Chapter1 『ティターンズ』 宇宙世紀八十七年。 このところ、ティターンズの周辺がキナ臭い。 兵器開発のために民間企業に出向していても、軍人であればそんな話が耳に飛び込んでくることもある。 報道管制で一般のメディアにはのらないようなことである。 「報道管制なら、士官でも緘口令なんだろうけど」 プロトタイプモビルスーツ“ゼータ”のコックピットで、カミーユ・ビダン少尉は苦笑した。 このことで正式に緘口令はしかれていないが、吹聴して回れば何かしらの理由をつけられて軍法会議にかけられるのかな。と、くだらない脳内シミュレートをしたのである。さらに失笑したくもなるのは、このことを同僚の軍人からではなく、民間企業の人間から聞いたからだった。軍事企業でもあるアナハイム・エレクトロニクス社の研究開発員のひとり、ファ・ユイリィ女史からである。 二年も前のことになるが、サイド1の三十バンチコロニーの住民がおこした反地球連邦政府デモの鎮圧に、ティターンズが毒ガスを使ったというのだ。千五百万人もの住民が死んだらしい。 密閉されたコロニーに毒ガスを注入するというのは、宇宙世紀だからこそ実現可能な大量虐殺方法で非常に効率がよい。熱帯魚の水槽にスポイトで毒液を落とすようなものである。兵士を街に放つことと比べれば安価だ。七年前、一年戦争のその初期に行われたのが最初で、その後に結ばれた南極条約、また更に後に制定された国際法でも禁止されていたはずだった。尤も国際法で禁止されようとも、罰則条項の無い方手落ち常態であるためにこのようなことにもなったのだろう。やられた側は非道を叫ぶことしかできず、作戦の立案者や実行者を軍事法廷に引き出すことはできまい。 これをきっかけに戦争が始まるかも知れないと、カミーユは思った。 士官学校に入学する前の自分なら、こんな思惟を不謹慎だと自戒しただろうが、正式に軍人になると、それを甘い思想だと逆になじるようになっていた。もしかしたら、軍人であるとか両親は軍属であるとかいうことではなく、国際的な処世術としての戦争の意味合いを理解できるようになったというだけなのかも知れない。 * 「新しくできてきたムーバブルフレームの強度計算用のデータ取りだから。飛行しながらの可変チェックになります。ビダン少尉、よろしいですね?」 パイロットスーツのヘルメットスピーカから、インフォメーションガールのようなファ・ユイリィの声が聞こえた。 その口調に思わず吹き出しそうになるカミーユ。 管制室の他の人間はどんなリアクションをしているのか、少し興味がわいた。 「スシをおごるからさ、こんばん食事でもしようよ」 そして、カミーユは返事を待たないでロケットノズルをあけた。 返事を待っていなかったのは、半ばは社交辞令だからだ。彼女の低くても筋のとおった鼻梁と吸い込まれそうなほどに黒い瞳は好みだったのだが、もう既にふられているのだ。ここに出向しはじめた三年程前のことである。年齢はいっしょなのだが、彼女にしてみれば自分はお子様で物足りないということなのだろうなと洞察していた。 カミーユの操る楔型の平たい戦闘機は宇宙空間に飛び出した。この戦闘機は、ウェーブライダーと呼ばれる。超音速飛行時に発生するショック・ウェーブを機体下面に集中させ、これに乗るように飛行するためこういったネーミングをされた。 この新型コックピットシステムにも知らないあいだに慣れていたなと妙な感慨があった。前にいた部隊のモビルスーツである“ジムβ”のコックピットとはまるで違うのだ。これまでの、全面と側面にのみ配置されたスクリーンと違い全方向マルチスクリーンというのは、戦闘機の外の風景を球体の内側に映し出すというシステムなのである。その中心に座席がまるで浮いているように設置されているために、視界は良好なのだがテーマパークのジェットコースターのような錯覚を覚やすい。その錯覚の軽減を目的にスクリーンに映し出されるのはテレビゲームのようにされてはいるのだが、これになれるのに一ヶ月近くはかかったような気がする。旧世紀の戦闘機において、コックピット体積と視覚確保はパイロットが尤も関心を持っていたことだったと言うが、今としては皮肉なモノである。 『こんなモノが、現実にできるようになるとはね』 コードネームを“ゼータ"と名づけられたウェーブライダーのコックピットで、カミーユは感嘆していた。 宇宙で運用される戦闘機に翼がある必要はない。そして、大気が希薄すぎる月面においてその形状が流線型でなければという必要性もない。漆黒の空間をバックに飛翔する兵器に、地球上での兵器の形態の概念はおおよそ通用しない。 それでも、月面を飛ぶこの戦闘機に翼があるのは、オールラウンドに運用できる兵器の開発を目指しているからに相違なかった。 空間に散布されたミノフスキー粒子は、電磁波、赤外線、一部の可視光線に著しい干渉をする。半ば無線を無効化された状態で四肢をもつモビルスーツという人型兵器が考案され、有用とされた。現に先の一年戦争から大量導入され、戦場の主役となっていた。特に宇宙空間での活躍は目覚ましく、一般の宇宙服をノーマルスーツと改名させてしまうほどのものだった。宇宙空間、月面、地球大気圏内の陸海空、と、ありとあらゆる場所での運用がなされたが、局地に特化する機体はあってもオールラウンドに稼働できる機体はついに開発されなかった。 “ゼータ"は、軍の要請があってオールラウンドに稼働できる兵器の開発研究のために造られたのである。 ここに赴任してきたばかりの時のカミーユは、オールラウンド稼働兵器をリクエストする軍もたいがい素人だと思ったが、それを実現できるのではないかと信じているアナハイム研究者の頭の中を疑っていた。しかし、今になるとそれも自分の認識の方こそが甘かったのだと知らされている。空中分解するようなおそろしい機体に乗せられたことも多々あったが、程なく機体としては完成するだろう。 「もっとも、兵器として完成するか否かは別問題だがな」 “なんか言った?” カミーユが呟いたのを、無線の向こうのファ・ユイリィが聞き取れなかったというので、ひとりごとだと言った。 「誘いにはのってきたことがないくせに、独り言には興味があるのか?」 “機体に何かあったかと思えば、訊き返しもするでしょう。くだらないひとりごとなら、聞こえないように言いなさいな!” カミーユのおふざけをぴしゃりと一蹴し、予定どおりの可変プログラムを始めろと続けて指示をしてきた。 嘆息し、右手前方にある可変レバーをカミーユは引く。 次の瞬間、楔形のウェーブライダーは人型のモビルスーツ形態になった。 顔に相当するところについているモノアイと呼ばれるひとつ目カメラが、深呼吸をするように強く緑色に発光した。 カミーユは、“ゼータ”の思いのほかの挙動に口笛を吹いていた。 * どのような組織でも、巨大化してくるとその中に派閥を抱え込むことになる。 今日の地球連邦軍にとっては、法規的に発生したティターンズや非公式のエゥーゴがそれだ。 一年戦争の終了は、戦闘の終了とはならなかった。 地球連邦政府の戦後処理は、サイド3の限定つき自治を共和国というかたちで承認するだけで精一杯だった。そして、ジオン軍の完全武装解除には失敗してしまった。 ジオン共和国に不満を抱くジオン公国軍残党による地球圏各地での跳梁を招くこととなる。 その残党の掃討を口実にティターンズを結成したのは、ジャミトフ・ハイマン大将と腹心のバスク・オム大佐である。 それまでは一地方軍ごと、または事変ごとに結成されていた掃討部隊を、連邦軍下の正式いち組織として体系化したのである。 連邦政府にとってジオン軍残党の活動は非常に脅威なようで、ティターンズの権限は爆発的に拡大していった。 最近、噂にだけ聞くのはエゥーゴ(反地球連邦政府組織)である。 エゥーゴはスペースノイドの反政府運動を画策先導し、ティターンズを牽制する動きを見せていた。彼らは連邦軍内のジオンシンパサイザー、連邦軍内のジオン残党とまで目され、まさにティターンズに敵視されていくことになる。 * 「ガンマの性能ってだけじゃないんでしょうけど、これで一段落ついたんじゃないですか?」 社員食堂で、カミーユはクワトロ・バジーナ大尉という士官と会っていた。 「ああいった可変というのは、やはり難しい注文だったのかも知れんな。宇宙空間で運用するぶんにはロケットノズルの角度を変えるだけでいいが、大気圏内だと空力のことがでてくるからな」 クワトロ・バジーナ大尉。今度の“ゼータ”の発注責任者で、装甲材ガンダリウムγの技術提供者でもある。 今日は、別に開発を進めていた“リック・ディアス”の受領に来たのだという。 初めて会ったのは三年以上前になるが、その時は少々面食らったものだ。宇宙軍の士官がサングラスをかけているのを今まで見たことがなかったからである。まるで甲板の海軍士官のように、である。ノーマルスーツと呼称される宇宙服のヘルメットシールドは基本的に防眩機能が備わっているし、室内で明るすぎる照明が使われていることなどありえないからだ。少々クセがついてはいるのだが、ブロンドも軍人にしては綺麗すぎると思っていた。不審だと思えるのは彼が技術士官ではないということである。モビルスーツのパイロットだというのだ。出向でアナハイム・エレクトロニクス社の開発に入り浸っている自分でも相当勉強はしたつもりだが、自分よりは知識だけでなく経験がありそうな雰囲気なのである。そのくせ、自分のようにテストパイロットというわけでもないのだ。確かに、年上ではあるから様々な経歴があるのだろう。現在パイロットであるだけで、かつては技術士官だったかも知れないしテストパイロットだったこともあるかも知れないのだ。 「面白い技術です。どういったルートで入手されたんですか?」 「私も詳しくは知らんのだ。どうも、ジオン側かららしいのだが」 クワトロは言葉を濁した。反連邦政府運動が活発になってきた昨今では、ジオンという言葉は口にしにくいものだ。ひとくちにジオンと言っても大小様々な残党勢力が存在するが、程度の差はあれ反地球連邦というイメージがつきまとっているからだ。一年戦争の講和にも応じた最大派閥であるサイド3のジオン共和国があまりに連邦寄りになりすぎたために求心力を失ってしまい、運動が活発になってきたというのはあまりに皮肉なことである。 「エゥーゴ。武装しはじめたっていう噂は本当なんでしょうかね」 すかさず話題をそらしたつもりだったが、これもけして明るいところでできる話でもない。時間の所為か、食堂に二人だけというのがせめてもの救いだ。 情報士官ではないし本当に知っていればペラペラとは喋らんだろうな、と言ってからのクワトロの口調は、しかし、スムーズだった。 「そもそもエゥーゴなんて組織が本当に存在しているのかということでもあるが、サイド1の三十バンチでおこったデモの鎮圧で噂どおりに毒ガスであるG3が使われたなら、心情的にあり得るな」 「一年戦争って半分はジオンが勝ったようなもんでしょう。いちばんの目標である独立にこそ失敗しましたが、サイドが連邦政府に対してモノを言っていいというか、刃向かってもいい、勝てるかも知れないという雰囲気を作り上げてしまいましたよね」 そういう見方も正解だなとクワトロは笑った。 「あの戦争は、歴史的に“一年戦争”となったが、“ジオン独立戦争”いや“ジオン防衛戦争”とすべきだと一部のサイドでは言われているらしいからな」 ザビ家がサイド3で軍事クーデターをおこし、独裁政権を打ち立て、あわよくば連邦に取って代わろうとしたとジュニア向けの歴史教科書には書かれて終わりだろう。それは事実ではあるが、ものごとは一面だけで語れるものでもない。また、語るべきではない。 開戦前夜のサイド3の経済力は、各サイド中トップクラスだった。特に重工業は目覚ましいものがあり、他のサイドに依存することなくやっていけるものであった。半世紀をして、もはや連邦に組みする必要などどこにもなかったのだ。その自信が、政治家にして思想家でもあるジオン・ズム・ダイクンの後にジオニズムとよばれる思想を後押ししたのであろう。それが大きな政治運動になると、連邦政府はサイド3に経済制裁を加えたのだ。サイド3企業の鉱山小惑星への立ち入りを制限し、輸出入に大きく規制をかけたのである。 「連邦としては、独立を簡単に容認できはしないですからね。地球圏秩序が崩壊することにもなりかねない?」 「連邦軍士官としては優秀なお返事だ。それでもジオン・ダイクンはそういった気運が広がることでサイド3だけでなく総てのサイドが独立していけるものだと信じていた。とはいえ、あのまま制裁が緩和されなかったら、サイド3では餓死者がでていただろうな」 スペースノイドに対して嵩にかかった態度をとる連邦政府に対抗するには、軍事力に訴えなければならないと判断したのがザビ家一党だということだ。開戦当初、ジオン軍が月面都市グラナダ市を電光石火で制圧し、そこに拠点のあったアナハイム・エレクトロニクス社を接収した。それは終戦協定のカードにグラナダ市を利用する算段もあったのだが、とりあえずの活路を開くのが目的だったのである。 「ニュータイプって、そうなれば戦争がなくなるんですよね」 「ジオニズムのとおりならそうなんだろうな。私は、そういった哲学のほうは解らんよ」 最後のウインナーを口の中に押し込むと、クワトロは立ち上がった。 「でも、ニュータイプがパイロットとして戦場にいたって、ジオニズムの否定材料にはなりませんよね」 「ティターンズは専用の制服の着用が義務づけられていても、お互いにティターンズではないと証明しあえないな」 クワトロは小さく嘆息する。ニュータイプという言葉は、スペースノイドのあいだでは希望の対象だった。いつかは現れてスペースノイドを救ってくれるのではないかと、旧世紀のキリストやムハンマドのように受け止められていた。そして、反地球連邦運動の象徴という意味も内包していた。存在も定かではないエゥーゴの思想が詳らかであるはずもないのだが、反政府運動であるいじょうはニュータイプという言葉が旗手なのではないかというイメージは誰にも共通の認識だった。そんななか、ここが民間企業とはいえどこにティターンズがいるのか、カミーユ少尉がティターンズでないという保証はどこにもない。お互いにエゥーゴだと勘ぐられるのは面白くないだろうということだ。 カミーユは、理由もなくクワトロに縋りたい気分になっていた。知り合って三年になる。二ヶ月に三回は顔を合わせて会話をしていれば、それが取り留めのないものでも本人の組織的背景はともかくひととなりは解ってくるというものだ。 『小規模かも知れないが、戦争が近い?』 戦争の意味を肯定的に理解する度量をもちまえているつもりだったが、カミーユは戦争に怯えていた。 「どうにか“リック・ディアス”は間に合った。量産は進めるが、“ゼータ”も将来的には量産にこぎつけたいと考えている。カミーユ少尉、頑張ってくれ」 クワトロは軽く敬礼をした。 * よもやクワトロ・バジーナ大尉がティターンズであったとは思えないと、カミーユは取調室で俯いていた。 午前のミーティング中、“ゼータ”研究開発部室はティターンズの憲兵に押し入られた。 動揺。 ファ・ユイリィ女史の悲鳴。 テーブルに押さえつけられるスタッフ。 僅かに抵抗したカミーユは、顔面に蹴りを入れられていた。 「エゥーゴなんてものはジオンの残党にすぎんのだ。それが連邦の士官とはな!」 パイプ椅子に腰掛けたカミーユは俯いてはいたが、目の前の憲兵がやたら右拳を振り回すのが目について気に入らなかった。 本来、連邦軍の一部隊にすぎないティターンズに憲兵という兵種は必要ないはずだった。それを持っているというのは、権力の拡大を示すものだった。このティターンズ憲兵の権限の拡大に伴い、連邦各軍の憲兵は完全に形骸化してしまっていた。そして、彼らが軍内の治安維持以上に秘密警察のような活動をしはじめたことは、ティターンズによる軍の私物化が始まっている証拠とも言えた。 「捜査令状はあるんですか。押収したエゥーゴの名簿に僕の名前があったわけでもないでしょうに」 「そういう態度が取り調べを混乱させると思うな。貴様等が開発しているモビルスーツが、エゥーゴ用のものだというのは調べがついているんだぞ」 エゥーゴは荒唐無稽な架空の組織ではなく、そしてまさに自分がその片棒を担いでいることでオリジナルの兵器を開発するまでに武装を始めているようだとカミーユは洞察した。 アステロイドの辺境守備隊から自分が呼び寄せられたのもカムフラージュだということだろう。おそらくは、開発スタッフの大半もエゥーゴのモビルスーツを開発していたのだとは知るまい。 ファ・ユイリィの顔が脳裏に浮かぶ。彼女も尋問を受けているのだろうが、ひどいメにあってはいないだろうか。 彼女にとってこそエゥーゴのことなど寝耳に水だろう。日々の仕事をこなしていてこの仕打ちならば、とんだ貧乏くじだ。他のモビルスーツの開発にまわっていればこうはならなかっただろうに。 「開発命令書を見てくださいよ。エゥーゴだなんて記述、どこにあったんですか」 非合法というか自然発生的にできあがったであろう軍内派閥の名称が明記された書類など、存在するはずもない。カミーユは、聞き知る拷問の恐ろしさを振り切るために、どうにか突破口を模索し始めた。 「エゥーゴの活動をとめられれば、他のジオン残党の動きを牽制できるはずなんだ」 「アステロイドで守備隊にいて、ジオンの残党狩りをやっていた僕がなんでエゥーゴになるんです」 出世の可能性が極端に少ない兵科にいると言いがかりをつけるのだけは得意になるのかと憎まれ口を叩きたくなるのをこらえつつ、カミーユは手錠をかけられた両の拳でテーブルを叩いた。 その刹那、グラナダ駐留軍本部ビル全体が揺れた。 アースノイドならば、地震だと思っただろう。生憎スペースノイドのカミーユには建物がゆれる理由がまったく理解できなかった。地を揺るがすというのはまさにこのことだ。 強化プラスチック建材の壁にひびがはいった。 「まさか、月で地震か?」 地球出身の憲兵は予想外の事態に動揺した。 揺れがおさまったかと思ったら、すぐに二度目が先ほどの何倍もの揺れが襲い、とうとう壁がこなごなになった。 「“ガンダム”、か?」 崩れた壁の向こうに、モビルスーツの頭部が見えた。運行中、おそらく飛行中に操作ミスかなにかでこのビルに激突したのだろう。激震の原因はこれだ。揺れが二度きたのは、突っ込んだ後にもかかわらず姿勢を立て直そうとしたということに違いあるまい。 カミーユには、そのモビルスーツのセンゴクムシャのような造形の黒い顔が“ガンダム”に見えた。七年前の戦争で、プロトタイプにもかかわらず数機導入され、あの有名なアムロ・レイ少尉も搭乗していたというあの“ガンダム”だ。 資料で見た“ガンダム”は、プロトタイプらしくトリコロールカラー彩色で顔は白かったが、あれの顔は黒い。 「グラナダとはいえ、なんでまた街中でモビルスーツが飛んでいるんだ」 カミーユを取り調べていた憲兵は呆れて頭をかいた。 視線が自分からそれた隙をつき、カミーユは取調室を飛び出した。憲兵は絶叫したが、時すでに遅い。トラブルがあったとはいえ、職務を一瞬でも忘れたみずからを呪うがいい。手錠の鍵を奪えればよかったが、それができる状態でもなかった。 憲兵が拳銃を天井に向けて撃って牽制したが、無視して走り始めた。 とにもかくにも連邦月面方面軍本部基地に逃げ込んで、弁護士もつけようとしなかったティターンズの横暴を訴えるしか逃げ切る方法はなさそうだ。それでティターンズがダメージを受けることはないだろうが、自分はエゥーゴのスタッフではないのだから誤解も解けて追求を逃れることはできるだろう。同じグラナダ市内に本部があったのは幸運だとは思っていたが、ここからどうやって行ったものか。徒歩では二時間はかかる距離だ。 必死で走ってはいたが、カミーユはげんなりもしていた。本部までの道程のことだけではない。ここから出られるか否かを心配することの方がさきなのだ。モビルスーツの事故で混乱はしているのだろうが、ここはティターンズの本部なのである。 モビルスーツの側に飛び出した方が混乱に乗じることができるかも知れないというカミーユの推測はあたっていた。崩れかかったビルにもたれ掛かったモビルスーツに人が群がっていたのだ。ティターンズの黒い制服の中でひとりだけベージュの制服を着ているのも目立ちはするが、混乱に乗じることができるかも知れない。カミーユは、手錠をしたままだがわざわざ人垣の中に分け入っていった。 腹部のコックピットハッチが開いていていた。パイロットであろうノーマルスーツ姿の男がコックピット口の足場に腰掛け、ヘルメットを外したところだった。 それをすぐそこに見上げるところにまでカミーユは近付いていた。 予期しないことだったが、カミーユにさらに都合がよくなったのは、上空にもうひとつのモビルスーツ“ガンダム”が着陸態勢に入っていたことだ。 “エマ・シーン中尉です。着陸します” ダイレクトモードで女のパイロットが着地点を確保させろとアナウンスした。 人間を吹き飛ばしそうな強風を振りまきながら、“ガンダム”が降下、着地する。 ビルに突っ込んだモビルスーツと編隊飛行していたということだろう。 着陸した黒い“ガンダム”は、跪くと腹部のコックピットハッチが開いてノーマルスーツの女性士官が顔を出した。 フルフェイスのヘルメットを外してはいないが、体型の表れるノーマルスーツだから女性だと解るのだ。 「中尉。月面でちゃんと飛ばせなければ地球出身だって馬鹿にされるでしょ。コロニーの中だったらもっと難しいのよ」 その凛とした叱咤を、墜落した“ガンダム”のパイロットは聞き流しているようだった。ここまでやってしまったら始末書ではすまされるはずもない。落下地点が民間施設でなかっただけまだマシだったという程度でしかないのだ。そのことに蒼白としているのかも知れない。 「二号機は私が引き上げます。あなたは始末書の用意でもしておきなさい」 エマ・シーンと名乗ったパイロットは、二号機のパイロットが腰掛ける狭い足場に飛び移る。モビルスーツを落下させたパイロットに上から降りるように促した。 体裁を気にしているのかパイロットがそれを否定する。エマ・シーンは操縦技術を信用できないと突っぱねた。 「今度墜落するところが、民間施設だったらどうするの」 業を煮やしたのか、エマはとうとう頭に拳銃を突きつけた。狼狽するパイロットを睨みつける。 彼女はかなり焦っているのではないか。パイロットがモビルスーツに乗って帰投することを控えさせたいのではなく、再びモビルスーツに搭乗されては困るといったところだろう。 「そこの女の人、連れて行ってくれ!」 思わずカミーユは声を上げていた。何故だか直感的に女性士官が身方なのだと思えたのである。そして、彼女もここからの脱出を考えているのではないか? このまま雑踏にまぎれて脱出し、月面軍本部に逃げ込むのが得策のはずなのだと今でも解っている。こうしてしまったことで誤解が解けることもなくなってしまっただろう。 エマ・シーンは二号機のパイロットを蹴落とすと、 「あなた、ティターンズではなさそうだけど?」 「この事故でMPの処から逃げてきたんです。モビルスーツなら扱えます」 エマはまるで躊躇なく掌をさしだした。危害を及ばさないのだと、まるで疑われないことにカミーユは驚愕するよりも呆れたが、何よりも感謝した。 拳銃で手錠のチェーンを切ってもらうと“ガンダム”の二号機に乗り込む。 これまでのやりとりで、エマ・シーン中尉がこのモビルスーツを強奪しようというのは明白だった。ティターンズ内の反乱なのかまったく別の組織の差し金か、彼女の独断なのか判りはしないがティターンズに反目しようというのだろう。 インターフェイスは“ゼータ”とまったく同じだった。操作感が変わることは、当前ながらモビルスーツの挙動に影響がある。搭乗経験のないモビルスーツでも、操縦系統は同じだというのはパイロットにとって重要なことだった。 “あなたを信じ切ってはいないけど、大丈夫ね? 二号機には武装はないけど、グラナダから脱出します” カミーユはそれに返事をしながらモビルスーツを立ち上がらせ、辺りを見回した。ファ・ユイリィを捜したのだ。モビルスーツのマニピュレータでビルを少し崩してみるが見つからなかった。彼女こそ、アナハイムからの圧力で冤罪が晴らされるだろうと思うことにした。力関係でいけば、まだ連邦軍よりはアナハイムのほうがティターンズに圧力をかけられるだろう。まさに“ゼータ”がエゥーゴのものでも、開発の中止はされようとも、程なく自由になれるだろうと思えた。 “このモビルスーツ。“ガンダムマーク2”は我々エゥーゴが受領する。ティターンズなら抵抗するな。これいじょう危害を加えるものではない” 「!」 足下の雑踏もだが、カミーユも驚愕した。まさかエゥーゴの実働と遭遇するとは思わなかったからだ。 経緯はどうあれ、エマ・シーン中尉はエゥーゴのメンバーだったのだ。 “予定どおりの行動にならなかったな、エマ中尉” “すみません。二号機は武装していませんが、協力者が搭乗しています” カミーユには、エマと話している無線の声がクワトロ・バジーナ大尉のそれに聞こえた。 レーダーに他のモビルスーツの影が映った。上だ! 顔を上げると、そこに三機の“リック・ディアス”が降下してきていた。一機は紅く、随行する残りの二機は紺色に塗装されていた。 旧世紀のアジア人の衣服であるハカマを穿いたようなシルエットのモビルスーツ。頭部は、“ゼータ”のようにモノアイが輝いていた。 「クワトロ大尉ですか。私は、カミーユ・ビダン少尉です」 カミーユが無線で訴えると、“リック・ディアス”にはやはりクワトロ・バジーナ大尉が乗っていた。意外な知り合いとの意外なところでの再会で驚いているようだった。 “港に母艦が来ている。いいんだな?” 「ティターンズは嫌いです。軍が言いなりなら、エゥーゴ、興味があります」 クワトロの問いかけに対しても躊躇逡巡はおこらなかった。 “ウム。エマ中尉、この少年は信用してもいいな。私が保証する” “知り合いなのですか?” “そんなところだ。いくぞ” |
|
BACK 目次 NEXT |