見た光景が現実のものとなった事がある。完全なニュータイプとして覚醒した今、シグルドが見る現実的な夢は、これから先の未来の先読みなのかもしれない。自分が動けないから非現実的なのではない。そこに存在するものがはっきりとシグルドが知っているもので、それを取り巻く状況が現実にも起こる可能性のあるものであれば、それは現実的だと言えるだろう。スキッドブラドニールはよく知っているし、それが沈められる事がないとは言い切れないのだから。
 ならば、とシグルドは思う。
(――そうならないようにすれば良いんだ……)
 先読みが出来る、それが、無数に存在する未来の中で最も起こる可能性の高い未来を覗き見る事が出来るという事だとしたら、シグルドはその未来を変える事が出来るはずだ。
 未来は決まっていない。だから、いくらでも変える事が出来る。
 一つの可能性が見えた時、それがシグルドにとっては望まない可能性であったなら、別の可能性へ手を伸ばせば良い。
 今のシグルドは、それが出来ると信じられるだけの力があるのだから。
(――傲慢でも良い……)
 それだけの力があると思う事が傲慢だと言われたとしても、シグルドに否定するつもりはなかった。
 傲慢でも、そう信じる事で未来を変える事が出来るなら、何と言われようと構わない。
 着替えを済ませ、リフレッシュルームでパックの飲料を飲む。失った水分を補給するためだ。戦場で水分補給をしている暇はない。だからこそ、次に戦場に出るであろう事が解っている時には、出撃前に食事や喉の渇きを癒しておく事は重要なのだ。
(あんな未来、御免だ)
 世界政府軍の戦艦が多数見える窓の外、背景として映っている火星を見て、シグルドは思った。
 その後、小腹が空いたシグルドは食堂でハンバーガーを一つ頼み、それを胃に納めた。
「連絡します。モビルスーツパイロットは全員、ブリーフィングルームに集まって下さい。繰り返します……」
 エルキューレの声が艦内に響き、シグルドは作戦が始まるのだと確信した。
 食堂を出て、ブリーフィングルームへと入る。
 部隊のパイロットが全員集まったところで、ヴィーンが口を開いた。
「皆、解っていると思うが、作戦の開始時刻が決まった。これより一時間後、我々は火星大気圏に突入する」
 やはり、フォボス、ダイモス方面との連絡が取れ、打ち合わせが終わったようだ。
「大気圏突破後、直ぐに出撃する。無論、今回は全機出撃する事になる。いつも通り、二機は護衛に回し、後は火星連合軍本拠地へと進攻する」
 言い、ヴィーンがシグルドに視線を向けた。
「シグルド、今回はお前が先頭に立つ。他の五機はその援護に回る事になる。無論、敵の防衛線の中に入ればそんな事は言っていられないが、それまでは、いいな」
「はい」
 ヴィーンの言葉に、シグルドは頷く。
「今より五十分後、全員コクピット内で待機しているように。大気圏突入直前に時刻合わせを行う。以上、解散!」
 その言葉で、皆が席を立った。
 シグルドも席を立ち、部屋を出る。皆の表情が引き締まっていた。
 誰もが、厳しい戦いになる事を解っている。これがこの戦争を大きく動かす戦闘になると、解っているのだ。艦隊にいる全ての人間が、今までの戦いで生き残って来たとは言え、ここで命を落とす者は少なくないだろう。
 恐らく、火星連合軍は世界政府軍が艦隊を結集している事に気付いている。だからこそ、攻撃をせずに対抗する準備を進めているに違いない。
 本拠地はそう簡単に移動する事は出来ない。それならば、防衛のための戦力を集める方が良いはずだ。
「お、シグルド。丁度良いや、一緒に飯でも食わないか?」
「さっき食っちゃった」
 ランディルの言葉に、シグルドは苦笑して答えた。
「ほんとにタイミング悪いわね」
 ランディルの横にいたフィーユが苦笑いを浮かべる。
「タイミング悪いのはそっちだろ……」
 溜め息混じりにシグルドは言った。
 エルキューレといた時といい、今といい、今日のランディルとフィーユが現れるタイミングはかなりズレ過ぎている。
「じゃあ、もっと食うか?」
「無茶言うな」
 ランディルの冗談に、笑って答える。
 腹一杯に食事をしておくのはかえって危険だ。戦闘で激しく揺さぶられるコクピットでは、内臓が圧迫されるため、満腹状態では逆流する事がある。かといって空腹では集中力がなくなるため、これも危険だ。腹八分目で食後間を置いてからが丁度良いのである。
「じゃあ、あなたこれから五十分、どうするつもり?」
「二人はどうすんのさ?」
 フィーユの言葉に、シグルドは訊き返した。
 確かにする事が何もないのは暇だ。いくらその後に重大な作戦があるからといって、それまで何もせずに緊張感を保つのは至難の業だ。その緊張感を保つためにも、その前にリラックスしておくのは大切な事である。
 その参考にと思い、シグルドは尋ねたのだった。
「ふふ、そいつぁ秘密だ」
 含み笑いを浮かべ、ランディルが答えた。
「…何で?」
「子供にゃまだ早いぜ」
 ランディルの言葉にフィーユへ視線を向ければ、フィーユは何気なく視線を逸らした。
「まぁ、一種のまじないだ」
 シグルドの頭に手を乗せ、ランディルが歯を見せて笑う。
「……あ、解った」
「マジか!? ていうかお前俺達の行動先読みしたのか!?」
「さぁね」
 笑い、シグルドは意外にうろたえているランディルに言った。
「そういえば、二人共仲良いもんなぁ。もう婚約とかしてたりするのか?」
「婚約はしてねぇが、するつもりだ」
「ちょ、ちょっと!?」
 ランディルの返事に、今度は横で聞いていたフィーユが動揺した。
「俺はこの五十分で白黒つけるつもりだぜ?」
 口元に笑みを浮かべ、ランディルはフィーユに言う。
「ま、そういう事だ。そんな訳で五十分後に格納庫で会おうぜ」
「解った」
 フィーユを連れて去ろうとするランディルに、シグルドは小さく笑んで答えた。
「あ、待てよ。お前、こいつが何て返事するか読めるか?」
「行くわよ!」
 足を止め、シグルドに問うランディルを、フィーユは後ろ襟を掴んで強引に引っ張って行った。
「うお! 苦しい! 頼む放してくれ!」
 ランディルの抗議を無視して、フィーユが通路の角を曲がる。ランディルの抗議は暫く続いていた。
 シグルドはそれに笑みを漏らし、ランディル達とは逆の方向へと歩き出した。
 途中でリフレッシュルームに立ち寄ったシグルドは、その窓から見える景色に視線を向ける。
 その宇宙空間の端には、円筒形のコロニーが映っていた。かなり遠くにだが、火星連合側のコロニーだ。地球圏と同じ規格のそのコロニーは、火星の衛星軌道上で幾つかのスフィアを形成している。無論、大地のある火星圏では、スフィアと言っても地球圏よりも規模はかなり少ない。火星圏の生活空間は、火星の大地に造られたドーム型の生活空間、シティがほとんどだ。個別差はあるが、シティ一つでコロニー数個分の規模となっている。
(火星、か……)
 こんな事になるとは思わなかった。
 本来ならば平穏に学生生活を送っていただろうに、今のシグルドは軍人として戦争をしている。
 恐らく、イグドラシルがシグルドを選んだために、シグルドの住んでいたコロニーが襲撃されたのだろう。今、地球圏で生きている人間は、全てその行動がイグドラシルによって監視されていると言っても良い程のデータをイグドラシルは管理している。無論、そのデータが不正に流出する事はない。
 超一流のハッカーですら、イグドラシルに気付かれずにハッキングをかける事は出来ないのだ。イグドラシルはそれ自体が超高性能ニューロ・バイオ・コンピュータであるが故に、コンピュータウィルスやハッキングに対する防衛プログラムを自力で造り出し、状況に応じて改変し続けているのだ。完璧とも言える演算の可能なイグドラシルの防壁プログラムを破れるものは、恐らくいない。
 管理されたデータからニュータイプとしての素質を見込まれたのだとすれば、シグルドがパイロットになるのは運命付けられていたという事なのだろうか。
(……それはない)
 分かる。ニュータイプとしての勘は、その可能性を否定した。
 未来は変動する。過去はそれの足跡に過ぎない。今を見て、過去が運命付けられていたとするのならば、未来は変えられない。
 シグルドという人間が誕生したのは偶然だ。それがたまたまニュータイプとしての高い素質を秘めていたのが、イグドラシルの検索に引っ掛かっただけの事。
(とにかく、俺は――)
 戦争を終わらせる。エルキューレとの約束。
 それを果たすだけだ。今は、それだけでいい。

 五十分が経ち、シグルドはコクピットに座っていた。既にシステムは戦闘稼動ではないながらも機動している。外部電源で、コクピット内の通信回線等の最低限の機能が起動している状態だ。
「全員、揃っているな?」
 ヴィーンの言葉に、皆が無言で応じた。それが答えだ。
「ブリッジと回線を繋げ。レーザー回線で全部隊の時刻設定が行われる」
 指示の通りに、ブリッジに回線を繋げる。
「レーザー回線、開きます。時刻合わせ」
 エルキューレが読み上げて行く。
「三……二……一……セット。作戦、開始!」
 言葉と同時に、戦艦が揺れた。
 大気圏突入が始まったのだ。
 ディスプレイの脇に、設定された時刻がカウントされている。零時、零分。表示されている中で動いているのは秒数だけだ。戦場で全部隊が共通で使う時刻表示。
「いよいよ最終決戦か……!」
 ランディルが呟く。
「……結局、プロポーズしたの?」
 ランディルだけに通信回線を向け、シグルドは小さく尋ねた。
「したけどな。返事は終わってからだってよ。本当は判ってんだけどな」
 苦笑するランディルに、シグルドも笑みを見せた。
 それは、互いに死を避けるよう努力させるためのものだ。返事を聞きたいがために、精一杯戦い抜く。単純だが、こういうもの程効果はあるのだから。
 大気圏の揺れが激しくなり、その後で少しずつ治まって行く。地球と比べて分厚い大気圏を持つ火星では、大気圏突破に時間がかかる上にしっかりと処理をしておかなければ突破すら出来ない。
(……そろそろだな)
 唇を舐め、シグルドは通信回線を元に戻した。
「大気圏突破まで残り三十秒。各モビルスーツ、出撃準備を進めて下さい」
「ヒルデ、戦闘稼動だ」
 エルキューレの言葉に、シグルドはAIを呼んだ。
「了解」
 機体の外部電源が切られ、シグルドはガンダムをカタパルトへと歩ませる。
「シグ、頑張って」
「ああ」
 小さくエルキューレに告げられた言葉に、力強く答える。
「大気圏突破、出撃して下さい」
「――了解。ガンダム・レギンレイヴ、シグルド、出ます!」
 エルキューレの言葉に、シグルドは告げ、機体を加速させた。
 カタパルトによる加速が一瞬、シグルドをシートに押し付ける。加速して火星の空へと飛び出したシグルドは、その眼下に広がる光景を見た。
 要塞のような大きな建物と、それを守るかのように展開している無数の点と光。
 赤い大地に、赤い空。重量に引っ張られながら、シグルドはその無数の敵の中へと機体を向ける。
 これでこの戦争は終わる。
 シグルドは、それを確信した。
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