第二章 再会


 G−ボールは電源は入るものの、まるで動こうとはしなかった。後部の四機の燃料電池式エンジンは噴射剤はあるが、推進器としては地上では役に立たない。前面下にある二本のマニピュレータも、ここでは機体を水平にさせるだけの機能した果たさなかった。上部の二門の対人用機銃も無用の長物だった。唯一、まともに使えそうな装備はサバイバルキットだけだった。携帯食料、固形燃料、治療キット等がセットになっており、二週間前後はそれで生き延びられそうだった。キットは持ち運ぶには少し大きすぎるものの、それは止むを得ない。もう目的は決まっているのだ。そのための努力なら何でもする。ミリスはそう覚悟していた。
 太陽は直ぐに沈んだ。夕闇が世界を支配し始めた頃、ミリスは再び、モビルスーツの駆動音を聞いた。それはガビスの群れが現れた時とは違い、あからさまに接近を知らせる大きな音だった。
 そういった配慮をしないのも当然かも知れない。この現状を知っているなら、それが無意味だということが判るだろう。
 ガンダムはいない。何故、今更? 
 ミリスはG−ボールの陰に隠れた。武器らしい武器はない。その当たりを見回しても、武器に変わるものは落ちていない。
 ガビスが現れた時と同様に、稜線から二機のモビルスーツが飛び上がり、そして広場の中に着地した。見た事のないモビルスーツだった。モビルスーツはそれ以上動こうとはせず、周囲を観察しているようだった。
 モビルスーツの胸が上下に開いた。多分コクピットがあるのだろう。そこから人影が現れる。この距離ではよく見えないが、どこかの組織の制服ではなさそうだった。金色の長い髪だった。そのシルエットから女性のように見えた。もう一機のモビルスーツもコクピットを開ける。だが、パイロットは姿を現わさなかった。
 二人はしばらく何かを話しているようだった。そして姿を見せないパイロットの乗るモビルスーツが、明らかにミリスのいるほうを指差した。その瞬間、G−ボールから大きな発信音がなり始めた。
 まずい! ミリスはG−ボールに乗ってそれを停止させるべきか考えた。ハッチはモビルスーツの側にある。乗り込もうとすれば姿を見られてしまう。
 ミリスは焦った。モビルスーツの動きを見ると、G−ボールの発信音は彼らが起こしたのか? だとすれば、もうミリスがここにいることは知られているかも知れない。
 二機のモビルスーツがゆっくりとこちらに歩いてくる。やはり見つかっているのか。だが、逃げようにも辺りは散乱するモビルスーツの破片に阻まれている。
 G−ボールの数メートル手前でモビルスーツは止まった。顔を出してその様子を伺う。モビルスーツのコクピット・ハッチは閉まっていた。
 モビルスーツから大音量の声が響いた。女性の声だった。
「ミリス! ミリス・ヤワ! ここにいるの? いるなら出てきて! 私はイルジニフ博士の使いであなたを迎えに来たの!」
 ミリスは顔を上げた。イルジニフの使い? 私を迎えに? よく判らない。敵ではない、という考えが頭に浮かんだ。だが、ちょっと信用するには早すぎる。
「お願い! 姿を見せて! 敵じゃないわ。ミリス!」
 どうする? ゆっくりと検討している余裕はない。声やパイロットから悪意は感じられない。ミリスは彼女の言うことを信じることにした。どちらにしても、いきなり発砲されることはないだろう。
 ミリスはG−ボールの陰から身を晒した。モビルスーツの顔が一斉にミリスを見下ろした。
「あなた、ミリス・ヤワね?」
 声が頭に響いて痛い。ミリスはよく見えるように大きく頷いた。
 再びコクピット・ハッチが開く。昇降用ワイヤーを使って、一人の女性が降下した。やはり金色の長い髪だった。身長はミリスよりも頭一つ分くらい高そうだ。私服だった。ノースリーブのふわりと軽そうな上着に脚にピッタリと合ったスカート付パンツ。体のラインを見てもミリスと同じくらいの細さだった。女性は軽やかに地面に降り立つと、残骸の隙間を縫ってミリスに近付いた。
 女性が立ち止まる。目が合った。ブルーの大きな瞳だ。体と同じように顔の輪郭も細かった。女性が笑う。人懐っこい笑顔だ。
「ミリス・ヤワね? 初めまして。私はリューン・リードよ」
 柔らかな声だった。少しキーは高いが鬱陶しくは感じない。
 まだ握手出来るほどの距離ではない。ミリスの警戒心を知ったのだろうか、彼女はそれ以上は近付いてこなかった。
 もう一機のモビルスーツからもパイロットが降りてくる。今度は赤味がかった長めの黒髪を後ろに流した長身の男だった。肩幅が広くがっしりしている。胸の筋肉の盛り上がりがはっきりと判った。グレーの上着に黒のズボンという出立ちだった。
「あっちはモハマド・ソラブ・フォサザル。仲間よ」
 モハマドと紹介された男は、リューンの一歩後ろまで歩いて来て、立ち止まった。
「その子が例の子か?」
 そう言ったモハマドの声はやや太く、色黒のアジア系の顔に相応しかった。リューンは頷いた。
「そう見たいだけど」
 モハマドはミリスを見下ろし、やや険しい表情を崩さないまま、少し頷いて見せた。
「良かったわ、生きててくれて。半日遅かったみたいね。連邦に攻撃を受けたって聞いた時は心配したのよ」
「どういうこと?」
 ミリスの声を聞いて、リューンの顔に笑みが浮かんだ。
「可愛い声。やっと喋ってくれたね。最近、連邦軍の動きが慌ただしいんで監視してたの。そしたら、例のブレナン事件の調査のために特別編成のモビルスーツ隊が出撃して。いや、調査じゃなくて生き残りの関係者を探し出して抹殺するのが目的ね。で、慌ててあなたを迎えに来たっていうわけ。イルジニフ博士は、半年はあなたにダス・ゼルプストを預けたがっていたけど状況がこれじゃね。まさかこんなに早くあなたが見つかって、しかもいきなり攻撃を仕掛けるなんて思わなかったわ」
 リューンは周囲を見渡した。
「でも作戦は失敗でも、認識は間違っていなかったみたいね」
「よく判らないわ」
 ミリスは首を振った。少なくとも敵を粉砕したのは自分ではない。
「そうね。これは全部、ダス・ゼルプストがやったのよ」
「ガンダムが?」
 ミリスには信じられなかった。じゃあ、ガンダムは勝手に動いて敵を倒したというの?
「ダス・ゼルプストには危険に陥った時、それを回避するプログラムが入っている。でも、それが起こるということは、すなわち、ダス・ゼルプストの封印された機能が働くことなの。ダス・ゼルプストは?」
 首を振った。それはミリスも知りたいことだった。ガンダムはどこに行ってしまったのだろう。
「やっぱりね。イルジニフ博士に聞いたとおりだわ。覚醒したのなら、カノン・フォルムの成長のために、メタ・ゼリオンの補給に向かったのね」
「何だか、さっぱり判らないわ。ガンダムの行く先を知っているの?」
 ミリスは聞いた。だがリューンは首を振った。
「ダス・ゼルプストの目的は知ってるけど、それがどこかは知らない。でも良かった。あなたがG−ボールで脱出してくれて。もしG−ボールがなかったら、ダス・ゼルプストはもう止められないし、私達の計画も駄目になるところだった。それに脱出しなかったら、ダス・ゼルプストの中に閉じ込められることになっていたわ」
「よく判らないけど」
 ミリスの言葉ももっともだと頷きながら、リューンは続けた。
「これからヴァルハラに来ない? シャトルが待っているわ。モビルスーツを運べるブースター付きの中型のやつよ。本当はダス・ゼルプストを載せる予定だったけど、こうなったらミリスにダス・ゼルプストを取り戻して貰わなければね」
 ガンダムを取り戻す。それはミリスにとっても願ってもないことだった。
「ヴァルハラにいけば、ガンダムを取り戻せる?」
「少なくとも生身じゃ無理でしょ。ヴァルハラにはモビルスーツがあるし、ダス・ゼルプストがどこに行ったか、情報収集が出来るわ」
 選択の余地はなさそうだ。ミリスは言った。
「行くわ」
 リューンは頷いた。そしてずっと黙ったままだったモハマドに言った。
「じゃあ、シャトルを呼んで。彼女をヴァルハラに送るわ」
「地上を踏んで一日もしないうちに逆戻りか?」
「例えダス・ゼルプストを回収出来ていたとしても、そうしたでしょ?」
 モハマドは両の掌を見せて、踵を返した。そしてモビルスーツに乗り込む。
「あのモビルスーツは見た事のないやつだわ」
 二人のモビルスーツは曲線と直線が入り交じった、連邦軍ともラスティアースとも違うラインを持っていた。どちらかというと幅広く骨太な感じだか、ラインそのものは上から下まで流れるように整い、洗練されていた。エネルギーパック式のビーム・ライフルとやたら細長い盾を持っている。盾は見るからに軽そうな感じだが、表面の微妙な色と艶を見れば、対ビームコーティングが施されていることが判る。その基部には別の、ビーム・シールドとおぼしきユニットが取り付けられている。
 リューンが答えた。
「あれはコロニー軍の新配備機、ヴァンガードよ。宇宙、地上の両用機で、戦争が再開された時の地球進攻用の機体」
「あなたたち、コロニー軍なの?」
「今は違う。イルジニフ博士を中心にした、ある計画に参加しているの。詳しくは博士に聞いて」
 上空に爆音が響いた。黒い陰がミリスの上を通過する。それは上空で一端静止すると、くるりと方向を変えて、そのまま垂直に降下を始めた。ペイロード部分が長い。それに後ろの部分には本体よりも大きなブースターが取り付けられている。貨物輸送用シャトルだ。ブースターは切り離す必要の無い、再利用型だ。
 それは、この広場を囲む岩山の向こう側、開けた砂漠に降りて行った。
 リューンがミリスを促した。
「さあ、行きましょうか。私のヴァンガードのコクピットに乗って。少々窮屈だけど、シャトルまで数分で着くわ」
 ミリスは、リューンとともにヴァンガードと呼ばれるモビルスーツのコクピットに乗った。アストライド・シートである。そこにはもちろんリューンが収まり、ミリスはその後ろで、ドーム・モニターに添って這いつくばるように乗り込んだ。ミリス程の体格でなければ、とてもこの狭い中に身を置く事は出来なかっただろう。
 起動したヴァンガードはG−ボールを両手で掴み上げた。大事なものなのだろう。かなり慎重に扱っているのが判った。リューンはミリスにも気を配って、なるべく振動を抑えるような操縦をしていた。
「じゃあ、行くわよ」
 二機のヴァンガードは谷山をジャンプして飛び越えた。モニターの後方には、遠ざかる、かつてミリスが過ごした谷間の小さな広場が映った。それはどんどん小さくなり、そして視界からすぐに消えた。
 もう、あそこには住めないのか? 戻ることもないのだろうか? これまで十三年間過ごした私の家。だが、家そのものに愛着や感傷は無かった。あるとすれば、ガンダムと共に過ごした事が思い出となることだけだ。今までの生活を捨てる、そのことに不安はあったが、やがてこうなることが判っていたような気もする。
 今、自分がしなければならないことは一つしかない。それまでは他のことは考えられない。
 ヴァンガードは岩山の麓に降り立った。シャトルは目の前にあった。

 今回のシャトルでの旅は比較的落ち着いていた。以前のように慌ただしく逃げ出したのではない。だが、気分は似た様なものだった。
 貨物輸送用だけあって、人間が乗るスペースはごく僅かだった。シートが中央の通路を挟んで左右に四つずつ、それが三列並んでいる。そこに座ったのはミリス、リューン、ハーベイの三人だけだった。三人はてんでバラバラの位置に座っていた。ミリスは中央の列の右端にいた。窓は無い。それらしい枠があるだけだ。ミリスは顔をそこに向けて、見えるはずのない宇宙を眺めた。
 心の中に焦燥感だけが募った。じっとしていられない。早くガンダムを追いかけたい。あまりの不安で涙が溢れ、何度も掌で拭った。
 リューンは気を利かせて何か話しかけようとしたが、ミリスは何も話さなかった。そんな気分ではない。宇宙に出てからヴァルハラまでの数時間、ミリスは身じろぎもせず、誰とも話さず、ただそうやって刻を過ごした。
 ミリスが我に返った時、もうシャトルはヴァルハラに着いていた。気がつけば終わっていた数時間だった。いつのまに着いたのだろう。時間の感覚はすっかり麻痺していた。眠気も無かったし、疲れもそのままだった。ガンダムを想うがあまり、その他の全てを失った感じだった。
 シート・ベルトを外すと体が浮き上がる。確かに無重量空間だった。前に滞在した時は一週間程度だったが、無重量の中を動き回ることは体が覚えていた。シャトルの通路を抜けて、昇降口までは楽に来られた。
 ドアが開く。外はがらんとしたエアロックの、シャトル用発着場だった。明かりは少なく薄暗い。人影は真正面に一つ。それは直ぐに判った。
「ミリス!」
 人影はミリスを見ると叫んだ。やはりイルジニフだった。
 ミリスはドアを蹴って、イルジニフの胸に飛び込んだ。
「お帰りなさい、ミリス」
 胸に顔を押しつけて嗚咽を漏らすミリスの頭を、イルジニフはやさしく撫でた。
「大丈夫。ダス・ゼルプストは必ず見つけるわ」
 顔を上げたミリスはイルジニフに迫った。
「早く、早く探して!」
 襟を掴んでイルジニフの体をガクガクと揺らす。
「ちょ、ちょっと!」
 苦しそうに顔を歪めたイルジニフを助けに、リューンが割り込んだ。
「止めなよ、ミリス」
 リューンがミリスを引き離す。そしてイルジニフとの間に立ちはだかった。
「あなた、ちょっと変だわ。なんでそんなに思い入れてるのよ。あなたを見てるとまるで」
 そこで言葉を切る。そして一瞬迷い、言った。
「まるで、子供を心配する母親みたい」
 その通りだわ。何を言っているの? 一瞬、そう言いそうになり、それがどんな不可解なことかを感じて、ミリスは黙り込んだ。
「確かにダス・ゼルプストは、私達にとっても大切なモビルスーツよ。でも、あなたのような感じ方はしない。一体、どうしたっていうの? 幾ら何でもたかがモビルスーツ一機だというのに」
 ミリスは黙ったままだった。自分の感情を説明出来る言葉が見つからない。
「ミリスがこうなったのは訳があるのよ。説明してあげるわ」
 襟元を整えたイルジニフが声を掛けた。ミリスはイルジニフの顔を見た。
「ついてきて。ミリスに新しいガンダムを渡すわ。リューンとモハマドにも状況は説明しとかなきゃね」
 いつのまにかミリスの後ろに立っていたモハマドが言った。
「ああ。俺達も、何も知らないまま動かされるのは勘弁してもらいたいからな。ヴァンガードと脱出カプセルは任せておいていいんだな」
「ええ。整備させとく。G−ボールはダス・マンに取り付けなきゃね」
 そういうとミリスに手を差し伸べた。ミリスは一瞬ムッとして、その手は取らずに、自分で地面を蹴って通路側に向かった。イルジニフは一言、行きましょう、と言っただけで、ミリス達を先導した。

 格納庫はガランとしていた。モビルスーツはおろか、整備用の機器も見えなかった。巨大な空間が広がっているだけだ。ヴァルハラ内はどこもそうだった。前に来た時は、移動している時に何人かのスタッフとすれ違うことはよくあったが、今は照明も落とされ、人の姿も見えない。
「静かだわ。どうしたの?」
 イルジニフに聞いてみる。
「引っ越し中よ。必要なモジュールやヴァルハラ内のものは全て運び出したわ。ダス・ゼルプストを取り戻した時点でヴァルハラは破棄する」
「破棄? 引っ越しって? どこに行くの? どこか行くところがあるの?」
 ミリスは首を傾げた。確かに食料や日用品等、どこから補充しているのか判らないことはあった。コロニーならともかく自給自足出来ない以上、どこかから補給を受けるしかない。だが、イルジニフは連邦軍所属の筈だ。連邦軍は地上から大量の物資を送ることはほとんど出来ない。大気圏を突破出来るシャトルやロケットが極めて不足しているからだ。それに衛星軌道上で最終防衛線を張っている連邦軍艦隊も物資はカツカツだという話を以前聞いた事がある。
 やはりイルジニフはコロニー軍と通じていたのだろうか。そういえばリューンとモハマドは、元コロニー軍だということだ。
 ミリス達は幾つかのモジュールを抜けてモビルスーツの管制室に降り立った。もう閉鎖されたかのように真っ暗で、並んだコンソールは全く電源が入っていない。
 イルジニフはごそごそと壁を間探った。ボックスの扉を開けて、中のレバーを倒す。管制室全体に電源が入った。
 強化ガラスの向こうには、以前見たモビルスーツの姿があった。もう完全に組み上がっていた。塗装はガンダムらしいトリコロール・カラーだったが、ダス・ゼルプストとは決定的に形が違う。肩が張り出し、背中には巨大な羽とブースターが見える。ちゃんとしたモビルスーツの姿をしていた。
「ダス・マン、ね」
 ミリスはそれを覚えていた。その時はモビルアーマーで、しかもまだ組み立て中だったが、間違いない。
「そうよ。ダス・ゼルプストの姉妹機といったところだけど、性能の低さは勘弁して。これでもヴァンガードよりはいいんだから」
 ふんとリューンが鼻を鳴らす。
「あなたがここに来る時は、いつも同じね。大切なものを無くして、そして私からモビルスーツを受け取って、また帰っていく」
 そんなの偶然だ。巻き込んだのはあなたじゃないの。ミリスは思った。
「それよりも話してくれるんなら聞かせて。じゃないなら、私、直ぐにでも行くわ」
「そうよ。この子のこと教えてくれなきゃ、私達、どうしたらいいか判らないわ」
 ええ、とイルジニフは頷いた。
「この前来た時、ミリスから採血したのは覚えてるわね。そこからカノン・フォルムっていうのを作ったと言ったでしょう?」
 ミリスは頷いた。それは漠然と感じていたことだ。多分、イルジニフはミリスの考えに裏付けを与えようとしている。
「カノン・フォルムは基本的にはクローン。つまり、ミリスの血液から取った核と、私の未受精卵を使って作ったクローン人間のことよ。本当はあなたの卵子を使いたかったけど、まだだったんでしょう?」
「ちょっと待って」
 リューンが口を挟む。
「クローン人間の製造なんて世界的に禁止されてるじゃない。なんでそんなものが出来るの?」
「隠れて研究されている事実は沢山ある。連邦軍でも実際にずっと研究されてきたわ。カノン・フォルムは三種類あって、人間と同じ姿になる戦闘用と慰安用、そしてコンピュータに直接接続される生体コントロールシステム。実験に最初に成功したのが女性だったから、カノン・フォルムは全て二十歳前後の女性の姿になる。クローンは性別も引き継ぐからね。カノン・フォルムがクローン人間と違うのは、核の段階から手を加えられ、遺伝子操作や成長抑制で姿形まで整えられる。そして不必要になる身体器官は全て機能を停止させられる。だからカノン・フォルムには毛髪は無いし、生殖能力もない。それでもクローン人間には間違いないから、ミリスはダス・ゼルプストの中で作られたカノン・フォルムと感応しているのよ。もっともダス・ゼルプストが作るカノン・フォルムは、生体コントロールシステムのほうだけど」
 イルジニフは一気にそこまで話すとふうと一息ついて、椅子に腰を下ろした。そして全員に、適当に座って、と促す。ミリスとリューンは椅子に、モハマドは立ったままコンソールにもたれ掛かった。
「感応、する? なんで、そんなことが起こるの?」
「多分、ミリスが本当のニュータイプ能力を発揮し始めているのだと思う」
「本当の? 前にもそんな事言って無かった?」
 イルジニフは指を顎に付けた。
「それは、そう呼ばれているだけということよ。でも私にも不思議だった。あなたの体の中にあるのは、あくまでモビルスーツに対する条件反射でしか無いはずなのに。どうしてあんなに感応してるのかなってね」
 全員の視線がミリスに集まる。ミリスはどう反応していいか判らず戸惑った。
「ニュータイプなんて存在しないと思っていた。でも」
 リューンがミリスを舐める様に眺める。
「こんなニュータイプなら、御免被るわね」
 それはミリス自身が言いたかった。自分でもおかしな感情だと思う。今ではそれに疑問すら抱かなくなっていた。でも、もうガンダム無しではいられない。
「イルジニフさん。あなた、一体誰なんですか? やっぱりコロニー軍に内通しているの?」
 イルジニフは首を振った。
「私は連邦軍にもコロニー軍にも所属していない。まあ、利用はしたけどね。リューンやモハマドも元コロニー軍だけど今は違う。彼らはある目的に賛同してやって来たの。ヴァルハラはその目的が最終段階に入ったので破棄されることになった。あれはダス・ゼルプストの為だけにあったものだから」
「ある目的って?」
 イルジニフは顔を上げた。眼の焦点はずっと遠くにあてられていた。
「望別、よ」
 ぼそりと言う。その言葉で皆、神妙な顔付きに変わった。
「私達は地球を捨てて別の恒星へ旅立つ。そのための準備をしているの」
「地球を、捨てる?」
 にわかに信じられなかった。地球に住むミリスから見れば、コロニーやこんな宇宙ステーションでよく暮らせるものだと思うが、それではもう二度と地球の土を踏む事はおろか、その姿を目にすることすら出来なくなる。なんでそんな事を考えられるのだろうか。
「サイド二は破棄されて久しいけど、改修されたコロニーが三基ある。一番大きいコロニー、パレ・ロワイヤルを中心に今、望別の準備が進んでいるわ。間もなく私達は地球を、地球圏を捨てて行くわ。目的地はアルファ・ケンタウリ。地球に最も近い恒星よ。四、三光年の彼方。かつて望別を行った先人達もそこに向かったわ。我々もそれに続こうという訳よ」
「でも、それがダス・ゼルプストとどう関係があるの?」
「コロニーの推進機関である核パルス・エンジンは確保出来た。でもそれに供給されるはずのエネルギーの絶対量が足りないの。イグニッション・レーザーという点火エネルギー。コロニー軍は望別させない為に、コロニーの色々な機能を取り払ったわ。ダス・ゼルプストのMPPAエンジン、ミノフスキー粒子・対消滅エンジンは一基だけでもそれを賄える。それと長い航海でシステムを管理するのは大変なことよ。ダス・ゼルプストのカノン・フォルムを使えば、人間がするよりも遥かに正確に、しかも永続的にそれを行える。カノン・フォルムは自身の細胞からいくらでも複製を作ることが可能だからね」
 ミリスは首を捻った。なぜ、そんな機能がモビルスーツに入っているのだろう。予め、この目的のために作られているとしか思えない。ダス・ゼルプストは二十年も前の機種だ。つまり、そのくらい前から計画を進めていたということだろうか。と、するとこのイルジニフは本当に何者なのだろう。
 後ろから足音が聞こえてミリスは振り向いた。短い金髪の男が管制室に入ってきた。白衣を来ているが、襟元から見える青色の私服がラフな印象を与えた。身長はリューンより少し低い。笑みを浮かべているが、その表情はやや堅い。
「彼はハーベイ・ステロン。元コロニー軍のモビルスーツ研究者よ。協力を申し出てくれて、今回、ミリス達に同行してもらうわ」
「よ、よろしく」
 ミリスは頭を下げた。だが、リューンからは、ふん、という鼻を鳴らす音が聞こえた。
「あなたが協力を申し出る? ちょっと信じられないわね」
「どういった風の吹き回しだ。ことなかれ主義の貴様が」
 リューンもモハマドも、このハーベイという男に良い印象を持っていないらしい。
「私は長年モビルスーツの研究をしてきた。この知識は役立つと思いますが? それにこう言っては悪いが、ミリスさんにも、あのガンダム、ダス・ゼルプストにも非常に興味があります」
 まとわりつくようなねとっとした声だった。不快感はそれほど感じなかったが、リューン達の態度も判る気がした。
「まあ、いいさ」
 リューンはそっぽを向いた。イルジニフは全員の顔に目をやると、ハーベイに聞いた。
「どうしたの? 見つかった?」
「はい。ダス・ゼルプストはウェスタン・オーストラリアのパース元連邦軍基地で補給を行ったあと、追撃に出た連邦軍部隊を全滅させ、更に西に向かいました。おそらくアフリカ大陸に上陸してさらに補給を続けるものと。アフリカには三つの連邦軍化学研究所があります」
 イルジニフは立ち上がった。そして人指し指を顎につけて考え込む。
「まずいわね。思ったよりも展開が早い。でも、何故? メタ・ゼリオンはあと一度の補給で良かったはず。これ以上は必要ないのに」
「メタ・ゼリオンて何?」
 ミリスは聞いた。イルジニフは振り返って答えた。
「メタ・ゼリオンはただの商品名で、中身はカノン・フォルムの成長に必要な栄養素が全て入っているの。あなたにダス・ゼルプストを預けた時は、その注入量を調節して、急激に成長しないようにしてたんだけど、自己防衛モードが発動されて、カノン・フォルム成長を急いだのね。自己防衛モードはまずカノン・フォルムを完成させることを優先する。そしてそれを守ることをね。でもダス・ゼルプストの生体コントロールシステムは二度の補給で完了するはず。これ以上補給する必要はないはずだわ」
 ガンダムにはよく判らないことが多すぎる。いちいち説明してもらうのはもどかしいし、頭が痛くなる。一体、何でこんなにややこしいことになったのだろう。たかがモビルスーツのはずなのに。私のガンダムが怪しげな計画や目的のために切り刻まれていくように感じる。
「でも軍の部隊を全滅ってどういうこと? 私に渡す時は武器が無いって言ってたくせに。実際、私は大変だったわ」
 自分の口調が荒くなっているのが判る。
「ダス・ゼルプストは正確に言うなら、武器を携帯する必要の無いモビルスーツよ。内蔵のヴァイパー・ブレードがあれば、事足りる。防御にしても、Iフィールドにビーム・スキン、ビーム・シールドをすべて同時展開出来るから死角は無い。特にIフィールドの利用技術は画期的よ。ミリスに渡した時はMPPAエンジンの使用制限があったから本来の力が出なかっただけ。でもあの時はカノン・フォルムの成長を抑えておく必要があったから仕方なかったの」
 そうまで言うとイルジニフは一人歩き出した。なだめるような口調を聞いて、ミリスは少しばつが悪く思った。
 イルジニフはその辺りをうろついた。ミリス達のことは目に入っていない。自分の考えを頭で巡らし、他のことは気に止められないようだ。
「でも、チャンスと言えばチャンスね。何故かは判らないけれど、ダス・ゼルプストはまだ補給を必要としている。ひょっとすると、他の、例えば噴射剤やミノフスキー粒子が思ったより消耗したのかも知れない。ダス・ゼルプストは一番近い基地に向かうはずだわ。先回り出来る」
 イルジニフはミリスのほうを見た。ミリスは頷く。状況は理解出来た。すぐにでも出発したい。
 リューンとハーベイもやる気は充分だった。モハマドは、戻ったばかりでまた行くのか? と不満を漏らしたが、それでも意志ははっきりと決まっているようだった。
「ミリスには悪いけど、ダス・マンに慣れてもらう時間は無いわね。まあ、コクピットはダス・ゼルプストのG−ボールをそのまま取り付けてあるから、操縦は大丈夫だと思うわ。じゃあ、ここに来た時のシャトルでダス・マンとヴァンガード二機、あとハーベイのホバートラックを地球に送るわ」
 その時、女性が管制室に飛び込んで来た。
「大変です。コロニー軍がレジ・ドラを地球に向かわせました。現在、連邦軍の防衛線で交戦中です」
「何? どういうこと?」
 それが、と声を詰まらせて、そしてまた急いで話し出す。
「連邦は虚を衝かれて、やや混乱しています。どうやらコロニー軍の目的はレジ・ドラを地球に降下させることが目的らしく、突破は時間の問題です」
「何故、今更そんなことを。休戦協定を破る気なの?」
「レジ・ドラは全部で十二機。解析の結果、サテライト・キャノン装備型を三機、確認しました。目標降下地点はアフリカ大陸と推測されます」
「十二機? 虎の子のモビルアーマーを全部降下させる? しかもアフリカってまさか?」
 ダス・ゼルプストが目的? 何故、コロニー軍が? 私のガンダムに軍が寄ってたかって何をする気なの? ミリスは焦った。あのレジ・ドラを、それも十二機を相手にすれば、例えガンダムと言えどもひとたまりもない。しかもレジ・ドラはかなり先行しているのだ。間に合わないかも、そんな不安が過る。
「ダス・ゼルプストは?」
「アフリカ大陸に到達しました。現在はウェイブライダーの展開は見られません。しかし、直前まで高エネルギーの放出を確認しました」
「ニンフェット」
 イルジニフは苦い顔をした。
「ダス・ゼルプストは完全にMPPAエンジンを機能させている。これは幸いというべきか、それとも厄介だというべきか。でも、やることは一つしかないわね」
 イルジニフはミリスの両肩をしっかりと掴んだ。
「お願い、ミリス。ダス・ゼルプストを取り戻して。あれには私達が二十年掛けてきた夢がかかっているの。そして、必ず皆で無事に帰ってきて。その時は」
 そこで言葉を切る。次の言葉は出なかった。ミリスには判った。だが、ミリスもそれを打ち消した。今考えるのはガンダムのことだけだ。
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