第十四話 「休息」 実際は一週間も経っていないのに、アスクには何年も見ていなかったような気がした。 フロンティアWのクラシックな町並みが、今アスクの目の前に再び存在している。ここが戦場であったと言う証拠のように、所々崩れた家々が痛々しい。が、そこは活気に溢れていた。 コロニーの内壁に降り立ったアスクは、久しぶりの地面に少し感動した。 重力に逆らうように伸びをして、歩道を歩き始める。隣にはリーフが、少し早足気味に付いてきていた。 アスクはそれを見て、少しスピードを緩めてやる。踏み締める大地は、例えそれが作り物でも自分の体重を掛けて踏める事がどれだけ嬉しい事かを思い起こさせてくれた。 アスファルトに整備された道路を、ゆっくりと歩く。見ない内に、結構復興は成されているらしい。往来には人の姿も多かった。 こうして、客観的に見てみると、コロニーの人は早歩きだ。 それは、密閉空間に存在するという圧迫感が、常にスペース・ノイドには付き纏うからである。人は、狭い空間の中で生きる事を強制された時点で、本能が肉体を動かす事を欲した。 その結果が、歩くという行為に表れているのだ。 アスクは、少し雪の積もっている道路を見回した。次に空を見ると、真っ黒な雲がコロニー中央部に溜まっている。 すぐにでも、また雪が降ってきそうな気象であった。 「寒いな。やっぱ、冬なんだよなぁ・・・。」 「?何言ってるの、お兄ちゃん。」 アスクは、えっ?、という顔をした。一瞬、何を言われたのか分からなかったのだ。 「今は、まだ秋だよ?」 「そ、そうなの?」 「そうなの。忘れちゃった?」 「だって雪積もってるしさ・・・・。」 「あれは、モビル・スーツがここに入って来た時に、気象コンピューターが誤作動しちゃったんでしょ。それぐらい憶えてなよ。」 「・・・・・すいません。」 アスクは、何故勘違いしたのか分からない。でも、何となく冬であった気がしたのだ。 ただ、まずいな、と思う。秋なら、クラスマッチがあってもいい筈だ。 「まぁ、いいか。」 とりあえず、二人は領事館まで歩く事にした。タクシーも、コロニーの外壁を走るリニアカーにも乗らないのは、二人でゆっくりとしていたいという願望があった。 先程も言ったように、スペース・ノイドは歩く事を好むのである。ただ、二人のようにゆっくりと歩く者はいない。大体はあくせくと、足早に道を通っていくのである。 アスクも普段ならそうする所だが、久しぶりに帰って来たコロニーだ。帰って来たという事を実感する為にも、ゆっくりと歩く事はいい事なのではないかと思えた。それに、リーフは普段から歩みが遅いので、並んで歩くという事は中々無い事なのだ。 いつも、一歩遅れて急ぐようにアスクの後をついてくるのが、リーフなのである。 二人の会話は、自然と弾んでいった。話す事が多かった、と言った方がいいかもしれない。 そして、あの時の事は幻でも何でもなかったのだ、と安心する。とても不思議な出来事だった。でも、それが真実なのだ、と。 「お兄ちゃんは、クル兄とは知り合いだったの?」 「まぁ、そういう事になるのかな。」 「そうなんだ・・・・!」 そうして、領事館の前まで来る。中庭に、難民キャンプが設営されていた。 「結構な人数がいるな。」 「これだけで、千人以上いるんだって。」 領事館の建物の一部には、青いビニールシートが被せてあった。何処かが壊れたのだろうか、といぶかしんだが、その思考を中断するように、リーフがおずおずと尋ねてくる。 「お兄ちゃんは、まだ、戦うの・・・・・?」 視線を、建物から少女に移した。瞳には、心配だという心遣いが見える。 「ん・・・まぁ、まだ完全に制圧できてる訳じゃないしな。」 「でも、大丈夫なの?あの時、お兄ちゃんはとても恐そうだったし、辛そうだったよ?」 「ん〜・・。まぁ、確かに辛いんだけどな。やんなきゃいけないような気がすんだよね。」 「どういう事?」 アスクは、リーフを見下ろした。 ミルクチョコレートのような髪の毛の下に、不安に揺れる瞳。それを見返して――すぐに視線を外す。 「まぁ、なんだ。今の連邦の政策が気に入らないってだけでさ。いいにしろ悪いにしろ、体制の転換は必要な気がして、さ。」 アスクは、そこで困ったように頭を掻いた。 「ロナ家の貴族主義が気に入らなかったら、抜ければいいんだ。とりあえず今は、連邦を倒す事に集中しなきゃ。」 これは、言わなくてもいい事である。それでもリーフは、分かったというように頷いてくれた。 ただ、それも渋々と言った様子ではあるが。 玄関に辿り着くと、衛兵が、お疲れ様です、と言って敬礼してみせた。それに返礼して、ドアを開ける。 そこで、聞いた事の無い声がした。 「お帰りなさい、リーフちゃん。」 凛とした声である。それでいて、特有の甘さが糸を引く様な、独特の後味が耳に残る。高貴さと、それによって培われる気品が混じった声だ。 アスクは、その声の方向を見た。正面の階段に、一人の女性が立っていた。 さり気無く、軍服である。 綺麗な蜂蜜色の金髪。高めの鼻と、少々釣り上がって見える目が特徴的ではあるが、鼻筋はすっ、と通り口元は優雅な微笑を見せている。整った顔立ちに、気品を全身から溢れさせているような女性であった。 もっとも、雰囲気的には女性といえるような年齢ではなさそうである。大人びた容姿ではあるが、感覚的に少女を思わせるのだ。 アスクの知らない女であった。 「あ、こんにちは。マリーさん。」 リーフが丁寧にお辞儀をするので、とりあえずアスクも頭を下げた。 マリーさんは、リーフに優しい微笑を浮かべていた。それがアスクの顔に視線を移動すると、途端に睨み付けるようになる。 正直、恐かった。 「リーフちゃん、この殿方は?」 また、元の優しい笑みになってリーフに尋ねる。アスクは何となく一歩退いたが、とりあえず自分の名前くらい自分で言いたかった。 「アスク・ハーリー少尉です、マム。」 そういって、一礼。顔を上げたら、またも睨まれていた。 その目がこう語っている。貴方には聞いていない、と。 アスクは、再び圧倒されたように一歩後退した。 しかし、リーフはそれに気付いた様子はなかった。 「この人が、私が話していたお兄ちゃんです。」 リーフは、とても幸せそうに腕をアスクのそれに絡めた。アスクは、内心恥ずかしかったのだがリーフのその表情を見て、それを解くのは憚られた。 「そう。貴方が、アスク・ハーリーね。ペルガ・ネロスのパイロットでしょう?」 何か、言葉に刺が含まれているような気がした。 「私も、あなた達の部隊に入る事になったの。よろしくね、アスク少尉?」 「は、はぁ。どうも・・・・・。」 アスクは、女性の扱いにはなれていない。身近な女性といったらリーフくらいしかいなかったからだ。 母親は――問題外である。 「光栄に思って下さる?この、マリーネ・レアリード・ロナと一緒に戦えることをね。」 マリーさんは、きつくアスクを睨むとリーフに優しい微笑を見せて去って行った。 アスクは、何だったのだろうかと呆然とする。 始めてであった。 この部屋で、二人で夜を過ごした事もそうだし、ベットの上で体を重ねたのもそうだ。 そういう行為そのものに対して憧れを持つ事が健全な男子なのだが、女子はそうではない。事実、他人が自分の中にはいるという恐怖は計り知れない者があるだろう、とアスクは想像する。 リーフは破瓜の痛みに涙を流したし、その直後も辛そうな顔をしていた。それに、こんなに血が出る物なのかとアスクは驚きもした。 それも、今は大分落ち着いているだろう。事実、あんなに痛そうにしていた少女もアスクが頭を幾度か撫でてやっている内に、気持ち良さそうに寝息を立て始めた。 この様な時間にいる事に、アスクは幸せを感じる。 女の子の甘い香りを全身に受け止めているだけで、こそばゆい様な気持ちになるし、柔らかい髪の毛に顔を埋めると、嬉しくも恥ずかしい感慨を覚える。 そんな時間を持てるという事が、嬉しい事なのだ。 何よりも、あの血なまぐさい戦場を生き残ったと言う実感があるのだから。 嬉しい事だし、幸せな事。 だから、アスクは目一杯の幸せに目が冴えてしまって、寝付けないでいる。 それは、育ち盛りの健康な少年の宿命かもしれない、なんて知ったかぶった風な事を考えながらも、倦怠感に包まれた全身を柔らかいベットに埋もれさせるのだ。 そういえば、こんなベットの中に横たえるのはどれくらいぶりだろう――? 実際は一週間と経っていないかもしれない。でも、軍艦のベットは士官用でも硬かった。 アスクは、ふうっ、と息をついてリーフの小柄な身体を抱きしめる。 「ねぇ――。」 見ると、リーフが目を擦りながらこちらを見ていた。 「起きたの?」 「だって、お兄ちゃんてば揺するんだもん。」 「そりゃぁ――ごめん。」 アスクは、謝ってから、将来は尻に敷かれる事になりそうだと想像した。 それは、とても幸せな妄想に思える。 「ね、シャワー浴びようよ。」 「へ?」 アスクは一瞬、何を言っているのかが判らずに聞き返してしまった。 それから、この部屋にはシャワー室もあるのだという事を思い出す。 (何か、高級ホテルみたいだよな・・・・。) 実際、領事館は高級ホテルみたいな物ではないか、と思った。 「目覚めちゃったんだから、さっぱりしようと思って。ね?」 「まぁ、良いんでないの?」 リーフは嬉しそうに微笑むと、見ないでね、と言ってシーツを掴んでシャワー室へと向った。 ただ、見るなと言われると見たくなるのが人間の心理である。それに、何を今更という心もまたあるので、アスクは全裸で後を追った。 実際、はしたないとは思ったのだが、見ているのはリーフだけなので余り気にする必要も無いだろう。 ドアを開けると、脱衣所でバスタオルを体に巻きつけたリーフがいた。 「まだ、入っちゃ駄目!」 そう言われもしたが、強引に体を滑る込ませる。リーフは赤面した。 「何か着てよ!」 「風呂入るのに、何で何かを着なきゃならんのだ?」 「うう・・・そうだけどさ。じゃ、タオルくらい。」 「必要ないだろ?早くいくぞ。」 言いながら、リーフのつんつるの裸体を包むタオルを剥がす。抗議の声を無視して、浴室のドアを開けた。 流石に湯船にお湯は入っていないが、シャワーだけでも充分だろう。ノブを捻ると水が勢い良く飛び出した。 「うわっ!」 それに勢い良く引っ掛かると、リーフが天罰だと怒った風に言った。 何故怒っているのか、アスクには分からない。 冷たい水もすぐにお湯になる。それをリーフの体にかけてやりながら、シャンプーを掌に垂らして馴染ませ、彼女の髪の毛を洗ってやる。純白の泡が髪の毛を包み込み、少女は一生懸命に目を閉じていた。 「そんなに強く目を閉じんでも良いじゃないか?」 「でも、いつもは帽子かぶってるから・・・・・・。」 「その年でシャンプーハットやってんのか。」 「だって、あれが無きゃ目に入っていたいんだよ。」 アスクは、まぁ分からんでもないか、と思った。 それでその話しは終りになるので、とりあえず近況を聞く事にする。まずは一番気になっていた事からだ。 「なぁ、あのマリーって人は何者なん?」 「マリーさんは、ロナ家の人だよ。」 「あ、そうなん?」 「確か、親戚って言ってたよ。」 「じゃあ、うちの部隊に配属ってのは?」 「マリーさん、連邦軍に居たらしいの。」 「へぇ・・・・。」 じゃあ、想像以上に年上かもしれない、と思う。 「ハイスクールを出てから、すぐに士官学校にいったんだって。でも、卒業してから軍に在籍したのは一年も無かった、て言ってたよ。」 「その人が、何でリーフの知り合いなんだ?」 「Wに居た人だよ。知らなかったの?よく、ケーキを買いに来てたんだ。」 「いや、知らんかった。」 言いながら、シャワーをリーフの髪にかけてやる。泡が少女の体を伝って、タイルへと落ちて行った。 なんか、色っぽいと思ってしまう自分を発見。 「じゃ、次は私の番だね。」 その嬉しそうな声を聞いて、何をやらかすつもりなのかと危惧感を抱いたのは、ザムス・グルの乗員に素直な人間が少なかったせいだろう。 それでも大人しくリーフのやるに身を任せるのは、自分が素直になって来たのではと安心できる。 複雑な年頃だったのだから、そう思えるのは少年として喜ばしい事なのではないか、と思った。 シャアアアアッ、と水がタイルの床を叩く音が、浴室に反響している。 「ね、お兄ちゃん。」 「ん?」 「いつまでも『お兄ちゃん』じゃ、可笑しいからさ。呼び方変えてもいい?」 「いや、良いんじゃないか。」 「そうだなぁ。呼び捨てじゃ可笑しい気もするしなぁ・・・・・」 リーフは暫く思案に暮れていたようだ。その御陰で、手が全く動いていない。しょうがないので自分で髪の毛をわさわさとかき混ぜる事にした。 「そうだ、『アッくん』て言うのは?」 「いや、微妙だろう。」 「そう?じゃあ、『クリリン』は?」 「何処から来たんだその発想?」 「『スクイット』?」 「もう、何とでも呼んで下さい。」 「じゃあ、アッくんで良いね?」 そういうと、返事も聞かずにリーフは、アッくんを口の中で数回呟き始めた。しょうがないので、アスクは自分で泡を流さねばならなかった。 「ほら、上がるぞ。」 アスクはリーフの体を引っ張って脱衣所まで戻ると、彼女の体を拭いてあげた。 その後ベットに戻って、ゆっくりと瞼を閉じる。 夢も見ない程の深い眠りの中に居た事を知るのは、翌朝の事になる。今は、ただ、隣に居る少女の温もりを感じながらまどろみの中に身を委ねる事しか出来なかった。 |
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