第四章 妖精


 ガンダムはゆっくりと歩みを進めていた。スラスターが吐き出すものは反物質によるプラズマ・ハイブリッド・サイクル・ジェットだ。だが、バーニアには別の噴射剤が必要だ。対消滅エンジンで幾ら電力や熱を生産出来ても、それ以外の大部分は補給しない限り、いずれは尽きる。ガンダムは補給が完了するまでは低出力モードで動いているのだろう。
 これはハーベイの考えだったが、実際、ガンダムはその行動を随分と抑制していた。だからガンダムに先んじて基地に到着出来たし、こうやって待ち伏せも可能なのである。
 シンヤンガ連邦軍基地はもう何十年も前に破棄されて以来、無人となっていた。ダイヤモンド鉱山跡を利用して建設された生化学研究基地である。と言っても実際は多層階になっていて上層はモビルスーツの機能試験施設、最下層は巧妙に隠されていたがカノン・フォルムの研究施設であったらしい。外観は低い三日月状の岩山の広場の部分に小さな建物が幾つか密集し、二本の滑走路が見える。建物はガレキの山と見紛うばかりの状態だった。
 ミリスは南側、ガンダムとは基地を挟んで逆側の山の斜面に陣取った。この方角からの敵影は無い。ガンダムが現れれば、他の敵よりも先に接触出来る。最も、レジ・ドラ部隊の動向も気になる。連邦軍を撃退したレジ・ドラ部隊は、今は足を止めているものの、動き出せば早い。あんなものと戦うことになれば、ガンダム奪回どころか、こちらが危うい。
 各自がそれぞれに配置についてガンダムを待つ。作戦と呼べるものはない。ガンダムを力で抑えることは不可能だ。あのガビスの大部隊を撃退したのなら、ダス・マン程度では太刀打ち出来ない。
 ガンダムの補給は基地の地下まで潜って、機体に備えつけのマニピュレータで行われる。補給時は動けず無防備になるはずだ。その時にダス・マンやヴァンガードで組み付いて、G−ボールを強制的にドッキング、新しいプログラムを走らせて自己防衛モードを解除させる。
 そう簡単にはいかないだろうが、それでもやるしかない。
 この辺りは比較的ミノフスキー粒子濃度が高い。だからロングレンジのレーダーは信頼性が低くなっている。自分の目で確認するしかなかった。
 ミリスは待った。その時間は長くはなかった。
 遠景にその姿が初めて見えた時、ミリスは震えた。強烈な切なさが胸を締め付けた。まだ陽炎の向こう側に揺らめき、形をはっきりと見出せない。だが、それを瞳に映すにつけ、無性に懐かしい、そして自分の手から離れてしまったもどかしさで、苦しくなった。
「見えているわね。ミリス」
 リューンが言った。
「とにかく、最初はダス・ゼルプストの好きにさせる。補給を始めたら、計画通りよ。敵が来たら、私達が引き受ける。ミリスはダス・ゼルプストに接触することだけを考えて」
 了解と返事をする。
 ガンダムはゆっくりと同じ歩調でこちらに近付いてくる。もう姿をはっきりと捉えられる。白い手足は随分と汚れているのがわかった。泥汚れだけじゃなく、黒ずみがあちこちにある。可哀相に。全身を洗ってあげなければ。ミリスはその悲惨な姿に目を反らした。
 ミリスの耳に、ハーベイの声が飛び込んできた。
「大変です! レジ・ドラ部隊が動き始めました。ミノフスキー粒子が上昇中です。到着までの推定時間、約十七分」
 何ですって! やっぱり、黙ってガンダムは渡してもらえないのね。
 レジ・ドラはガンダムの遥か後方にいた。よく目を凝らして見れば無数の点が空に浮かんでいるのが確認出来る。
 ガンダムはかなり基地に近付いていた。だが、その後ろから、ごうっと低く鈍い音が響いてくる。レジ・ドラ群はミノフスキー・クラフトで滞空しながら、やはりこちらを目指している。
「どうするんだ?」
 モハマドが聞いた。リューンは、ううんと考えたが、結論は直ぐに出した。
「やはり最初の計画でいきましょう。ガンダムの到着のほうが早い。私達で牽制している間にミリスはダス・ゼルプストを」
「俺達でレジ・ドラの相手をするのか?」
「いきなりサテライト・キャノンを撃ってくることはないでしょう? ほんの少しでも時間稼ぎが出来ればいいのよ」
「甘いんじゃないですか」
 ハーベイの言葉にリューンは怒鳴った。
「じゃあ、どうするの? このままレジ・ドラにガンダムを奪われるか、破壊されるかを指をくわえて見てる?」
 それはそうですが、と言ってハーベイは黙る。もちろん、ミリスもガンダムを目の前に何もしないつもりは無い。
 ガンダムは基地に到着した。建物には目もくれず、真っ直ぐに滑走路を横切って何も無い広場の外れに向かう。そしてビーム・サーベルを抜いて地面に突き刺した。腕を大きく円を描くように動かす。ビーム・サーベルを引き抜いた後には、大きく穿たれた地面が内部の空洞を見せていた。
 ガンダムは正確に基地の位置や構造を把握しているようだった。そのまま空洞の中に機体を投じる。ガンダムの姿は基地の内部へと消えた。
 今だ! ミリスはダス・マンを変形させた。G−インターセプターになり、最大加速でガンダムが入っていった穴に突入する。ヴァンガード二機もそれに続いた。
 だが、リューンの予想は外れた。既にかなりの距離に迫っていたレジ・ドラの一機がサテライト・キャノンを発射したのだ。目の前が閃光に包まれ、爆発がダス・マンを弾き飛ばす。
 ミリスは何とか体勢を立て直した上空へと舞い上がった。旋回して様子を確かめる。
 威力は弱かったらしい。マイクロウェーブ受電パネルも広げていなかった。以前、ミリスが体験した一撃には遥かに及ばない。
 しかし、それでも地上の建造物すべてを消し去るには充分だった。内部にどれだけの影響を与えているか想像出来ない。
 ガンダム。ミリスは無事を祈った。そしてダス・マンをミノフスキー・クラフトで滞空させ、機首をレジ・ドラに向ける。レジ・ドラは数キロ上空で散開し、そして滞空していた。可変型モビルアーマーだが、形状は円盤のままだった。
 その内の一機が、またサテライト・キャノンを放った。大きく機体をロールさせてそれをかわす。狙いは地上の基地だった。
 再び大きな爆発が基地を包んだ。衝撃がダス・マンを揺らす。踏ん張ってそれに耐え、そして機体を安定させる。
 リューン達は大丈夫かしら? レーダーでは確認出来なかった。通信も入らない。呼びかけにも答えなかった。
 だが、それ以上気にしている余裕は無かった。レジ・ドラから一斉攻撃が始まったのである。ビームが雨のように降り注ぎ、ミリスはたまらず地上に降下した。機体をモビルスーツへと変形させ、盾を構える。
 地上に降り立つと盾を左右に展開した。ダス・マン専用の盾は展開させると簡易ビーム・シールドになる。放出型ではなく循環型で展開時間が長い。
 無数のビームの矢が地上を狙う。ダス・マンは何とか踏ん張ってそれに耐えているが、まるで身動きがとれなかった。レジ・ドラは完全にガンダムを破壊するつもりだ。
 どうすればいいの? 視界にはレジ・ドラの巨体が遠近感を狂わせたまま、等間隔で浮かんでいる。十二機という数は圧倒的だ。まるで空を支えているかのような光景だった。
 落ちてくるビームは凄まじく、銃を構えることも出来ない。一か八か全力で脱出するか。そう考えた時、レジ・ドラにビームが飛んだ。それは散発的だったが、一瞬の隙が出来、ミリスは間髪入れずにスラスターを全開にしてそこから飛び退いた。そのまま岩山の影に回る。
「ミリス、大丈夫?」
 リューンの声だった。元々高い声が裏返った。ちゃんと聞き取れなかったが、モハマドの声も聞こえた。二人とも撥ね飛ばされ、そのまま機体を岩場に隠していたのだ。リューンのヴァンガードがゆっくりとダス・マンに歩み寄った。
「大丈夫。だけど、ガンダムが」
「こうなってはどうしようもないわ。諦めましょう」
 リューンの声は明らかに怯えを含んでいた。ミリスはかぶりを振った。そんなこと出来るわけがない。
「ガンダム!」
 ミリスは叫んだ。あの中にいるのに、それを目の前にして諦めるなんて。
 ビームは大地を抉ってゆく。ダス・ゼルプストが降下した穴は溶解し、その大きさを増している。中にはひっきりなしにビームが飛び込んでいた。中の様子は全く判らない。時々、中から何かが爆発した光が見えた。黒煙が穴と周囲からもくもくと立ち昇り始めた。
「ガンダム」
 もう一度口に出す。今度は絞り出すようにしなければ声にならなかった。
 その時。
 穴から影が高速で飛び出した。それはレジ・ドラ群と同じ高さまで一気に達すると、そこで背中の羽を広げた。
 レジ・ドラの動きが止まる。
 ガンダム、ダス・ゼルプストだった。ランドセルからは斜め四方に巨大なビームの羽が、そして左右に少し小さめの羽が伸びている。
 妖精。ニンフェット。
 それは確かにそう見えた。背中から生えた大小、六枚のビームの羽は微かに震えている。あれが本当のダス・ゼルプストの姿。
 レジ・ドラと比較すれば余りにも小さい。だが、そこから感じるプレッシャーはレジ・ドラ全てをも上回るかと思われた。
 まさか、とミリスは思った。ダス・ゼルプストはレジ・ドラの群を前に空中に仁王立ちになっている。
 レジ・ドラの攻撃は直ぐに再開された。ビームの矢がダス・ゼルプストを襲う。だが、その殆どが直撃の遥か手前で大きく軌道を変えた。Iフィールドである。さらに近付くビームが幾つかあったが、機体に到達することなく弾けて消えた。その瞬間、ガンダムを球形に包む薄いビームの幕が見えた。ビーム・シールドだ。それもミリスが知っている盾状のものではなく、全身を覆っている。ビーム・スキンが更に強力になったようなものだ。
 ダス・ゼルプストの胸からビームが迸る。ヴァイパー・ブレードの一閃が一機のレジ・ドラを斜めに切り裂いた。
 その一撃、たった一撃でレジ・ドラは真っ二つに裂け、そして空中で爆発した。その煽りで周りのレジ・ドラが数機、機体を傾ける。
 ミリスは目を疑った。これじゃ、圧倒的なのはガンダムのほうだ。
 ガンダムは途切れることなく、ヴァイパー・ブレードを振り回した。明らかに常軌を逸したエネルギー量である。大気中での威力の減退や限界到達距離も、考慮することが無意味なように思われた。
 一機のレジ・ドラが真横に切り裂かれる。ガンダムは僅かに機体を傾けただけだった。撓るような軌跡を残しながらヴァイパー・ブレードでレジ・ドラ切り刻む。更に二機のレジ・ドラが斜めに切られ、爆発した。まさにそれは毒蛇のように軌道をうねらせながら、敵を襲った。
 ダス・ゼルプストは機体を傾け、両脚を後ろに向けて胸を反らすと、そのままレジ・ドラの一番密集しているところに突入した。ウェイブライダーである。今だ止まないビームをものともせず、ダス・ゼルプストの機体は一気に音速を超えた。そしてレジ・ドラの中を駆け抜ける瞬間、機体をロールさせながらヴァイパー・ブレードを放つ。ビームの閃光が唸りを上げながら、宙を縦横に走った。
 ガンダムの通り過ぎた直後、その軌道に近いレジ・ドラが五機、機体を大きく揺るがした。更にその一瞬後に、ガンダムが発生させた衝撃波が襲い、それによって巨体は粉々に砕け散った。五機全てが、である。
 空中で踵を返したガンダムは、更にもう一機のレジ・ドラの横を飛び抜けた。間髪置いて、レジ・ドラの機体が爆発する。もうそれだけでレジ・ドラは残り二機になっていた。
 旋回するガンダムに向かって、一機がサテライト・キャノンを放った。直撃する、そう思った瞬間、高エネルギーがガンダムの手前で弾けて後方に流れた。強力なビーム・スキンとIフィールドが、サテライト・キャノンのエネルギーさえも受け流したのである。
 ダス・ゼルプストはウェイブライダーを解除して、再びレジ・ドラと対峙した。
 レジ・ドラは大型のミサイルを無数に発射した。それがガンダムへと向かう。だが、ガンダムは微動だにせず、ヴァイパー・ブレードを放った。
 放った、と思った瞬間、ビームは僅かに飛んであと、八つに弾けてそれぞれ別方向に飛んだ。それらは向かってくるミサイル群の中に飛び込み、周囲を爆発で包んだ。更に二度、同じようにビームを放つ。次々とミサイルを巻き込んで誘爆する。結局、ミサイルは一発もガンダムに到達しなかった。
 ミリスは信じられなかった。ビームが軌道を変えて、しかも分裂して飛ぶなんて。あれはおそらく、Iフィールドを応用したものだ。まさか自分が発生させたIフィールドでビームの軌道を制御するなんて。
 残りのレジ・ドラの最後は実に呆気ないものだった。ヴァイパー・ブレードがただ一振りされただけで、二機のレジ・ドラは真っ二つに切られ地上に落下した。そして地面に落ちる寸前に爆発して破片をまき散らす。それでガンダムの前に立ちはだかった十二機のレジ・ドラの機体は全ていなくなった。
 もうもうと舞い上がる黒煙を尻目に、ガンダムの機体が大気を揺らめかせながら、滞空していた。背中のビーム羽が、今は禍々しく感じられた。
「化け物だ」
 モハマドが呟いた。リューンの喉がごくりとなるのが聞こえた。
 ダス・ゼルプストがゆっくりと振り向いた。顔がこちらに向く。デュアルカメラと瞳があった。その瞬間、ミリスは戦慄を覚えた。
「逃げて!」
 叫んで、リューンのヴァンガードを押し退ける。ヴァンガードは体勢を崩して、向こう側に倒れ込んだ。
「何を?」
 リューンが驚きの声をあげる。その時、斜め上から叩き込まれた強力なビームが目の前を通り過ぎた。
 岩が粉々に砕かれ、大地が穿たれる。高熱で溶解した岩が凄まじい蒸気を発生させた。
「うそでしょ?」
 悲鳴を上げたリューンが、ヴァンガードを立ち上がらせる。
「私達を敵だと思っている。に、逃げなきゃ」
 明らかにリューンは恐怖にかられていた。落ち着いて! とミリスは叫んだが、ヴァンガードの挙動はゆらゆらと揺れて頼り無かった。
 突然、岩石を貫いたビームが、ヴァンガードの前腹を掠めた。ヴァンガードは斜めに弾けて地面に突っ伏した。
「リューン? 大丈夫なの?」
 返事はない。だが、ヴァンガードがゆっくりと立ち上がるのを見て、安堵する。
 ヴァンガードはそのまま銃を向けて発砲した。ビームが尾を引いて宙に向かった。
 ダス・ゼルプストはそれを避けようともしなかった。ビームの軌道は大きく反れた。
 突然、ヴァンガードが駆け出した。ミリスが止める間もなく、リューンの機体は、視界の大きく開けたところまで走って行った。そこでビーム・ライフルを上空に向けて放つ。彼女の行動は混乱していた。あれでは的になるだけだ。
「援護する! 行け!」
 モハマドが叫んでライフルを連射する。あくまで牽制だ。
 ミリスはダス・マンをジャンプさせると機体を変形させた。ガクンと大きくコクピットが揺れると、モニターの表示はG−インターセプターへと変わる。
 そのままダス・ゼルプストの側面に回り込むように飛んだ。ダス・ゼルプストは距離を保ちながら、大きく後退した。
 接近を許さない? ミリスはダス・ゼルプストが一定の法則に従って行動しているのではと思いついた。確かにヴァイパー・ブレードの特性を考えれば、接近戦は避けたいはずだ。
 ならばとダス・マンを上昇させる。機体は一気に上空に駆け上がった。そして一瞬だけ失速させ、機首を真下へと向ける。
 正面にダス・ゼルプストを捉えた。加速させて急接近する。ダス・ゼルプストは案の定、機体を降下させ始めた。その胸から閃光が走る。ビームは正確にダス・マンを狙っていた。その分、軌道の予測はしやすい。ミリスは機体を僅かにロールさせただけで、それをかわした。
 だが、ヴァイパー・ブレードはそれだけではなかった。ビームの周囲の目に見えないプラズマ・ジェットの激流が機体をかすめ、揺さぶった。
 バランスを崩したダス・マンが錐揉みを始める。その遠心力で翼が歪み始める。モニターでそれを確認したミリスは、機体をモビルスーツへと変形させた。ダス・マンは出鱈目に回転しながら、上下がどちらともつかぬまま真っ逆さまに落下していた。
 この! 絶妙なバランス感覚で機体を安定させる。それはミリスに与えられた能力ゆえのものだった。ダス・マンはちゃんと足を下に向けて降下を始めた。
 眼前には地面が迫っていた。スラスターを全開にして着地する。足をショック・アブソーバーとして沈ませた。それでもミリスの身体は上下に激しく揺れた。
 ダス・ゼルプストは目の前、七百メートルのところにいた。ミリスはダス・マンに銃を構えさせた。ガンダムを撃ちたくはないが、最悪、損傷させることも止むを得ない。
 ダス・ゼルプストにリューンのヴァンガードが駆けよった。ダス・ゼルプストはその姿を確認すると、また飛び上がろうとする。ミリスは銃を、頭を掠めるように撃った。その攻撃でダス・ゼルプストは動きを止めた。
 掛け声を発してリューンがビーム・サーベルを引き抜き、真横に切り裂く。だが、その鋒はダス・ゼルプストを捉えることはなかった。すっと上半身を引いてそれをかわしたダス・ゼルプストは、その状態のままヴァイパー・ブレードを一閃させた。
 リューンはそれを盾を構え、ヴァンガードをしゃがませて避ける。ヴァイパー・ブレードは何の苦もなく、盾をすっぱり切り裂いた。激しいビームの流れに押され、ヴァンガードは尻餅を着いた。
 ひっ、とリューンから悲鳴があがる。ダス・ゼルプストはヴァンガードを見下ろし、毒蛇の砲口を向けていた。そのガンダムの周囲で爆発が起こる。モハマドの援護射撃だ。だが、ダス・ゼルプストはそれでひるんだ様子はない。
 ダス・ゼルプストはリューンに向かってヴァイパー・ブレードを発射した。ビームがヴァンガードの盾を貫く。ビームはヴァンガードの脇腹付近を掠めた。
「リューン!」
 ミリスは叫んだ。その瞬間、ヴァンガードの盾が弾き飛ぶと、その接続部から四本のビームが左右に伸び、激しく回転を始めた。ヴァンガードの機体は僅かに上空に舞い上がると、しばらく後方に飛んで、そのまま落下した。
 ダス・ゼルプストは動くことなく、更にヴァンガードにヴァイパー・ブレードの砲口を向けた。
 いけない! リューンがやられる!
 ミリスは最大加速でダス・マンを前進させた。そして肩から機体をガンダムにぶつける。ヴァイパー・ブレードが放たれる瞬間、激突した二機は互いに体勢を崩した。
 ダス・ゼルプストは弾かれるように空中へと逃げた。ミリスはダス・マンをよく安定させたが、ダス・ゼルプストの発生させたミノフスキー・クラフトの圧力によって地面に押さえつけられ、そのまま片膝をついた。
「リューン、大丈夫?」
「わ、た、」
 リューンの声は言葉にならない。ミリスはダス・ゼルプストの姿を追って、上空を見上げた。
 ダス・ゼルプストは既にかなりの高度をとって大きく後退していた。
 ミリスはダス・ゼルプストを睨んだ。全く、あの子は何をやっているの?
 岩山の奥からビームがガンダムに向かって飛ぶ。モハマドが攻撃しているのだ。その姿は岩山の向こう側で見えない。
 ガンダムから反撃のヴァイパー・ブレードが放たれた。それは三十秒に渡って大地を舐め続けたが、それが止んだ後、再びモハマドの攻撃が開始された。
 ガンダムは両手を広げると、分裂ビームを放った。それが大地を立て続けに破裂させる。数回に渡って放たれたビームは、モハマドがいるとおぼしき場所に何度も撃ち込まれた。その後、モハマドの動きは無くなった。
 ミリスは何となく判ってきた。あのヴァイパー・ブレードはとてつもなく強力だが、非常に直線的だ。モハマドは実際にそれを避けていた。それにあの分裂するビームも、どうみても真後ろはおろか、真横にも飛ぶ事はないだろう。前方に百三十度くらいが限界のはずだ。だから、もっと細かく動いて最大加速で突入すれば、肉薄することが出来る。接近してしまえば分裂ビームは怖くはない。
 ダス・ゼルプストの顔がミリスを見た。こんなに見境無しに暴れ回るなら、力ずくで大人しくさせるしかない。
 ヴァイパー・ブレードがミリスに向かって放たれる。と同時に前方に駆け出したミリスはダス・マンを一気に変形させて、舞い上がった。ダス・ゼルプストの滞空位置を抜けて宙に駆け上がる。
 レーダーがダス・ゼルプストがミリスの後を追って来ていることを告げた。
 G−インターセプターの最小旋回距離では駄目だ。モビルスーツに変形してそのまま突入しなければ。
 ヴァイパー・ブレードが機体を掠めて飛んだ。ミリスは機体をバレルロールさせた。ビームの軌跡が正確にその後を追った。
 ミリスは前後左右に機体を振りながら、徐々に間合いを詰めていった。ダス・ゼルプストからは、全く殺気を感じないビームがミリスを狙っていた。それはこの上なくやりにくいものだった。
 ビームがダス・マンの機首にかすった。
 今だ! ミリスはダス・マンをG−インターセプターからモビルスーツへと変形させる。そして、ヴァイパー・ブレードが機体を引き裂こうと軌道を変えた瞬間、そのビームの筋を頭部真横に見ながらダス・ゼルプストに向かってスラスター全開で突入した。
「大人しくしなさい!」
 ミリスが叫ぶ。ダス・マンの機体は激突せんばかりにダス・ゼルプストに急接近した。両腕を伸ばして掴みかかる。
 だが、その腕はダス・ゼルプストの手前でビームの障壁に阻まれた。機体を包んむビーム・シールドだ。
 この! 全身を使って機体を突っ込ませる。両掌の指先がビーム・シールドによって砕け、弾け飛んだ。だがお構いなしにダス・ゼルプストに迫った。
 ダス・マンの両腕がスパークをあげてあらぬ方向に曲がった。全身がビーム・シールドに触れて激しく振動する。尋常な揺れではなかった。ばちばちと火花を立てて、ドーム・モニターの映像が一部死んだ。
 ダス・マンはビーム・シールドを突き抜けて、ダス・ゼルプストの機体に激突した。そして、そのまま組み付く。
「いい加減にしなさい! ガンダム!」
 ミリスは怒鳴った。一瞬、頭の中に怯えを感じ取った。それは声にならない悲鳴を上げた。
 ダス・ゼルプストがビクリと震えて動きを止める。だが次には顔をダス・マンへと向け、背中からビーム・サーベルを引き抜いた。そしてそれを振りかぶる。切っ先はダス・マンのコクピットを狙っていた。
 ミリスはアストライド・シートを手動で解除させると、強引に体を引き出し、ハッチを開けた。ごうと凄まじい風が真横からミリスを吹き飛ばそうとする。鉄の焼ける匂いと、強烈な熱がミリスの身体を舐めた。目の前にビーム・シールドとビーム羽が激しく唸っていた。
 ミリスは足を踏ん張って体を支えると、両手を口元に添えて叫んだ。
「ガンダム! 私よ! 判らないの?」
 ダス・ゼルプストはミリスを見て、そして、動きを止めた。
「ガンダム?」
 ビーム羽が小さくなっていく。ビーム・シールドも消えた。絡み合った二機の機体は徐々に高度を下げ始めた。
 ダス・マンがぐらりと揺れた。ミリスは慌ててコクピットに乗り込むとG−ボールを切り離させた。もうダス・マンの機能は完全に死んでいる。右肩が爆音をあげて吹き飛んだ。
 ダス・ゼルプストから離れて落下するダス・マンから、間一髪G−ボールで脱出する。それをダス・ゼルプストが受け止めた。そして器用にG−ボールを背中に回す。そこにはG−ボールが収まるべきコア・ブロック・スペースがあった。G−ボール、そしてダス・ゼルプスト両方から伸びた補助マニピュレータが手を結び、G−ボールをダス・ゼルプストの内部にスライドさせる。
 あの時とは反対に、ダス・ゼルプストの背中から内部へと滑り込み、一瞬ドーム・モニターが消えた後、再び現れた映像はダス・ゼルプストのデュアルカメラからのものに切り換わっていた。ミリスは託されていたプログラムを強制的に走らせる。自己防衛モードの機能を限定するものだ。これによって、ガンダムは暴走することなく制御出来る。それは僅か数秒の作業だった。
 ミリスは安堵感でコンソールに突っ伏した。涙が溢れてきた。喉のずっと奥から慟哭が漏れ始める。
 この安らぐ気持ち。この懐かしい気持ち。やっと戻ってきた。私の、私の。
 ダス・ゼルプストはゆっくりと降下して地上へと降り立った。ずっと向こうには、大地に叩きつけられ原型を失ったダス・マンの機体が、周囲に破片をばらまいて転がっていた。だがそんなものに何の感傷も抱かなかった。
 ミリスはしばらく泣き続けた。頭の中でも大声で泣いているような感覚がずっと渦巻いていた。
 戻ってきた。私の元に。でも抱きしめるにはガンダムは大きすぎた。
BACK     目次     NEXT