第一章 喪失


 高くなってきた日差しの下で、一人の少女が巨人と向き合っていた。巨人は片膝を地面に付けて背中を丸めている。
 巨人には熱射を避けるため、幌がわりの青いビニルシートが掛けられていた。だが、十六メートル超の巨人を一枚のビニルシートで覆う事など出来ず、それは部分部分に掛けられているに過ぎない。特に関節と深い青色の胸は丁寧に覆われていた。
 腕は腰の位置まで下ろされており、人間とは全く違う直方体の白い下膊が、人間とのスケールの違いを感じさせた。
 少女は巨人の全身を舐める様に眺め、さて、どこから手を付けるか、と考えた。この大きさだと全身を一気に整備するのは無理だった。それに少女にはそれなりの機械の知識はあったが、専門的なものではない。
 かと言って、三日もそのままにしておくと、砂がこびりつき後が大変だ。巨体を野ざらしにしておかざるを得ない以上、細かな整備は必須だった。
 巨人の顔を見る。眼が合った。深いエメラルドグリーンの瞳が少女を覗き込んでいた。額から斜め上に伸びた二本とほぼ真上に伸びた二本、計四本の角のようなアンテナが太陽光をキラリと反射していた。
 この顔を見ると少女は何とも言えない安心感を覚える。ほう、と大きく一息吐き出すと、仕方ないわねと呟いた。やっぱり顔が一番、後は時間の許す限り、全身を、だ。どうせ時間はたっぷりある。少女は早速それに取りかかった。

 オーストラリアは三月に入った。季節は秋である。夜間の気温は随分低くなってきた。しかし、日中の気温はまだまだ高く、日差しもきつかった。特に紫外線対策をしないと肌には悪い。
 熱を孕んだ風が窪地を吹き抜けていく。東部高地の側にあるこの谷間の広場には、大陸中央に広がる砂漠程ではないものの、やつれた地面の肌を露骨に見せていた。
 数カ月前にはここを緑が覆っていた。しかし、命の糧の収穫が済んだ今は、大地は自然に帰っていた。ここではこの渇いた土塊の地が普通なのだ。
 だが、こんな土地でも生きていく為の全てが揃っていた。何年もかけて、作物が育つ様に改良された土と、それに合う品種の作物。そして井戸。この人里離れた地で、少女一人が生きていくのに充分なものがあった。もちろん、その為には少女自身の非常な努力は不可欠であったが、それは極めて人間的な営みであると言えた。
 その少女、ヤワ・ミリスは、磨いたばかりの巨人の顔の横、丁度、肩に当たる部分の上に座っていた。ごわごわしたビニルシートを尻に感じながら、両脚を前方に投げ出している。握った拳をを空に向けて、うーん、と背伸びをした。そして体を後ろに傾けると手を下に付けて支える。傍らに置いてある、飲みかけのペットボトルが、大粒の汗をかいていた。半分程に減ったスパークリング・ウォーターが太陽光を透かして、影の中に揺らめく光の玉を作る。ミリスは、こうやってゆっくりと時間を過ごすのが好きだった。
 七メートル程上から見下ろしたこの地は、本当にやつれて見える。特に、作物の収穫が終わった直後はそう感じる。命を繋ぐ緑を全て採り終えた後、土地を休ませるためにそのままにしておく。だが、それは、大地が死んで行くと思わせるに充分な光景を晒すことになるのだ。
 十五エーカーくらいしかないこの土地では、色々な作物を少しずつ作ったほうが得だ。大規模農場では、オーストラリア農漁林省の推奨する米や小麦を作るのが一般的である。しかし、それはミリスが出来るようなものではない。ミリスは認可を受けて農業をしているわけでは無かった。単にこの土地で生きるためにしているのであり、それは親から受け継いできたものなのだ。そして生きるためには、決して楽ではないものの、それで充分だった。
 収穫した作物は街で例年通りに売れた。それに、今のミリスには余分な金が幾らかあった。約三カ月前、行動を共にしたキニン・メスリーより渡された金である。彼女に売った野菜の代金だったが、メスリーの支払ったU.C.ドルは、普段使っているオーストラリア・ドルよりも価値が高く、この先の生活をどうやって切り詰めるか、考える必要が無くなった。
 勿論、無駄な金は無い。実際、この巨人を整備するにも金はかかる。巨人、モビルスーツと呼ばれるこの人型兵器は、一般には流通しない特別なものであり、整備にも多くの専用の工具、消耗品が必要だった。汚れを落とすアルコールや、駆動部に付けるオイル。消耗品は常に不足し、工具も揃わない。だましだまし使うことで何とか持っているのだ。モビルスーツは、ただそこにいるだけで金を食うのである。
 しかし、それは止むを得ないことである。特にこのモビルスーツ、ガンダムと呼ばれる、この特別なモビルスーツは、ミリスの存在そのものと深い関係があった。それにミリスのほうでも特別な思い入れがある。ミリスとガンダム、この二人は、単にパイロットとモビルスーツ、あるいは人間と機械、そんな関係では片づけられない、もっと深いところで強く繋がっていた。だからこそ、宇宙ステーション、ヴァルハラで、このガンダムを託され、それからもミリスに預けられたのである。
 それはミリスの体の中にある、操作された遺伝子と無関係ではない。タンパク質型ナノマシンで遺伝子を書き換える、という行為は、一世代で終わるものではなく、世代を超えて受け継がれることを目的としている。そしてミリスの体には、両親が受けたモビルスーツ・パイロット、特に当時、専用に開発されていたガンダムを操縦するための情報が入っていた。だから初めてガンダムを見た時、それがひと目で判り、しかも懐かしい感覚を持った事も不思議ではない。
 しかし、今、ガンダムから感じるものはそれだけではない。胸を裏側からくすぐられるような甘い不安感の混じった親しみ。ガンダムの機体の中心からは、ミリスの愛情を欲しているのが判った。彼女の頭の中に直接訴えかけるように、それはミリスの心の中に手を伸ばして、母性をまさぐった。この感覚は何なのだろう。初めてこのガンダムに乗った時は殆ど感じなかった。だが、ガンダムに乗ることに慣れるとともに、その不可思議な感覚は大きくなっていった。
 イルジニフの言った、娘、という言葉が気にかかる。考える限り、それが今、ミリスの感じるものを言い表すのに相応しいように思える。安らぎと焦燥、不安と慈愛。それは確かに娘、子供に対する愛情、母性だった。
 だが、それはガンダム全身から感じるものではない。感覚と澄ませれば、それを発している位置が特定出来る。ミリスにそれを感じさせているのは、ガンダムの丁度みぞおちのやや下の部分、コクピットであり、同時に非常時の脱出カプセルであるG−ボールが収納されているところだ。G−ボールは複座型であるが、第二コクピットは完全に独立している。
 ミリスにはそれが何なのか漠然と予想がついた。カノン・フォルムである。ミリスがヴァルハラで採血をした時、その血からカノン・フォルムと呼ばれるものを作った。イルジニフは詳しい説明を避けていたが、それは生体コンピュータであり、高度なDNAコンピュータの発展型としてミリスを補助する。ミリスから作られたのなら、それがミリスに感応するはある意味、当然だ。ミリスはそう考えていた。そこにそれ以上の疑問を持たなかった。何より情報が少ないし、実際は全然違うのかも知れない。
 だが、ミリスの感じるものは非常に心地よいものには違いなかった。だから敢えて、それが何故、という部分は考えない様にしたのである。
 お前が何だろうと構わない。私が守ってあげる。ミリスはガンダムを見る度にそう思った。
 緩やかに時間は流れて行く。日差しは強く、やや強い風はミリスの肩より少し伸びた緑の黒髪を後ろに靡かせる。汗は伝うほどでは無いにしても、肌の表面に浮きでたまま引く気配は見せない。オイルの染みの着いた白のシャツが肌にまとわりついた。風が、素足から迷彩のミニパンツを舐めるように駆け登り、シャツの裾を、その隙間から中に入ってはためかせた。ブラジャーで締め付けられた、まだ未発達の胸が窮屈だった。付け始めた当初は、大人っぽい姿に胸を高鳴らせたものだったが、その光景に慣れると今度は圧迫感と布切れ一枚の重さが鬱陶しかった。それもようやく慣れてきたところだ。
 ミリスの成長は見た目で無く、その内部で確実に起こっていた。帰宅してから二カ月目、それは起こった。何故か今までにない体調の不良が何日か続いた。そしてある日、トイレの中で目の前が血で染まった。恐ろしさにしばらく動けなかった。知識はあったし、対処の方法も知っていた。だが、実際に自分の身体にそれが起こった時、恐怖と不安が巻き起こった。それは単に外観だけでなく、身体の機能として女となった瞬間だった。成長し、そして変化していく。それをミリスは、自分の体の中にあることを実感した。
 このままずっと同じ生活が続いていくわけじゃない。徐々に変化している。それは過去、ここで過ごして来たことを思い返しても思い当たる。そして突然、変化することもあるだろう。メスリー達が訪ねてきた時のように。あれから戦いに巻き込まれ、ミリス自身、死ぬような思いもした。大切な友達も失った。そして彼らとの別離。以来、三カ月余り、生活はそれ以前に戻ったものの、側にガンダムがいるという変化もあった。それは決して小さなことではない。
 いつまで、ここで、こうやって暮らせるだろうか。
 敵として戦ったヴィルヘルム・カーゾンは言った。何者かがこの地球を滅ぼそうとしている。ターン・タイプという者たちが。
 本当にそうなのだろうか。
 街では根拠のない噂が流れている。戦争は休戦状態のまま二十年という歳月が流れ、連邦軍、そして敵対するコロニー軍では再び起こるであろう戦争に向けて、軍備の拡張が静かに進んでいるはずだ。
 この暮らしは脆弱な平和の上で、かろうじて営まれているに過ぎない。そして一度それが起こったら、例え辺境で一人で暮らすミリスと言えども無関係ではいられない。特にガンダムを持っている為、特にだ。もちろん、それを判っていてさえも、ガンダムはもう自分の大切な半身であった。
 左手をガンダムの頬に添える。熱せられていたが、別に触れない温度ではない。ガンダリウム・バイオロジカル・ハイブリッドと呼ばれる特殊装甲は、表面温度を上げないための工夫がある。そのため、日射くらいでは殆ど温度は上昇しないのだ。
 ずっと一緒にいたい。これからもずっと。何があっても離れたくない。それは率直な気持ちだった。
 仰向けに寝転んだ。吸い込まれそうな空の青が、遥か上空に広がっていた。雲は少ない。風の音、その風にはためくシートのごわついた音だけが、ミリスの耳に緩く滑り込んで来た。
 整備のため体は心地よく疲れていた。目を閉じるとそのまま眠ってしまいそうだった。大きく何度も深呼吸をする。そこにはオーストラリアの雄大な時間の流れがあった。
 ふと、ミリスの聴覚は、微かな音を捉えた。エンジン音である。ガンダムのイグニッションは切っている。何の音?
 それはかなり遠くから聞こえた。響いている。空からだ。
 ミリスは上体を起こした。徐々に近付いているのが判ったのである。この近くを連邦軍、あるいはラスティアースの輸送機が通ることもあった。しかし、それとは何か違う。漠然とした不安が大きくなってきた。
 立ち上がろうとしたその時、谷の向こうでドンと爆音が響いた。それは一度ではなく二度、三度と連続して起こった。
 何? その方向に目を凝らした時、人型のシルエットが、岩山の稜線から飛び上がった。あれはモビルスーツだ。それは次々と飛び出して、スラスターを噴かし、こちらに急接近してくる。見る見るその姿が大きくなった。連邦軍のモビルスーツ、ガビスだ。数は判らない。絶えることなくその姿を現わした。少なくとも二十機以上はいる。
 ミリスは急いでガンダムを降り、腹のコクピット・ハッチを開けて中に滑り込む。ハッチを閉めようとした時、もう最初のモビルスーツはこの谷間の広場の中に着地していた。
 アストライド・シートに身体を埋め込み、システムを起動させる。不十分とは言え、整備は滞り無く行っている。バーニアの噴射剤は満タンではないものの、その他は機体を休ませていたこともあり、マイクロウェーブ受電機能によってエネルギーは充分に満たされていた。
 ドーム・モニターに周囲の状況が映し出される。ガビスは正面、約四百メートル程前方にいた。ガビスは次々と広場に降り立った。物凄い数だった。壮観、とも言えた。最終的にその数は、全部で二十八機になった。数だけで言えば二個中隊を超える。目の前にずらりと並ぶガビスの群れは、一様にビームライフルと上下に長い菱形の盾を持っていた。ビームライフルの銃口はガンダムに向けられている。
 何? 何なのこれは? ミリスは、敢えてガンダムを動かすことなく、いつでも不測の事態に対応できる状態で、状況を見守った。
 通信機が雑音を捉える。チャンネルが自動的に合わせられた。そこからはモビルスーツのパイロットらしい男達の声が聞こえてきた。
『大尉、後方、配置完了です』
『敵モビルスーツ、動きません』
『だが起動している。油断はするな』
 ガンダムは連邦軍製だ。連邦軍で使う通信チャンネルは全て傍受可能である。彼らはガンダムを敵と認識している。これは危険だ。
 目の前でガビスが左右に散開し始めた。その動作は性急ではないものの、極めて組織立っていることがよく判った。
 無線封鎖やミノフスキー粒子の戦闘濃度散布は行われていない。まるで訓練をしているような感じだった。
 だがミリスは、その圧倒的な数と整然とした動きに圧倒され、恐怖を感じていた。しかし、少しでも動きを見せれば、執拗に狙いを定めるビームライフルが一斉に発射されるだろう。ビームシールドを展開して防げる数ではない。メガ粒子の反発力を利用した一種の電磁バリアであるIフィールドも、これだけ近ければ、そして集中砲火を受ければ、貫かれる可能性もある。
 大して広くない谷間にガビスの集団が犇いていた。それ以上近付くことなく、それでいて銃の狙いだけは外さない。
 ミリスは全く後れを取ったことを後悔した。だが、逃げるチャンスはある。Iフィールド、ビームシールドを全開にして、その瞬間にスラスターを噴かしてジャンプし、そのままウェイブライダーで飛ぶ。ガビスに飛行能力は無い。例え、支援機が近くにいるとしても、ウェイブライダーでマッハを超えれば、発生する衝撃波に巻き込んで大きな被害を与えることが出来る。その間隙をぬっての脱出は比較的簡単に思えた。
『よし、作戦開始だ』
 隊長らしい男の声が聞こえた。
 今だ! ミリスはガンダムを立ち上がらせ、そしてジャンプするためにぐっと腰を落とさせる。
 それと同時に、ガンダムの四方に金属棒が降ってきた。それは地面に突き刺さり、骨組みだけの傘を開く。
 何? ミリスは一瞬それに目が行った。その為、次の行動が遅れた。それは状況を甘く見たための判断ミスだった。
 傘は閃光を迸らせた。凄まじい電流の流れが稲妻のように地面をうねり抉る。ミリスの全身に軽い痺れが走った。
 まずい! モニターに状況とその兵器の名が表示される。電流とプラズマの嵐がガンダムの周囲に渦巻いていた。そのためガンダムは動きを抑えられている。プラズマ・リーダーと呼ばれる、対機動兵器用の機器だ。
『よし、攻撃開始だ』
 号令とともにガビスから射撃が始まった。距離は銃撃戦をするには異常に近い。しかも二十八機のガビスからの一斉射である。
 ガンダムの腰を低く落とし、両肘からビームシールドを発生させると、腕を胸の前で十字に組んで、前方からの攻撃を受け流す。Iフィールドも全開だ。ビーム攻撃の嵐が機体全体を大きく震わせた。間断なくビームがガンダムの機体を掠める。受け流し、そして防ぐ。何とか攻撃には耐えているものの、圧倒的な攻撃の前に少しも動くことが出来なかった。
 ミリスの身体の痺れも徐々に大きくなってきた。対電磁コーティングは施されているものの、ガンダムの電子部品はそんなに頑丈ではない。ビーム攻撃は防げても、このままでは内部から破壊されてしまう。まずはプラズマ・リーダーを破壊しなければ。
 だが、ガビスの攻撃はその隙を与えてくれるほど緩やかではなかった。ガンダムは徐々に体勢を崩し始めていた。足元がおぼつかない。このままでは転倒してしまう。それを今まで防いでいるのは、あくまでミリスのバランス感覚の鋭さ故だ。モビルスーツを感覚的に操作出来るアストライド・シートでなければ、もうとうにガンダムは体を崩し、そこにビームの直撃を受けていただろう。
 しかし、今のままではそれを引き延ばしているだけに過ぎなかった。
 何とかプラズマ・リーダーを。ミリスはその内の一つを正面に捉えた。このガンダムには強力な内蔵武器がある。胸に装備された、ヴァイパー・ブレードと呼ばれるビーム兵器だ。だがそれを、この激流のようなビーム攻撃の中で放つのは無理だ。ついにガンダムは片膝を付いた。
 ビーム攻撃はガンダムの上半身に集中していた。その証拠に足元には着弾は殆ど無い。距離が近すぎるのだ。弾かれたビームは後方へと流れ、断崖の壁面を穿ち続けている。
 その時、Iフィールドに弾かれたビームの軌道が目に飛び込んだ。
 これだ! ミリスはガンダムの上半身を傾けた。ビームが数発、思い通りの方向に弾かれた。そしてその先にあるプラズマ・リーダーを撃ち抜いた。ガンダムを取り囲んでいたプラズマの牢獄の一角が崩れる。
 機体がふと軽くなった。その瞬間、開けたところに一気に移動させる。もうプラズマ・リーダーの効果範囲の外にいた。
 しかし、ガビスのビーム攻撃は相変わらず続いていた。ビームライフルの弾数は二十発程度。予備のエネルギーパックを二個携帯していたとしても、それ以上は銃身が焼けてライフル自体が使えなくなる。このまま耐え続ければ勝機は見出せる。
 そう思ったミリスは、視界の上方に滞空するトボガン輸送機を見つけた。
 輸送機は全部で五機いた。その腹からコンテナが落とされる。それはガビス近くの地面に落ちると上方の扉を開けた。拡大画像がドーム・モニターの一角に映った。
 あれは、武器コンテナ? 一瞬だが、そこに格納された予備のライフルの姿を見つけた。
 冗談じゃない。これじゃ延々と的になり続けるだけだわ。何とか、何とか脱出しなければ。
 その時、ガンダムの周囲で大きな爆発が立て続けに起こった。トボカン輸送機からのミサイル攻撃である。本来武器を持たないトボガンも改装されているのだ。
 爆風がガンダムを煽り、爆煙が視界を遮る。そしてその煙の中からビームの矢がこれでもかと打ち込まれた。
 もうガンダムは持ちそうに無かった。それはすなわち、ミリスの死を意味していた。
 あなたを守りたい。ミリスは思った。どうしても、大切なものだから。だが、ミリスの意識は薄れ始めていた。極度の緊張と死への恐怖、攻撃に晒された為の精神的、肉体的な疲労。どれもがミリスの命を徐々に削っていた。
 死ぬ、このまま、死ぬ。ごめんね、守ってあげられなくて。ミリスは奥歯を噛みしめた。悔しさで胸が張り裂けそうだった。瞳から涙が溢れ、頬を伝った。振動で涙の粒が弾ける。
 ガビスが、射撃はそのままに前進を始めた。一歩一歩、ゆっくりと歩みを進める。
 ミリスは絶望した。
 ごめんね。もう一度、ガンダムを想った。
 その時。
 ガンダムの奥底から奇妙な振動が巻き起こった。それは唐突に巨大に膨れ上がり、ミリスを揺り動かした。
 何? 何が起こったの?
 モニターを見る。何かメッセージが表示された。だが振動が激しくはっきりと読み取れない。ガンダムの全身がワイヤーフレームで示され、幾つかの部分にアラートが出る。故障ではない。起動したのだ。これは何?
 突然、大きな駆動音が鳴り響いた。ミリスの全身が熱を持った。ガンダムに呼応するかのように心臓がバクバクと脈打ち始める。それは今迄とは全く違う、初めて感じる異質なものだった。いや、そうではなく、今まで抑えられていた感情が一気に迸るような感覚だ。
 そしてミリスの頭の中で、感情の流入が起こった。何が何だか判らない。これは自分の感情だ。苦しみ、悲しみ、喜び。奔放な感情が渦巻き、胸を掻きむしられた。喉元まで沸き上がった熱い想いに、ミリスは吐き気を催した。
 脱出。ふと頭を過る。駄目、それは出来ない。ガンダムを捨てることは出来ない。だが、指はコンソールに触れると、その操作を始めた。
 止めて! 私は逃げたくない。守ると誓ったもの。ずっと、最後まで一緒にいるわ。お願い、止めて!
 だが、ミリスの願いとは裏腹に、指は確実に脱出のキー入力を行った。
 ガクンと機体が揺れる。目の前のドーム・モニターが一瞬消えて、再び映される。その映像は、ガンダムから見た周囲の様子ではなく、脱出カプセル、G−ボールから見たガンダムの内部の映像だった。
「駄目よ! 離れるのは嫌!」
 ミリスは叫んだ。と同時にG−ボールは後方へと射出された。前のめりにGが働き、胸を急激に押さえつける。ミリスの視界にガンダムの背中が映った。囲んでいるガビスの攻撃を必死に防いでいる。
 G−ボールは後方に僅かに飛んだ後、重力に引かれて落下を始めた。G−ボールは宇宙用で地上では無力だった。
「ガンダム!」
 ミリスは叫んだ。その瞬間、ガンダムの背中からビームが迸った。ついにガビスの攻撃が機体を貫いたのか? いや、違った。少なくともミリスにはそれが、巨大な六枚の羽に見えた。
 G−ボールは地面に落下した。一瞬バーニアを噴かして衝撃を和らげたものの、それは機体を守る為だけのものだ。
 激しい衝撃に揺さぶられ、ミリスは意識を失った。

 意識が戻った時、ミリスは自分が泣いていることに気がついた。まるで、意識のないずっと前から泣き続けている様な感じだった。周囲は静かになっていた。私は死んだのかしら? いや、そうではないらしい。コクピット内は薄暗い。ドーム・モニターは消えている。電源は、必要最低限のものしか入っていなかった。
 そうだ、ガンダムは?
 ハッチを開ける。いきなり、傾き掛けた太陽のオレンジの光が差し込んできた。もう夕方だった。鼻孔の奥底まで進入した臭気に顔をしかめた。
 シートから身を抜き、G−ボールから抜け出す。
 そこには凄まじい光景が広がっていた。
 広場一面に散乱するモビルスーツの残骸の山、山、山。地面が見えない程、部品をまき散らし、堆く積もっていた。その形状から、爆発したものは少なく、切り刻まれているような印象を受けた。基盤やラバーの燃える凄まじい臭い。あちこちでスパークが見え、ぶすぶすと真っ黒な煙の筋がいくつも立ち昇っていた。
「これは、一体、何だっていうの?」
 口をついて出る。信じられなかった。死を覚悟したあの時に沸き上がった、守れなかったという悔しさ、そして様々な感情の爆発、そして意志に反した脱出。
 その後でこの光景である。何が起こったのか、さっぱり理解出来なかった。
 ミリスは絶えず周囲に気を配りながら、広場を歩いた。口元に手を添えていなければ呼吸も出来ない。
 動くものは何も無かった。原型を留めるモビルスーツはどれ一つ残っていなかった。死体も見つかった。それも、かなり沢山。大概はガビスのコクピットの中で絶命していた。中にはコクピットそのものが切断されているものもあった。もちろんその場合の死体の惨状は、直視出来るものでは無かった。数体ならば埋めてやることも出来たろうが、十数体はある死体を埋めるにはミリスは非力だった。
 かつてミリスが住んでいた建物も、完全に崩壊していた。火災が起こったらしく、そこからは以前生活していた名残りすら拾い上げられなかった。食料や金の蓄えも、井戸も、発電機も全てを失っていた。この広場もモビルスーツの残骸に埋もれて、もう生活の場では無くなっていた。
 ミリスは生きる為の全てのものを無くした。明日から、いや今日、今、この瞬間からの生活の礎を失ったのだ。
 そして。
 ガンダムの姿は無かった。破壊されていれば、その部品でも残っていそうなものだが、それらしいものも一切無かった。
 持ち去られたのだろうか。だが、誰が? このガビスの様子から、連邦軍以外の大規模な軍隊が攻撃を仕掛けたのだろうと思う。だが、脱出する直前には、そんな気配は感じられなかった。
 ミリスは不安になった。それはガンダムを失ったこともそうだが、むしろ、脱出の際に見た、ガンダムの背中の羽のことだった。
 自分の意志に反してガンダムが勝手に動いたの? ミリスには漠然と感じるものがあった。ガビスを破壊したのはガンダムかも知れない。それも私の知らない何か大きな力が働いて。
 ミリスはG−ボールまで戻ると、コクピットの縁に腰を下ろした。
 これからどうすればいいのか。このままには出来ない。ガンダムを探し出すのだ。そして取り戻す。例え大陸中を渡り歩いてでも、必ずガンダムを見つけ出す。
 ミリスは誓った。あなたを守るって約束したわ。絶対に探し出して、私が守ってあげる。
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