四話 『ダブルゼータ』


 ジオン共和国軍残党をはじめ、連邦からの独立を勝ち取ったアクシズだからこそ気に入らないという人間は少なからずいる。
 議会制度を再編成するさいの反発は大きく、ハマーンはアクシズ軍をもって強行した。
 また、さきの独立戦争前中期のアレルギーのためか、サイド3国民は独裁者を極度に嫌うが、それを承知でそのようにハマーンはふるまった。直属の秘密警察を配備するなどして言論などの弾圧をおこなった。
 アクシズが進駐してくる前の状況は、ハマーンにとって目に余るものがあった。
 サイド3の技術力や生産能力は高い水準を保ち、国内総生産は他のサイドをうわまりつつも、国民の三割が定職に就けずにいるという状況を打開する為に必要な改革は、独裁を持っておこなうしかなかった。旧世紀においても独裁が悲劇を招いたという事例もあるが、急変には荒療治こそ必要だということである。
 かつては独裁官という時限的公職があった国家もあったのだ。
 そして、
 共和国元老院の解散にともなう議員制の整理。
 一部政府機関の解体。軍組織からの補填。
 など、
 建国以前の混乱期を整理する為の暫定的処置が大半ではあったが、一ヵ月後のサイド3の独立記念、アクシズ・ジオン皇国の建国記念式典を迎えるとができると識者を納得させられる状態にまではできた。
 とはいえ、軍公安部に調査させているところからすると不穏分子は存在していた。
 いかにすばらしい改革といえど、現状に利益がある者にとって常に改革は害悪でしかない。また、独裁という体制は遂行能力も大きいが、かってしまう反感も大きくなりやすかった。
 サイド3のそこかしこに、ハマーンの敵がいることになっていた。

 時は熟してきている、とハマーン・カーンは北叟笑んだ。
 執務室に運んでこさせたコーヒーを飲みながら、頭の中で今後のシミュレートを楽しんでいた。
 地球連邦政府にサイド3の独立を承認させた。
 これで、反目をしていたサイド3内コロニーの大半は、アクシズ政権にいちおうの恭順を示すだろう。グレミー・トト少将やユーリー・ハスラー中将の作戦もずいぶん楽になるはずだ。
 周囲は敵だらけになってしまったが、シャア・アズナブルとの約束の総てを果たせそうなことに失笑していた。
 アクシズの地球圏帰還。
 サイド3の独立。
 政治改革。
 アクシズにおいて摂政に就任するさいのハマーン・カーンが、補佐官であるシャア・アズナブルとともに誓ったことだった。
 その遂行手段や性急さにおいて結局たもとを分かつことになってしまったが、ひとりになった今でも目指すものに近づいていることは確かだった。いまさら、中途で投げ出したシャアに、文句など言わせるものか。おおかた、内部からの改革を断念したから外部から圧力をかける気なのだろう。とはいえ、外からできることになど限度がある。
 サイド3は独立を果たし、後裔国家たるアクシズ・ジオン皇国は主権国家なのだ。連邦の人間になろうともなにができるというのか?
 『約束の総てを果たしたところで、お前の望みがかなうわけもないが』
 なにをどう足掻こうとも、この世界から戦争がなくなることなどない。ハマーンとシャアの意見は、このことでも割れていた。人間が宇宙に住むことで、ニュータイプへの進化が約束され、数世代の後には戦争が人間の世界から霧消するとシャアは信じていた。シャアの父親のジオン・ズム・ダイクンが提唱した、コントリズムをそのまま踏襲するものだった。確かに、認識力の拡大は人と人の心を繋ぐ鎖たりえるだろう。誤解が誤解を生むということもなくなり、それが争いを減らすというのはわかる。個々人は諍いを嫌忌していても、集団となることで已む無しとなるものなのである。この集団をニュータイプ能力という鎖が繋ぐことで擬似的に個人化され、争いを回避する動きが生まれることまでは否定しまい。
 しかし、戦争は人の心からだけで生まれてくるものではない。
 むしろ、物質的なことが戦争の動機となる。本来、戦闘は手段であって目的などではないのだから、追い詰められた個人、共同体に選択の余地などあろうはずもない。
 優しさこそが戦争を引き起こすなら、ニュータイプであることなど戦争の誘発剤でしかないのではないか。
 「理想だけを追いかけて、生きてゆけるものではないよ」
 シャア・アズナブルへの警告が、思わず独り言になった。
 ここまでに大きな責任がなければ、自分がここまで追い詰められることなどなかった。自分の夢だけを追いかけて生きてゆくこともできるはずだった、と思うのはハマーンの未練である。
 しかし、既に犀は投げられた。
 シャアが目指した道を、シャアが望まない方法で突き進んでいるのだ。
 ハマーンは、自嘲気味に笑う。

 そしてインターカムが鳴り、その連絡にハマーンは哄笑した。



 『ミネバ様を蔑ろにすることだけは許されない』
 グレミー・トト少将の動機は、この一点にあった。
 そして、ついにハマーンに要求を突きつけたのである。
 一、ザビ家の正当な後継者であるミネバ・ラオ・ザビ様を、摂政の一存のみでズムシティの御所に押し込めたままにすることなど許されることではない。
 二、軍の最高責任者になってしまったハマーンが政務を執ることは、今や正統性を欠く。サイド3が独立を果たした今、速やかに摂政の職を返上して政界から退くべきである。従三位への叙位は保証する。
 三、本来であれば、コロニー落としの罪で厳罰に処すべきであるが、独立戦争成功の功績をして不問とする。
 四、前ジオン公国従三位軍総帥ギレン・ザビの遺児であるグレミー・トトが、従五位下少将を返上し従一位を賜わって摂政に就任する。
 そして、
 「国を鉄床にたとえよう。ハンマーは支配者、打ち曲げられる鉄板は民衆。勝手気ままなめくら打ちに、いつまでたっても金ができあがらねば、鉄板こそ迷惑である」
 と、グレミーはハマーンを未熟な鍛冶職人にたとえた。
 さらに、この演説でみずからをギレン・ザビの忘れ形見であるとグレミーが名乗ったことに、サイド3中が鳴動した。
 だが、グレミーはその証拠など持ってはいない。
 ただ、父とあまり会うことはなかったが、なんどか母親といっしょに食事をしたことを覚えている。
 妾腹であることを自身に言い聞かせ、でしゃばらず、いずれ兄弟が国家元首の座についた時、それを補佐できるように立派に育つのだと母親に言い聞かされていた。
 両親の結婚は、ザビ家が認められるものではなかったのだ。
 「証拠を示せというのであれば、私のこの血をもってどこなりとて調べればよい!」
 その記憶だけが、ナイフで二の腕を突く勇気の糧だった。
 流れ落ちる鮮血は、段上グレミーの足元に広くたまっていった。
 誰もが息を呑み、その迫力に圧倒されてしまった。
 やがて眩暈に足元をすくわれると、横に控えていたユーリー・ハスラー中将がそれを支えた。
 「欺瞞に満ちた建国は避けねばならない。グレミー殿の要求は正当かつ人道的である」
 この一声がグレミー麾下、ユーリー中将麾下艦隊の意思をひとつに結集させた。
 鬨の声があがり、眩暈の中でグレミーは拳をもういちど振り上げた。

 その後、すぐさまグレミーはズムシティ政庁に赴き、直接ハマーンに退位を要求した。
 鼻先で笑うようにしたハマーンは、アクシズがアステロイドにいる時から今日までの功績を盾に、退位の非現実性を主張した。グレミーの要求や行動こそが、官や軍、民を戸惑わせる愚行であると。
 たとえ、ギレン様の忘れ形見であろうとも、出自をわきまえない蛮行であるとまで言った。
 「なにより、ミネバ様の御心にそむくことになる」
 あくまでハマーンの態度は不遜だった。
 予想通りに拒否され、グレミーは溜め息をひとつついた。ミネバを御所の奥に閉じ込め侍女しか会わないような状況を作っておいて、なにが御心か。
 「本格的に戦闘が始まるまえにいちどお目通りを願っても、無理なのでしょうね」
 「ミネバ様は、建国式典まではお目見えならん。早々、陣に帰って戦の準備をするがいい」
 ハマーンは静かにそう言うと、グレミーを睥睨した。



 二度目の食事の席でグレミー・トトの挙兵、クーデターを聞いたジュドーは、予想外のことで言葉を失った。
 戦争は終わったというのに、
 サイド3は独立を果たしたというのに、
 程なく、アクシズ・ジオン皇国が建国されるはずなのに、
 このさきの不安などなくなったはずではなかったのか?
 もちろん、様々な苦労はするはずだ。
 除隊後の職、
 妹、リィナの将来、
 両親がいないのだから、懸念を挙げ出したらきりはない。
 でも、こんなことが続いたらいつまでも普通の生活に戻れないではないか。
 まず、戦場がサイド3宙域になることが明白で、妹のリィナのことが心配になった。
 次に、グレミーとハマーンのあいだにいったいなにがあったのかが疑問になった。
 ジュドーにとっては、二人ともが雲の上の存在である。二人ともに面識があるとはいえ、確執があることに気付くはずはない。しかしそんな話は、噂にも聞いたことなどなかった。
 『連邦の政治工作に踊らされている?』
 二人の争いが理解できないジュドーは、そんな推測までしていた。
 戦争に負けた連邦政府が、サイド3の混乱に乗じて介入、アクシズ・ジオン皇国の建国を妨害し、あわよくば独立をも取り下げようとしているのではないか。

 「摂政のハマーン・カーンがミネバ・ラオ・ザビを蔑ろにし国政を歪める、というのがグレミー・トトの声明らしいな」
 連絡をくれた中尉は、感慨をみせないように言った。どういった表情をむければいいのかわからないのだろう。
 こちらの気持ちを推し量ってくれるその気持ちはありがたいが、ジュドーにそれを感謝してみせるだけの余裕はなかった。
 『一刻も早く帰りたい』
 捕虜の交換など待っていられない。すぐさまにでもサイド3に戻る手段はないものかとむなしい思案を巡らせはじめていた。
 「曹長には悪いが、営倉に戻ってもらえ」
 サングラスのクワトロ・バジーナは、中尉を探していたようだった。
 サイド3で戦争がはじまったことにより、あちらこちらで状況が変わっていた。
 本軍遊弋部隊であるこの艦に圧力をかけていたサイド4の議会は、掌を反して駐留軍と共に防衛にあたってくれるように要請してきていた。サイド内の独立派と連邦派の争いが誘発するのを恐れているのである。その節操のない態度に呆れながらも、連邦軍であればサイドの要請には極力応じてみせねばならないとクワトロは苦笑した。
 捕虜扱いではないとはいえ、ジュドーが一定エリアで自由にしていられることも不可能になる。いざ戦闘ともなればジュドーが足手まといにしかならないし、乗じて逃亡されたのでは問題になるからである。
 そして、地球連邦軍とアクシズ軍の捕虜交換を無期延期にするようにと、アクシズ側から要請がなされた。
 グラナダ市を包囲し、捕虜を引き取るはずだったキャラ・スーン機動部隊の一部は撤退をはじめた。ムーア条約に則れば、正式にアクシズ・ジオン皇国の建国がすむまではグラナダ港を包囲するはずだったが、二日の後には三隻しか残らないとのことだった。
 ジュドーの乗るこの軍艦はサイド4に足止めになり、受け取り側のキャラ・スーン機動部隊が定数いないのでは受け取りもできないだろう。

 中尉に促され、営倉に向かう為にジュドーは席を立った。
 その背中を見、わずかな思案の後クワトロが声をかけた。
 「曹長、サイド3に帰りたいな?」
 なにが言いたいのかわからなかったが、やはりジュドーは足を止め、振り返る。僅かに困惑と期待がない交ぜになった表情をしたが、返事はしなかった。この現状で、連邦軍籍の艦がサイド3の宙域に侵入するというのは考えにくい。この艦が自分を送り届けてくれるのではないかという一瞬の甘い期待が、実現するはずがないという常識に押されていた。それだけクワトロの発言は胡乱であって、気後れしてしまったのである。
 「なにを考えているんですか!」
 絶句、いや絶叫したのは中尉だった。絶叫しただけに、彼が気付ける範囲内の常軌を逸したなにかしらの手段があるのだとジュドーは解釈した。それがジュドーの背中を押す。
 「はい!」
 その手段がどういったものなのか想像はできなかったが、藁にも縋るとは、このことであろう。
 サイド3に帰りたい。
 リィナの安否を確認したい。
 そして、ハマーンとグレミーの真意を確認したいと思った。



 クワトロ・バジーナがジュドーを連れて行った場所は、この艦のモビルスーツドックだった。
 向かう途中、中尉は考え直すようクワトロに進言していたが聞き入れられなかった。
 ジュドーとしては、クワトロが考え直すのではないかと気が気ではなかった。そうとう非常識な方法のようだから、クワトロが思いつきではじめたことならばいつ心変わりしてもおかしいことではないからだ。
 しかしその心配には及ばず、キャットウォークから見おろすとそこに大型の戦闘爆撃機があった。他にあるのはモビルスーツばかりのこのドックの中では、その大きさもあいまって異様ともいえる。ノーズコーンが鋭利なのからすれば大気圏内での運用を考えられているようだが、積木を組み合わせたようなシルエットは、空力を考慮されているようには見えなかった。野暮ったいイメージである。全長が三十メートルをこえるサイズは、戦闘爆撃機とはいえ二十メートルほどが標準だといわれるなかで特異である。
 「君に、これを貸そう」
 なんの前振りもなしに、クワトロは言った。
 まるで冗談にしか聞こえない。しかし、クワトロが冗談で言っているのではないというのは、サングラスをしているとはいえ表情でわかった。ならば、敵兵に易々と兵器を貸すというのはどういう目論見があるのだろうか。
 「最終段階に入っているとはいえ、プロトタイプです。危険です!」
 中尉はやはり反対している。しかし、敵に兵器を渡すことを反対しているのではなく、あくまで試作機であるということで反対しているようだ。
 ここでこの戦闘爆撃機を受け取ったとしてなにができるのかはわからないが、それでもジュドーはクワトロに縋るしかないと思った。なりふりを構っているつもりはない。なにかしらの奇策があるのだろう。
 「代償はなんですか」
 ただというわけにはいくまい。敵兵を試作機のコックピットに坐らせるというのは、技術の漏洩を意味する。モビルスーツ《キュベレイ》のテストパイロットをやっていたというジュドーの経歴は知っているはずだから、数分も操作すれば様々なウィークポイントくらい見つけ出してしまうというリスクも承知しているだろう。
 「この艦のクルーにデータをとらせるつもりで持ち込んでいたのだが、次のテストを耐久性と最大航続距離の割り出しにするということだな」
 クワトロの提案は、ジュドーをこの戦闘爆撃機《ダブルゼータ》のテストにかこつけてこの艦から脱出させるというものだった。
 メーカーが発表している《ダブルゼータ》の連続航続距離は、最大量のプロペラントを搭載して二十万キロ。
 現在のサイド4の軌道位置は月にもっとも近い、重力井戸や摂動によるプロペラントの消費を計算しても届く距離ではある。
 月のフォン・ブラウン市で補給を受け、月面反対側、キャラ・スーン機動部隊の包囲網の薄くなったグラナダ市のマスドライバーでサイド3まで運んでもらおうというものだ。現在、グラナダを包囲しているアクシズ軍のキャラ・スーン機動部隊は一部しか残っていないうえに形式上のもののはずだから、マスドライバーが使用できるはずだというのである。
 敵兵に試作機を使わせて、月を挟んで表のサイド4と裏のサイド3を最短の時間で繋ぐという奇計中の奇計だ。
 現在のサイド3の軌道位置は月にもっとも遠く十万五千キロを超えてはいるが、総移動距離は約二十七万キロ弱と長大なものとなる。しかし、フォン・ブラウン市やグラナダ市の状況次第では、開始後二十四時間以内にサイド3に到着することもできるという魔法のような方法である。
 問題は、試作機故にパイロットに強いる危険度は量産正規導入機の数倍にはねあがるということだ。
 月までプロペラントがもたない可能性もあるし、エンジンの耐久性もわからない。途中で航行不能となればすなわち遭難であり、溺れ死ぬしかないのである。
 その、リスクをジュドーが承伏するというのが代償だとクワトロは言った。もちろん、その折りその折りでデータの回収はする。実戦込みの命懸けのテストという理不尽さを呑むことができればいいと言うのだ。
 ジュドーは、それでも気前がいいと感謝した。民間の宇宙航空会社を使ってこの時間でサイド3まで運んでもらえば、現状の給料で四十年働いても払えないほどの運賃を請求されるはずだ。神経と体力をすり減らすだけで一日でサイド3まで届けてもらえるのだ、安いものである。
 「コイツはただの戦闘爆撃機じゃない、曹長、今は待つんだ」
 「甘えさせてください。俺は、ジオンに早く行きたいんです」
 反対する中尉の目をじっと見据え、ジュドーは決心の固さを示した。



 《ダブルゼータ》が試作機であること以外にも、クワトロのアイデアにはいくつかの難点があった。
 フォン・ブラウン市とグラナダ市にある《ダブルゼータ》の建造メーカーには、パイロットがアクシズ兵だとバレるわけにはいかないということである。そこで、ジュドーには仮の軍籍を与える必要がでてきてしまった。
 また、マスドライバーでサイド3に撃ち出す理由まで捏造せねばならなかった。これには、連邦宇宙軍要塞ア・バオア・クーの今の軌道位置が、グラナダ市に対してサイド3とほぼ同じ軸線場にあることが幸いした。テストをサイド4からア・バオア・クー要塞に変更することにしたのである。テスト工程も終盤に差し掛かっており、メニューの大半は軍に任されていたとはいえ、綱渡りのような状況だ。
 「まったく、あの人がここまで無茶なことをするとは思わなかったよ。あの人なりに、アクシズやサイド3には感慨もあるんだろうけどさ」
 今日まで《ダブルゼータ》のテストパイロットをやっていたのは中尉だった。テストの場所をア・バオア・クーに変更したいと打電したら、サイド3の警戒で忙しい時に迷惑だと嫌みを言われたらしい。
 「すみません。迷惑かけます」
 「このミッションで死ぬようなことになっても、後悔をしないって決めたんなら謝るなよ」
 ジュドーが謝ったことを、中尉は窘めた。ジュドーにとって、サイド3に行けないことを悔やむことは死ぬことよりもつらいことなのだ。良くも悪くも、ハマーン・カーンや妹、グレミーやプル、国家が大事なのである。

 ジュドーに与えられた連邦軍籍は、
 宇宙世紀六十四年生まれ、
 サイド1のシャングリラ出身、
 地元高校卒業、
 サイド1自治軍大学卒業後、入隊、
 階級少尉、
 一年後、モビルスーツ開発のため軍工廠勤務、
 同年、フォン・ブラウン市軍協力企業アナハイム・エレクトロニクス出向、
 翌年、連邦本軍遊弋部隊転属。
 現、試作モビルスーツ《ダブルゼータ》パイロット、
 である。

 艦のブリーフィングルームで《ダブルゼータ》の機体説明を受ける前に、ジュドーはその軍籍を箇条書きにしたメモを中尉から受け取って、絶句した。
 年齢を十年も水増しせねばならないことには仰天したのである。
 連邦軍では士官しかパイロットにはなれないし、軍大学を卒業でもしなければ士官になることも難しいのならばどうしようもないことだ。大学を卒業すれば二十三歳。この時点で、十四歳のジュドーとは九歳のギャップである。
 サイド1自治軍への入隊後、工廠、民間企業への出向、連邦軍本軍遊弋部隊転属と、部署、組織を転々とするのは素性を掴まれにくくするための策なのだそうだ。逆に怪しまれる可能性も出てくるが、テストパイロットとしての技量をみせてやれば、引く手数多で転属が続いたと思うものなのだという。
 「しかし、十歳も違ったらバレませんか」
 「飛び級制度はいくらかのサイドでも存在するが、軍大学がその制度を認めていないからな」
 十四歳で士官だとか下士官でテストパイロットというのは、現状の教育法や軍法ではありえないからどうしようもない、と中尉はジュドーに苦笑をむけた。追及されたら、背が伸びなかったのがコンプレックスだとか、顔にした大ケガで整形手術をしたとでも言えば大丈夫だとも助言してくれた。それに、稀に妙に幼く見える人間や老けている人間はいるものだ。驚かれたり珍しがられることはっても、年齢のことで怪しまれることはまずないと中尉は言い切った。
 「それから、まさかとは思っていたのですが、戦闘爆撃機に見えますがモビルスーツなんですか」
 メモに“試作モビルスーツの試験パイロット”とあったので、しょうしょう混乱していた。連邦軍では、航空機もモビルスーツと呼称するのか、宇宙空間用兵器の総称なのだろうか。
 「それについて、今からレクチャーをする。アクシズ兵の曹長には、嫌悪感もあるかもしれないが」
 中尉はテーブルの向かいに坐り、分厚いブックレットのマニュアルをジュドーの目の前に広げた。

 可変機構をもつモビルスーツというものが、ジュドーのもつ常識を超えていた。
 ただ、《ダブルゼータ》の機体側面にロボットアームのように見えなくもない部位が見えたから、なにだろうとは思ってはいた。
 戦場や戦況に合わせて形を変えるということなのだが、アクシズやジオンのモビルスーツ開発思想にはないものである。
 《ダブルゼータ》は、戦闘爆撃機に変形をするモビルスーツだということなのだ。中尉がアクシズ兵であるジュドーに気を使っていたのは、そのモビルスーツ形体の時ことをさしていたのである。
 既に連邦側ではいくつも可変モビルスーツの試作を続けているし、そのうちのひとつは量産にまでこぎつけているのだという。中尉が搭乗する《ガンダム》はそれだということだ。
 ただ、あらかじめ聞き知っているスペックからは、戦闘爆撃機というよりは高速武装宇宙艇とでもいった方が妥当なのではないのかとジュドーは思った。連続航続距離がサイド4から月という戦闘機は常識的にありえない。そんなに長時間にわたって戦闘できるだけのスペックをもっていても、定期的に僚艦に帰らなければパイロットは衰弱死してしまう。だいいち、搭載火器が弾切れをおこしているはずだ。カテゴリーが艦艇になりえないのは、単純にひとりで操縦するようにできているからだと思った方が良さそうだ。
 さらにジュドーを驚愕させたのは、この戦闘爆撃機は三つに分離できて、それぞれが自立した飛行性能をもっているというのだ。その分離や合体もパイロットの操作でおこなうことができるという。操縦技術さえあれば、それを戦場でおこなうことも可能だというのだ。
 もはやなんでもありの、玉手箱のような兵器である。そんなお人形ロボットで大丈夫なのかとも思ってしまう。
 「強度とか剛性、大丈夫なんですよね」
 ジュドーは上目づかいで中尉を見た。
 「僕もずいぶん乗っているが、曹長が心配するようなことはないな。理論上、剛性は低いということにはなるが、兵器として問題になるほどではないよ。ただ、やはりプロトタイプなんだ」
 問題なのは、ソフトウェアのほうなのだという。可変モビルスーツの歴史が浅い為に、それを制御するプログラムの信頼度は高いものではない。中尉が扱っている可変モビルスーツは量産されているが、モビルスーツ開発史上初のことで、まだ一年も経っていない。そこに合体分離機構が付け足された機種はこの《ダブルゼータ》が初めてなのである。稼動中に分解してしまうようなことはありえないが、制御プログラムのコンフリクトで機能停止という可能性は否定しきれないということだ。
 試作機とは慨してそういうものであるし、それを覚悟でこのミッションに合意したのがジュドーである。
 「プロトタイプでもなんでも、こう言ってはなんですが、フォン・ブラウン市までもってくれればいいんです」
 正確には、フォン・ブラウン市までもてば大丈夫である。マスドライバーで射出する時には、輸送艇に載せることになっているのだ。
 「それから、サイコミュのことも知っておいてくれ。あの《キュベレイ》を使えた君なら、使えるんじゃないのかな」
 合体分離機構を制御するのはサイコミュらしい。パイロットの搭乗するコア・ファイターという小型戦闘機を前後からはさむような構成になっていて、三体に分離したさいの二機コア・トップとコア・ベースといい、ファンネル・ビットのように脳波で操作することが前提となっている。連邦軍のサイコミュはジオンのものほどに進歩しておらず、これが更に制御プログラムの信頼性を下げているのだと中尉は言った。
 『その上、連邦軍のサイコミュはニュータイプにしか扱えない』
 どの道、自分ではつかえないシステムだ。
 《キュベレイ》に搭載された常人サイコミュの事を知らない中尉やクワトロは、ジュドーがこれを使えると思っているのだろうなと思った。もっとも、マッチングをしなくてはならないはずだから、どのみち使えないのではないか?
 中尉が《ダブルゼータ》のテストパイロットをしていたということは、ニュータイプだということなのかもしれない。ジュドーはプル以外にはニュータイプを知らないが、雰囲気は違うのだなと感じていた。

 『プルは無事なんだろうか』
 サイド3に帰るためのめどがたった今の今まで、まったく彼女の事を忘れていた自分はずいぶん薄情なのかもしれないと思った。



 《ダブルゼータ》のコックピットに坐ると、ジュドーは深呼吸をした。
 マルチスクリーンをはじめ、ほとんどのインターフェイスは《キュベレイ》や《ザク・ドライ》と変わらない。飛行させるくらいなら問題ない。
 “連邦軍のノーマルスーツはどうだ”
 スクリーンの一画に中尉の顔が映し出された。この艦の管制室からの通信である。
 「肩が懲りそうです。ヘルメットが重い」
 ジュドーが着ているノーマルスーツはニュータイプ用のもので、ヘルメットにはサイコミュシステムの補助装置の一部が内蔵されている。どのみち《ダブルゼータ》のサイコミュシステムは使えないのだからニュータイプ用のものなどやめてほしかったのだが、そうもいかない。中尉はジュドーがサイコミュを扱えるニュータイプだと信じているし、《キュベレイ》の常人サイコミュを軍事機密として喋っていないいじょうは、そのふりをする必要があった。ここまでよくしてもらっているというのに中尉達を騙し続けるのに良心の呵責はあるが、やはりジュドーは軍人なのだ。それに、フォン・ブラウン市に到着した時に、このノーマルスーツでないとスタッフに訝しがられるのがわかりきっている。年齢で十も歳をごまかすのだから、他に怪しまれることなどしない方がいいに決まっているのだ。
 “じきに慣れるさ。フォン・ブラウンまではオートパイロットで行ける。敵はいないからな”
 到着三十分前には微弱の電気ショックで起こしてくれるということだ。
 フォン・ブラウン市とグラナダ市のスタッフには連絡を入れてあって、すでに準備にとりかかってくれているらしい。
 中尉は、今からでも間に合うからやめろとも言ってくれた。身を案じてくれているのだろう。戦争が終わったとはいえ、さっきまでは敵だった人間にそう思うのは、中尉の優しさである。しかし、自分の国が心配なのは当たり前のことだ。関わり合いのある人達の安否と直結することだからである。躬らの命を投げ出す覚悟で守る価値が国家にはあるのだ。それに、その関わりのある人どうしが争っているとなれば、なおさらである。中尉だって、それをわかってくれて止めてくれているとわかるから、ジュドーは嬉しかった。
 「リンドバーグよりたくさん飛ぶにしたって、環境は整っているんですよ」
 ジュドーは、親指を突き出してみせた。
 “曹長。アクシズとサイド3をよろしく頼む”
 中尉の後ろにいたクワトロが、そう言ってサングラスをはずし、頭を垂れた。
 クワトロの顔は小さく窓のように映っているだけだが、一瞬見えた眉間に縦断する傷痕が鮮烈に見えて、ジュドーは言葉を失いかけた。政治家とはいえ軍艦に乗り込んでいるような人だから、過去になにかがあったのだろう。軍人にしてみればたいした傷でもないのに、その迫力に押されてしまって、クワトロが頭を下げるほどにアクシズのことを心配していることの不自然さに気付けなかった。
 「ジュドー・アーシタ、行きます!」
 決意を言葉にするようにジュドーは叫んだ。
 《ダブルゼータ》は飛び立ち、宇宙の漆黒に闇に溶け込んでいった。



 フォン・ブラウン市において、ジュドーは少尉であることを強要された。本来は下士官である自分が士官待遇を受けていることに少々の居心地の悪さを感じたが、芝居を徹底しないとサイド3に帰られなくなると思うから士官学校卒業の二十三歳の青年士官になりきった。とはいえ事情を知ってくれている女性スタッフが一人いてくれて、そのことが、月にいる五時間の緊張を僅かだが和らげてくれた。
 グラナダ市のマスドライバーは、現在、自治政府と連邦グラナダ駐留軍の管理下に置かれている。宇宙世紀開闢期において、サイド3の建設に必要な資源を月面からその宙域にはじき飛ばすために建造された。
 構造はレールガンであり、月面に張り付いた三百メートルの大砲といった描写が適当である。電位差のある二本の伝導体製のレールに電流を通す伝導体を弾体として挿み、この弾体が持つ電流とレールが持つ電流の間に発生する磁場の相互作用によって弾体を加速射出するものだ。兵器という印象を嫌って、巨大なカタパルトという表現をされる場合もある。
 今ジュドーが乗っている輸送艇がその弾体であり、推進剤の節約と高速移動の目的で、サイドの建造に利用されなくなった現在でも宇宙艇の打ち出しに利用される。
 《ダブルゼータ》が積載された宇宙艇を射出するマスドライバーの角度は、当然サイド3に向けられた。命令書の目標はそれよりも北弦に三度傾いた連邦軍宇宙要塞ア・バオア・クーであるが、そのあたりを改竄してくれたのも事情を知っている女性スタッフである。《ダブルゼータ》がサイド4からフォン・ブラウン市までこられたことからしても、輸送艇の推進剤でサイド3まで届くことには違いがない。それでも、到着時間が一日は違ってくる。マスドライバーできっちり軌道に乗せてもらえれば、二時間でサイド3に届くのだ。
 現在の環境が、輸送艇で自律航行ができて推進剤の残量を気にすることなく軌道修正が可能でも、女性スタッフには感謝した。



 サイド3まであと一時間というところで、ジュドー・アーシタは起こされた。
 この、按摩機のような電気ショックの目覚ましシステムはどうも馴染めないと思う。ノーマルスーツの両手首と膝の裏に微弱の電流が流れるというのは、フォン・ブラウン市に着く直前にも利用されたが気持ちが悪いのだ。パイロットを起こすということでは効率がいいということは認めはする。でも、アクシズ式のヘルメットスピーカから大音量の音楽が再生されるというシステムの方が品があるように思えた。

 宇宙要塞ア・バオア・クーでは、《ダブルゼータ》とジュドー・アーシタ少尉が到着しないことに慌ててはいないはずだよな、と、おかしくなってジュドーは笑った。
 戦時にはまずないが、どのような軍隊でも平時には命令の撤回、変更はままあることなのだ。アクシズ軍でも地球圏帰還作戦の初期まではよくあったことで、上官があわてふためいたりぼやいたりすることは目にしたものである。
 サイド4からフォン・ブラウン市まで《ダブルゼータ》を運んできたジュドー・アーシタ少尉は、その五時間後、グラナダ市のマスドライバーで宇宙要塞ア・バオア・クーに射出された。しかしジュドー・アーシタ少尉の到着目標は、ア・バオア・クーから他の基地になったと打電されているのである。
 『さて、ジュドー・アーシタ少尉は、どこに行ってしまったのでしょう?』
 書類上、ジュドー・アーシタ少尉は、この宙域のどこかに消えてなくなったしまったことになり、現に、本人もどこにもいなくなってしまったのだ。よもやアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリのような伝説にはならないだろうとは思いながら、その怪事件の首謀者が自分であることに、いたずらが成功した幼児のような気分になって、再び笑った。
 協力してくれた、連邦各部署の人達には感謝をどれだけしてもたらない。とくに、クワトロ・バジーナに再び会うことがあったら、どうお礼を言ったらいいのだろう。
 消滅してしまったのは、ジュドー少尉だけでなく、この宇宙艇と《ダブルゼータ》もだ。書類上なくなってしまったものであるから、ジュドーには《ダブルゼータ》を好きに使えばいいとクワトロは言ってくれた。サイド3の混乱が沈静化し、その時、もしも《ダブルゼータ》のレコーダーが健在だったら、メモリーチップを月面のアンマン市にある事務所に匿名で送ってくれればいいと。
 総てがうまく進みすぎていて、所縁もない多くの人達の好意が気持ち悪いと言えば失礼になるが、それでもジュドーはそれを利用するしかなかった。

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