第十六話 「宣誓式」


 コスモ・バビロンと言う名は、正直言って定着していない。
 理由は簡単。フロンティアWの方が、圧倒的に言い易いのである。バビロンなんて物々しい言い方をわざわざしなくとも、人々は使い慣れた呼ぶ名を使いたがる。
 そのフロンティアWで、クロスボーン・バンガードが軍事パレードをやっていた。
 これから始まる政庁前でのコスモ・バビロニアの宣誓式の為の凱旋式である。
 政庁前に繋がる広い道路に、クロスボーンの隊員を乗せたジープが、軍楽隊の後に続く様にしてゆっくりと走っていく。それを見ようと、道路の左右には人々が一杯だった。
 彼らの目的は、クロスボーン・バンガードのモビル・スーツである。
 クロスボーンの兵士を乗せたジープの後ろには、戦車や装甲車、果ては自走砲に短SAMまで通っていった。
 その後ろに、地響きを立てる巨人。群衆の目的であるモビル・スーツが、幅の広い道路を行進していく。
 モビル・スーツのコックピットハッチは開け放たれ、そこにノーマルスーツを着たパイロット達が敬礼しながら立っていた。
 その整然とした光景に、市民達が息を呑むのも当り前といえよう。全高十五メートル近い巨人達が統率された動きで道路を進むさまは圧巻の一言である。
 だが、驚愕するのはまだ早い。キュィィィッ、という甲高いエンジン音に市民達が顔を上げると、数機のモビル・スーツが上空を飛びながら目的地を目指しているのだ。
 と、その内の一機が先頭に来る様にして、次にその機体の背中に光が走った。それが一つの形になると、人々の興奮は更に高まる。
「ビーム・フラッグだ!」
 誰かが叫んだ。
 その間にもモビル・スーツ達は、先頭のフラッグを掲げた紫色の機体の後ろに廻り編隊を組む。更に何機かがこれに倣ってビームの旗を揚げると、同じような編隊が数個、並んだ。
 その中で、最も始めにフラッグを展開したベルガ・ダラスのコックピット内に居るのは、他ならぬマリーネ・ロナである。
 彼女がこの大役を任されたのも、やはりロナ家の人間であるというコネのような物だ。ベラ・ロナがコスモ・バビロニアそのもののシンボルならば、マリーを戦場のヒロインとしようという事である。
 勿論、彼女もそれに対して異論はない。この間の戦闘では不覚を取ったが、自分は一般将兵と比べても遜色が無いという自負はあったし、次の戦場では戦果を上げてやろうという気持ちも充分にある。
 では、なぜ彼女は不機嫌なのだろうか?
 コックピット・シートに座って、尚不機嫌な顔で全天モニタに映るフロンティアWのクラシックな景観を眺める彼女は、一体何が不満なのか。
 彼女が乗るベルガ・ダラスが本来はジェンの機体だから?
 ――NO。
 この大役に対して緊張感を抱いているから?
 ――それも、NO。
 答えは、もっと単純な事であった。それは、彼女にとって最も重要な事でもある。
 アスク・ハーリーの代わりだというのが、気に食わないのだ。
 本来ならば、マリーの駆るベルガ・ダラスの位置にいるのは、白銀の巨体だったのである。
 ペルガ・ネロスがクロスボーン・バンガードのシンボル的なモビル・スーツに相応しい事は分かっている。そもそもあの機体は鉄仮面が乗る予定だったのだから、初めからこの軍のシンボルとして、ジオン独立戦争時の地球連邦軍のシンボルであるファースト・ガンダム的な役割を担っていたのだという事は容易に想像できる。ましてや、アスクが、ペルガで僅か数回の戦闘で残した戦功は、余りにも大きい。また、一機だけ他のモビル・スーツとはかけ離れた機体である。性能的にも、インパクト的にも、クロスボーンの象徴たる特別なモビル・スーツなのだ。
 頭ではそう分かってはいても、マリーは生理的にその事実を受け入れる事は出来なかった。
 彼女はアスクに負い目を感じているのだ。
 マリーがまだ士官学校にいた頃、マイッツアーから呼び出された事がある。用件は、ペルガの搭乗であった。彼女も始めて乗る高性能な機体に胸を躍らせたのだが、彼女がコックピット・シートに座った瞬間に、耳鳴りに襲われた。
 気のせいだろうと思って計器類を操作し、電源を入れる。いよいよテストを開始するぞ、という所で彼女の頭を激痛が襲った。それだけではない。全身が気だるい感覚に襲われ、吐き気を催し、彼女の目は揺れ動く空間を凝視していた。その、まるで世界が壊れてしまったかのような映像が彼女の網膜に今でも焼き付けられている。
 ペルガのバイオ・コンピューターは、他のパイロットと同じように彼女を受け入れはしなかった。そんなじゃじゃ馬のペルガを簡単に使いこなしたというアスクに対して負い目を感じるのはしょうがない事なのかもしれない。
 それはしょうがない。マリーも正直に負けを認めている。ただ、彼女がアスクに対して一番嫉妬するのは、もっと別の事が問題だった。
 リーフの事だ。
 マリー本人も、自分にこんな性癖が合ったなんて知らなかった。だが、一目リーフを見た時、彼女は自分の心臓が高鳴るのを感じた。
 それから何回か少女と顔を合わせる内に、自分の素直な気持ちを認めざるをえなくなった。
 自分ことマリーネ・レアリード・ロナは、リーフ・アルフに恋している。
 彼女はその事実を受け入れた。一度受け入れてしまえば、中々どうして、結構すっきりする。
 だが、認めてしまったが為に更なる苦悩が彼女の目の前に立ち塞がった。
 その原因が、アスク・ハーリーである。
 リーフはアスクに好意を寄せている。それは誰の目から見ても明らかであった。そして、その好意を寄せた相手と、すでに恋人関係にまで発展しているのもまた、周知の事実であった。
 リーフは、アスクが戦場から帰ってきてからずっと、彼にベッタリとくっついているのだ。その証拠に、現に彼女はこの宣誓式に顔を出してはいないではないか。
 リーフは、領事館でアスクの看病をしているのだ。
「・・・・・・・・・・・・・・」
 マリーは小さく、舌打ちした。嫌な事を思い出してしまったらしい。
 その腹いせに、彼女はスロットルを思いっきり押し倒した。途端にベルガ・ダラスのスラスターが吠え、紅蓮の炎を吐き出す。円筒形の中心に近い、コロニー内の上空――つまり、無重力に近い空間で、ベルガ・ダラスは一気に加速した。その全高十五メートルにも達する巨体が飛翔し、目的地に向って更に加速する。
 その唐突な加速に、後続のモビル・スーツが慌てたようにスピードを上げた。マリーの機体を中心にした編隊の所定の位置に戻り、その形を崩さない様にする。だが、そんなパイロット達の苦労など何処吹く風。マリーは気にも留めずにマルチ・ディスプレイに映る景色を凝視し、領事館のある方に――つまり、アスクに向けて舌を出した。
 ――今に見てらっしゃい。絶対に、貴方なんか追い越してやるから!
 彼女の胸中に芽生えた、新たな決意である。

 マリーの視線の先に存在する領事館。その中で、アスクは自室のベットに寝そべっていた。
 ただ寝そべっているだけではない。
 では、何をしているのか?
 苦しんでいるのである。
「ぬあぁぁ〜・・・・ぐぉぉ〜・・・・ずあぁぁ〜・・・太陽が、太陽が迫ってくるぅぅ・・・・・。」
 意味不明な言語を発しながら苦しそうに喘ぐ姿に、不審さよりも同情が先走る。彼はすでに、何度寝付こうとして失敗したかすら分からなくなっていた。
 とにかく頭が痛い。腹も痛い。身体の各間接がギィギィと意味不明の音を立てながら、時々鈍い痛みを脳に伝えてくる。ダルイ。気持ち悪い。頭の中がグルグルする。目の前が歪曲している。脳味噌がポーッとする。喉が痛い。鼻水がウザイ。寒気が走り、その癖に体は熱い。体力が異常に無くなっているのが分かる。そう言えば呼吸器系にも異常があるように思えてならない。何だと言うのだ、こん畜生。アスクは自分を罵った。
 彼は現在、風邪に罹っていた。何故、ここに来て唐突にそんな物にかかってしまったのか。本人にも原因は分かっていない。でも、何となく想像がつくから余計に嫌だったりする。
 それでも、今は大事な時なのだ。特に今日は、クロスボーン・バンガードのモビル・スーツとしてペルガ・ネロスが始めて公式の場に出される予定だったのだから。だが、それは既に出来なくなってしまった。あのややこしい機体を操る事が出来るのは、クロスボーンの中では彼一人だけなのだ。そんなアスクがいないのだから、ペルガが動く筈も無い。公式の場どころか、存在まで人々には知られていないだろう。それが悲しいのだが、どうする事も出来なかった。
「うぅぅ〜〜〜・・・・・・。」
 アスクには結局、苦しそうに呻いている他無かった。
 そんな呻き声の木霊する空間に、気配が一つ加わってくる。その気配の正体は、まだ扉の外にいた。
 コンコン、とノックの音。
(ノック、ノック)
 アスクは擬音をアメコミ風に改造して遊んでみた。頭がぼんやりしているので、こんな古典的なギャグしか思い付かない自分が微妙に情けなくなる。ちなみに、ここで言う『ノック』はあくまで擬音なので、セクハラで訴えられた昔のどこぞの県知事ではない。
 そんな事をして遊んでいる間に、扉が開いた。中に入ってきたのは、言わずと知れたリーフである。
「お湯持ってきたよ」
 両手に桶を抱えてきたリーフが、扉を閉めるのに苦労していた。その様子では、開けるのには更なる苦労があったのだろう。それを裏付けるかのように、少女の額にはマンが風の巨大な汗が浮いている。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・!」
 器用だなぁ、と感心した。
「さ、身体をふきふきしましょうね」
 そう言いながら、リーフが桶に満たされたお湯に手拭いを浸す。
「なんだ、その子供をあやすかのような言葉づかいは。」
「だって、子供みたいに苦しそうにうめいてたんだもん。」
「あ、そう。心外だな。」
「えへへ。」
 少女は笑って、手拭いの湯を絞った。その様子を見ながら、アスクは身を起こす。
 とてもダルイ。
 なんだか、やってられないくらいにダルイ。
 それでも体を起こして、汗のせいで凄い勢いで湿っている上着を脱ぐ。
「ビチョビチョだね。」
 リーフはアスクの下着を見て、驚いたように目を丸めた。アスクは当然、下着も脱いだ。
 そのまま、手拭いをアスクの身体に押し当てる。湿った布が肌を滑って、気持ちの悪い汗を吸い取っていった。
 正直言って、心地良い。特に、汗まみれだった背中を手拭いが通っていくのは格別だ。くはぁ〜、と親父クサイ溜息を吐いて、アスクはリラックスした。
「気持ち良い?」
「ああ、凄く気持ち良いよ。」
「良かった!」
 少女は蔓延の笑みを浮かべた。少年は、その笑顔を眩しそうに眺める。
 不意にリーフが、アスクに立つように促す。アスクは何かと思いつつも腰を浮かすと、少女はズボンに手をかけてきた。
「うわっ! 下はいいって!」
 その声にリーフは一瞬だけ凍り付いて、
「あ、そ、そうだよね!」
 真っ赤な顔でそれだけ言った。そのまま、あははっ、と笑いながら、手を引っ込める。アスクも腰を落とした。
「もう良い?」
「ああ、大分楽になった。」
 症状は全然落ち着いてないのだが、汗のねっとりするような嫌な感覚が無くなっただけでも随分楽になったのは本当だ。リーフは、良かった、と言ってまた笑った。
「はい、どうぞ。」
 リーフが替えの下着を渡してきてくれる。アスクはそれを受け取って、ふと窓の外を見た。
 そこには、ベルガ・ダラスの紫色の機体を先頭としたモビル・スーツの飛行編隊が小さく見える。
 アスクは、無意識に溜息を吐いていた。悔しかった。
 こんなことで、あの場に行けなかったのだから、当然であろう。ジェンやスペルが、この日の為に随分張り切っていたのを憶えている。
などと感傷的な気分に浸っていると、彼の肩がツンツンと突つかれた。首を回してリーフを見やると、
「元気出して。アッくんは、次の仕事に向けてがんばんなきゃいけないんだから。」
 そう言って、励ましてくれる。少女は小さくガッツポーズを取った。
 アスクはそれを見て微笑し、
「そうだな。ま、これも運命って奴だ。」
 リーフの顎にそっと触れると、唇を重ねた。
 今はまだ終わってはいない。次の仕事が、彼には待っているのだ。それまでに体調を完璧に戻さねば。
 何せ、今では反乱軍の砦と化しているフロンティアTが攻略されていないのだ。
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