六話 『復讐の終焉』


 グレミー少将によるクーデターがおこってから、ズムシティに近いコロニーの市民は疎開をはじめていて、バーンデンバーでは他のコロニーを上回る三割の市民が退去していた。しかしここにきて、グレミー軍にバーンデンバーが制圧され橋頭堡にされるという情報が流れはじめると、混乱の終着が間近ではないのか、もしくはここが主戦場にならないのではないかと推測する者があらわれはじめ、パニックは落ち着きはじめてもいた。
 詳細までにわたって情報が流れているのならば、ほぼグレミー軍の勝利は決定的であり、バーンデンバーが戦場になどなるわけがないというのが明白にされ、この空港も荷物の置き場もないほどにはならないのだろう。
 しかし、そういった情報は二社の航空会社が抑えてしまっていた。
 戦時統制下では情報も厳しく管理されるものだが、グレミー軍の管理下に置かれたバーンデンバーにおいて有利である、勝っているという情報を規制されることはまずありえない。かつてのダイホンエイ・アナウンスではないが、状況によっては撤退を転進とか辛勝も大勝利とするのが戦時下の情報というものである。
 ただ、二社にしてみれば、数ヶ月前にあったペルム戦争時の疎開ラッシュよもういちど、といったところなのだ。航空会社がグレミー軍情報科に梃入れをしているのである。チケットの料金もずいぶん高騰していた。企業努力といえば聞こえはいいが、悪辣と言えば悪辣である。もっとも、舟艇にまではおよんでないまでも、一部航路の接収は軍がしているし、運行に規制が入れられている状況ならば航空会社としてももとをとりたいということでもあった。



 その港で、監視を振り切って逃げ出せないものかとジュドーは心のどこかでめぐらせてはいたが、諦めていた。
 なにもできない苛立ちは同じでも、連邦の艦にいるままと今の状況では雲泥の差があるのは本当だからだ。
 『グレミー閣下がこの戦いに勝っても、ハマーン様を悪いようにはしない』
 はるばるサイド3まできたというのに後方に下げられてしまっても、グレミーの心情がわかったのだから無駄足ではなかったのだと思うようにした。
 今は、心配をかけた妹のリィナに会えることを楽しみにしようと思っていた。

 まるで鉄道の駅のように混雑する中、二人の監視はジュドーを前後ではさむようにしていた。間違いなくサーラントに向かうようにするための監視であり、同時に、連邦のスパイだと勘ぐった人間からジュドーを守る護衛でもあった。
 二人に迷惑をかけているのに恐縮していたから、なんどか話しかけたがまったくの無反応だった。チケットの確認からなにから総てやってくれたのはいいが、もう少し愛想よくしてくれてもいいではないかと思う。
 「!」
 そんな居心地の悪いのを、まわりと押し合いへしあいしていることでまぎらわせていた時、急に嫌な予感がジュドーに飛び込んできた。
 なにをどう言ったらいいのかわからないが、どうしてそんな気がするのかすら説明がつかないが、とにかく嫌な予感がしたのだ。
 これは、第二次ジオン独立戦争のコロニー落とし作戦時に感じた禍々しいなにかと同じであることに思い至った瞬間、ジュドーは「あっ」と立ち止まってしまった。後ろの監視が訝しげにジュドーをせかし、その後ろの乗客があからさまに眉を顰めた。
 瞬間、ジュドーは翻って後ろの監視を殴り倒していた。
 周囲でおこるどよめきをよそに、ジュドーは人垣を掻き分けて走りだしていた。
 本当は無線機を奪いたかったが、それをしていたら逃げ出すタイミングを失う。
 もうひとりの監視の須臾の油断は、まさに僥倖だったのだ。
 説明のできる感覚ではない。
 言葉にできたとしても、理解してもらえるとはとても思えない。
 だから、ジュドーははなから監視の説得を放棄したのだ。
 理解してもらえるものならば、監視の二人とてジュドーが軍に帰ることを承知してくれただろうし、まず無線で連絡をとってもくれただろう。
 『閣下、どうかご無事で!』
 ジュドーは焦燥感に背中を押され、ただそのままに走り出す。二人の監視の声を背中に、人垣をかき分けてまぎれていった。



 グレミー・トトを乗せた艦は、バーンデンバーの港を出てズムシティに向かっていた。
 ハマーン側から講和が持ちかけられたのをうけて、グレミーは即応してズムシティを目指した。この戦争をやっと終わらせることができることに胸をなでおろしていた。これいじょうに長引いていたら、連邦軍に介入の口実を与えてしまうところだったからである。そうでなくても、コロニー十基の宙域を戦場とするまでに戦線を拡大してしまったことで、連邦政府から追及される蓋然性は否定できない。それをやり過ごす準備をするためにも、ハマーンとの講和を急ぐ必要があった。
 戦争は拳銃の誤射からでも始まる。しかし、戦争を終結させることは経験豊かな国家指導者でさえ容易な事ではないのだ。流血をとめることができるのは、理性だけである。
 もちろん、このクーデターをおこしたのは自分である。戦争は従属ほど負担が重くないのだと責めを負う覚悟とてある。が、ジオンを間違った方向に導かれるのは我慢できなかった。理詰めにされた国は窮屈だが、アイデンティティを失えば遠からず崩壊するのが国家だ。ミネバ・ラオ・ザビを傀儡とし、蔑ろにしつづけるのは国民の結束力を失わせることに他ならない。やがて、なし崩しに連邦に取り込まれることにもなりかねないということだ。
 『まして、ハマーン・カーンが象徴たりえるわけがない』
 それでも、これいじょうにハマーンを責めるつもりはない。彼女の求心力を侮るつもりこそないが、ミネバを要した新たな国家に太刀打ちができるとは思えないからである。有罪、執行猶予をつけて軍の要職におけば、ほかの幕僚との牽制の中で埋もれていくに違いないと思えた。
 憎むなら殺さずに生かしておくのも手段のひとつだ、とグレミーは運ばれてきた紅茶をゆっくりと飲んだ。



 道徳的に正しいことで、政治的に正しいものはなにひとつない。という得心のいかない言葉が脳裡をよぎるのを、キャラ・スーン少佐は振り払っていた。
 ノーマルスーツをみょうに窮屈に感じるのは、この作戦の所為なのだろう。《ザク・ドライ》のコックピットは思いがけず広かったが、閉所恐怖症でもないのに圧迫されているような気がするのは、この作戦が不当なものだという自覚があるからに違いなかった。
 太陽側の港、第一ドッキングベイがグレミー軍の手に落ちたとはいっても、本当に港だけなのだ。港を掌握されてからこの短時間で、直径六キロメートルある太陽側の外壁に潜んでいるハマーン軍将兵や兵器を完全に駆逐できているはずもなかった。コロニーの外壁は遠くから見るよりもずいぶんと凹凸があり、太陽側の外壁だけに限定しても十?二十機のモビルスーツが潜める場所はいくらでもあった。
 キャラ・スーンはズムシティ太陽側の外壁から、バーンデンバーの方角を望んだ。最大望遠で全天モニターに映し出された旗艦《ブラウェル》はまだ、豆のように小さかった。
 グレミー少将が乗艦する旗艦グワンバン級四番艦《ブラウェル》は、ほかのグワンバン級のように小豆色ではなく、杜若色である。そのシルエットは涙滴型というか首を前方に伸ばした白鳥のようでもある。空力を考慮された設計であり、コロニー内、はては地球上での運用もその視野に入れられたものだった。全長五百メートルというのは、随伴するエンドラ級巡洋艦の倍ほどの大きさということである。
 ミリタリーバランスのみで戦争の推移はきまらない。宣戦布告の演説でナイフを二の腕に突き立てたグレミー・トト少将だけを亡き者にすれば、この戦況をひっくり返すことができるだろうことは明白だった。
 ようは講和を餌におびき出した、騙まし討ちである。
 本来ならば、部隊司令官であるキャラ本人がこうやってモビルスーツを駈るべきではないが、作戦内容の後ろめたさからそうせずにはいられなかった。どのみち艦で指揮をとっていても、やることなどない。総ての護衛艦とモビルスーツを無視して、旗艦のみを沈めるというだけの作戦では指揮もなにもないのだ。それに、この作戦の結果にかかわらず、戦闘はこれで最後になるはずだ。このままハマーンに殉ずるのも女としてはいいかもしれないと思う。だからグラナダ市宙域の機動部隊を呼び戻すことは諦めたのだし、この作戦をハマーンから賜わったあと、相変わらずの連邦陸軍式ではあったが、これまでにしたこともないような最高の敬礼をしたのである。

 おそらくは自分との面識があったことなど忘れてしまっているであろうジュドー・アーシタ曹長の顔が、まぶたに浮かんでくる。
 第一次ジオン独立戦争の学徒動員で戦場にかり出され死んでしまった弟は、もう少し背が高かっただろうか。弟を髣髴とさせる元気なまなざしに、キャラは初面識の時から惹かれていた。
 恋なのか?
 そうではないと思う。年上にこそそういった魅力を感じるという自覚はあるし、これまでそういった対象が現れなかっただけなのだ。曹長へのそれは、まるでちがう。
 「煙たがられるのにも慣れている」
 自嘲的にキャラは口ずさんだ。
 汚れ役は、いつのどのような組織にでも必要なものである。
 グラナダに残してきた部隊がマスドライバーのことを連絡してきた時は、なにかしらのカタチでジュドー曹長と会えると直感した。グレミー軍の方に合流してしまったと知っても、戦場でまみえることができると確信すらしていた。しかし、グラナダのマスドライバーを使って帰ってきた曹長がこの艦隊に参加しているという状況は、冷静になってみればリアリティのないことだ。落胆もするが、どうしようもない。クーデターを知り慌ててサイド3に帰ってくるほどに直情径行なのはジュドー曹長が弟と似ているところだし、そして自分もである。
 この作戦に成功しても失敗しても、指揮したことはいずれ知られることになって嫌われてしまうのだろう。ただ、嫌悪の対象としてでも自分が曹長の記憶の中に残れれば、それもいいと思っていた。
 人間は自分のほしいと思うものを求めて世界を歩き回り、そして家に戻った時にそれをみつけるのだ。
 一方的であっても。
 自己満足であっても。



 ジュドーが監視を振り切った空港はバーンデンバーの第一ドッキングベイ、太陽側である。
 軍港となっている反対側の第二ドッキングベイに向かうのは困難だった。全長三十キロメートルのコロニーを端からはしまでなのだから、徒歩というわけにはいかない。二人乗りの電気自動車エレカを盗むことも考えたが、騒動がおおきくなって軍関係者に見つけられる可能性が増すのは避けるべきだと思いとどまった。そんな時に施錠されていない放置自転車を見つけられたのはまさに僥倖である。三時間あれば、たどりつける!
 途中、公衆電話から軍の情報化に連絡を入れはした。
 「グレミー閣下は、早くそこを離れてください。危険なんです!」
 自分の居場所をかぎつけられる危険は承知していた。言っていることを信じてもらえないどころか、曖昧すぎて理わかしてもらえないこともわかっていた。それでも、なにかをせずにはいられなかった。そもそもが、今グレミーがどこにいるのかも知らないのである。
 ただ、今のままでは危険だとわかるのだ。

 スペースコロニーの内側、第二ドッキングベイへは円筒の半径三キロメートル分の斜面を登らなければならない。一般にはこの斜面を山と呼称し、場所によってはハイキングコースも設定されていた。無論、第二ドッキングベイに向かうのにはハイキングコースでは無理だ。数カ所に設置されている、車両用のエレベータを使う必要があった。
 自転車で走りながら、遠くの山の麓にその巨大エレベータをみとめた。エレベータの入り口に軍車両や歩哨数名がいる理由は、第二ドッキングベイが軍港化しているということだけではなさそうである。ジュドーは手配されていたということであるし、運よくここに来るまで見つけられることすらなかったが、その目的には勘づかれているということではないのか?
 ここは、強行突破するしかないだろうと眦を決した。息をおおきく吸い込むと、重くなっていた脚に拍車を打ちつけて自転車の速度を上げる。歩哨が担いでいる銃の種類がわかるまでに近付いたころに、ジュドーは雄叫びを上げた。
 「止まれ! 通行証を」
 と気付くのに遅れた歩哨は銃を向けたが、私服を着ている少年ということもあってさらに躊躇してくれた。
 その隙を突いて自転車ごとひとりに体当たりし、すぐさまに立ち上がる。エレベータに向かって走ろうとするが、別の歩哨に襟首を猫のように捕まえられてしまった。
 罵声とともに、みぞおちにいっぱつ膝蹴りがはいった。
 呼吸困難になり、胃の中身もぶちまけそうになる。地面に投げ捨てられると、次に、軍靴が顔面に決まった。
 血の臭いがしはじめたが口の中が切れただけですんだなと、ジュドーはみょうに冷静でもあったが、これで諦めるしかないのかと絶望的な気持ちになった。
 次に、暴風が吹き荒れ、
 “ジュドー、みぃ〜つけた!”
 上空から無邪気な少女の声が聞こえた。
 『プル』
 見上げると、真珠色の《キュベレイ》がゆっくりと降下してくるところだった。

 「おまえらみんな、グレミーに言いつけてやるからな!」
 着地と同時に《キュベレイ》の胸のところのコックピットハッチをあけたプルは、ヘルメットシールドをあげて甲高く可愛い声で凄んでみせた。
 《キュベレイ》のマニピュレータでジュドーを拾い上げてコックピットに導く。
 明らかなる友軍のモビルスーツではあったが、歩哨も黙ってはいない。
 しかし、銃口を向けられてもプルは動じずコックピットハッチをすぐに閉じて《キュベレイ》を港に向けてジャンプさせた。

 「プル、ありがとう助かったよ。でも、」
 「わかってる。グレミーが危険なんだ」
 ジュドーは、プルも同じ感覚を受信していたことに驚愕した。
 今になって冷静になってみれば、港に戻ったとしてもなにができるというものではない。グレミーが危険だということ以外わからないし、故にその回避方法が思いつきもしないのだ。でも、プルも同じように感じていてくれるならなんとかできるのではないかという希望がわいてきていた。
 プルも、グレミーに危機が訪れると気付いていた。ただ、同時にジュドーが港に近付いてきていることにも気付いてさきに迎えにきてくれたのだという。
 ハマーンと講和が結ばれるというのならば、その会場が危険なのか、あるいはその道程が危険なのかどちらかなのだとわかった。
 「研究所の連中は理解してくれても、グレミー自身がいないから軍を正式には動かせないんだよ」
 プルは歯噛みしていた。
 彼女が感じた予知能力のようなものを根拠に誰を説得しても、軍を動かせるものではない。そんな超能力じみたものでは説得できるわけがないのだ。唯一それを現実と受け止められるニュータイプ研究所職員でも、軍を動かす権限はもっていない。研究所と軍とのパイプ役は、肝心のグレミーがおこなっていたのである。
 グレミーが講和のために機動部隊を編成してズムシティに向かっていることを聞いて、ジュドーは合点がいった。嫌な予感というのは間違いなく騙し討ちにあうということなのだ。入港した港ごと吹き飛ばすというまでの暴挙をするとは思えないが、待ち伏せての奇襲ならありえることだ。モビルスーツを調達しなくては、助けにいくこともできそうにない。
 「でも、俺が使えるモビルスーツがあるのかな」
 二人で無茶をやってグレミーのところに駆けつけるとしても、艦艇をハイジャックできるものではないしモビルスーツが余っていないのではないか。講和が結ばれるとはいえ、ついさきほどまで戦闘状態だったわけだから臨戦態勢のはずだ。総てのモビルスーツにパイロットが搭乗しているとは思えないが、余っているということはないはずである。
 一刻の猶予もない状態で、更に騒ぎを起こすのは得策ではない。誰の注意も向いてないモビルスーツを拝借していくのが理想的なのである。
 「あるよ、ジュドーが乗ってきた《ガンダム》が」
 プルは、いたずらを仕掛ける子供のような表情をした。
 確かに、それは盲点だった。あれから即座に解体作業に入っていないのならば、逆にノーマークに違いなかった。プルが既にあてにしているというのならば、下調べくらいはしてあるということだろう。
 《キュベレイ》や《ザク・ドライ》のように扱うことはできないが、それでも無いよりはマシだ。二機でしか行動のできない現状ならばむしろあの怪物じみたスペックのモビルスーツの方が有益かもしれないと思うようにしていた。



 奇襲をうけたことに、グレミーは自虐的に笑った。
 冷静に考えてみれば当然のことであって、驚愕したりハマーンを本気で批難することの方が青臭いというものだ。一軍をかってクーデターをおこしたにしては、ずいぶんお粗末である。
 もちろん丸腰でズムシティに向かっていたわけではないが、ここにきてでてくる敵ならば手強い。
 首府たるズムシティの政庁で講和を結ぶのが正道であるし権威であるのは確かなことだが、そこにこだわった自分の未熟さということだ。ペルム戦争や第二次ジオン独立戦争の終結において、ハマーンはズムシティにこだわってはいなかった。そこが、ハマーンと自分の違うところであるし、ハマーンの卑しさなのだ。
 とはいえ、こんなところでこんな死に方をするわけにはいかない。
 グレミーは、応戦を叫んだ。



 とにかく、旗艦の《ブラウェル》だけを沈めればいい。
 グレミー・トト少将が旗艦にいることは間違いのない情報なのだから、旗艦だけ沈めればこの気持ちの悪い作戦を終結させられる。
 随伴するエンドラ級の一隻はとことん無視して、《ブラウェル》だけを沈めにかかれ、と、キャラは血眼になって部下を叱咤していた。グレミーだけを亡き者にすればいい。
 運がよかったのは、敵はほぼ無警戒だったようだということである。実際これまでの作戦では大勝続きであり、油断していたのだろう。ハマーン側がなんども講和を蹴り続けていた最後のさいごで講和を打診してきたことで、戦闘継続能力が完全になくなっていると判断していたに違いなかった。
 もっともそれは半ばいじょうは正解で、現状のハマーン軍が戦闘を仕掛けることができるのは単なる意地と言っても言いすぎではない。稼働可能なモビルスーツは二十機以下、艦艇は二隻のみである。この状況でまだ戦闘をする方が異常なのだ。
 『毎度まいど、ハマーン様には驚かされる』
 キャラは、自分ではハマーンのようなヤリ方はできないと思っていた。
 常にと言ってもいいほど、ハマーン立案の作戦というのは奇策に富んでいる。小惑星アクシズそのものに推進力を持たせるというアイデアは、場所を変えてこれからの戦場を変えていくはずだ。自分をはじめ幾人ものアクシズ軍人を地球連邦軍に留学に送り出し連邦軍内にアクシズ軍とのパイプをつくることで、第二次独立戦争の講和を迅速にすすめることができた。そして、これまでの作戦においてグレミー麾下の艦隊を徹底的に使わずに戦力を温存させたこと……。
 「自分とて、ザビ家の言いなりになり続けるつもりはない」
 と、キャラは口吟む。
 《ブラウェル》艦橋の正面に隙ができたのを目敏くみとめ、キャラは《ザク・ドライ》をそこに滑り込ませた。捨て身の行動をとっていれば、なんどかにいちどはこういう好機に巡り会えるものだ。
 次の瞬間、《ザク・ドライ》のビームライフルで、艦橋を撃ち抜いていた。
 《ブラウェル》は航行不能に陥ってしまい、砲撃もほとんど無くなった。キャラの部下の数は残りが五機となってしまっていたが、推進剤タンクに集中砲火を浴びせて、轟沈させた。
 グレミーはザビ家を名乗っているのだから、これで溜飲もさがるということである。
 随伴のエンドラ級は敗走を考えているはずであるが、放っておけばいい。どのみち手負いであるし、こちらこそ戦闘を継続能力はない。
 “少佐。ランチが”
 部下が、爆炎の中から一隻のスペースランチが脱出するのを見つけた。キャラは、すかさずビームライフルの照準をそれに合わせた。
 刹那、ゴゥという音とともに艦砲クラスのメガ粒子がスペースランチとキャラ機の間を遮った。ほとんど無音に近くなる宇宙空間で、これだけの音を発しているのなら、かなりの出力のメガ粒子である。
 部下の一人が悲鳴をあげたのが聞こえた。今のに撃墜されてしまったということだ。
 後発の本隊があったとでもいうのかと思うが、よもやグレミーがいる艦を露払いにするはずがない。《ブラウェル》を先行させることで囮にしたと洞察する方が妥当である。キャラは頭を振った。情報が間違っていたということである。騙し討ちにしたはずが、騙されていたということだ。ならば、万全の準備をしてきた部隊に立ち向かうことなどできるわけがない。と、キャラは地団駄を踏んだ。
 が、それらの予想は総て間違っていた。
 『戦闘機か?』
 今の艦砲クラスのメガ粒子砲は、未確認戦闘機からのものだとわかったのだ。最大望遠でモニターに映し出されている機影は、軍艦などではない。バーンデンバーから来たのは間違いないのだろうが、本隊にしては小規模すぎるし援軍にしては早すぎる。ただ、やはりあのスペースランチにはグレミー・トトが乗っているのだということだけはわからせた。
 未確認戦闘機がどういった手合いなのか、と一瞬キャラは考えるも、次にはジュドー・アーシタ曹長だとわかってしまった。
 キャラ・スーンは、その幸運に感謝していた。

 《ブラウェル》の轟沈を確認した時ジュドーの目の前は真っ暗になったが、すぐにスペースランチの存在を見つけて胸をなで下ろした。とりあえず、グレミーは無事だ。敵機はモビルスーツ五機だが、自分とプルだけでも駆逐できると判断していた。
 「プルは、ランチの護衛を頼む。俺は、一機でもモビルスーツを堕とす」
 乗り慣れていない機体ではあるが、敵機は疲弊をしているはずだ。何機で《ブラウェル》に襲いかかったかはわからないが、モビルスーツが僚艦もなしに撃沈させるまで粘ったということは、そうとう消耗しているはずだからである。飛んできただけのこちらの方が有利だ。そして、自分は敵機《ザク・ドライ》のことは熟知しているが、向こうはこの《ダブルゼータ》を知りはしないだろう。
 卑劣な作戦に、ジュドーの怒りは吹き出していた。
 講和などという甘い言葉で喚び出し、待ち伏せするなどというのは軍人として恥ずべきことだ。
 これまでもハマーンが命じたというのならば、ジュドーは気が狂いそうになる。
 ただ感情にまかせて吼えたジュドーは、《ダブルゼータ》をモビルスーツ形態に変形させる。そして、そのモビルスーツと同じほどに巨大なビームライフルを闇雲に撃っていた。

 積木のような戦闘爆撃機を見たキャラ・スーンは、なにかの悪い冗談だと思った。モビルスーツに変形するという機構そのものもだが、その戦艦クラスのメガ粒子砲をモビルスーツが搭載していることにである。アクシズでも連邦でも大火力をモビルスーツに搭載することが流行った時期がありはする。しかし、メンテナンスの問題や制圧能力が疑問視されて廃れていった。大出力のメガ粒子砲をライフルといえるサイズ形状におさめることはできても、絶対的な小型化ができないからとりまわしが悪いのである。本機が軍艦ほどに質量をもっていて砲門を数そろえていればともかく、小さなモビルスーツがもつたった一門ではではあらゆる角度から現れる敵に対応しきれないということだ。三機いじょうで編隊を組むことがモビルスーツの運用セオリーとはいっても現実的とは言いきれず、まさに的に当てることができないのである。当たらなければどうということはない、という単純な理屈だ。
 形状的に、そのモビルスーツが《ガンダム》であり連邦軍のものなのだとすぐにキャラにはわかった。それがこの段階で自分に対峙している経緯はいろいろな想像ができる。そして、連邦軍に留学していた自分が知らないモビルスーツとはいえ、かなりの旧型なのではないかとキャラはふんでいた。
 「おもちゃのようなモビルスーツで、困らせるんじゃない」
 キャラは、《ガンダム》に乗っているジュドー・アーシタ曹長を、まさに弟のように叱ってやりたい心境になっていた。
 ノーマルスーツのヘルメットを一気に脱いだ。長く、朱に染められた彼女の長い髪が虚空を舞う。
 そばにいて自分の言うことをきいてさえいれば、ご褒美をあげることもできるのだ。そんなおもちゃで遊んでいないで、こちらにくればいい。女心のわからないグレミーのところになどにいても得るものなどなにもないではないか。
 男と寝ている時いじょうの昂揚感に身体が奮えている、と、キャラは嬌声をあげた。

 モビルスーツの装甲や宇宙空間を隔てているというのに、なんで相手の覇気のようなものを感じられるのか、ジュドーは理解に苦しんだ。地球圏に来てからのことだが、これまでにもなんどかあったことではある。となり部屋にいる妹の鼻歌が聞こえたことなどないのに、なぜ目の前に迫ってきている《ザク・ドライ》のパイロットの声が聞こえてくるのだ。ジュドーがキャラの《ザク・ドライ》に対してビームライフルのトリガーを引くのを躊躇してしまったのは、その無防備すぎる直線的な動きに陥穽を疑ったというよりは、相手のパイロットのことを感じてしまったことの方がおおきかった。
 「生身を相手にしてるなんて。俺は、パイロットなんだ」
 ジュドーは、訓練校で白兵訓練を授けはしたが、知識を植え付ける程度のものだった。実際に敵とした人間と向かい合うと脚が竦んでしまっていた。モビルスーツを攻撃することはできても、人間を攻撃できないというのはひどく独善的で傲慢である。と、わかっていても、ビームライフルのトリガーを引かなくてはいけない指が震える。

 ジュドー曹長が怯えているのが手に取るようにわかったキャラは哄笑した。すかさずビームライフルでの攻撃をやめ、ショルダータックルを《ダブルゼータ》の腹部に喰らわせ、両腕でホールドした。ここにコックピットがあるのだというのはおおかたの予想がついていたからだ。気絶をさせられればよし、そうでなくても萎縮してしまっているパイロットの戦意を完全に削ぐのには有効な手段である。
 「それでいいんだ曹長。こちらに来い。気持ちいいことをしてあげられるんだよ」
 キャラは、モビルスーツの装甲の接触で開いた明瞭な有線で叫んだ。彼女がビームライフルを使わなかったのは、もちろんジュドーを痛めつけることはしても殺さないためでもあった。アクシズ軍がジュドー曹長を失うのは大きな損失になる思っていた。いま、《ザク・ドライ》に自分の姿を見て攻撃を躊躇するのならば、いっしょにハマーン様に仕えれることでいい将兵になれるはずなのだ。

 『キャラ・スーン少佐なんて、知らないんだよっ!』
 接触回線から聞こえてきた声がひどく激昂しているから、ジュドーは今までの戦闘とは違う恐怖を感じた。呼吸ができないほどの恐怖に《ダブルゼータ》の四肢をばたつかせて振り払おうとするが、できない。

 “ジュドーは私ンだよっ!”

 プルの操る真珠色の《キュベレイ》が気に入らない思念を発しつつ上から猪突してくるのを視界に入れ、キャラは舌打ちをした。ジュドー曹長を手に入れるなら、いちばん邪魔なのはこの子供なのか。曹長に当たることを懸念して例のファンネル・ビットとやらで攻撃してこれないなら、狡猾と罵られてもこちらからは攻撃させてもらう!
 キャラは、うるさい《キュベレイ》にビームライフルの照準を合わせた。
 必然的にホールドがゆるむ。

 その隙を見逃さずに、ジュドーはキャラ少佐の《ザク・ドライ》を蹴り飛ばした。そして、慣性で離れてゆく《ザク・ドライ》に《ダブルゼータ》の巨大なビームライフルの銃口を向けていた。まだ指が震える。
 撃てるものか、とキャラ少佐がせせら笑うのまでわかった。
 ジュドーは目を閉じていた。
 「少佐の弟は、死んだんでしょ!?」
 そして、トリガーを引いていた。

 キャラは、ため息をついた。
 ああ、誰だって変わるんだ。ニュータイプ研究所で見かけた時の青臭さが少しだけとれていたのだと、キャラは自分の洞察力のあまさを悟った。
 それでも、悔いはない。
 曹長が手に入らないというのならいっそ殺してやろうと思っていた、ゆえに殺されるのも一興か、と、まるでスローモーションで襲いかってくるメガ粒子の奔流を他人事のように見つめていた。

 戦艦なみの出力のメガ粒子は、キャラ・スーン少佐を《ザク・ドライ》ごと一瞬のうちに蒸発させていた。
 ジュドーは、興奮して荒くなった呼吸を整えるのに必至になっていた。
 キャラ・スーン少佐なんて知らない。自分は、少佐の弟なんかじゃない。でも、《ザク・ドライ》の装甲の向こうで彼女が自分を笑っていたとわかってしまって、ジュドーは嘔吐感に襲われつつもどうにかこらえた。
 メガ粒子の光芒の中に、キャラ・スーンが見えたような気がしたのは気のせいだろうか?
 “ジュドー大丈夫?”
 接触回線ごしのプルは、いちどエンドラ級に引き上げようと言った。
 「ありがとう、プル。助かったよ」
 ジュドーは、ため息のような返事をすることしかできなかった。



 諍いの場合、怒りを感ずるやいなや真理のためではなくそれのために争う。
 それはわかっている。しかし、十まで数え、百まで数え、そして千まで数えたがグレミー・トトの怒りがおさまることはなかった。そしてその言葉どおりに、グレミーは行動しようとしていた。

 バーンデンバーで《ブラウェル》の轟沈を観測しているはずだが、グレミー少将は無事であるという連絡はしているから、混乱はしていないはずである。離反者さえでていなければ、グレミー軍の優位はかわるものではない。
 しかし、《ブラウェル》に随伴していたこのエンドラ級は、撃沈を免れるも航行不能に陥っていた。
 さしあたって対処せねばならないのは、救助が駆けつけるまでにできるだけの修理をすることである。
 グレミーら首脳がおこなわなければならないのは、ハマーンへ公式に抗議をする算段をつけることであるし、その手段を考慮することだった。
 しかし、グレミーは将官だという自覚を欠いてしまっていた。いかんせん若さが先行してしまったのである。
 ブリーフィングルームでジュドーを迎えたグレミーは、力の限り抱きしめた。
 「曹長、感謝する。後方に追いやった私をよくも助けてくれた!」
 グレミーが深呼吸をしたのが見えたから冷静になろうとしているのはわかったが、それでも激昂がおさまりきっていないことはジュドーにも見て取れた。騙まし討ちにあい、どうにか生きながらえた身になってみれば仕様のないことではあるが、どこか異常にも思えた。
 あのような作戦を実行するハマーンが許せないのであり、
 そのハマーンがミネバを擁していることが我慢できないのであり、
 ジオン、ザビ家の行く末をハマーンのほしいままにさせてしまっている自分が許せないとでも言うのだろう。
 今の心理状態のままの閣下が戦場にいることは非常に危険だということがジュドーにはわかった。無自覚に違いないが、死に急ぐというのはこういった心情なのではないかと想像できてしまったのである。新人パイロットで戦場経験は数えるほどしかないが、こんな空気を纏った同僚が死んでいるのを目の当たりにしているのである。
 だから、救援も艦の修理も待たず、このままモビルスーツでズムシティに乗り込むとグレミーが言い出した時、蒙反対するのと同時にやはりとも思った。
 「閣下、いまだ我が軍が優勢ではないのですか。ここは仕切りなおすのが得策です」
 周りも泡を食った。
 「ダメだ。もういっときもあの女を政庁に居座らせるわけにはいかん。ジオンやミネバの誇りの為にも!」
 とめても無駄だということは誰の目にも明らかだった。
 己が命に代えてでも守るのがジオン国民の誇りである。軍人であればこそ、それを貫くべきだとその眼が主張していた。
 「ダメだよグレミー!」
 それでも引き止めたのがプルだった。
 グレミーが死に神に魅入られているのがプルにも見えるのだとジュドーは気付き、いよいよ自分だけの取り越し苦労でないと悟った。ジュドーも再びグレミーをとめる。
 死んででも守らねばならないものは確かにある。
 家族、
 恋人、
 尊厳。
 しかし、ただ感情に任せればいいというものではない。バーンデンバーからの救援を待ち、そこで体勢を立て直すだけでいいのだ。ズムシティの太陽側の港まで制圧下に置いている現状で、慌てる必要などない。ここまできて事態が悪化することなどはありえないと洞察できるから、ここで突っ走れば無駄死にすることだってありえるとわかるのである。ハマーンこそが切れるカードの総てを既に切ってしまったのだから。
 「ニュータイプのお前が言うのなら確かに危険なのだろう。確かに、今やハマーンにうつ手はないとしても、私ひとりを殺すだけならどうとでもなろう。再び卑劣なてをもちうることも、あの女ならやりかねん。しかし、もう限界なのだ。私が死のうとも、志を同じくする部下がここにもバーンデンバーにもいる。ジオンは、ミネバ様さえご健在であれば滅びはしない。なればこそ、健やかなる環境でお育てあそばねばならないのだ」
 グレミーは優しくプルの頭を撫でてやった。
 ハマーンの狡猾なやりようをすぐにでも否定することで、ミネバ・ラオ・ザビに臣下としての気概をみせねばならないというのだ。天下の王道を示すため、戦ってみせなくてはならないタイミングがあるというのである。
 そして、ひとりでも行くと言った。
 反対したのは、当然ジュドーやプルばかりではなくその場にいた者の総てだ。軽率にふるまわないよう主張した。
 しかし、それでもグレミーの決意は変わらず、部下の方が折れることになってしまった。
 ハマーンの振る舞いにたいする憤りは、誰もが同じだったのである。
 部下たちがだした条件は、稼動可能なモビルスーツを総て随伴させ、グレミー自身は操縦をおこなわずジュドー曹長の《ダブルゼータ》に同乗することだった。グレミーが感情にまかせた行動をとる蓋然性を誰もが考えたからである。別の人間が操縦をしていれば、単独で行動しようにも、できるものではない。《ダブルゼータ》が選ばれたのは、《ザク・ドライ》や《キュベレイ》のコックピットよりも広いからである。比べて広いというだけでけっして余裕があるというわけではないが、補助席を急造するには少しでも広くある必要があった。
 グレミーが《ダブルゼータ》に同乗するのはやめて欲いとジュドーが思うのは、《ダブルゼータ》が試作機だからである。機動不順をおこすということはないとは思うが、試作機は試作機でしかなく、信頼性がひくいものなのだ。ただ、いっとき難色を示すも、それでもグレミーを同乗させることをみとめたのは、閣下を送り届けることに誉れを感じたということだ。近くにいて、グレミー閣下を守れるのならそれはいちばんの恩返しになると思った。まんがいち、戦闘に巻き込まれることになっても《キュベレイ》や《ザク・ドライ》に比べて《ダブルゼータ》の脚は速い。安全なポイントに逃げ込むのも容易だとも考えられた。



 《ダブルゼータ》を戦闘爆撃機ととらえた場合、その構造がこれまでのそれと違うところは、機首ではなくて機体の腹側中央にコックピットがあることだった。これはモビルスーツへの変形機構のためであり、透明のキャノピーがないというデザインになっていた。全天モニターがモビルスーツに導入されて五年をこえ、昨今は構造強化のために従来の戦闘航空機にもその導入の検討がなされているが、《ダブルゼータ》はその先駆けとも言えた。

 ジュドーが発進の用意をしていると、予想よりもはやくノーマルスーツ姿のグレミーが現れた。
 まだ、すこしさきになるはずであるが、あれだけズムシティ乗り込むことを主張していたグレミー閣下だから気が競っているのだろうとジュドーは思った。
 グレミーの坐るシートは、パイロットシートの背部に急設えで溶接されていた。パイプ椅子のようなものである。ショックアブソーバはパイロットシートのものを併用することになる。人間ひとり増えたくらいの付加で影響を与えることはないという計算ではあるが、そうでなくても乗り心地の悪いのが兵器というものだ。運行時の加重はたいしたものだろう。すこしでも安全運転をしなくてはな、とジュドーは冗談めかして思っていた。
 「そのノーマルスーツは、連邦のものなんだな」
 グレミーにはジュドーの格好が珍しかったのだろう。
 部隊によって違うようではあるが、基本的に白いのが連邦軍のノーマルスーツだった。宇宙空間で白兵ゲリラ戦を展開する部隊を有するジオンのノーマルスーツ思想とは根本から違う。兵器は宇宙空間では目立たないようにすべきだが、ノーマルスーツは逆に視認しやすくして他人から見つけやすくせねばならないという旧世紀の宇宙服の呪縛から解き放たれきれていない連邦軍のデザイン思想なのだ。
 「この《ダブルゼータ》のサイコミュと同調しているのです。気を悪くなされましたか?」
 「ジオンのものにプライドを感じてさえいてくれればそれでいい。今や連邦との戦争は終わったのだから、彼らは敵ではないよ。クワトロ・バジーナ議員の好意には甘えさせてもらえばいい。そして、それに対して礼を欠かさないことの方がジオンの誇りというものだ」
 そう言ってグレミーは微笑んだが、拳銃をジュドーに向けていた。
 突然のことでなにをどう対処してよいのかわからず、ジュドーはただ狼狽してしまって両掌をあげるしかなかった。
 「閣下、いけません!」
 「これは私が預かる。曹長にはさんざん世話になったが……」
 グレミーは、狭いコックピットルームを前に廻りこんだ。無重力空間ゆえ、スペースノイドにはむしろとりやすい体術である。
 ジュドーはパイロットシートに押し付けられるようになり、ただ信じられないものを見るような眼でグレミーを見た。
 「ダメです。力及ばずなのはわかりますが、私たちは、いつだって閣下をお守りする覚悟があるとわかってくれているじゃないですか」
 ジュドーにはグレミーがなにを考えているのかがわかった。彼がやろうとしていることを阻止せねばならないと直感はするのだが、その手段こそが思い浮かばないジュドーは焦るばかりだった。いくら責任多き軍司令官であっても、ひとりで背負い込むことはないではないか。直属の部下としては、グレミーがこういう考えをもっているからこそ他の将官よりも尊敬しているのだが、それでも、なればこそ、これはいけない。
 当て身で人ひとりを気絶させるというのには、なかなかの技術を要する。パイロットスーツの上からそうするのはさらに至難のわざであるが、グレミーはジュドーに対してあっさりとそれをやってのけた。
 それからコックピットからジュドーを放出すると、《ダブルゼータ》を出撃させた。
 「許せ曹長、これから私がやるのは、お前のやプルような兵に見せられるものではないのだ」
 グレミーは自嘲するようにし、眉を吊り上げていた。
 知って行なわざるは知らざるに同じであり、行動はいつも幸せをもたらすものではないが、行動なくしては幸せはないからである。

 気絶したままのジュドーはドックを浮遊し、すぐにスタッフに見つけられることになる。



 ジュドーがすぐに見つけられたということは、グレミーの独断はすぐにあかるみにでたということである。
 情報は軍内を電光でかけぬけ、非常体勢がしかれた。
 とくに、グレミー軍が制圧したズムシティ第一ドッキングベイへの連絡は最優先された。目的がハマーンの殺害であり、戦争という正規の手続きをとることすらも煩わしく思うほどに焦っていることは明白で、《ダブルゼータ》がグレミー軍の識別コードを持っていないことから、アンノウンとして撃墜されることが懸念されたからである。四角い戦闘爆撃機は友軍機であり、グレミー・トト少将が搭乗しているということは特に明確にさせられた。そして、ズムシティ内への侵入を阻止すべしという発令がなされた。
 このタイミングでハマーンを殺害すれば政治問題であるし、犯罪行為である。ザビ家の血縁者を自称するグレミーを犯罪者に貶めることはなんとしても避けねばならない。そしてなにより、返り討ちにあう蓋然性が高すぎる。
 今のジオンがグレミーを失うわけにはいかないからだ。
 しかし、ズムシティ政庁にいかせないために太陽側の港で少将をお引き留めせよと言われても、攻撃をせずに戦闘機を止めることなどは不可能である。それどころか、ドッキングベイ駐留部隊は《ダブルゼータ》が衝突しないように慌ててハッチを開けるしかなかった。いっさいの減速をしないというグレミーの操縦のしようは、鬼気せまるものがあった。

 コロニーの中に入っても、グレミーの操縦する《ダブルゼータ》は攻撃されることはなかった。
 コロニーの内側では攻撃らしい攻撃ができないことも確かだが、スクランブルもかからないというのは妙である。
 なにをどうとってもおかしい。罠に違いないと察しながら、グレミーは《ダブルゼータ》を政庁の庭に垂直着陸させ、攻撃のない静まりかえった庭に降り立った。
 政庁の職員はひとりとしていなかった。
 現在のコロニーの設定時間は午前十時をまわっており、職員が登庁していてしかるべきはずだった。戦闘爆撃機が政庁の庭に降りようものなら大騒ぎになるはずが、気味が悪いほどに周囲までも静まりかえっていた。
 重く巨大な政庁正面玄関を開けてくぐったグレミーのその姿は、まさに魔女にさらわれた姫を救いにむかう騎士だった。ミネバをすくわねばならない。ジオンを正しく導かねばならない。この世界の誰からも後ろ指をさされることのない国家を作りあげねばならない。
 その衝動がグレミーを突き動かしていた。
 憎悪は抑圧され連続した怒りである。
 愛する国家をハマーンにいいようにされつづけたグレミーの怒りは、既に頂点に達していた。

 グレミーがまっすぐに向かうのは摂政執務室だった。
 はたして、そこにハマーン・カーンはいた。
 「無粋な職員や部下たちには登庁せぬよう、総てに休暇を与えた。待っていたぞ」
 正面のドアを蹴破らんばかりの闖入者を、デスクに肘をついたままでハマーンは出迎えた。闇のようなスーツ、タイトスカートを纏い、落ち着きはらっていた。貌は、肩で息をするグレミーを嘲笑うかのようであった。
 「貴様には罪を償う名誉もやらぬ!」
 グレミーはハマーンに拳銃を向けた。弁明などを聞く気はない。いまさら苛立ちが増すこともなければ和らぐこともなかった。
 わずかな躊躇もなく、トリガーを引いていた。
 横に跳んで身を翻したハマーンは、懐から拳銃を取り出した。脚の自由を確保するために手際よくスカートを裂くと、すばやくグレミーに銃口を向けた。
 「野蛮な奴だ。ジオンの提督でありながら、恥ずかしくは思わないのか?」
 そう言ってはいるが、グレミーを批難している口調ではなかった。薄笑いを浮かべるハマーンが戯言で煽っているのは明白だった。
 「国民に許してもらう気はない。溜飲がさがればよいと、野蛮であるのは承知している。この結果、ミネバ様とこの国がすくわれればそれでよい」
 「勇ましいが、私はそんなに悪女か?」
 グレミーは、奥歯を噛みしめて再びトリガーを引いた。ハマーンの挑発にのせられている自分に気付いてはいる。しかし冷静を装うので精一杯であり、はらわたはにえくりかえっていた。
 ハマーンは再び横に跳び、隣部屋の政庁謁見の間に飛び込む。
 追ってグレミーも謁見の間に駆け込んだ。
 政庁舎内で行事がおこなわれるさい、皇王の出座が必要な場合に使用される部屋だ。奥の三段高いところにカーテンで覆われた玉座がある。ペルム戦争後にグレミーも数回入室したことがある。しかし、その総てにおいて皇王ミネバ・ラオ・ザビは体調不良を理由に不在だった。そのたび、魔女に囚われた姫を救い出せずにいる躬らの不甲斐なさを呪い、魔女を憎んだ。
 しかし、こんな時だというのに、玉座、カーテンのむこうにミネバの小さな影が見えてしまった。
 これは罠だ。
 隙を見せたところで、階段を登ろうとしたところで撃たれるというのを容易に想像できた。部屋の中でもっとも見晴らしのいい場所にこそ玉座が据えられているのであり、見晴らしがいいというのは狙われやすいということでもある。
 それでも、グレミーは玉座にむかいたい衝動を抑えられなかった。
 将官になる前は身分の違いで遠くから窺うことしか許されず、拝謁の許される将官になってからは公式の場に出席をなされることはなく、じかにお言葉を賜ったことはいちどもなかった。
 従五位下少将では許可のない昇殿は許されない。しかし、ミネバ様のご尊顔を望まずにはいられなかった。意を決したグレミーは、階段を登りきり「ご無礼!」とカーテンを払った。
 「!」
 グレミーは血の気がひいた。
 そこにあったのは、木偶だった。
 カーテンごしに見れば人影であると認識してしまうという程度にしかつくられていない人形が、玉座に力なく坐っていた。これは、即興の陥穽ではない。
 ずっと前から……。
 「軍人風情が、身の程をわきまえよ。ミネバ様の御前である」
 ゆっくりと階段の脇に立ち、ハマーンは嗤っていた。ワイン色の髪の毛は、相変わらず挑発的だ。
 いたずらが露呈した子供が見せる表情とはこういったものか?
 これは、今回の自分を騙すためだけに作られた人形などではない。以前からこれまでこうされてきたのだ、と、ハマーンの表情から読み取ることができてしまった。いつからかわからないが、ミネバ様はアクシズやジオンにはずっとおられなかったのだと。
 グレミーの中に絶望の闇が浸透してゆく。
 「ミネバ様を、ミネバをどうした。ハマーン」
 そのグレミーの口調は、怒りというよりも縋るという言いようの方が正しかった。
 「ミネバ様は、ここではない場所で健やかにお育ちになられる。真に好きになられた殿方とのあいだに、お子を成されるであろう」
 それは、ミネバが市井に下ってしまっていることを暗喩していた。その場所がどこなのか、見つけ出さねばザビ家は絶える。
 自分では役者不足だ。自分の血では、一目は置かれても万人がついてくることはない、と、グレミーは愕然とした。ハマーンを問い詰め、すぐにでもここに連れ戻さねばならない。
 グレミーは、威嚇の拳銃をはなった。
 「ザビ家に縁ある者として命ずる。今すぐにミネバ様を連れ戻されよ」
 妾腹であるから臣籍降下あつかいではあるが、ザビ家の血を受け継いでいるという気概がそれを言わせた。ミネバ不在の今、地位をこえてハマーンに命令する義務が自分にあるとグレミーは信じていた。
 それを聞いた途端、ハマーンはそれまでの薄笑いを哄笑に変えた。
 「マインドコントロールをうけていては仕方がないとはいえ、まだ自分をザビ家の所縁だと信じているのか!」
 この嘲るようなハマーンの言葉の意味を、グレミーは理解できなかった。
 グレミーもプルも第一次ジオン独立戦争の戦災孤児であり、戦後アクシズに入植した者の累計であったがすぐに捨てられた。それをニュータイプ研究所が保護したのである。
 無論、被験者として。
 遺伝子検査の結果グレミーとプルが兄妹であるのは間違いがなさそうだった。
 ニュータイプとしての素養を持っていた妹はニュータイプデバイス開発にまわされ、兄は様々なマインドコントロールの研究材料とされたのだった。同じく研究所に被験者として所属していたハマーンは、摂政となったおりにこの哀れな兄妹のことを思い出したのである。研究所では引き裂かれ顔を合わせることなかった兄妹だが、再び顔を合わせた時には他人になってしまっていた。
 グレミーには思い当たるふしがあったのだろうか。絶叫し、再び拳銃のトリガーを引こうとした。
 「信じられるものか。私の父親はギレン……」
 「信じるのか否か、そんなことはどうでもよい。ただ、地球圏帰還計画からこの貴様の反乱まで、総て私の掌のうえで動いていたことだけは確かなのだよ。忌むべきザビ家を滅ぼすためにな」
 敵を滅ぼすために火を吹く怒りも、加熱しすぎては自分こそが火傷する。
 その瞬間、グレミーは胸にハマーンの銃弾を受けてのけぞり、玉座から木偶とともに転げ落ちた。
 「そして真意はともかく、ザビを名乗った貴様が死ぬことでザビ家は滅び、私の復讐のひとつが終わる」
 床にくずれるグレミーを見おろしつつ、ハマーンは笑いもせずに呟いた。

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