第八話 「フロンティアU」


 アスク一人なら一週間はかかる艦内掃除を、たった二日で終わらせる事ができたのは、ガンスを始めとする、大勢の仲間が手伝ってくれたからだった。
 個々のエリアを分割して、数人が担当として、小学校の様に一斉に掃除をする姿は、軍艦には馴染みが無いようにも思えるが、それはそれで、作戦前の緊張感と言うものを減らしてくれるから、良いのかもしれない。とにかく、助かる事に変わりはないのだ。
 アスクは、手伝ってくれた人に、一人ずつ、ありがとう、と御礼を言ってまわった。
 見ている限りでは、アスクは受け入れられているように思えて、嬉しいのである。
 それは、素直な気持ちを伝える事ができるから、良い事なのだ。
 その後でアスクは、訓練での模擬戦にも出る事ができたし、ペルガの癖を掴むように勉強する事だってできた。それだけでも、助かる事なのだ。
 自分の命を預けるモビル・スーツの癖を掴むのはパイロットとして必須事項だし、何よりも、戦場の空気を知ってまだ間も無いだけに、他のパイロットよりも遅れているような思いがしていた。
 ペルガ・ネロスの性能で、辛うじて生き延びているような気がするのだ。
 アスクはまだ若い。そんな事では気が済まないのも事実なのだ。
 ペルガのサイコミュと共感できたのは自分だけ、などと言うのでは、駄目なのだ。
 そういう、負けず嫌いな所は、若者にとって、必要な事である。
 個々の能力を高めるには、人と競い合うのは有効なことなのだ。
 それに、良く考えれば、ペルガにはアスクが使用していない機能も多い。それを見付ける度に、心底ぞっ、とした。
 モビル・スーツが殺人兵器であることを思い知らされるし、特にペルガは、武装的にも従来のモビル・スーツとは比べ物にならない攻撃力を持っていた。
 その火力は三十年以上前に活躍したダブル・ゼータ・ガンダムを凌ぐものであるが、アスクは知らない。
「恐ろしい奴だよ、お前は。」
 アスクはそっと、コンソールを撫でるようにすると、主電源を切って、コックピットを開いた。
 外に出ると、喧騒に包まれているモビル・スーツ・デッキで思いっきり背伸びをして、座りっぱなしだった体をほぐす様にした。
 その時、首に下げていたあの石が、ふわっ、と浮かび上がって、紐が顔にかかってくるのは、流石に鬱陶しいのだが、それを制服の内側に戻すと、靴底のマジックテープを床に張りつける様にして着地した。
 すると、ウィルが正面に流れてきて、その長い腕を顔の前に上げると、
「よっ、手紙来てるぜ。」
 ニヤニヤ顔で封筒を差し出して来た。
 ウィル少尉はモビル・スーツのパイロットで、ガンスと同い年だった筈だ。
「ん、ありがと。・・・リーフからか。」
 呟いて、ふと、視線を移すと、デッキの一角が修羅場と化している。その中心には、郵便物の山だった。先程、補給艦が来たのだが、それから受け取ったのだろう。
「どけよ、邪魔だろ!」
「痛ぇ!?誰だ、押すなよ!」
「俺のはどこだよ、俺のは!」
 群集から聞こえてくる言葉を聞いて、心底あの中に入らなくて良かった、と思う。そう思うと、ウィルへの感謝の念が湧いてくるのだった。
 最前線の兵士の最大の楽しみはいつの時代でも、故郷からの手紙なのだ。それがあるからこそ兵達はホームシックにもなるけれど、やる気も湧いてくる。そして、彼等の家族や親類は、危険に身を晒す彼等を案じて、手紙を出してくれるのだ。それは、とても暖かいものである。
 アスクはリーフからの手紙を開けようと手をかけて、すぐそこにあるにやにや顔に気がついた。
「何覗いてんだ、おい。」
「リーフって、あの可愛い子だろ?良いなぁ、おれもああいう子が居たらなぁ。」
 ふうっ、と溜息を吐くウィルをほっといて、アスクは手紙をポケットに突っ込んだ。
 一人で読みたいと思ったのだ。
 そうして振り返ると、一人の男が宙に浮いたまま、郵便を眺めている男に気がついた。
 その顔は、蔓延の笑みを浮かべている。
「よう、ガンス。どうしたんだい?」
 そこまで流れていくと、下にいるウィルが、
「おい、俺にも、リーフちゃんの手紙見せろよ!」
 と抗議したのだが、とりあえず無視。
「へへっ、御袋からなんだ。」
 ガンスはそういって、手紙をアスクに見せるようにした。
「へぇ、優しそうな御袋さんじゃん。」
 手紙に隠れて見えなかったが、ちゃんと写真も同封されていた。それは、温和な顔をした金髪の、中年の女性を写している。
「ああ。今は体弱くて、療養中だけどな。でも、すぐに治してあげたいからな。給料の良い軍にはいってんだ。」
 感極まっているのか、ガンスは饒舌だ。へへっ、と照れ笑いまで見せてくれた。
「へぇ、良い息子だねぇ。御袋さんも幸せじゃないか?」
「んなこた無いさ。」
 一瞬、ガンスの瞳に悲しみの色が浮き出ると、
「昔は随分迷惑かけちまったからな。御袋が倒れたの、俺のせいなんだよなぁ。だから、せめて少しくらい親孝行してやんねぇと、って思ってね。」
「へぇ、そうなんだ。」
 感心して頷いてみせたアスクの顔をガンスは見ると、
「ははっ、つまんねぇ話しちまったな。」
 そういって、近くのモビル・スーツの腰を蹴って、ふわっ、と通路まで行ってしまった。
「ま、頑張れよ!」
 一言、そう声をかけて、照れて耳まで真っ赤にしているガンスの背中を見送ると、もう一度頷いた。
「良い奴なんだよなぁ。」
 正直、母親に対してああいう風にできるのは、アスクには羨ましい事なのだ。

 フロンティア・サイドは旧サイドW宙域にできた、新しいサイドだ。
 反対側にはサイドTが存在し、近くには旧ジオン公国の軍事拠点であったソロモンがある。
 そのソロモンも、一年戦争末期に陥落され、連邦軍が接収した。
 旧ソロモンの新たな名は、コンペイ島という安直な名前に変えられてしまったのだが、今でもそこをソロモンと呼ぶ者は多い。
 一年戦争終結後、ソロモンも重要な軍事拠点として機能していたのだが、三年経ったある日に、デラーズ・フリートを名乗るジオン残党軍の核攻撃により、一部が消滅してしまった。
 だが、それから四十年余りが過ぎると、ソロモンも要塞として復旧していたのだ。
 そこでは、複合企業アナハイム・エレクトロニクスのグラナダのモビル・スーツ工場が手掛けた最終実験機がロールアウトされていた。
 アナハイム・エレクトロニクスは一年戦争後の世間の不景気の中で、軍事産業を行って儲けた会社である。それから何十年と言う月日を経て肥大化した組織は、もはや一つではない。
 モビル・スーツ開発部も完全に分かれていた。
 月の表側のフォン・ブラウンと裏側のグラナダの工場で、全くの別物なのだ。
 フォン・ブラウン工場では、サナリィに対抗したモビル・スーツを製作するという計画がスタートしたのは、もう十年以上前になる。その産物が、シルエット・フォーミュラ・プロジェクトなのだ。
 グラナダ工場では、全く別の物に目を付けた。
 二十年前のマフティー・ナビーユ・エリンの反乱時に連邦軍の主力として、反乱を鎮めたモビル・スーツの中に在った、グスタフ・カールというモビル・スーツだ。
 量産機としてキルケー隊の中核を占めたこのモビル・スーツの基本性能はとても高かった事から、それをベースに、全く新しいモビル・スーツの開発を始めたのだ。
 そうして開発されたモビル・スーツの名称が、ギリシア語で「見えざる」と言う意味を持つハーデースと言う名前にされたのは、開発責任者がオカルトマニアであったことに由来する。
 本来はグスタフ・カールをもじった名前にする事を検討されたのだが、冥界の神の名を持つ事は、戦場に在って丁度良いと思われて、結局はハーデースになったのだが、大半はハデスと略して呼んでいた。
 そうして仕上ったハデスは月へと運ばれる予定であったが、数日前にクロスボーンがフロンティアWに侵攻したときに予定を変更され、強化人間であるクルスに受領される事が決定した。
 そうして、ソロモンからの救援と一緒にフロンティアUの宙域まできたハデスは、クルスの元に送られたのだ。
 フロンティアUはクロスボーンの別働隊が既に攻撃しており、それはフロンティアVの攻撃と同時のタイミングであった為に容易に入り込めはしなかったものの、ハデスは既に、クルスのデータを入力されており、サイコミュも彼に馴染んでくれた。
 そのサイコミュもバイオ・コンピューターの様なものではなく、元来の物が使用されているのだが、そんな事は彼には関係なかった。
 そうして、救援へと駆けつけたソロモンの艦隊やV、Wの残存艦隊が挟み撃ちにしてクロスボーンの艦隊を押し出す様にして、戦況を有利に展開する事ができた。
 だが、まだカウンターとしては浅いもので、完全に殲滅する事はできなかったし、打撃を与えたと言ってもまだ敵は健在で、ほとんど膠着していたのだ。
 更に、クロスボーン・バンガードの援軍も観測されており、彼等は焦った。
 だが、下手に急ぐ事もできないのが現状である。そうして睨み合いが一日続いたのだが、それはクルスには丁度良かった。
 ハデスを体に馴染ませる事ができたからだ。
 そうして時間が過ぎていったときに、クロスボーン・バンガードの艦隊に動きが見えて、戦局は動いていくのだ。
 先に仕掛けたのはどちらだっただろうか。まるで日中戦争の火付け役を行った盧溝橋事件の様に、どちらからともなく砲撃を加え、艦隊戦へと突入していったのだ。
 既に、フロンティアU宙域は戦場と化していた。
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