第十一話 「遭遇」 キィン・・・。 「何だ・・!」 ジェガンに乗った兵士は、唐突に襲いかかった頭痛に困惑して、機体を静止させた。 ずきんずきんと鳴り響く頭が鬱陶しい。戦場の中に在って、一瞬それを忘れた。 ジェガンが爆発したのはその三秒後である。破壊したデナン・ゾンのパイロットもまた、原因不明の腹痛に喘いでいた。 「母さん・・・!」 まだ若いパイロットは初めての戦果を喜ぶ事ができなかった。 この二人だけではない。その戦場に存在する人々は、全員が体に異状を来していた。中には、四肢が動かなくなったものまでいる。だが、それが何なのか判らずに死んでいく兵がほとんどだった。 カシャーン! フロンティアWの迎賓館内にある厨房で、突然皿の割れる音が響き渡った。 全員がそこに視線を集中させると、そこには小柄な少女が更に身を縮めてしゃがみ込んでいる。 が、皿を割った本人であるリーフは、自分に集中する視線も、床に散らばった破片も、ましてや自分の指から垂れる血にも気付かなかった。 代わりに全身を支配するのは、倦怠感と吐き気。精神に至っては、不安と激痛で発狂しそうだった。いや、狂乱に陥っても不思議ではない。そうならないのは単に、喉が痙攣して声が出ないだけである。 「リーフちゃん、大丈夫かい!?」 温和なコーゼ料理長が声をかけてくれた。その声色は、心底自分を心配してくれているのだろう、と思う。 「はい・・大丈夫です。」 大分落ち着いて来たものの、不快感は消えてはくれない。絞り出すような声で応じるしかできなかった。 「顔色が悪いよ。手から血も出てるし、少し休んでな。」 「でも・・・。」 「いいよ、後片付けくらいは任してくれ。なぁに、しっかり休んで、後で恩返ししてくれれば良いさ。」 「すみません、ほんとに。」 言って、立ち上がろうとしたが上手く足に力が入らない。テーブルに手を掛けて、やっとの思いで膝を立てた。厨房を出る時には、コック達が、大丈夫かい、と心配してくれた。 リーフはふらふらした足取りで、何とか自室に戻った。 扉を閉め、ベットに腰掛けるとまた、不快感が襲って来た。 「お兄ちゃん、悲しいの?」 そっと、首に掛けている石を取り出す。明かりに照らされたそれは、蒼く輝いていた。 「大丈夫だよ。私がついてるから・・・。」 ぎゅっ、と握り締めるて目をつむる。ほとんど無意識にそれをやっていた。 「どういう事だ?」 ジェンが呻くのも仕方が無い。ザムス・グルの艦橋にいて、ブリッジ・クルー全員が何らかの身体的異常をきたしている。 そういうジェン自身、全身を気だるさが支配していた。少し熱も出て来たらしい。 (叫び声、の様なものも聞こえた・・・。) 立っているのが不思議なくらいガタガタの体で、精一杯の状況を分析しようとする。実は、ブリッジにいて自分が一番重症なのだとは気付きもしないで。 「隊長!スペル技術大尉が呼んでます!」 ジョージが青い顔で叫ぶ。ジェンは、何だ?という顔をしながらも通信席に向った。床を蹴る時に力が入らずに苦労した。 「何だ?」 ウィリアム艦長が一度、頭を押さえながらも振り向いた。その表情は痛々しい。 同様に、モニタ内のスペルの顔色も悪い。が、彼の目だけは子供の様に輝いていた。 「顔色が悪いぞい、具合でも悪いか。ん?」 人の事は言えないだろう、とジェンは言った。 「用件は手短に頼む。」 「お前さん、この正体が分かるか?アスクじゃ。あいつ、ペルガのサイコミュを起動させよったぞ!」 「何だと?」 顔をしかめたジェンを見て、スペルは、馬鹿者と言った。 「それでも、ペルガの開発に関ったのか、お前さんは。」 鼻で笑っている。ジェンはムッ、とした。 「どういう事なんだ?」 「怒るな、怒るな。バイオ・コンピューターがなぜ鉄仮面に受け入れられなかったかを忘れたか?」 「気分が悪くなったんだろう?」 「そこじゃよ。あのバイオ・コンピューターは所詮は試作機。受け入れられない奴は徹底排除する傾向が在るな。じゃが、もう一つの特性がある。それを任意に振りまくんじゃ。」 「は?」 意味がわからない。ジェンの頭は余計に混乱していた。 「つまり、だ。パイロットの感情が昂ぶると、害を発散するんじゃよ。精神攻撃って奴じゃな。それは認識力・・・というか何と言うか。とにかく、カンが良ければそれだけ人の心に入り込んでいきよる。一種の対ニュータイプ兵器にもなる。まぁ、ニュータイプじゃなくともこれは効くがな。」 「何故?」 「精神と肉体は密接な関係にある。身体に異常をきたすのは目に見え取るわい。こいつは、恐ろしいぞ。メガ粒子砲や、ファンネル兵器よりもな。」 説明を終わると、何を考えたのかスペルは唐突に笑い始めた。まるで宝くじで一等が当たった時の祖父みたいだ、と思う。その時の事をジェンは良く覚えていた。後で税金で絞り尽くされ、膨れっ面になった時の祖父が面白かったからだ。 なぜ、唐突にこんなことを思い出したのか。それは自分でも分からなかった。もしかしたら気でも触れたのでは?、とは思いたくない。 「あの小僧、ペルガの性能を全て引き出しおったぞ。わははは。わしのして来た事は間違ってなかった!」 スペルの高笑いが響く。が、ジェンはそんな事を効いている余裕はなかった。自身に襲いかかる倦怠感で膝が崩れ、足が床から離れてしまった。 (こんな事は一度もなかった・・・いや、インフルエンザにかかった時もこれくらい苦しかったか?) 中学生の頃、校長の長話の最中に倒れた時の事を思い出した。貧血かと思われて保健室に運ばれたら、四十度の高熱を出して、救急車騒ぎになったのだったな、と懐かしむ。 ジェンの意識は急速に暗黒へと向っていた。失神するのは、今までで何回目になるだろう。 クロスボーンの灰色のモビル・スーツを葬り、カメラ・アイをアスク機に移した時に、それは来た。 強圧的なプレッシャーが現実感を伴わない声、いや、光かもしれない。どっちでも良い。それが頭を貫通した。この表現も自信がない。とりあえず、何かが通った感じがあったのだ。 その瞬間には既に意識が全て吹き飛んでいた。最も近くで、バイオ・コンピューターの精神攻撃を受け、戦場の中で最も感受性の良いクルスは、死んでもおかしくはなかった。 が、そうならなかったのも強化人間として強靭にされた肉体があればこそである。 クルスは、何とか意識を回復させた。その時には自分に何が起こったのか理解できない。いや、理解できる訳もないのだ。そして気が付いた時には、三百六十度のリアル・ディスプレイの正面一杯にアスクの駆る機体、つまりペルガ・ネロスが映し出されていた。 「な、何だぁ!」 自分でも理解できない。全身の虚脱感と倦怠感が一瞬、吹き飛んだ。網膜に映し出された情報が電波と言う形で脳に伝わるよりも速く、彼の手足の反射神経は電波を受け取っていた。 サーベルの光跡が目に浮かぶ。全身に吹き出した冷や汗が嫌に冷たい。 (何が起こった!?) 第二撃。サーベルを横薙ぎに一閃される。シールドを前に突き出し、Iフィールド展開。ビームはシールド手前で捻じ曲げられた。 「くっ・・・、ファンネル!」 精神を集中させるが、クルスは、駄目だな、と直感していた。案の定、先行していた一機がサーベルに両断される。 ならば、とクルスは思念を集中させた。爆風の中に最期に一つを突入させ、ペルガに突撃させる。 エネルギー残量の少ないファンネルだ。ならばいっそ、直接攻撃を掛けた方が良いと踏んだのだ。 同時にハデスにライフルを連射させた。シールド下部のビームガンも乱射させつつ、望みを掛ける。 ペルガのカメラ・アイがこちらを向いた。チャンス!ファンネルをペルガの上空からメイン・エンジンのあるであろう腰部におもいっきり突撃させようとする。 「避けられん筈だ!」 ハデスの機体を右回りに流して、ビームを乱射する。こうすれば、向うから見て左側半分と後ろは塞がれた。逃げられる訳がない。 訳がない・・・筈だった。ペルガは機体を急加速で真上に向け、バーニアの炎でファンネルを破壊し、かつビームを避けた。 「馬鹿な!?」 反応速度が並みではない。クルスは一連の動作を三秒以内にやってみせたのだ。その神業を瞬時に回避したアスクはもはや、クルスにとって悪魔以外の何者でもない。 余りにも衝撃的だった。クルスは自分が最強だと信じていたのだ。あの、ニュータイプ研究所の連中、つまり自分をこんなにした外道共も俺に勝てる奴はいないと威張っていたと言うのに! 一瞬の激昂。それが急速に冷えたのは、鈍痛が再び身体を支配した為である。 「・・・何だってんだ!」 が、気合だけで身体が解放される筈もない。更に、ペルガの巨体から来る重圧がクルスの身体を縛りつけていた。 (体が重い・・。巧く動けない!) 同時に、思考力も鈍っていた。冷静な判断ができない。 「あいつは、本物のニュータイプなんだ。」 クルスは心底に恐怖した。自分の不運に嘆きもする。 所詮、自分は人造のニュータイプもどきでしかないのだと思い知らされた。 ライフルのエネルギーも残り少ない。ここは接近戦で仕留めるしかないように思えた。大丈夫、モビル・スーツ戦で最も得意とするのは、サーベルによる斬り合いなんだ。自分に言い聞かせた。 一瞬の静止。それは、ほんの一瞬だった。クルスがライフルのエネルギー残量を確認し、正面にペルガを捕らえるまでの、一秒も掛からないような短い時間。その後で、クルスの眼球は目一杯見開かれていた。 ペルガの白い巨体が光に包まれたかと思うと、肩の飾りから何かが噴出して来たのだ。黄色い閃光のそれは、恐らく不可視の極小微粒子の塊。灼熱のメガ粒子砲の咆哮! 考える前に動く、と言う感覚。ガンガンする頭が叫びを上げ、体中がプレッシャーに軋む中、クルスの腕は別の物の様に正確に一連の動作を行った。同時に巨大なシールドがフィンが展開すると同時に強力な磁界がハデスの前面に展開し、襲い来る大口径のメガ粒子束を、避けるように縫っていく。Iフィールドに護られたハデスは何事も無く前進し、ペルガに止めを刺すだろう。 刺す筈だった。が、クルスの驚愕は更に続く。警告音がコックピット一杯に響くと、コンソールの機体表示にシールドの不調が示された。 「Iフィールドが持たない?酷使し過ぎたか!」 何秒間もの超強力なメガ粒子砲の斉射は、灼熱の空間をそこに作り上げたのだ。勿論一瞬の事だが、それにより放熱機がイカレた物と推測できる。 爆発する!スラスターを全開し、ハデスの機体をビーム束に晒した。その際に必要な事は、神に祈る事のみである。ママよ! 果たして、クルスの願いが神に聞き入れられたのか。Iフィールドの解けた、そこら中から煙を出しているシールドが中の小型核融合炉ごと爆発した。が、ハデスの機体はボロボロになりながらもクルスは生きている。 「もう、戦えない・・・。」 絶望的だった。背面スラスターは完全に逝っている。各所のバーニアは生きているが、それでは機動性なぞは確保できない。ライフルもシールドも爆発した。コックピット内のモニタに三分の一はノイズ線が支配している。なにより、目の前のペルガはあれだけのエネルギーを使っときながら余裕を見せているのだ。 クルスに在るのは、恐怖。いや、違う。死への恐ろしさはあまり湧いていない。むしろ、生への苦しみが消えるのではないかと言う推論を浮かべた。 「ハハッ・・!」 いつのまにか、目の前の事態は笑い事になっていた。自分の考えた事がとても可笑しい。戦場の中に在って、そんな事は忘れたかのような笑い。 正面ディスプレイのペルガが自分を見たのも、唯の笑い事だ。 精神を満たした怒りが、どす黒い血液となって全身を駆け抜けたかのような、身体が凍るような錯覚に陥ってからハデスの蒼い機体に向けてマシンガンの引き金を絞ったその瞬間まで、記憶が無い。 変な話、自分はそこへ唐突に瞬間移動させられたかのように感じたのだ。 俗に言う正気に戻った時には、アスクはクルスを殺そうとしていた。 ”ハハッ、アハハハハ!” 銃口から放たれた閃光がボロボロのハデスに突き刺さる間中、アスクは笑い声を聞いていた。とても気持ち良さそうな、心からの笑い。それを、人事の様に聞いていたのだ。 「誰の声だ?聞いた事がある。」 そっと、シートに身を沈め、目を瞑って声を聞く。まるでオーケストラでも聞いているような気分だった。 頭に直接響いてくる笑い声。一種、爽快なそれは、例えるならば広い平原のイメージだろうか。何でも言い。自分を癒してくれるものに違いはないのだ。アスクの心は、自分が何処にいるのかを忘れている。 瞼を開け、正面の映像を見たアスクの心は、一瞬にして現実に帰還した。 「クルス!?」 クルスの乗る蒼いモビル・スーツが三条のビームに貫かれた。同時に、機体は大きく膨れ上がり、巨大な火球へと変化していくのがゆっくりと脳へと受信されていく。 ”ハハハハハッ!” 声が大きくなって来た。一瞬の事態に硬直したアスクに、それが雪崩れ込んでくる。 「えっ?」 体の中の違和感に、思考が数瞬凍った。体内に何かが入って来たようだ、と感じる。とてつもない違和感。自分が自分でなくなったような感覚。 それが体内から抜けた瞬間にアスクの周囲に広がる光景は、宇宙の輝き。星々の煌きと、漆黒の宙が支配する万物の生まれ故郷。その大きさはアスクを簡単に包んでくれる。ここに在って、全てが些細な事の様に思える。 (ああ、これは何だろう。暖かい。気持ち良い。) アスクの実感である。宙に漂う精神は、何事からも解放されていた。 光・・が、見える。幾筋もの輝きの乱舞。次第にアスクに近づいて、アスクを抱擁する。 その中にいて、あるのは広大な宇宙の感覚だけであった。 |
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