一話 『地球圏帰還』


 宇宙世紀。
 地球で増えすぎた人類が、月と宇宙に進出しはじめて半世紀が経過していた。
 月と地球の重力安定空域の五つを核に、サイドと名づけられたスペースコロニー群の七つが設置され、多くの人間がスペースノイドと称され、そこで暮らすことを当然のこととしていた。
 かつての民族問題を考慮し緻密な計画の上に組み合わされたコロニー移住計画では大きな波風を立てることはなかったが、次に新たな民族問題がおこり始めることになった。それは、地球圏すべての国家を統括する地球連邦政府の方針が特権階級として地球で暮らしているアースノイド拠りでありすぎた、ということでもあった。
 そして半世紀を過ぎると、地球を宗主国家、宇宙国家を植民国家という図式としてしだいに揺るぎないものとなっていくことになる。
 各サイド、月面都市とそして地球という新たに生み出された民族意識は衝突を繰り返すこととなった。当初はそれも小さな政治運動やデモンストレーションでしかなかった。しかし、宇宙世紀七十九年、サイド3は国名ムンゾをジオン公国と改め、連邦政府からの独立を掲げて武力行使に訴えた。
 一年にも及んだ戦争は、地球圏総人口の半数を失うという甚大な戦災を残して終結した。
 それは、サイド3独立の失敗でもあった。
 戦争終了時の講和を待たずに、ジオン公国軍は部隊ごとに離合集散を繰り返して地球圏の内外に潜伏しはじめた。
 ジオン公国の政治的要人のほとんどが軍人であったことに、連邦政府は焦燥した。残党として潜伏してしまって投降してこないため、講和条約を締結することができなかったからである。ジオン公国を降伏させたとはいえ、連邦軍に戦争続行能力はほぼ皆無であったため、速やかに講和を結ぶ必要があった。残党軍や市民レジスタンスを非合法化する必要があったのである。
 そこで、公国側に連邦の高官を送り込むことでジオン共和国とし、講和を結ぶという苦肉の策がとられた。このことでジオン共和国の国民感情を逆撫ですることにはなったが、些細なトラブルですんだ。しかし、結局のところ各地に潜伏する血気盛んなジオン公国軍残党の感情を刺激することになる。
 「降伏したのは共和国であり、われら公国軍のこれからの反抗は戦時国際法に触れることにはならない」
 共和国は主ではないと彼ら自身が言ってしまったいじょう、国家という主を持たない非合法武力集団ということになってしまい、活動内容如何ではテロルだともくされることになってしまった。
 ジオン公国軍残党の最大派閥は、アステロイドベルトにある小惑星に潜伏していた。火星と木星の間に公転軌道があり、その距離のために地球連邦政府の監視がゆきとどかず、ほかの残党とはケタ違いの規模に成長していた。その求心力がミネバ・ラオ・ザビであるということも、組織の巨大化の要因である。ジオン公国公王の次男の忘れ形見で幼女であるとはいえ、ザビ家唯一の生き残りというネームバリューは大きなものだった。
 連邦内では、この残党名を彼女の名前からミネバ党とよんだ。
 彼ら自身は、小惑星の名からアクシズ党と名乗っていた。



 戦争がこの世界からなくなることなどない。
 やむを得ざる時の戦いは正しく、武器のほかに希望を絶たれる時の武器もまた神聖なのである。
 そんなふうに悲観的になっている自分に失笑もするが、十四年という短い人生でもそこからの経験からはそうとしか思えなかった。
 戦争が悪意においてのみ始まるものであれば何世紀かさきにおいてなくなることもあるかもしれないが、おおよそ戦争というのは善意においておこるものだ。
 『地球で人口が膨れ上がり、そのキャパシティー拡大のために宇宙に飛び出したが、人類があり続けるいじょう、このさきやることは変わらないだろう』
 ジュドー・アーシタ曹長がこう考えるのには、政治運動にかかわって死んだ両親のことが大きく関係していた。
 ジュドーが暮らす小惑星アクシズは、ジオン独立戦争の終結とともに人口が爆発的に増えた。もともとジオンの鉱山基地のひとつとして機能していたのだが、敗走したジオン兵やその家族が押し寄せてきたのである。ジュドーが七歳のころから二年ほどにかけてのことである。人口は三万人に及び人間の集中はさまざまな軋轢を生んだ。それは政界においてもであるし、つまりは市井においてでもある。
 ジュドーの一家のように以前からアクシズに居た者たちを本省人、後に来た者は外省人とよばれた。市井では生活習慣の違いや、後にできた巨大居住区の入居件の問題などで衝突し、言うまでもなく行政面でもそれぞれの派閥で熾烈な争いが起こった。アクシズ党の党首代行であるマハラジャ・カーン従三位大将は、外省人弱小派閥であるダイクン派に本省人派閥の四つを取り込ませ、ほかのギレン派、キリシア派と鼎立させることで均衡を保つことに成功する。この時のアクシズがどうにか分裂しないでいられたのはマハラジャ提督の統制力の賜物であろう。
 しかし、彼の死が、安定しかけたアクシズ党に分裂の危機を招くことになった。
 事態収拾のために、ダイクン派の一人であるシャア・アズナブル大佐の発案で、マハラジャ・カーンの十六歳になる次女ハマーンを従一位に叙位させ、ミネバ・ラオ・ザビの摂政とすることとなった。シャアみずからは従三位を勅授し、その補佐官に就任する。
 ダイクン派の人間が、キシリア派であるカーン家の少女を頂に据える。若輩の皇女と摂政を各派閥で盛り立てるという構図を作り出すという苦肉の策で乗り切ったのである。しかし、ハマーン・カーンはその容貌と違い、単なるお飾りに収まっていなかった。ついにシャア・アズナブルとの軋轢が表面化し、身の危険を察知したシャアが地球件偵察を名目にアクシズから離脱することになってしまう。
 シャアの不在はダイクン派の弱体化に繋がり、アクシズ党鼎立体制の瓦解にもつながった。
 ハマーンは、ギレン派とキシリア派の衝突を御するという難題を解決するため、アクシズ地球圏帰還政策を打ち出す。小惑星アクシズに取り付けられていた熱核ロケットエンジンを大幅拡張し、小惑星ごと地球圏に移動しようという破天荒なものだった。また、この政策に戦争が伴うであろうことは容易に予想ができることであり、つまりは地球連邦という外敵をつくることで内部の軋轢を縮小しようと目論んだのである。
 そして、手始めに行われたのがダイクン派とそれに追随する本省人派閥の粛清である。
 かねてより、ダイクン派は地球圏への帰還にたいして慎重的だった。アクシズ党の意見統一のためにも、共通の敵を作るという意味でもダイクン派はスケープゴートにされたということだ。
 その粛清対象の中に、当時十歳になったばかりのジュドー・アーシタの両親も含まれていた。



 連邦政府の代議士を宇宙戦艦まで送りつけるなどというのは、実に退屈な任務だ。しかし、別に課せられている定期任務のことを思えば、こちらの方が軍人らしいとジュドー・アーシタ曹長は思っていた。スペースランチの操縦を自動に切り替えると、後部ベンチシートに腰掛けたクワトロ・バジーナというサングラスの青年をバックミラーで見やる。
 連邦政府のエゥーゴとよばれる派閥の政治家だという。混じりっけのないブロンドは軽くウェーブがかかっていた。白いスーツは問題ないが、サングラスといういでたちは身分に相応しくないとも思っていた。クワトロの前に立っている警護の一人が栗毛色のショートカットの女性だというのは、ちょっと気になった。妹のリィナの十年後はあんなイメージかなと思ったし、クワトロの左右にゆったりと坐っているほかの屈強な二人と比べてアンバランスだったからである。
 もっと珍妙なのは、クワトロの横にいるどこにでもいそうな小学生ほどの少女である。クワトロに寄り添うように坐っている彼女は、キャップをふかめにかぶっていた。なぜここにいるのだろう。物見遊山で娘をつれてきたとは思えなかった。アクシズが地球圏に近づき始めているとはいえ、旅行と言えるほど近い場所ではない。高速艦でもまだ三日はかかる距離である。まして、いわゆる敵地にのりこむというのに子供を連れてくるほどの非常識でもあるまい。
 簡単な洞察から見つけ出した奇異に心安さを感じてしまって、ジュドーは思わず話しかけていた。アクシズ以外の人間が珍しかったということもある。いまや完全にアクシズの住人となってしまった外省人を八年前に見た時いらいなのである。
 「アクシズをサイド8として連邦体制に列挙、などというのはないのでしょうね」
 隣のコ・パイロットがやめておけと忠告してきたが、去なす。
 「摂政殿こそ、そのようなことは望んでおられないようだ。連邦政府がいちばん望んでいるのはサイド3への編入で、譲歩案としてそのことも伝えてはあるのだがな」
 柔和な返事に警護たちが顔を顰めたがクワトロは忖度せず、なにが最良と思っているのかジュドーに訊いてきた。
 「俺、……私は連邦に組みすることはアクシズではできないと思います。サイド3への編入も不可能でしょう。お互いに軽蔑していますからね」
 アクシズにしてみればサイド3は連邦との抗争を放棄し飼い犬に成り下がったようにしか見えないし、サイド3にしてみればアクシズは戦後復興を放棄したとしか受け止められないということである。また、独立を諦められきれずにアクシズに潜伏したのだから、サイド8などというのもありえない。もっとも、いつの時代も各国の主張がすべて通ってしまうようなことはあるはずがない。お互いに譲歩をすることで外交は推移していくものだが、摂政であるハマーン・カーンはいっさいの譲歩をしないだろう。
 ジュドーにしてみれば、地球圏への帰還そのものが現実的ではないとしか思えなかった。
 このことで両親が殺されてしまったということもあるが、党内ダイクン派や本省人等の主張するように、戦争そのものが目的としか思えない政策だというのは大袈裟ではないと思う。
 サイド3のバンチとして編入されればなおさらそうだし、サイド8になるにしても連邦から独立しているということにはならない。摂政が、国民の悲願はアクシズ・ジオン皇国の建国であると力説して地球圏に向かっているいじょう、連邦政府とはものわかれれに終わるのは明白である。
 つまりは、武力衝突しかないのである。
 ジュドーは、あのままアステロイドの中で暮らしていければそれがいちばんいいと思っていた。木星圏ほどではないが明らかに地球圏よりは資源は豊富だというし、充分に豊かな生活ができるのである。なぜに騒がしいだけの地球圏に行かねばならないのか?
 「本省人としては、故郷が懐かしいかな?」
 妹とそんなことを言い合う日が増えたような気がする、とジュドーはクワトロの言葉に頷いて直後、連邦の人間がアクシズ内の人種カテゴリーを口にしたことに不自然さを感じていた。アクシズのそんなところまで詳しい人間だから、交渉に来たのだろうとは思う。
 「以前、シャア・アズナブルという人がアクシズにいたんだそうです。その方は本省人の代弁者になってくれていたということですが、摂政との軋轢で追放されたとも、脱出したのだとも。……ご存知ですか」
 公国軍のエースパイロットのひとりだという認識はあるが今は聞かない、とクワトロは言い、士官とはいえ軍人が政治に関与すると幸福な死に方はできないものだとも言った。どこかのサイドで農場でもやっている可能性は高いのではないかと言う。コロニーでの農場の経営は連邦政府から直接援助金が出ていて、雇用は連邦軍かスペースコロニー建造公社、脱サラ後の自営は農場、というのが地球圏の就職トレンドなのだそうだ。

 スペースランチが目的の桟橋に着くと、クワトロはシートから立ちあがる。
 「シャア・アズナブルを、恨んではいないのか」
 ハッチから外にでる時に、呟くようにジュドーに訊いた。
 ジュドーは、おかしなことを訊く人だなと思いながらも、言い澱むことなく返事をした。
 「それはありません。誰にでも事情はあるのでしょう」
 これは、たてまえではなく本心であった。
 かつては、恨みがましく思っていたことも確かではある。彼がアクシズから脱出せずにうまく立ち回っていてさえくれれば、両親は死なずにすんだのかもしれないと思ってもいた。しかし、両親はダイクン派のフロントマンとして活動していたのだから、粛清が入るとすれば、むしろ派閥筆頭のシャアよりもさきである可能性の方が高いくらいなのだ。その思想に準じて、両親は自分や妹のためにと東奔西走した。その結果だったのだから、受け入れなくてはならない。粛清を行ったハマーン・カーンを恨むという道理はあっても、シャア・アズナブルを恨むというのは筋が違う。
 「君のような少年がいるのなら、アクシズの未来は開けると思えるな。妹さんを大切に」
 「ハイ。ありがとうございます」
 ジュドーはクワトロのきれいに脇のしまった宇宙軍式敬礼に感心しつつ、毅然と反した。
 軍人が政治家になることは不幸になることだというのは、この若い代議士自身の経験則なのかもしれないと、その敬礼に思った。
 このベイブロックは、無重力ではあるがエアロックをともなった桟橋を持っていて、ジュドーの操るスペースランチも気密ハッチをくぐってきていた。
 だから、見送りの為に桟橋にさきに来ていた摂政のハマーン・カーンとその護衛は、宇宙用気密服を着ることなく黒のブラウスにタイトスカートといういつもの執務スタイルだった。ワイン色の髪の毛は今日も鮮やかだった。彼女の纏う凛とした空気は、政治家としては若輩と言い切れる二十歳という年齢を補って余りあるものである。ジュドーがシャア・アズナブルを恨めないのは、ものの道理もあれば見たことも会ったこともないということがあげられる。逆にハマーン・カーンを恨まないのは、初恋の情のためだろうとは自分でも理解できていた。
 ふいにハマーンはキャップの少女の前でかがみ、母親のような仕種でその掌をとった。その表情は、ジュドーには不思議なもののように見えた。アクシズの誰にでも、不思議に思えるのではないだろうか。
 クワトロ・バジーナとは握手をしないのだなと思いながら、しばしハマーンに見惚れていた。もう少し見ていたいなと思ったが、コ・パイロットに急かされ、ジュドー・アーシタは、スペースランチを転進させることにした。



 軍訓練校においてパイロット特性Aの成績で卒業したジュドーは、モビルスーツ《ザク・ドライ》のパイロットになっていた。
 モビルスーツとよばれる二十メートルの鉄の巨人は、宇宙世紀において今や主要兵器である。人間と同じように四肢があり、その腕の先には五本指の掌があった。このマニピュレータとよばれる掌が人間よろしくライフル、ジャベリン、メイスなどを器用に使い分けた。脚はブーツを履いたようになっており、地を歩くこともできれば一帯を踏み荒らすこともできる。遠目にはまさに重装歩兵である。ただ、その顔は自動車のフロント部分のようになっており、フロントガラスの奥にモノアイという愛称のカメラが月のように光っていた。かつてジオン公国軍によって戦場に初投入された《ザク・ツヴァイ》は、単眼の巨人、サイクロプスだと連邦軍将兵に恐れられたというが、正鵠を射た比喩だと言える。
 モビルスーツやその名称が認知され一般化したことにより、宇宙用機密服は俗にノーマルスーツと言われるようになり、やがて正式な名称とされた。オートバイのライダースーツと大差ない外見にまでシェイプされたノーマルスーツは、やはり大差ないまでに小型化されたフルフェイスのヘルメットとワンセットである。街を歩いていれば、モビルスーツパイロットなのかバイクライダーなのかの判別は、精通していなければ難しいだろう。
 コックピットは、マルチスクリーンという構造になっている。
 これは、モビルスーツの外の風景を球体の内側に映し出すというシステムである。球体の中心に座席がまるで浮いているように設置され、基本的に死角はない。視界は広いのだがテーマパークのジェットコースターのような錯覚を覚えやすく、その錯覚の軽減を目的にスクリーンに映し出されるのはテレビゲームのようにされてはいた。
 宇宙世紀になってモビルスーツが主要の兵器となりえたのは、ミノフスキー粒子という素粒子の発見とその戦場への投入が密接に関係する。ミノフスキー粒子は無線通信やレーダーを妨害するチャフと同じ性質があるため、ミサイル誘導システムなどに影響を与えた。ミサイルの誘導性はほぼ無効化され、戦闘航空機は敵への更なる接近を強いられた。ドッグファイトはまさに格闘戦という様相を呈し、その格闘のために四肢が必要となって、まさに人型となってしまったのである。

 連邦やサイド自治政府軍とジオンでは、モビルスーツに対するスタンスがまるで正反対である。各サイド、月面都市自治軍だけでなく連邦軍では特にそうなのだが、モビルスーツのパイロットはエリート扱いである。
 これは、旧世紀においての航空戦闘機の延長とみなされていることによる。基地のモビルスーツの配備数とパイロット数は限りなく一対一にちかく、さきの戦争末期ではモビルスーツ余りをおこすほどだった。
 しかし、ジオンでは伝統的にそうはならない。建造費用はともかく、せいぜい高価な土木機械という認識であって特性さえあれば兵卒からでもパイロットにならざるおえなかった。連邦とはむしろ逆で、本人の意思とは関係なく、特性があるとみなされればパイロットになる義務を課せられるのだ。モビルスーツ配備数の五倍のパイロットが基地に常駐していることなど当然なのである。
 また、連邦でも最近でこそメガネをかけたパイロットもいるようにはなったが、ジオンでは軽度の身障者のパイロットすらいるといった状態なのである。
 アクシズ軍がそういったジオン公国軍の伝統を引き継いでいることが、ジュドーの採用に影響していた。
 政界でも軍でもダイクン派の人間や本省人が閑職に追い込まれている状況であった。十四歳の少年とはいえ、両親がダイクン派フロントマンであったともなるとジュドーの入隊じたいが難しかっただろう。しかし、地球圏帰還政策により軍での雇用が拡大していたのがジュドーを救った。採用のハードルが大幅に下げられていたのである。
 とはいえ、出世の道などあるはずもなかった。出世ができなければ、妹のリィナに楽をさせ、更にお嬢様学校に通わせてやりたいと思ってはいてもそれもできない。が、それはわかっていてもジュドーの就職先は軍しかなかった。両親を欠いた状態では、まず食べる糧をどうにかしなくてはならないという問題解決を優先せねばならなかったのである。



 しかし、ここでも幸運がジュドーに降り注いだ。訓練中に不思議な少女と出会ったのである。
 その少女のおかげで、ニュータイプ研究所への転属と共にこの半年で三階級もの昇進をした。
 一等操縦士だったのが今や曹長である。

 “宇宙に住むようになった人類は、不安定な環境の中で第六感ともいえる領域の感覚が発達する”
 ジオン独立戦争以前、連邦政府の統治を嫌気する空気が醸成されだすなか、その思想はコントリズムとかニュータイプ思想と言われて猛烈に支持された。
 医学的な根拠はまったくないのだが、宇宙に住んでいても地球に住む人間と対等以上にわたりあえるはずだという自信をよびおこすものだったからである。
 そのニュータイプを研究する機関がアクシズにも存在していた。

 ニュータイプ研究所に所属するエルピー・プル・ツウァイリンゲという少女が、ジュドーを懇意にしはじめたことが幸運だったのだ。
 発端は、ジュドーたち新米パイロットとニュータイプ研究所所属のパイロットの宇宙空間における模擬戦だった。
 彼女は、熟練パイロットをはるかに凌駕する操縦センスを見せた。彼女の操る褐色の《ザク・ドライ》対ジュドーたち五機の《ザク・ドライ》の模擬戦において、開始からわずか三十秒で全員ペイント弾の直撃をコックピットに食らってしまった。そのなかで、唯一ジュドーだけが彼女の《ザク・ドライ》の頭部にペイント弾を当てることができたのである。
 じかに顔を見たいと言われ、それに従い彼女の私室に入ってジュドーは驚くことになった。

 「ペイント弾は宇宙空間でもトリッキーなんだよ。……言い訳じゃないよ?」
 そう言った少女は、ジュドーよりも年下の十歳だった。負け惜しみを言うその口ぶりやブロンドのショートカット姿は間違いなく年齢相応だが、この少女があの操縦技術を持っていることをにわかに信じられなかった。妹と同い年なのである。軍関係者では自分がいちばん若いだろうと決めつけていたが、そうではなかったということだ。
 「どの道、その直後に私はコックピットへの直撃を受けておりますから、エルピー殿の勝ちです。マークもそのようになっているはずですが」
 とは言ったが、彼女にしてみたら無傷で勝たなければならないと思っているということなのだろう。研究所から要求されていることなのかもしれない。
 たしかに、こんにちの実戦において実弾を使われることはほぼない。実弾のシミュレートにしかならないペイント弾が避けられないからといって、実戦で使われるメガ粒子を避けられないとは限らない、というのは条件つきでは正解ではある。
 ミノフスキー粒子を圧縮させる事で生成されるのがメガ粒子とよばれる。これを一定まで蓄積させて打ち出すのがメガ粒子砲と呼ばれるものである。あらゆる軍艦の主武装であり、今日のモビルスーツにおいても主武装であった。モビルスーツはライフルというかたちで搭載し、一般にビームライフルとよばれていた。
 このメガ粒子の軌跡は、実弾よりも直進性が高い。表面積の関係、また大気圏内外にかかわらず戦闘空域には基本的にミノフスキー粒子が撒布されているということもある。ベクトルを不安定にさせる要因が少なく、安定させる要因が多いということだ。
 プルは、これを視認して避けられるというのである。弾道の安定しない実弾はそれが見極めにくいから当たってしまったというのだ。
 それが本当なら恐れ入るが、にわかには信じがたい。当然ジュドーもメガ粒子砲の奇跡を見たことがるが、あれと実弾の違いといったら、ビームであるがゆえに明るいということくらいのものである。メガ粒子砲の方が実弾よりも直進性が高いなどというのは、理論的なところだけの話で、パイロットレベルでわかるものなのだろうか。そもそも、弾を視認して避けるなどという芸当が超人技なのである。避けるというのは、敵の銃口、砲口の向きを確認してそれをもって行うものだ。ジュドーのような新米は、敵機のロックオン信号を傍受することではじめてわかることである。モビルスーツのカメラを通じた可視光線で行うものではない。



 ジュドーは、定期任務をこなす為にプルの私室に入ると、相変わらずの姿に辟易としてしまった。
 「エルピー殿、その姿でいるのはやめてもらえませんか」
 エルピー・プル・ツウァイリンゲは、ジュドーが赤面するのを見て脂下がった。その表情はとても十歳とは思えない、見透かされている雰囲気があった。彼女は下着しか纏っていない姿で、壁のテレビモニターの前に胡坐をかき、こっちに来て横に坐れと手招きをした。そのなりは挑発しているつもりがあるのかそうでないのか、ジュドーのいない時はどうなのか知る由もないから判断はできない。ここに来るのが何回目になるのかはもう数えていないが、いいかげん勘弁してほしいとは思う。
 自分では妹と同じ歳の少女になにかを感じることはないと思っているつもりだが、妹と同じ歳であるがゆえに意識してしまっていることは確かなのだ。
 「そんな約束はしていないよ。ジュドーこそ先週からの約束を忘れてる」
 ここにいる時くらいはミドルネームでプルとよんでくれ、敬語をやめよと言うのである。しかし、モビルスーツの模擬戦で未だに勝てないというのに、それは不遜だという子供のような意識が働いてしまう。
 「そうはいきません。私は軍人ですから、上官に対する敬意は払わねばなりません」
 こんな立派な個室を与えてられていることや周囲の人間の彼女への接しようから察するに、士官待遇ではあるらしいのだ。下士官でしかない自分が、不遜にしているわけにはいかない。
 「私は、ジュドーの上官じゃないよ」
 それも確かなことだった。法規上、エルピー・プル・ツウァイリンゲは軍人でも軍属でもない。軍階級を持ってはいないのだ。それも、理解してはいる。そのうえでの今の態度なのだから、そこは忖度してもらいたいものだとは思う。しかし、臍を曲げるとそれはそれで厄介だということもこの半年ほどで知ってはいることだから、プルの望むように彼女の横に胡坐をかいた。
 「わかったよ、プル」
 厄介な娘になつかれてしまったが、ジュドーはジュドーでこの状況からのうまみを享受しているから、文句が言える身分ではない。
 昇進というだけではない。彼女の保護者ともいえるグレミー・トト特務中佐の目にとまることになったのである。ジュドーの異例の昇進も、プルのおねだりがグレミー中佐の梃入れをよんだのだろうというのは想像に易い。伴う昇給が自分や妹を救ってくれているのだから、ゆめゆめ二人に足をむけて眠ることはできないと思う。そもそも、ダイクン派を身内に持っていたジュドーがギレン派であるグレミー中佐に登用されることこそ奇跡にも近い。たとえ、その勤務内容が子守りのようなものであってもだ。

 ギレン派のグレミー中佐が、キシリア派の創設したニュータイプ研究所に出入りすることは奇異であり排他的にされていたことはあったらしいが、二十歳になったばかりのこの青年士官は挫けることなくエルピー・プル・ツウァイリンゲと名乗る少女を研究対象として所属させた。プルはすぐにニュータイプとしての才能を発揮し、専用のモビルスーツの開発に多大な貢献をすることになる。このことが、グレミー中佐の研究所内および軍内での発言力を強めることとなっていた。

 プルの部屋には、実はさまざまなセンサーが設置されている。
 人類進化の次点とされるニュータイプは、ほかの人間が発する脳波以外に別の脳波も複数発していた。それを受信するセンサーである。この脳波を用いてモビルスーツの操縦をさせようというのがサイココミュニケータ・システム、略してサイコミュである。四肢に次いで音声、そこに脳波をも操縦ファクターとして組み込もうという試みである。
 実際、この実戦投入はジオン独立戦争の末期には成功し、一定の成功をおさめてはいた。ただ、システムの巨大化がモビルスーツのサイズにまで影響を及ぼしてしまい、量産化には遠く及ばず、戦況の悪化も伴って試作機のみの実戦投入という異常事態となってしまった。今日での研究は、むろん鋭敏化も必要であるが量産化が主な目的である。
 こうしてプルが熱中しているテレビゲームは、脳波を発生しやすくまたそれを習慣的にする為の機材であり、また、ジュドーの存在自体もそれと同じであった。プルはジュドーと一緒にいる時に脳波が非常に強く発生するのである。無論、感情がそれをなさしめていることは明白なのであるが、その仔細を調査研究することで、人為的に同じ状況を作り出せないかということだ。そして、一般の人間も同じ状況に置くことで、ニュータイプと同じ脳波を発するようになるのではないかという研究でもある。



 “アクシズは地球公転軌道内に進入したが、これから地球圏帰還政策が始動するのである!”
 ハマーン・カーンは、できうる限りのメディアを使い、連邦政府との交渉が決裂したことをアクシズ国民に告げた。
 事実上の植民地とされている各サイドを連邦政府のくびきから解き放つことも目的であった、かつての独立戦争は正義である。また、連邦体制に一石を投じることの重要性を示し、サイドが連邦に抵抗をすべきであるという気運を醸成し、残したという意味において成功したのだと説いた。アクシズのこれからの軍事行動はその最終工程であり、地球圏に真の平穏をつくり出すための生みの苦しみを強いて強いられるための戦争である、と。
 非番だったジュドーは、アパートで妹のリィナとテレビを観ていた。サッカー観戦を邪魔されていっしゅん腹が立ちかけたが、ことの重要性に生唾を飲み込んだ。
 「戦争、しないわけにはいかないの?」
 絨毯の上で重ねられた掌をリィナは握り締めた。
 「ハマーン様がそう言うんだ。連邦の奴らが折れなけりゃ、避けようはない、か、な」
 覚悟はできているつもりだった自分が、脅えていることにジュドーは驚いていた。いつものようにおどけてみせる余裕はなかった。
 リィナは、つい死んだりしないよねと訊きたくなったがそれをこらえた。そんなことは誰にだって、ハマーンにだってわかるわけがない。正しい者が勝つわけでも生き残るわけでもないことは、さきのジオン独立戦争のことを聞き知るだけでもわかりきっていることだ。この世のすべてが巡り合わせのみで構成されていて、誰がどうこうできるというものではないのである。
 『アステロイドに帰りたい』
 地球圏は騒がしすぎる。正義を行わぬ卑怯者だと罵られてもかまわないとリィナは思った。



 ニュータイプ研究所にいてラジオ放送でハマーン・カーンの演説を聞いたグレミー・トトは、苦虫を噛み潰したような表情をした。短く切り揃えた髪をかきあげ、瑠璃色の瞳で虚空を睨んだ。
 それは、従五位下少将への昇進の辞令を受けた直後であった。
 “かつてジオン国民を導いたザビ家の血を継がれておられるミネバ・ラオ・ザビ様こそ、われらを導くに唯一ふさわしいお方である。
 そのミネバ様を戴き、アクシズは連邦政府に宣戦を布告する!”
 ハマーン・カーンの芝居かかった演説に、グレミーは絶叫したい気持ちだった。側室の妹の分際で摂政とは噴飯だ、と口の中で強く叫んでいた。ミネバ・ラオ・ザビの求心力は認める。分家とはいえ、ザビ家の唯一の生き残りであればそれは嫡流である。しかし、だから故に、それを傀儡にするハマーンを認めるわけにはいかないとも思っていた。しかし、今は時ではない。今のアクシズからハマーン・カーンを欠くことの危険性もグレミーにはわかっていた。そして、キシリア派を通じて軍を完全に掌握したハマーンを敵にまわすことは身の破滅を招くこともわかっていた。こうして戦争がはじまってしまい、彼女の権力は磐石のものとなっただろう。しかし、この戦争こそがつけいる隙を作ってくれるはずだという確信もあった。
 「私が、妾腹でさえなければ」
 ただ、そうとだけ口ずさんだ。
 死ぬほどの怒りは狂気よりもずっとひどい病であり、胸の奥の奥にある一番の秘密をしばしばさらけだすものである。

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