第十三話 「生還」


 フロンティアVに続き、フロンティアUも陥落した。
 唯一つ、フロンティアTだけが未だに攻略できずにいる。話に聞くと、フロンティアTはW、V、Uの連邦軍残存戦力とクロスボーン・バンガードに対するレジスタンスの砦と化しているらしい。連邦の新型――ガンダム・タイプが現れたとも言われている。
 だが、フロンティアWの目と鼻の先にいて勝利の凱旋に酔っているザムス・グルの中にいて、更にコックピットから引っ張り出されたまま目を覚まさなかったアスクにはそんな事は関係無かった。彼が目を覚ましたのは、結局コロニーのベイ・ブロック手前であった。
「?」
 医務室のベットに寝かされるアスクは、しかし自分の立場が分からない。
 暫くキョロキョロと辺りを見回して、固いベットの感触に背中が痛くなっている事に気付く。
「??」
 むっくりと起き上がってみると、純白のシーツのかけられたベットの周りは白いカーテンで覆われていた。
「???」
 再びキョロキョロ。今度は上も向いてみる。蛍光燈が、やはり白い光をサンサンとアスクの身体に浴びせている。
「・・・ああ!」
 そこでようやく、彼は思い至った。ここは保健室だ。俺は多分、球技大会か何かの拍子に頭を打ったのだろう。種目は――サッカーだった様なバスケットだった様な・・・大穴狙いでハンドボールかもしれない。頭がズキズキするのはボールを思いっきり当てられたのだろう。勢いがあってボールが固いとなれば、やはりサッカーか?フリーキックの壁でもやって当てられたのだろう。やはりあんな損な役はやらない方が言い。あとでアイツ等に賠償請求でもして――。
 そこで再びアスクは気がついた。自分が学校指定のジャージではない事に。なんだろうか。やけに保温性が良いし。身体にピットリ張り付くような感覚は制服であったら恐い。大体、うちは私服校のはずだ。
「ノーマルスーツ・・・?」
 自分の格好を見て更に不信感が募る。何故学校でノーマルスーツを?しかもこの動き易い、身体にフィットした感じはあのゴワゴワしたのではなく――そう、パイロット用のものに似ている。いや、そのまんまではないか。どうなっているのだろう――?
 いや、そう言えば今日は――それ以前の問題だ。季節はいつだ。今は冬だった気がする。冬期球技大会なんかあっただろか。否、年間行事表にそんな欄は見た事が無い。
 どうなっている――?
 再びアスクの心の中に疑問が浮かんだ。それを考える事で頭が余計に混乱していたアスクは、いつの間にかカーテンが開いていた事は知らない。
 勿論、そこから顔を覗かせる美女が呆れ顔でこっちを見ているのも――。
「坊や、坊や!起きたんなら、返事をなさい。」
 無論、聞こえない。美女はアスクの顔の前で掌をひらひらさせた。
「駄目だこりゃ・・・。」
 彼女はそういって溜息を吐くと、腰から唐突に――本当に唐突に拳銃を引き抜くと、セフティを外して撃鉄を上げた。
 カチリ、と音がする。
「はっ!?」
 アスクは振り向いた。気がつくと目の前には銃口が冷たい光を放っている。正直、恐い。
「・・・何度も呼んだけど返事が無かったもんだから、スペルの爺ちゃんやジェンオジサンには悪いけど、いっそのこと――なんて思ってたんだけどな。」
 美女が呟いた。淡々と、それこそ感情が四方に拡散しているのでその説明的な言葉も唯の呟き、独り言なのだろう。
「やぁ、坊や。五十時間近くも私の部屋に居座りこきやがって、むかつく事この上ないよ。」
「はぁ・・・。はぁ?」
「ああ、そうだ。よかったねぇ、坊や。あたしのクイック・ドロウは一級品だからあとコンマ幾らかであんたの頭、飛んでたよ?」
「は、はぁ・・。はぁぁ・・・??」
「そういえば、最近手入れしてなかったね。マガジンは入ってるけど、チェンバーに初弾入れてたっけかな。抜かったねぇ。」
 美女はそういって銃口を引っ込めると、唐突にスライドをずらして薬室を覗き込んだ。
「ああ、やっぱ入ってなかったね。これからはこんな時の為にしっかりしなきゃ行けないね。」
 美女はそういって拳銃をコッキングすると、マガジンを抜いてポケットから弾丸を一つ取り出してつめ始めた。
「あ、あの〜?」
 アスクは困惑した。何なんだろうか、この場の異様な空気は?アスクは既に美女の行動は頭の中で処理できないと悟って、切り捨てたようだ。それよりも、ここはどうやら学校ではないらしい。拳銃を唐突に生徒に突き付ける保険医は、いるかもしれないがうちの学校にはいなかった筈だ。弾丸は確かに本物に見える(しかも弾頭から察するにダムダム弾だろう。殺傷力が半端ではない)。良く考えれば、学校の保険医は壮年の男性だったし。
「ん、なんだい坊や。お姉さんに良い事してもらいたいのかい?」
「いや、話が飛躍し過ぎでしょう。」
 まぁ、良く見れば白衣から露出している肌は綺麗に白くて、しかも括れが如実にハッキリしたナイスバディのお姉さんだ。冷静になればとてもしてもらいたいのだが。――よくよく考えればアスクは童貞であった。
 ・・・そんな事はどうでも良い。
「なんだい、そういう事は段階を踏んでから、とか思ってるのかい?甘いねぇ、あんた童貞だろ。」
「ぐ、何故それを・・・!?」
「そんなの、見りゃ誰だって判るさ。垢抜けしてない坊やだって、判り易いんだよ。」
 アスクは正直言ってここまで言われると腹が立つのだが――そんな事はどうでも良い。アスクは自分に言い聞かせた。
 ――俺にはリーフがいる、と。
 実際、それも淡い希望なのだが。この美女――思い出した。ザムス・グルの船医でレールエット・ビレスという名の女性だ。アスクは健康体だったのでお世話になった事が無い――と話している間に、記憶が鮮明になったのだ。ガンスやウィルの死、そしてクルスとの(電波的)会話。その後のリーフとの事も、唯の幻なのではないだろうか。いや、普通はそう考えるものだ。だが、アスクにはあの時の少女の温もりが――特に頭の後ろにあった小さいながらも弾力あって、少し芯の残る乳房の感触が忘れられない。このまま自分が人間的に駄目になってしまうのではないか――そう言う危惧感もあるにはある。
「んで、なんだい?」
「はい。俺って、ホントに五十時間も寝てたんですか?」
「ああ、正確には四十九時間三十二分五十秒とちょい、てところだな。」
「良く憶えてますね。」
「憶えてる訳無いでしょう、適当よ。」
「・・・。」
 アスクはハラワタが煮えたぎるのを感じた。
「んで、どうすんの?ここで一発、大人になるかい?」
「なにいってんすか。俺は、不純異性交遊をしてまで捨てたいとは思っていません。」
「ほーう、あたしが不純だとでも?」
「いえ、決してそういう事ではなくてですね・・・。」
「なら、襲っちまうぞ。」
「・・・物騒な事いわんでください。」
「あら、あたしは本気だよ?最近、やってないんでストレス溜まってね。」
「・・・そういう際どい発言はしないで頂きたい。」
「ガキがあたしに指図する気かい?」
「・・・楽しんでるでしょ。」
「それはOKのサインととるが?」
「わー!止めてください、俺には心に決めた子がー!」
 とうとうアスクが貞操の危険を感じて悲痛な叫びを発した時だった。
 パン、パン!と、叫び声を上回る火薬の激発音が響いて隣のベットに――正確にはカーテンに――穴が空いていた。アスクには何が起こったか判らない。気がついたらレールエットが右手に先程仕舞い込んだ拳銃を携えていた。勿論銃口からは硝煙が立ち上っている。
 アスクは先程の会話を思い出した。
(――遂に悲願の童貞卒業!)
 それはどうでも良い。アスクは大人の快感が味わえずに少々肩を落としたが、それはどうでも良い。彼女は確かにクイック・ドロウ――早撃ち、と。そう言った。一秒以内の抜き撃ち、それもセフティを外す時間さえ要れて――。
「いけないねぇ、爺さん。覗き見は極刑だよ?」
 銃口はしっかりと隣のベットにポイントされている。アスクは戦慄した。スパイか――?自分も念のため拳銃を、と考えて腰にホルスターがないのに気がつく。まぁ、この女医がいれば大丈夫だろうと勝手に納得した。
「ま、待て!残り少ない人生じゃ、良いじゃないか減るもんじゃなし!」
 ん?とアスクは思った。どっかで聞いた声だ。
「爺さん、確か高血圧だったよな。あたしが血減らしてやろうか?」
 凄みを効かせた声でレールエットが威嚇すると、奥の方でヒイィッ、と小さく悲鳴が聞こえた。レールエットは銃口をポイントしたままカーテンを勢い良く開け放った。すると、そこからスペルが青い顔をしてこっちを見ている。
「ち、ちがわい!ワシは目を覚ましたアスクをだな・・・!」
「へ〜え、爺さんって思春期の男の子が好みだったのか。」
「そういう意味ではないわ!」
 再び、バン!
「あたしに指図すんじゃないよ!」
 恫喝。アスクは何だか恐くなった。
「・・・・・!!」
 スペルが驚愕と恐怖に彩られた瞳を見開いたままコクコクと首を縦に振っている。アスクは、レールエットを怒らせなくて良かったと心底から思った。
「よーし。ところで少年。」
「はい?」
「これからジェンオジサンを呼ぶから、大人しくしてるんだよ。」
「俺は親が来ないと泣き喚いた直後の子供ですか?」
「子供なのは確かだろう?」
 アスクはむかっ腹を立てた。
 ただしここで炸裂させる気は起こらない。レールエットはそのまま艦内通話を始めた。
「ところで・・・。」
 アスクは先程から青い顔で震えているスペルを見た。
「なんで爺さんがここに居るんだ?」
「へ?ああ、そうじゃそうじゃ。アスクよ、良くやったぞい。ペルガの能力を完全に解放したのはお前さんが始めてじゃ。わしは鼻が高い。」
「はい?」
「なんじゃ、覚えとらんのか。詰まらん。」
「何がだよ・・・?てか、最初の質問に答えなさい。」
「最初の質問じゃと?」
「だーかーらー!」
 アスクは痺れを切らした。何だか無理矢理話を逸らかせれているのが分かっているのだ。この爺さんはこういう時だけ痴呆患者のような真似をする。と、そんな時。
「その爺さんはあんたと同じくらいここで寝てたんだよ。」
 レールエットが割り込んで来た。
「何を考えたか、高血圧でぶっ倒れたそうだ。あの時はむしろ貧血っぽいのの方が多かったのにねぇ。このじじい、大方整備兵のバジルのスカートの中身でも覗いて血管ぶちぎったんだろうよ。」
「ち、違うわい!わしは、あの時だなぁ・・・。」
「そーやってムキに否定する所が怪しいね。バジルちゃんは可愛いものなぁ。」
「じゃから、わしの興奮はそんじょそこらの若造とは違うんじゃ!科学技術と人の精神の融合による効力がだなぁ・・・!」
「パンツを履いてる尻の方が好みなのかい、じじい。あんた、マニアだな。」
「な、何を言う!半裸の女体の美しさが貴様に判るのか、大口を叩くのは男のロマンを理解してから言うんじゃな!」
「んなもん、分かりたくも判りたくも解りたくも無いね。坊やはどう思う?」
 今まで会話についていけなかったアスクにレールエットが唐突に話を振って来たので、アスクは狼狽した。そのせいでうっかり本音が出てしまう。
「いや、俺は自分で脱がせたほうが萌えっぷりが・・・はっ!?」
 言ってから現状を認識する。だが、時既に遅し、後悔先に立たず。二人の嫌な視線がアスクに突き刺さった。
「聞いたかい、爺さん。最近の若者はマニアックだねぇ。」
「これ、アスク。そんなこと、貴様には早すぎるぞ!大体だな、貞操は初夜まで守り抜くのが・・・!」
 その余りのうるささに、アスクは耳を塞いだ。そんな時である。
「ここは休む所の筈だな。なぜこんなにも賑やかなんだ?」
 ドアが開く音がする。その直後に発せられる声は、ジェンのものであった。
「あ、おっさ・・・。」
「オジサン!」
 どごぉ!
「ふぐぉうっ!?」
 アスクはギョッ、とした。レールエットが大声を出した直後にすぐ隣のスペルが彼女の正拳突きで顔面から血飛沫を噴き上げながら宙を舞って行ったからだ。
「ぶふーん!ぶぐーん!」
 べちゃ。
 スペルは潰された蛙のように壁にへばりつきながら奇声を発していた。
「・・・!・・・!?」
 アスクはただ無言で驚愕する。
「オジサン、最近来てくれないから寂しかったんだよ。」
 当の本人は全く気にしていない様子であった。
「定期検診には来ているだろう・・・お、粋なオブジェが飾ってあるな。」
 ジェンは瀕死のスペルを見て微笑んだ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・。」
 アスクはスペルが哀れになって来た。
「そうじゃなくて、夜伽の方を・・・!」
「そんな教育上不適切な発言をするんじゃない。私は子供を抱く気はない。」
「子供って、あたしはもう二十八だよ!」
「レリー、お前はいつまで経っても私の姪御だ。それに代わりはない。」
 アスクは二人のやり取りをボーッ、と聞いていた。スペルの息がヒューヒューと掠れてきていた。
「さて、アスク。」
「ん?」
 アスクは呼ばれて振り向く。後ろでレールエットが無視されたので剥れていた。その手に先程の銃が握られているが、ジェンがそれを押さえつけているので撃てない様だ。
「体調はどうだ。万全か?」
「ああ、大丈夫だ。迷惑を掛けたらしい、すまない。」
「ははは、心配するな。それより、そろそろWに着くぞ。着替えてきたらどうだ?」
「そうか、解った。悪いな。」
 アスクはベットから降りると、
「レールエットさん、どうもありがとうございました。」
 と、お礼を言った。
「また、大変な事になったらいつでもおいで。一度ニュータイプの身体をバラして試たかったんだよ。」
「・・・止めてください。」
「それと、あたしの事はレリーで良いよ。」
「はい、レリー。」
「態度がでかい!」
 彼女はアスクの頭を銃把で殴った。それから、さっさと行けと言う風に手をひらひらさせる。
 アスクは自動ドアを開く。最後に振り返ると、スペルの瞳がどんよりと白濁しているのが目に入った。
 ――死んでいるのであろうか、と心配になる。

 フロンティアWのドッキング・ベイにザムス・グルが進入すると、ベイのハッチが閉ざされ、急速に酸素がフロアの中を満たしてくれた。
 そのまま係留されると、ベイ・ブロックにはザムス・グルから降りて来る戦士達を待つ人が溢れた。
 クロスボーン・バンガードの兵隊を家族に持つ人や、貴族主義の思想に共感した人々である。
 ザムス・グルの巨大な船体が港に固定されると、兵士達は我先にとタラップを駆け降りる。彼等に向って、報道陣のカメラが一斉に向けられ、フラッシュがベイ・ブロックを満たした。
 そんなものも気にせず、ある者は恋人と抱き合い、ある者は親族と再会を喜んでいる。そんな、感動のシーンをフィルムに納めようと、カメラマン達は取り憑かれたかのようにカメラを回していた。
 そんな中で、徐々に目立ってくるのが、呆然と立ち尽くす人々である。
 始めは、あの人はまだかと胸を躍らせながらタラップを食い入るように凝視する。
 目当ての人が出てこないままに列が途切れ、彼等は周囲を見回す。
 そして、事実を知って悲嘆に暮れる。涙を流している者も、決して少なくはない。
 アスクは艦を出るのが、少し遅れた。
 二日間も飲まず食わずで熟睡していたから胃の中身が塩酸だけになっていたので、急いで腹の中に色々と詰め込んでいたのだ。そしたら食うに集中しすぎて、艦内放送を聞き逃してしまった。
 開いたハッチを抜けると、まず目に飛び込んで来たのは人の波。そして、カメラのフラッシュの閃光である。
 アスクはハッチに手をかけて身体を止めた。
 ゆっくりと身体を浮かせていくと、フロアの全景が見渡せる。アスクは視線を左右に動かした。
 ――いた。不安そうにキョロキョロと辺りを見回すこじんまりとした少女。他の人よりも小さいので見付けにくいが、人の波の一番後ろにいるので解り難い事この上ない。
 アスクはザムス・グルの船体を蹴ると、一気に少女の所まで飛んだ。
 ふわり、と体が宙に浮く。結構な速度で人々の頭上を越えて、彼は少女の元まで飛んでいった。
「リーフ!」
 彼女が振り向く。びっくりしたように、不安そうに揺れていた瞳が歓喜に見開かれた。
 その潤んだ瞳に見つめられ、アスクはちょっと恥ずかしくなる。
「お兄ちゃん!」
 リーフはアスクの方へと手を伸ばした。高さが少し足りない。彼女は背伸びして、一生懸命に腕を掴もうとする。
 二人の指先がどんどん近づいて、ゆっくりと触れる。そのままがっちりと掴んで――。
「きゃっ?」
 二人で後方へと流された。
 どうやらリーフの体重が軽すぎたらしい。爪先立ちというアンバランスな行為を無重力空間でやったのがいけなかったのだろう。
 二人して港の壁にぶつかって、そのまま器用に着地する。アスクは自分がクッションになる様にしてリーフを庇ったのだが――何故か彼女は痛そうに鼻の頭を擦っていた。
「お前、あの状態でぶつけたのか?」
 器用な奴だなぁ、とアスクは感心した。
「おにひちゃんのみゅねにあててゃんでしゅ・・・。(訳:お兄ちゃんの胸に当てたんです!)」
 アスクには何を言っているのかは解らなかった。
 リーフは一通り鼻頭を撫でた後、涙の浮かんだままの瞳を細くして微笑んだ。
「御帰りなさい。」
「ん〜・・・今、帰ったぞ。」
 アスクの頬は何故か赤かった。
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