Chapter10 『グリプス』


 シロッコは、血を吐くような思いだった。事態というのは、常にままならない。連邦政府は腐敗し、地球は疲弊し、バスクは先走り、カミーユ・ビダンは敵にいる。そして自分の出自は変えられずに永遠に呪われたままだ。この上、無駄にサイド4の民を死なせてしまった。
 「貴様とて、サイド4の悲鳴が聞こえただろう!」
 それは、カミーユに対する詰問というよりもシロッコの悲鳴であった。
 カミーユがサラを受け入れさえすれば、きちがいじみたバスク・オムや夢想家のシャア・アズナブルを退けてとっくに戦争は終結していたはずなのだ。悲劇が広がるのが半ばはカミーユの所為でもあると確信していた。

 カミーユ・ビダンがパプテマス大尉をこまらせるなら、部下である自分は全力でこれを排除しなくてはならない。
 スイングバイの接触で撃ち損じたときに抱いた安堵を、サラは猛省していた。知人であれ、敵ならば殺すべきときに殺す。それが軍人というものだ。有史いらい、軍人はそうすることで共同体、国家の維持運営の礎になってきたのだから。カミーユのように、優しさだけでこの世界を維持できるはずだと勘違いしている青年を排除せねば、人類はこの先ずっと甘い毒を飲まされつづけて緩やかに死にむかうだけだ。
 どうしてこんなに戦えるのに、カミーユはエゥーゴにいるのか。
 ティターンズにいて、パプテマス大尉とともにいれば、こうなってしまった地球だって救えたのかも知れないのに。
 「少尉がエゥーゴにいたら、大尉も地球も死ぬ!」

 サラのその絶叫は“メッサーラ”の分厚い装甲を突き抜け、宇宙空間に四散する。
 刹那、それを捕らえてしまっていたことにカミーユは驚愕していた。周波数のあっていない無線でサラの声が聞こえてくるはずもない。それでも、サラ・ザビアロフの姿までが見えていた。生身の姿を見せることで敵パイロットを動揺させるティターンズの新兵器かといっしゅん疑ったが、そうではないとそれもすぐに否定できてしまっていた。声が脳髄に直接響く感覚は一度経験がある。スイングバイの時、シロッコに感じたものといっしょだ。
 同じように、サラもカミーユの姿を捕らえてしまっていた。須臾の困惑はあるが、カミーユに声を届けたけたいのだからこういうこともあるのだと、妙に納得できてしまっていた。
 カミーユも叫びかえしていた。
 「非道のティターンズに、今や大義があるのか。エゥーゴはティターンズをとめるためにあるんだ」
 「それが解っていないというのよ。ただ、その場の成り行きでエゥーゴに在籍し、すり込みの一方的な情報だけを信じて思考停止しているのは、滑稽なことだわ」
 そのサラの言葉は、カミーユには辛辣だ。だから、まるで子供のようにぐずるしかできなかった。
 「それが、いけないってのか。理由があれば、民間人虐殺が許されるとでもいうのかよっ!」
 「人は、実力や地位に比例した責任を負わなくてはいけないのよ。こんなに戦えるのに、少尉はそれにみあった志を持たないの?」
 「君がシロッコやジャミトフのために戦うのは、そのためだって言うのか?」
 否定的な訊き方をしたが、それでもカミーユにはサラが傀儡にされているようには見えなかった。そのけなげさを不憫だと思うのはひどく失礼なことだと思えるし、自分こそが哀れにも思えた。
 「世界は、優しさだけではできていないわ。少尉のような人は、人の業につぶされるって解るのよ」
 「じゃあ、何故、僕は君をこうして感じられるんだ!」
 こうして敵と精神の共鳴があっても、何も生み出されはしない。親兄弟や恋人ですら、こうも理解をすることはできないだろう。他人と形容すべきサラ・ザビアロフをこうも近くに感じることができるのは、人同士の関係としては素晴らしいことだ。なのにどうして敵として出会ってしまったのか!
 「未来には変わるわ。でも十年前から今も、地球にいる人間はニュータイプを兵器のようにしか理解できないのよ」
 サラは、今カミーユが感じている動揺を既に感じて克服していた。
 そのいかにも軍人らしい割り切り方に、カミーユは絶望を感じた。今、二人で見ている世界はいつか人類も見ることのできる世界だ。それは間違いがない。でも、カミーユはそれを今手に入れられるはずだと信じ、サラは遠い未来だと見限ってしまっている。
 「君だって、ニュータイプだろうに」
 「たとえニュータイプでも、今は私たちのようにしか出会えないのよ。貴方がティターンズにさえいてくれれば。いえ、“ガンダム”を強奪さえしなければ……」
 「……サラ」

 「准尉! ここは戦場だ!」

 それは、カミーユとサラの掌が触れあう直前だった。
 モビルスーツに搭乗していても、カミーユにもサラにもそのように感じられたその刹那、パプテマス・シロッコの思念が二人の間に割り込んだ。
 二人の意志は磁石のように離れ、現実に引き戻された。

 シロッコは、今の自分の行動を理解しきれず絶叫した。
 サラとカミーユ・ビダンが手を取り合うことは自分こそ望んでいたはずだ。カミーユをこちらに取り込む好機を躬ら握りつぶしてしまったことに、シロッコは愕然とした。
 そこに隙ができ、現実に引き戻されていたカミーユがそれを見逃すはずもなかった。
 カミーユがビームライフルの照準をシロッコの“メッサーラ”に合わせた時には、シロッコもそれに気付き、そして観念してしまっていた。

 「大尉!」
 サラの大喊。

 カミーユの放ったメガ粒子は、シロッコをかばったサラの“メッサーラ”のコックピットを貫通していた。
 “メッサーラ”のコックピットの位置が確定できているわけでもないのに、躬らの放ったメガ粒子がサラの肢体を焼いてしまったことがカミーユには判った。そして、メガ粒子の高熱によって一瞬で蒸発してしまったはずの聞こえるはずのないサラの悲鳴がカミーユの耳朶をうった。
 「サラ!」
 カミーユの絶叫は、まるで宇宙に響き渡るようだった。

 シロッコにはサラの最期の声が聞こえてしまっていた。それは、シロッコを発狂させるのに充分な声だった。サラは、死ぬその瞬間まで自分のことだけを案じてくれていた。自分の夢を実現するためになら礎になることなど些細なことだと。
 「私をかばったのですか。戦場では、臣下が主君を庇うものだというのに」
 シロッコは、絶叫でまさに咽をつぶしそうだった。
 ティターンズでは、たしかに自分はサラの上官であった。しかし、彼女が意識してはいなくとも自分は忠実な家臣でいたつもりだ。ジャミトフ閣下と自分が新たな秩序を構築した後、その砂漠のようになりはてる直前のこの世界を導くのはサラ・ザビアロフだったはずなのに。なぜ下僕の身を案じ盾になってしまったのか。夢の為であれば、彼女こそが生き残るべきだったというのに。
 シロッコは、“ガンダムマーク2”を睥睨した。

 「なぜ、君はそんなになっても笑っていられるんだ」
 カミーユの自己への呵責は、サラへの理不尽な詰問になっていた。
 「人は報われる為に生きていても、報われないことの方が圧倒的に多いのよ。だから、この身は滅びても本懐の達成ができることは名誉だわ。これで私は、パプテマス様とずっといっしょにいられる。カミーユになら、解ることでしょう」
 サラからの恨み言はなにひとつありはしなかった。
 後悔がないと言えば、それは嘘になる。でも、時として、命よりも大切なものがある。易々と捨てられるのが命ではない。だからこそ、この一瞬にこそ命をかけられたことは女として誇りだと言うのだ。
 フルフェイスのヘルメットのなかを溺れそうなほどに涙でいっぱいにしながら、カミーユは、死んでしまったらおしまいだという安っぽい言葉を飲み込んでいた。サラが笑顔であるが故に心が痛かった。
 「解るなんて言えるもんか。僕は、君を殺してしまったんだ」
 「しっかりなさい、カミーユ・ビダン少尉。これは戦争なのよ。そして、私達は軍人なんだから」
 「ああ、そうだな。君ともこうして解り合えたんだから、少しずつ人は変わってゆくんだと、信じられるよ」
 しかし、それきりサラの声はカミーユに聞こえてはこなかった。
 そうだ、彼女はカミーユいじょうに語りかけなくてはいけない人がいる。
 そのことにこそ忙しいのだ。

 刹那、
 “ガンダムマーク2”の機体が大きくひしゃげ、脳が耳からでてきそうな振動がおそう。
 次には機体の右腕がもぎ取られていた。
 “少尉。お前は女帝殺しの大罪人だ。なぜサラ様の気持ちに気付いてさし上げられなかったのか!”
 “ガンダムマーク2”はシロッコの“メッサーラ”の太いかいなに捕らえられていた。巨大な“メッサーラ”に、“ガンダムマーク2”はまるで子供に弄ばれるおもちゃのようにされてしまっていた。
 開いた接触回線から、シロッコの怨嗟が聞こえてくる。既に我を失っている者の声だった。
 「やめるんだ、シロッコ。サラの声が聞こえなかったのか!」
 なぜ解らないんだ。お前の近くにサラがいるのだとなぜ気付くことができない。お前こそニュータイプだろうに!
 カミーユの涙は既にかれていた。
 “ガンダムマーク2”は、既にただの金属のかたまりと化しており、機能の大半が死んでいた。
 “ガンダムマーク2”の頭部はもげ、両脚はちぎれ飛び、既にモビルスーツの体裁をなしてはいなかった。
 しかし、怒りにまかせるだけのシロッコの“メッサーラ”の操作は実に稚拙になっており、カミーユはそこに活路を見いだした。
 かろうじて稼働する“ガンダムマーク2”の左腕を操り、“メッサーラ”のコックピットを殴り砕いたのである。
 “ガンダムマーク2”のすべてのシステムはそれを最後に止まってしまった。コックピットハッチがだらしなく開いてしまい、カミーユはそこから宇宙空間に放り出されてしまう。
 シロッコの“メッサーラ”も途端に動きを止めた。今の一撃で死んでしまったのかも知れない。
 しかし、その予想は裏切られた。“ガンダムマーク2”に殴り砕かれた装甲の裂け目から、ティターンズの黒いノーマルスーツが飛び出したのである。だが、それは異様な様だった。ノーマルスーツのヘルメットシールドは既に粉々に砕けていたのである。素肌が宇宙空間に晒され、シロッコの鬼のような形相が判った。普通なら死んでいるはずだった。
 素手で襲いかかってくるそのパプテマス・シロッコであろうノーマルスーツにカミーユは拳銃を撃つ。しかし、いっこうに相手は怯むそぶりもなかった。間違いなく腕なり胴なりに着弾しているはずだ。
 ついに恐怖心が勝り、カミーユは拳銃を投げつけていた。反作用で回転をはじめてしまった体勢を立て直すことができず、カミーユは恐怖の上に焦燥を重ねる。その回る視界のなかで、拳銃を顔面に受けたシロッコがもんどりうって遠ざかってゆくのは見えた。お互いに無重力空間で完璧に姿勢を制御する術をもっていないことがカミーユの危機を救った。

 第一の危機は脱したが、このまま漂流者になれば間違いなく数時間後には酸欠で死ぬことになるだろう。救助信号は出続けてはいるが、この広い宇宙空間で、しかも戦場で拾ってもらえる可能性は極めて低いことをカミーユは知っていた。サイド7の宙域だとはいえ、未だ戦闘は続いている。流れ弾に当たることだって考えられるのだ。拾われても、それがティターンズだったら死ぬよりもつらい拷問が待ち受けている。国際法で禁止されていようとも、戦争が始まってからの敵味方の感情を無力な敵兵の前で押さえきることは難しいことだ。
 遠くの爆発音を背景に自分の呼吸音を聞いていると、どんどんネガティブな方へ思考が向かっていくのでカミーユは失笑した。
 それでも宇宙軍の訓練の賜だろう、その恐怖心はしだいにうすれていきカミーユはサラのことを考えるのもやめようと思った。ゆっくりと眠りにはいろう。そうすることが酸素の消費を小さくする最善の手段だ。
 「シロッコよりも先に君のもとへ行くことになっても、許してくれ。サラ……」
 そう呟くと、カミーユはゆっくりと目を閉じた。


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