Chapter7 『スイングバイ』


 “アーガマ”が補給のためにアンマン市に戻り、再びキリマンジャロ攻略作戦参加のために出航をするとなった時、作戦成功の朗報が入ってきた。三日に及んだ戦闘は、ジャミトフ・ハイマン大将のシャトルによる脱出をもって集結した。
 双方の消耗は激しく、いちじ戦況は停滞するかに見えたが、衛星軌道上においてエゥーゴがティターンズを完全に退けさせたことが勝敗を分けることになる。宇宙からのミサイル攻撃による援護が、キリマンジャロの戦線を押し上げたのだ。
 これによって、ティターンズは地球での最大の拠点を失うと共に、連邦軍、はては政府内での地位を下げることになった。ジャブローからキリマンジャロへの連邦軍本拠地の移転をティターンズが主導したことが反ってあだとなったということである。
 サイド4でG3攻撃を退けさせたことが、宇宙でのエゥーゴの勢力を更に広げることになったが、それとは対照的である。
 チェックメイトをかけたエゥーゴは、ティターンズに対して最後の息の根を止めるべく作戦を敢行することになる。



 「大尉が、ダカールの連邦議会を占拠するんですか?」
 アンマン市の軍施設の食堂で、次の作戦を聞いたカミーユは、口の中にあったオレンジをかろうじて飲み込んだ。
 とうのクワトロとブライトは涼しい顔をしているが、連邦議会史には、こう言ってよければそのような暴挙はない。
 会場の厳重な警備をかい潜ることなどできるものなのだろうか。まさに、ティターンズがその任務に当たるはずだ。その武装はモビルスーツにも及ぶはずである。
 「キリマンジャロ攻略はこれをめがけてもいたのさ。キリマンジャロでティターンズの武力を削ぎ、すかさず議会で政治力も削ぐということだ」
 戦争などと大袈裟なことを言っても、所詮は政治によって産まれたモノにすぎない。いわんや軍隊もである。ティターンズが政府の制御下にいるいじょう、その解体には議会を動かすのが尤も効率がよいというのも理屈ではある。
 「尤も、連邦の絶対民主主義とやらがどこまで機能しているかということでもあるんだがな」
 ブライトが皮肉るように笑い、腕を組んだ。このサイド4の事件でティターンズを庇い通せる議員などほとんどいないだろう。真に民主主義が機能していれば、各サイドの連邦からの独立こそなっていなくても、ジオン独立戦争などおこらなかったであろうし、エゥーゴなど組織されなかったであろう。宇宙世紀始まって以来におこったうち半分の戦争は無かったに違いあるまい。とはいえ、民主主義でも些細なことで戦争を引き起こされることも事実なのである。
 独裁体制というのが戦争を引き起こすというのは、民主主義盲信者やそこでの権力者、プロレタリアによるデマゴギーであるというのは今や常識だ。本気で信じているような人間など、一部の懐古主義者だけであろう。かくいうサイド4の自治政府もその盲信政府だと特に連邦政府内では有名なはなしである。強権を振りかざす政治家は早々と失脚させられてしまっていた。そして、そういった体質を根幹に持っているサイド4の議会が膠着状態に陥ることなど茶飯事であり、一年戦争時には中立を保っていられるだけの経済力と技術力を有していながらも、最大の被害サイドのひとつとなった。翻って、サイド3のジオン公国では、ザビ家が独裁政権をうちたてることができたのも、民主主義により戦争という民意を汲み取れたからである。またその後、独裁者ギレン・ザビ総帥が戦死したというだけのことで講和に応じる姿勢に急転したという事実もある。民衆なるモノが、いかに身勝手なものかということが露呈した一件でもあった。
 「艦長、そのアイロニーは特に為政者にはきついだろうな。全人類がニュータイプにでもならんでも戦争を封じ込める方策は他にもあるかも知れないという見解が、アナクロニズムだとはまだ思いたくはない」
 クワトロは乾いた笑いをしてから“アーガマ”の出航時間を確認し、地球に降りる用意をすると言って食堂を出て行った。

 そのクワトロの背中を視線で追っていたエマ・シーンの視線を気にしながら、カミーユは戦場にいる女の人というのは男よりも大変なんだと漠然と思っていた。追いかけていってしまえばいいと思えるのは、それを他人事だと受け止めているからなのだろうなとも思ったが、
 「エマさん」
 声を押し殺したカミーユは、オレンジの皮をむく肘でその細い脇を突いた。
 「え? あ」
 我に返ったような挙動で立ち上がったエマは、食器も片付けずによろしくとだけ言って飛び出していった。
 今の身の振り方かたの早さから、自分に押されたからエマがクワトロを追いかけていく気になったのではないな、とは察しはついた。大好きなエマが強い女性なんだと再認識できたことが、カミーユには嬉しいことだった。
 「俺はそういうのには鈍い方だとは自覚していたが、そうなのか?」
 行儀がいいとは言えないが、プロセスチーズを口の中でもごもごとしながらエマを目で追っていたブライトはカミーユに訊いた。
 「僕だって知りませんよ。僕はエマ中尉に恩義は感じていますけど……」
 「少尉がエマ中尉をけしかけたふうに見えたけどな?」
 サイド4の戦闘いらいつるむことの多くなったアポリー中尉が、エマの食器は自分が片付けると席を立った。
 「それはありませんよ。でも、エマ中尉みたいな人になら幸せになってほしいって思えます」
 カミーユには、ブライトやアポリーの無頓着ぶりが気になった。ブライトなどは、結婚していてその奥さんが地球にいるというのにこんなことで大丈夫なのだろうかと余計な心配をしてしまっていた。
 「カミーユ少尉は、中尉のことが好きなんだな。だから、そういうことが判る」
 ブライトは顎を撫でて、自分のその言葉に妙に納得しているふうだった。
 「好きなんですけど、そうなんですかね」
 “アーガマ”に戻ってから食べようと、カミーユはジャンパーの両のポケットにリンゴをひとつずつ入れた。



 クワトロが乗ったエレベータのドアが閉まるのを制止したエマは、ゴンドラに滑り込んだ。
 「すみません。今度の大尉の作戦に私を参加させてくれないのですか?」
 やにわに切り出され、クワトロはしょうしょう面食らったようだった。唐突なこともだが、エマがこのようなことをよもや言い出すとは思いもよらなかったということだろう。
 「それはできないな。中尉は地球出身だが訓練は宇宙だ。こう言ってはなんだが陸軍の足は引っ張りかねないな?」
 「しかし、大尉のそばでお役に立ちたいという情熱はあるんです」
 エマのまっすぐな視線に、クワトロは多少たじろいだ。サングラスの坐りをなおしながら背中を向ける。
 「状況的にもな。君が乗艦することになる“アーガマ”は、私を地球に送りつける足でスイングバイをつかってサイド7に向かってもらう」
 「グリーンノアですか?」
 「そのサイド7をグリプスと改名して基地化しているのは君こそ詳しいかも知れんが、その攻略作戦ということだな」
 クワトロがダカールで連邦議会を占拠するのと平行して、エゥーゴはティターンズの宇宙での拠点のひとつであるグリプスの攻略を目指していた。サイド7、グリーンノアなどと言っても、コロニーが二基しかなく他のサイドからしてみれば辺境地と見なされていた。そのイメージを利用して、一年戦争時には連邦軍が極秘裏にモビルスーツの開発と生産が行われたという土地柄でもある。ティターンズとしては、そのかつての連邦の姿勢を踏襲したということだ。
 「その作戦で私が頑張ってみせれば、大尉は私に振り向いてくれますか?」
 おおよそ女性らしくはない申し入れだと自身思った。それは、自分は女性であるのだというプライドを大切にし、同時に軍人であるプライドも大切にしたいといういかにもエマらしい主張だった。
 クワトロは振り返り、いかにも根負けしたといったふうに嘆息する。
 「しかし、私が君をスカウトしたのは君の才能を認め、心情を察しただけにすぎない」
 「そりゃあそうでしょう。大尉は軍人で男性なんですから」
 エマは、実にあっさりとクワトロの舒懐を受け止め、認めた。
 「エマ中尉は、男の勝手に振り回されるほど弱くはないんだな」
 これが彼女の強さと解ったクワトロは、少し嬉しく、そして心強くなってサングラスをはずして微笑んだ。
 クワトロの眉間の深い傷痕にたしょう驚愕するも、エマは目を閉じると背伸びをした。
 「男のワガママをどこまで許せるのかが女の甲斐性だなんて思っているほど、都合のいい女じゃありませんよ。異性との接吻で奮い立つのは女も同じなんですから」



 エマ・シーン中尉はクワトロ・バジーナ大尉と共に地球には降りないと聞いたカミーユは、内心落胆していた。クワトロの地球降下は任務であって遊びではないというのは分かりきったことだが、二人が一緒にいることが自然な画だとしか思えないカミーユにしてみればその方がいいと思ったからである。
 『デートコースやら新婚旅行で地球ってのは、スペースノイドでもよっぽどのブルジョアだけどさ』
 それでも、それはクワトロがエマを大切に思っているからだろうとは思えた。

 「OSをアップデートしといたんだが、いい感じだろ?」
 “ガンダムマーク2”のコックピットの掃除をしているにもかかわらず、よそ事を考えていたカミーユにアストナージ・メドッソ曹長が話しかけてきた。
 「アナハイムがあの“ネモ”と一緒に納品してきたんですか?」
 スクリーンノイズがこれまでのまでのモノより目に優しいような気がするのは、オペレーティングシステム内のマルチスクリーン描画エンジンが変わったためなのだなと納得した。ティターンズが開発した“ガンダムマーク2”をエゥーゴで運用するいじょう、そのオペレーティングシステムの書き換えはパイロットとして早めにしてほしいことでもあった。トラブルが発生したときの対処にティターンズ工廠のスタッフを喚ぶわけにはいかないからである。アストナージが発注してくれていたのだが、それから三ヶ月、意外とかかったなというのがカミーユの所思だった。
 「“マーク2”はあらゆるモビルスーツの過去の資産を放棄するところから始まったっていうからな。OSもほぼ独自のものだったらしい」
 カミーユの腹の中を見透かしたようなタイミングでアストナージが遅れた理由を教えてくれた。
 「そもそも奪取した機体を、色を塗り替えただけで使おうってエゥーゴの方が無茶なんだから、仕方がないでしょ?」
 理屈では解っていたから、その通りに言ってみせた。実際、ブライトやクワトロが狙ったとおりのガンダム効果があったのかどうかは疑わしいと思っている。サイド4の一件後、サイド総代表と握手を交わしたときに、あのガンダムのパイロットかと驚愕された程度のことだ。あとは、港に社会見学に来たジュニアハイスクールの生徒にお披露目をしたさいに、拍手喝采をもらったくらいのものである。エゥーゴがサイド4の政権に割り込むことが出来たのも、エゥーゴの働きであって“ガンダムマーク2”の働きではあるまい。
 「そんなにごねるなよ。アナハイムだってやってくれているんだ。あの“ネモ”、中身はこの“マーク2”と同じなんだぜ」
 アストナージは親指で背後を指す。つまり“ガンダムマーク2”の正面には、五機のモビルスーツが立っていた。濃い緑色のその風体は、頭部を除けばたしかに“ガンダムマーク2”に酷似していた。“ガンダムマーク2”は、ステレオカメラセンサーにそれぞれ独立した保護シールドがついていて、人の目を連想させるが、“ネモ”と呼ばれるモビルスーツの顔は、スキーのゴーグルをつけた人間のそれを連想させた。辺境守備隊で使っていた、“ジムβ”に近い。
 モビルスーツのコピー生産が、既存OSの解析と一部改良と同じ三ヶ月であったことにカミーユは唖然とした。既に開発段階を脱した量産機のコピーとはいえ、設計図もないところから三ヶ月で生産できるようになったというのは、信じられないことである。それも、ご丁寧に装甲は新デザインに変更されている。
 「ムーバブルフレームが同じってことなんだろうけど、よもや材質はガンダリウムγを使っているってことかな?」
 まさかと思いながら、カミーユはひやかしたが、アストナージは素っ気ないリアクションで肯いた。
 「装甲もな。“マーク2”の補給部品も、既にガンダリウムγだ」
 “ガンダムマーク2”の材質変更にまで着手できているということは、アナハイム・エレクトロニクス社は単純にコピーに成功しただけではなく、その発展にも成功したということである。ムーバブルフレームと呼ばれる内部骨格の材質を変更してまでのコピーに成功したという技術力と組織力に瞠目した。一年戦争前夜、ジオニック社が開発した“ザク2”を、アナハイム・エレクトロニクス社が二ヶ月でコピーしたという関係者のなかで有名な話は、真実はともかく根拠のあることだと解った。

 アナハイムの技術者という単語を意識したとき、“ゼータ”の開発スタッフのひとりだったファ・ユイリィのことを思い出した。あの一件で、彼女の立場を危うくしてしまっているのではないかという心配をしていた。あの時、グラナダ市のティターンズ本部で憲兵の手から逃れたいばかりで主義主張もなくエゥーゴに参加してしまったような気がしてきていた。連邦軍はティターンズに押さえ込まれているから自分の逃げる先はエゥーゴしかないが、アナハイム・エレクトロニクスはティターンズに対して圧力をかけることも可能な巨大企業だから、彼女は大丈夫なはずだという思いつきは躬らに向けた逃げ口上だったのではないかと罪悪感がこみ上げてきていたのである。
 『ファ。無事なんだろうか?』
 会って謝らなければならないし、抱きしめたいと思った。彼女の甘い香りを胸一杯に吸い込みたいと思っていた。
 「アンマンに女でも置いてきたのか?」
 アストナージは、焦点の定まらない目になっていたカミーユの鼻をつまんで笑った。
 「それはないでしょう!」
 「そういう表情に見えるが。今度のメール・シュトローム作戦で勝てばこの戦争は終わりだ。すぐに帰れるさ」
 今度のグリプス包囲作戦を、エゥーゴの上層部は“メール・シュトローム作戦”と命名していた。宇宙最大のティターンズの基地をエゥーゴありったけの艦隊で包囲する作戦である。キリマンジャロ攻防戦ではエゥーゴが勝利をおさめはした。その最大の消耗は陸軍であったのだが、宇宙軍までが消耗をすることを嫌忌しての攻城戦である。直接武力で消耗させるよりも、攻城戦にもちこんで自滅に追い込む方が長期戦になろうとも安全だと考えたのである。ジオン公国軍残党のアクシズが動き出しているために長期戦を嫌う参謀もいたが、現状ではアクシズの行動そのものを隠匿せねばならないために却下された。兵糧攻めで済むところを、無駄に攻勢にでなければならない理由を前戦の将兵に説明などできないのである。
 「兵糧攻めにするにしたって、結局はクワトロ大尉の議会占拠をいちばんアテにしているんでしょ」
 また陸軍が頑張ることになって、今度も宇宙軍は恨まれるのではないかといらぬ心配をしはじめていた。もっとも、長期戦ともなれば友軍の損害は通常の開戦よりも甚大になる可能性が高いことも事実である。クワトロの議会制圧はそれの助け船になるということだ。首尾次第ではグリプスで戦闘はしなくてもすむかも知れなかった。
 戦争が終わっても、その時に四肢を失っていたのではその喜びも半減してしまうだろう。ファ・ユイリィの捜索をして見つけ出しても、彼女を抱きしめることが出来ないのでは意味がないと思えた。
 もっとも、それを彼女が望んでいるのか否かは推し測りようもなかったが。
 また陰気な表情をしはじめていたカミーユの鼻を再びアストナージはつまむと、やにさがった。
 「そんなに、不景気な貌をするなよ。“銀蝿”が入ったんだ。“ネモ”の点検が済んだらやるからさ」
 相変わらずの無精ヒゲの頬を躬ら叩き、そしてウインクしてみせた。
 そして、“ガンダムマーク2”のコックピットから飛び出して無重力のモビルスーツドックを泳ぐと、一度振り返って掌を振った。



 パプテマス・シロッコは悪夢に目を覚まし、そこがモビルスーツ“ジ・O”のコックピットであることに少し驚いていた。
 思案を巡らせているうち、眠ってしまっていたようだ。
 “ジ・O”は、シロッコが地球圏での運用を考えて設計、開発、建造したモビルスーツである。木星から帰ってくるすがらに“ジュピトリス”のドックで建造をしていたものだ。地球圏帰還とともに、アナハイム・エレクトロニクスのフォン・ブラウン工場に最終調整に預けていたものを、グリプスへの出動を機に引き取ってきたのだ。
 現在の“メッサーラ”はもともと木星圏での運用が前提であり、木星の引力を考慮して推進エンジンが大出力のモノとなってしまった。伴って機体サイズも大型化し、地球圏においてはモビルアーマーのカテゴリーになってしまっていた。モビルアーマーはとくに燃料面などでその運用を著しく限定されてしまうことが多いため、シロッコは次の機体を用意する必要にかられていたのである。もちろん軍で供給されるモビルスーツでもことは足りるのであるが、そこはシロッコの拘りでもある。成り行きで軍人になってしまってはいるが、そうならなければ自分はロボット工学のエンジニアになっていたと思う。結局“メッサーラ”はマニピュレータをつけるだけにとどまり、重力下では歩行もおぼつかないロボットになってしまったが、“ジ・O”は“ジュピトリス”の多くのエンジニア達の協力を得てロボットとして他のモビルスーツと遜色がないまでになっている。兵器としてのポテンシャルにも自信があった。

 シロッコは、悪夢を振り払おうと頭を何度もふった。
 “ジ・O”にはバイオセンサーが搭載されている。一年戦争のおりにジオンがフラナガン機関に開発させていたサイコ・コミュニケーターの心臓部とおなじ機能のものである。人間の思念を察知し、モビルスーツの操縦の補助をしようというものだ。従来の四肢だけを用いるよりも反応速度を速めようという試みである。
 このバイオセンサーの開発を行っていたのはシロッコの養父である。サイコ・コミュニケーターの開発競争でフラナガン機関に敗北した彼は、“ジュピトリス”に半ば密航するように乗船し、そこで独自に研究を続けていた。往復の岐路に、その研究が完成したのを確認するかのように他界してしまったが、シロッコはそれを建造中だった“ジ・O”に搭載したのだ。
 『こんなところで寝てしまえば、嫌な夢も見るか』
 バイオセンサーが思惟を読み取るというシステムだということよりも、その近くにいることで悪夢を見てしまったのかも知れなかった。
 シロッコは、尊敬する養父の遺品である研究資料のなかに信じたくない自分の出生の秘密を見つけてしまっていたのである。
 人間には様々な嫌悪対象が存在する。
 ある種の生物、汚れ、癖、そして人間や自分自身。
 吐き気のようなモノを感じたシロッコは、コックピットから出た。

 「ここにおられましたか。三十分後に、スイングバイの体制にはいります。そろそろブリッジにあがって下さい」
 コックピットを出たところでサラ・ザビアロフ准尉と鉢合わせた。
 何回も艦内放送をしたのだと腕を組み、芝居じみたあきれ顔をした。
 「バスク・オム大佐ご自慢のグリプスに向かわなければならないものな」
 「ティターンズ艦艇の大半に集結命令が下っているのです。司令官がこんなことでは、無事につくことも出来ませんよ」
 無重力ブロックであるドックでふわふわと浮きながらすごんでみせても、迫力に欠ける。まして相手が部下である以前に少女では、彼女がどのようなつもりでも震えあがるようなことにはならない。
 サラの笑顔をまぶしいと思いつつも、更に輝きをますためにはカミーユ・ビダン少尉をいかにしてこちらに取り込むべきかということを考えなければならない、とシロッコは次のことを考えていた。
 「少しばかりいじっておきたかったからな。スイングバイには、艦長がいれば……」
 と言いかけたら、本気でサラが怒りそうになったので、反省していると慌てて頭を下げた。
 軍から艦を預かる指揮官たる者が、モビルスーツの調整をしているなどというのは前代未聞である。たしかに“メッサーラ”もメンテナンスをする手を選びはするが、それにしてもシロッコの所業は指揮官のそれとはかけ離れすぎている。
 「このモビルスーツは、グリプスでコンペに出されるつもりなのですか?」
 これまでに、軍のモビルスーツの採用コンペティションに個人の出展はない。だからとはいえ、サラはシロッコをからかっているつもりではなかった。軍人でいることよりも、彼の夢のとおりエンジニアであればいいと本気で思っているサラは、競技設計に名乗りを上げればいいと思う。そうであれば、自分と全く接点の無くなったシロッコと出会うことはなかっただろうというのは淋しい認識ではあるが、彼の幸せは軍事作戦のなかにはないと思う。
 「よい提案だが、こいつを量産するにはいささかオリジナルパーツが多すぎるということだな」
 “メッサーラ”もそうなのだが、規格の部品をもちいらないということは信頼度の低下を招く。事実、“メッサーラ”が戦闘において遜色のない戦果をあげようとも、そのメンテナンス性の低さから、軍工廠では修理部品の生産までしか受け入れてはくれなかった。アナハイム・エレクトロニクス社もライセンス生産に難色を示した。
 サラは、“ジ・O”の黄土色でズングリとした岩の固まりのような姿を見て、もったいないと思う。
 見ているだけでその性能や力強さが伝わってくるという比喩を言葉にすれば、反って、とくに技術者からは不信感を買うであろう。しかし、部品面でのハンディキャップを補ってあまりあるものがこの“ジ・O”にはあるとサラは直感していた。それを他人に伝えるだけの言葉を持たない自分に苛立ちも感じていた。

 “敵艦を補足しました。司令官殿、ブリッジにあがってください!”
 「このタイミングでか?」
 “ドゴス・ギア”を無傷のままでグリプスにつきたかったが、このまま敵が見逃してくれる可能性は低いだろうとシロッコには思えた。こちらの航路からグリプスに向かうことは明白なはずだ。敵艦とて、グリプスに向かうに違いあるまい。



 “アーガマ”のブリッジでは、ブライトが愕然としていた。
 ちょうどクワトロを地球に降下させるタイミングで、ティターンズの“ドゴス・ギア”と接触することになるというのだ。
 「接触時間はおよそ五分。こちらが減速すれば、追い抜くむこうとの接触時間は短くなりますが」
 『そんなことが出来るわけがない』
 ブライトは思わずデッキコンダクターに怒鳴りつけるところだった。減速してスイングバイを半ば以上無効にすることは問題ではない。グリプスに到着するのが二〜三日遅れたところで、長期を想定したメール・シュトローム作戦の推移に影響を与えることはあるまい。しかし、クワトロを地球に降ろすタイミングを違えれば、ダカールの連邦議会に間に合わない。時間どおりに彼をダカールに降下させることは、万難を排してでも完遂しなければならないことだった。
 発進座標、艦の質量、到着目標時間。様々な要素が絡み合って宇宙艦船のスイングバイ航路は変わってしまうのに、何故このタイミングで敵艦と接触するはめになるのか、ブライトは自分の運の悪さに発狂したい気分になった。
 「接触まであと二分!」
 デッキコンダクターが叫んだことで、ブライトの腹は決まった。
 「モビルスーツ全機緊急発進。クワトロ大尉のシャトルを全力で護衛しろ。エマ中尉とフォーティー少尉部隊のモビルスーツには大気圏突入用の装備をさせろ。地球まで大尉を間違いなく送り届けるんだ!」

 接触まで一分を切ったところで、小型宇宙艇が敵艦から地球に降下するらしいという情報が傍受できた。
 その情報だけで、シロッコにはダカールの連邦会議が近いことが連想できてしまっていた。
 『“アーガマ”という艦ならば、シャア・アズナブルが乗っていたはずだ』
 一年戦争での僅か一戦で五隻の軍艦を沈めたことで、シップスエースになったというモビルスーツパイロットとしてのスコアばかりが先行する。しかし、それよりも彼がジオン・ズム・ダイクンの子であることは、ジオン公国の事情に詳しいものなら誰もが知っていることだ。その男が、議会員の資格もないのにダカール議会のタイミングに合わせて地球に降下する、おのずとその目的は解るのである。多くの軍艦が集結するであろう今回のグリプス中域で、一隻くらいの敵艦を見逃したところで大勢に影響はない。しかし、シャア・アズナブルをこのタイミングで地球に降ろすわけにはいかない。キリマンジャロ攻防戦の敗北、その追及を避けるためにジャミトフ閣下は今回の議会出席を保留した。そのタイミングで、議会を占拠されるわけにはいかない。
 シロッコは、艦長にモビルスーツを発進させ、“アーガマ”ではなく宇宙艇への攻撃を主に行うように指示をした。自分はサラ・ザビアロフ准尉と“メッサーラ”で出撃し、独自の行動で宇宙艇を攻撃するとも伝える。どのみち、モビルアーマーである“メッサーラ”では、他のモビルスーツと編隊行動など出来るわけがないからだ。
 できるだけ多くの戦力を放出し、シャア・アズナブルの野望を阻止せねばならない。シロッコは、ここで散ったとしてもジャミトフ閣下への恩義をかえすことが出来ると踏んでいた。

 出撃して敵があの“メッサーラ”であると解ったカミーユは、慄然とした。
 それも、あの時と同じように二機での編隊である。
 『あのときのモビルアーマーじゃないか』
 グラナダで“ガンダムマーク2”を奪取したさいに遭遇した時、武装していなかったとはいえ逃げることしかできなかった状況を思い出して身震いした。士官学校でも大部隊でないいじょうは逃げることに専念しろと教えられた対モビルアーマー戦である。アーガマのモビルスーツ隊はクワトロの宇宙艇の護衛とで二手に分かれてしまっている。敵を迎撃する隊が、自分を入れて六機を大部隊の範疇に入れられるのかどうかということを考えてしまうほどに混乱しかけた。
 “あと五秒で再接触。カミーユ気合いを入れろ!”
 気後れしているカミーユを叱咤して、アポリーは攻撃の指示をした。
 猪突してくるモビルアーマーに対して、モビルスーツの射程では狙撃をするのは不可能である。こちらのメガ粒子がとどく距離になった時にはこちらと衝突している時だからだ。盲目滅法に弾幕を張りつつ、回避運動をとるしかない。とりもらして母艦に近づけてはしまうが、そこは射程の長い強力な艦砲に頼るしかないのである。あとは、敵パイロットが間抜けなことを祈るだけだ。対モビルスーツのセオリー中のセオリーは、母艦からつかずはなれずの距離を保ちつつ一機も後ろに逃さないようにして、とり洩らしを艦砲で潰すという戦法になる。しかし、モビルアーマーと対峙した場合、モビルスーツの数機を犠牲にして袋叩きにするかこのように軍艦とのコンビネーションで迎撃をするしかないのが、ポテンシャルの違いなのである。
 更には、今回は以前のように市街戦ではない。モビルアーマーの性能を充分に発揮できる状況である。それが二機の上に、その後方に六機のモビルスーツを“アーガマ”のレーダーが補足したと連絡が入った。
 「とても無理です!」
 敵の展開状況の連絡をアポリーから受けたとき、高出力のメガ粒子砲が“ガンダムマーク2”の横を掠めた。刹那にそれを放った紫色の“メッサーラ”もすり抜けてゆく。弾幕なぞものともしない素振りだ。
 後方を確認すると、“アーガマ”のハリネズミのような砲撃をかわしつつ、クワトロの宇宙艇の方に転進した。
 「大尉の方にもビルアーマーが!」
 “後ろは気にするな!”
 カミーユの散漫な注意力をアポリーが叱責する。まだ、前方にも敵がいるのだ!
 刹那、巨大なメガ粒子の奔流が“ガンダムマーク2”の左脚部を破壊し、大きく後方に弾き飛ばしていた。

 「今のは“マーク2”だったな?」
 シロッコは、自身確認するように口の中で言った。
 そして、そのパイロットがカミーユ・ビダン少尉ではないのかと半ば洞察できていた。“ガンダムマーク2”を強奪したのがカミーユ・ビダンでも、そのまま彼がそれに搭乗するなどという保証はどこにもない。それでも、この状況と“アーガマ”、“ガンダムマーク2”、そして自分達がここにいることから導き出される答えはそこに行き着くのである。自分でも合理性も整合性もないひらめきだと思うが、そう思えてしまったのだ。サラとカミーユの二人が戦場で出会うことは、悲劇を招く。
 焦燥感がシロッコを襲った。
 「サラっ。そいつは少尉だ!」
 シロッコが慌てて叫んだのは、サラがトリガーを引いてしまう直前だった。

 分厚い兵器の装甲を隔てていても、シロッコと同じようにお互いを認識できてしまったパイロットが他に二人いた。
 カミーユとサラである。
 敵の艦が“ドゴス・ギア”だからその発信地点が月面のフォン・ブラウン市だと判ったところで、そこから発進したモビルアーマーのパイロットがサラ・ザビアロフだという確証などあるわけがない。以前“アーガマ”に接触してきたときでも、フォン・ブラウンの部隊から来たのではないか、とこちらで勝手に決めつけていただけである。自機の脚部を吹き飛ばし、その猪突するモビルアーマーになんとかしがみついたカミーユは、すさまじい加重に失神しながらもそうわかってしまう自分が理解できなかった。
 “ガンダムマーク2”が自機の背部に取り付いたときに開かれた接触回線が開いた。それにより敵のパイロットの息遣いが耳朶を討った瞬間、サラはカミーユの存在を確信した。メガ粒子砲のトリガーを引きかけた瞬間に漠然としたイメージが飛び込んできて、まさかと思ってはいたがシロッコからの忠告がとどき、次には認めていた。シロッコの制止がなかったらコックピットを貫いていたかもしれないと思い、次にカミーユを殺めなかった安堵は軍人として失格だという思いに突き当たった。
 “サラ・ザビアロフ曹長だな?”
 「カミーユ・ビダンだとしても、惑わされるものか。ティターンズの志の前には!」
 サラは雑念を振り払うように強く首を振る。“メッサーラ”のたたまれているマニピュレータをのばすと、“ガンダムマーク2”を捕らえようとした。
 “サラなら戦いたくない。撤退してくれ”
 「少尉でも、敵だ!」
 カミーユの悲鳴に怯みつつも、血を吐く思いでサラは叫んだ。
 迫ってきた“メッサーラ”のマニピュレータから逃れるためにカミーユは機体を飛翔させた。
 「なんでサラなんだ!」
 戦争が凄惨になったのは、敵の顔が見えなくなったからだということを聞いたことがあるが、納得できた。見知った顔を目前にトリガーを引くために使う精神的エネルギーは莫大なものだった。士官学校でなにを訓練してきたのだと自嘲する余裕も生まれない。鼓動が高鳴り、心臓が胸を突き破ってしまいそうだった。サラの“メッサーラ”がはなれてゆくのを見て、そのまま折り返してこないでくれと祈っていた。

 理想の実現のためにこそ、二人が戦ってはならない。
 焦燥に奥歯を噛み締めながらシロッコは叫んだ!
 「サラ・ザビアロフ准尉は撤退しろ!」
 過敏になりすぎた為、二人とも興奮状態になっている。このままでは不本意な殺し合いをするだけだとシロッコは読んだ。
 理解しきれない、不可解だが不快ではないこの感覚をカミーユもサラも感じているのは間違いないようにみえた。戦争だからとはいえ、サラとカミーユが争うなどというのはたとえようのない悲劇だ。戦場での二人の邂逅は避けねばならない。

 「あと三分もてばいいんだ!」
 カミーユは、サラの“メッサーラ”が戻ってこないことを前提に叫んだ。
 敵はモビルアーマーだけではない。後方の敵モビルスーツ隊が迫っている。サラのその後方には旗艦の“ドゴス・ギア”がいる。アーガマ隊が迎え撃つには大きな敵だが、三分だけ持ちこたえればいいのである。
 自機の“ガンダムマーク2”は被弾した常態ではあるが、自分がモビルアーマーを引きつけることをアポリーに告げた。撃退する必要はない。一機のモビルスーツでモビルアーマーなど退けることなど出来るわけがない。モビルアーマーにもモビルスーツほどではないまでも、稼働時間の限界というものがあるのである。基地から離れた地点で運用されるいじょうは、母艦から遠く離れるわけにはいかないのだ。それが付け入るところだとカミーユはふんでいた。逃げ切るだけでいいのだ。時間が来れば、敵は見逃してくれる。


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